2007年08月25日

解約させないという手法。

ス〇パーを解約しようと思っても、WEB上ではできないんですね。
で、その上カスタマーセンターへも中々繋がらないというね・・・。
契約変更はWEB上で出来るのに、解約はできないというのも不思議な話ですね。

同じような話を〇ahooBBでも聞きます。
〇ahooBBはもっとタチが悪くて、解約すると言ってるのにそのまま電話越しで問題解決を訴えて契約延長へ引っ張ろうとするとか。そういえばソ〇ットを昔解約しようとした時も、WEB上でいくつもの引止め工作がありましたねぇ。

こういうのって、ほんとに顧客が見えてない手法だなと思います。
だって、ユーザは解約する事を求めているのだから(笑)
どこかで一枚「お困りの事はこういうことではありませんか?」というお情け頂戴のタイミングはあっても良いとは思いますが、あの手この手で解約させないようにするなんて、サービスというものを勘違いしているとしか思えませんね。少しでも契約者を確保したいのだろうけど、そんな対応されたらユーザは「二度とこんな所と契約しない」なんて思って、むしろ逆効果だと思います。

解約されたくないのなら、力の入れ所が違うんですよね。
サービスを商品とする契約って恋愛みたいなもので、数あるサービスの中からユーザは「ここがいいね!」と選んでくるわけです。それを「あの手この手で解約を阻む」というのは、言ってみれば別れの宣告をされそうになって(もしくはされて)悪あがきをするようなもんです。連絡を受け付けなかったり、話を聞かなかったり、もう終わりにしたいと言ってるのに無駄に話を延ばしたり。そこで頑張っても、時すでに遅し、なんですよね。大事なのは、そこにいかに至らせないサービスを日々実施するかであって、愛想をつかされてから頑張っても見苦しいだけ。凄く簡単な事なのになんでわからないんでしょうか。

きっと、目先の数字ばかりに目がいってるんでしょうね。
中には、引越しや住宅環境からプロバイダを変える人だっているだろうに、サービスさえ良かったらまた環境が変わった時に選んで貰えるかもしれないのに、わざわざそういう機会を損失するような行為だと思います。

ユーザに対してどんなサービスを提供するのか。
これがはっきりしていないといけないわけですが、つまるところそれは「自社にとって、ビジネスターゲットは誰なのか」をしっかりと分析し把握する事なんですよね。


posted by 総さん−ソウサン− at 21:02| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月10日

あれでキャリアカウンセリング?。

先日、派遣の登録に行ってきました。

最近の転職系サイトは、職業斡旋に留まらず、転職の方向性やプランに対するアドバイスも行ってくれるんですね。俗にキャリアカウンセリングと呼ばