2007年08月03日

人材という名の力。

今もって、無職になってしまったのに後悔がないのは、結局僕が一番大事だと考えているものが、あまりにも合致しなかったことなんだなぁと、いまさら気づいています。

人と人との繋がり。
僕が一番大事だと考えるものです。
それが、とても薄い。だから、「教育」という概念がない。
そういう会社でした。

「育てよう」ではなく「育たないやつは知らん」というスタンスというか。
前のコメントにも書いたけど「OJT」と「丸投げ」の違い。
僕は新卒からアウトプットは違えど、ずっと制作系の職についてきたので、基本的にOJTで力をつけてきました。だからこそ、違和感を感じるのですね。僕だって後輩や新人を抱えたことはザラにあります。そのときにまず考えるのは「どうやって仕事を叩き込もう?」です。で、その手段がOJTとなるわけですが、いきなりはじめから終わりまでやらせるということはないですね。仕事を細かく切って「とりあえずここまでやってごらん」と言う。で、当然あがってきたものは使い物にならない。使い物にならないことは予測できるのだから、修正も含めて時間を取り、ダメなことを指摘し、時に甘ったれていると思うときは叱った時もあります。それでも、最悪の事態にはならない。そりゃ、そうならないようにコントロールしているから。全ては「こいつをなんとか一人前にしよう」という目的から。

その、目的がないのですね。先日までいた会社には。
だから、仕事を丸投げして、出来ていないと罵声を浴びせる。
はじめから完璧を求めているから、ある意味当然の反応なのですが。
そして、コントロールしようという意識が低いので、修正に対する完全な指示を出さない。意見だけ。それが複数人同時に。対等な立場の上司が口を出すのです。=まとまらない(笑)
で、それでもいただいた意見をもとに一生懸命考えて修正をする。しかし、意見は所詮意見なので、同じことの繰り返し。その上二度目には「なんで一人で考えるんだよ!」と怒鳴られる。逐一報告しようと心がけると「何にも考えてねえのかよ!!」と怒鳴られる(笑)こうなると、もう何が正しいのかわからなくなる。何をやっても起こられるという意識が植え付けられ、病気になる人があらわれる。病気にならずとも、「プロジェクトが終わっても何かを成し遂げた達成感はないよ。怒られたまま終わるだけだから。苦痛を切り抜けたという休息感があるだけ」という先輩も何人かいましたね(笑)つまり「育もう」という意識が薄いから、話に一貫性がなくなるんだと思います。

たとえ話があるとわかりやすいかも。
東京にいる子供に「新大阪へ向かう」というタスクがあったとします。
僕ならまず、電車の乗り方も知らない子には「とりあえず、新大阪までの切符を買ってきて」と言います。戻ってきた子供がぜんぜん違う切符を買っていたら、「お前、これ違うだろ。新大阪を買わなきゃ。新大阪、何で行くか考えた?考えてないよな?」というところから話を始めます。
しかし、その会社は「新大阪に来い!」としか言わないのですね。
で、何もわからない子供はなんとか切符を買って電車に乗るのですが、それが新幹線じゃなく東海道線だったりするわけです。そうすると「お前何考えてんだ!?バカじゃねえのか?!」と、怒鳴る。そして、「新幹線の方がいいだろ」としか言わない。子供は、次は一生懸命考えて、周りを見渡して、時刻表の存在を知り、新幹線の種類を知り、切符の買い方を知って、やっと新幹線に乗れる。しかし、当然時間がかかる。そうすると「お前遅すぎだろ!何やってんだよ!そんなの、調べりゃ簡単にわかるだろうが!わからないんだったら聞けよ!」とまた怒鳴る。学習した子供は、逐一相談するようになる。すると、また「お前なあ、そんなこともわかんねえのかよ!そんなもん、聞かなくても調べられるだろ!!!」と怒鳴られる。


結果。
「何が正しいかわからなくなる」


最悪、これでも「新大阪への行き方」は覚えます。
しかし、ではこの子供はずっとこの大人に着いていこうと思うでしょうか?まあ、思わないですよね。苦痛しか与えられないのだから。「新大阪への行き方」を覚えたら、その大人に用はなくなる。当然、その知識を得たらもっと理解ある大人のところへ行くでしょうね。

僕のように、それを見越して「新大阪への行き方」にすら興味を抱かなくなった人間はスパっと決断しますが、その知識に興味のある人もいるわけで、残る人ももちろんいます。でもね、結局みんなやめていくのです。だから、あの会社のディレクターには1年ちょっとの職歴しか持たないディレクターだらけだったのですね。あとは管理職のみ。

これって、大問題だと思います。
特に、僕らWeb屋は。
別の大手制作会社の人事担当者が言ってました。

「我々Web屋の一番の財産は人材なんです」

おっしゃるとおり。メーカーと違って、Web屋は会社自体にナレッジはないんです。工場とか、独自の技術とかいらないでしょう?そもそも、形のないものを作って売っているのですから。必要なのはPC環境ぐらいで、そんなもんは誰にでも集められる。Web屋の財産は、現場の人間の体内にあるのです。知識や、コミュニケーション能力や、発想力とか、さまざま。考えてモノを生み出す仕事だから、ルーチンワークでもない。新しい人が来てパッとできるわけではないんです。いくつもの案件をこなすことにより力を蓄え、それをまた次の案件に活かす。そして、また新しいものが生まれる。会社の組織力を使って蓄えた力=人が外に流出したらどうでしょう?大きな大きな損失です。その人にいったい会社はいくらかけてきたと思ってるんですかと。

媚びるというと言葉は悪いかもしれない。
けれども「気に入ってもらうよう行動する」ということは、大事だと僕は思いますけどね。


posted by 総さん−ソウサン− at 02:05| ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月01日

無職になりました。

社会人になってから初です。
いつも、転職する時は次が決まってから辞めていたので。

にしても、早かった(笑)
朝、意思を伝えたらその日付けで退職ですから・・・。
動きの早さには感服しますね。

後悔はないです。
ある種の喪失感がないといえば嘘になりますが、逆に言えばネガティブな要素はそれしかない。Webの第一線を離れてしまうわけで、それには多少の寂しさはありますが、同時にやはり自分にはそのWebの第一線に魅力を感じなくなっているのもまた実感としてあるわけで。ただただ会社が嫌で辞めたわけではない、ということです。

やっていることは悪くない会社で、基本的にはとても仕事のできる会社でしたけど、いかんせん社内環境が悪すぎました。ともかく、ちゃんと教えない。右も左もわからない人間に丸投げして、ふたを開けてみたらまったく検討違いの所に来ていて、それに対して聞いたこともないような汚い言葉で侮辱して激怒する。うつ病になる人もたくさん。忙しすぎて、たたかれすぎて体調を崩して高熱を出し、オフィス内で倒れて、打ち所が悪かったらしく今杖をついて歩いている人までいる会社ですから。仕事のやり方と同じなんですよね。考え方が合わない人に歩み寄る気というのがまったくない。会社を好きになってもらおうなんて気さらっさらない。人と人とのつながりというのが、弱い会社でしたね。僕が一番違和感を覚えたのはそこだったりしたし。

僕のディレクターとして最も大事にしている言葉は「ディレクターの資質はいかに味方をつくれるかで決まる」ですから。真逆ですね。

次、ですか。
当然、働かにゃ生きていけないし、夢もあるので職探しはします。九月一日社会復帰を目標に探そうかなと思っています。ありがたいお話もあり、それも含めて今後の人生、自分のやりたいこと、今しかできないことを見つめる時間にしたいですね。

あと、短期バイトとかしたいです(笑)
バイトってもうぜんぜんやってないですから。
PCを使ったデータ入力とか、資料作成とかそういうバイトないかな〜。Officeなんてバリバリ使えるので、オーバースキルでバイトがしてみたい(笑)オッサンだらけの事務所とかで「もう、終わりましたけど」「ああ、これはこういう風に使ったほうがいいですよ」みたいな(笑)

というわけで、基本的に平日暇です。
のんびり暮らしたいと思います。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:05| ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

僕はどうしよう。

この一週間ぐらい、少し悩んでます。
自分の進退に。仕事ね。

びっくりするほど、人がやめていきます。同期で18人入って、もう6〜7人は辞めました。やめたのは同期だけではなく、僕が入社する少し前に入った人達も辞めていきます。一年に満たないで辞めていくなんてザラ。

僕の隣の隣に済む同期も、辞めることを考えているみたい。この人は二つ年上で、あの人材サービスやフリーペーパーで有名な会社から来た人。「やり方があわなすぎる」「意味がわからな過ぎて苦痛しかない」という彼の言い分は全く異論がない。同じ中途組で、しかも早くからビシバシ鍛えられるポジションに置かれ境遇も同じなのです。
僕と彼の違いは、前職の経験ぐらいでしょうか。僕は同じ業界にいましたから。

いま、僕を引き止めているのは、Web業界に轟くその名前の大きさと、あまりに短い期間でやめてしまっては、次に続かないという二点だけです。それ以外に、この会社に魅力を感じなくなっている。

この先、僕も追い込まれて、わけわからないのに怒鳴られまくるんだろう。今だって、わけわからん仕事任されるし、丸投げで辛い。

夢もかなり頭に出来て来て、その上でいまここにいる意味ってなんだろうって思いだしました。怒鳴られて、追い込まれて、平日は何も出来ない

この会社に入ってから、ほぼ一度も大好きなサッカーをしていません。ジムにも通えない、球蹴りもできない、満足にサッカーも見れない、友達との予定も組めない。そこまでやって、その先に何かあるのかな?
「とりあえず一年」ということそのものの意味。

最近僕は毎日のようにそれを考えています。

どうするべきか。
誰にもわかんないことですけどね。
posted by 総さん−ソウサン− at 08:49| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

ああアジアカップ。

久しぶりに、立て続けに代表戦を観ました。
この仕事やってるとまず見れないですから・・・。
とくにHOMEなんてたいてい平日でまず見れない。


昨日、残念でしたねぇ・・・。
すんごいショックでした。
なんだかんだ、勝つと思ってましたから。戦績で言えばサウジは相性の良い相手ですからね。95年?のサウジ二連戦から、負けた試合をほとんど見てませんでしたし。
ただまあ、アジア三連覇や四大会優勝など、失ったものは大きいですが、そんなに落ち込むこともないのかなと。一敗はただの一敗ですから。トーナメントでは充分に有り得ること。決めきれないのも今に始まったことではないし、一対一が弱いのも同じ。

方向として間違ったほうに向かっているとは思わないし、アジアカップが最終目標でもない。チームを熟成させつつ、結果も狙いにいったという観点から見れば、ベスト4は合格点だと思います。時の運もあるし。
トルシエ、ジーコ時代に比べたら遥かにレベルの高い安定した試合をしていると思いますね。常に力を発揮するという意味で。

トルシエ時代、選手は自己で考える権利を与えられず、歯車に徹することを強いられた。事実は、その中でも個性を出せということだったんですが、あまりの独裁にそれを出せる選手は限られ、オートマティズムによる連動性こそが強みだった。日本代表は限られた「自由と規律を操れる」指揮者により、抜群のバランスを獲得。史上最強の強さでアジアを征したが、世界に出たとき、あまりに少なかった指揮者のタスクを担える人材をとうとう失い、バランスではなくオートマティズムのみで戦うことになった。それなりの結果を残したが、機械の選手達にはそれ以上はのぞめなかった。


ジーコは、まるで突然に考える権利を与えるかわりに、施策は全く与えなかった。全て自分達で考えろと。道標を失った日本代表は、時折発揮するクリティカルな連動と、「動かないこと」による組織固めというアベレージを武器に戦った。結果、高度な守備組織に動かないことによる牙城をもって攻撃を跳ね返し、カウンターをもってなんとか得点するスタイルで、アジアをなんとか征した。当然、アジアでのみ通用する戦い方は世界では役に立たず、クリティカルを狙った世界では、一つの施策も手に持たない選手達のアドリブだけに頼り、当然のごとく散りさった。

オシムは、全体の哲学と局所の施策、そしてそれらを「ツール」として自己で考えることを求めた。完全な機械組織でもなければ無策のアドリブ要求でもない、個の武器に組織大砲と二つの武器の使い方を与える。選手達は組織連動のベースに個の武器を加えたスタイルを身につけようとしている。

さて、今はどうか。
間違いなく、ジーコジャパンより走り、チャンスを作り、そして間違いなくトルシエジャパンより応用が効いている。考えるようにもなったし、足を動かすようにもなった。たしかにまだ、個の力を上乗せするレベルには至っていない。今はまだ走ることとバランスを維持することに頭が向いて、個の力を発揮する意識を持つに至っていない。が、これは仕方ないでしょう。今それが出来ていたら、それは完成に近いのだから。


この9年間の流れを見ていれば、間違いなく良いほうに向かっている。まだ本番じゃない。これからでしょう。


そう考えれば、完全なオートマティズムもない中で、よく繋げて、よく連動していると思う。あの劣悪な環境で。はっきり言ってサッカーをやる環境じゃない。その中で、よく動いている。あれで動かない、足元ばかりだと言う人は、一度真夏のフルコートでサッカーをやってみるといい(笑) すぐに動けなくなるから。

97年のアジア最終予選オマーン戦。これほどボールは支配出来なかったし、もっともっと足がとまっていた。

2004年のアジアカップ。
劇的な勝利は見ていてとても楽しかったが、やっているサッカーはこの上なくつまらなく、未来のないサッカーだった。アジア相手に完全リトリートでセットプレイとカウンター頼みなんて、世界で戦うつもりがないのと同じ。

ちゃんと、考え出した。
ちゃんと、走り出した。
個の精度、仕掛け、試合運び。
これから付け加えるものでしょう。

日本サッカーは着実に進化していると思いますよ。
少なくとも三年前のチームよりは。
posted by 総さん−ソウサン− at 22:31| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

三秒後の変身。−セミナー講師の巻−

またしても憂鬱です。
企画書は思ったほど叩かれませんでした。
まだこれからPowerPoint化するところなので、修羅場はまだまだやってきますが・・・。しかし、それに加えてまた新しいお仕事が。


セミナーの講師をやれと言われました。
といっても、ただ人前に立って話すだけではありません。話す内容まで、新しく自分で考えなさいと。普通なら誰しもが考えると思いますが、僕の教育のためではありません。単純に、そのセミナーの内容が会社として初めての切り口のもので、前例がないから。無いから、そりゃ新しく作らなきゃならんと。しかも、全く意図がわからないのが「事例を交えた内容にしろ」とのこと。僕、まだこの会社来て四ヶ月ですよ(笑) 当然事例なんか知らないし、メインディレクターとして案件を持ったこともない。そんな輩に、会社の一つの顔となるセミナーの講師を、しかも今までとは違う切り口の新しい内容でやらせるとは、何か矛盾しているような・・・。ちなみに、事例は自分で聞いて集めろということです。この会社の厳しさをわかっていただけるでしょうか(笑) 僕に任せた理由は「前職の経験があるから」だそうです。そんだけ?・・・と(笑)

辛いのは、人前で喋ることでも、内容を組み立てることでもないです。企画書と同じ。社内チェックが度々入るのです・・・。骨子を作って、部内役員チェック。そして資料が完成したら、部内全員に向けてレビュー。部内の人間が全員集まって、僕のプレゼンや内容をボロクソに言う会です(笑)。で、部内を通れば次は全社レビュー。そうです。我社の誇るWeb業界のカリスマ、あの社長に対してプレゼンをしなければならないのです。しかも、一つの企画の話ではなくWeb論ですから、釈迦に説法とはまさしくこのことですよ。

Web論の素晴らしさもさることながら、プレゼン力の凄まじさは他に類をみない才能です。「ヒアリングに来ました」と言って喋りまくって帰って来ちゃう人ですから。こちらの不備と思われる事態に、クライアントに頭を下げてもらうために訪問したのに「だからあなたたちはダメなんだ」と2時間説教をして帰ってくる社長なんて、聞いたことがない(笑)当然、2時間後のクライアントは全員納得しているのですよ。


そんな人の前でプレゼンです。
どんな大きな箱でプレゼンをやるよりもプレッシャーですよ。しかも、僕はこの手の練習とかレビューが大嫌いなのです。理由は簡単。「自分よりそれを知っている人に、力いっぱい説明するのが恥ずかしすぎる」からです。オシムに「サッカーとは・・・」なんて話すようなものですから。なので、今までは練習が必要な時は敢えて何も知らない人を集めてやってました。


ただまあ、未だかつてない程のピンチですが、つまりそれは極大なチャンスなんですよね。社長や役員に直でアピールする場ができるわけですから。先日も書きましたが、チャンスが与えられたことを喜び、楽しんで取り組みたいと思います。


でも、やっぱり簡単には無理です。極大なプレッシャーがかかる大ピンチに違いはありませんから。「楽しみを見出だすために、逃げ道をつくる」と以前に書きましたが、実はもう一つ、いつも行っているメンタルコントロール術があります。
何かのプレゼン、司会、面接。実力を出し切るために知識や技能より、何よりも心の強さを求められるとき、僕は自分にこう唱えます。




目を閉じ、胸に手をあてて三秒間深呼吸をする。

スイッチを切り替えろ。
失敗を恐れるな。
必ずできる。
やってみせる。
怖さは克服できる。

「ゆっくりと瞼をあげた後の僕は、スーパーマンだ」


三秒間のファイティング・スイッチ。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:27| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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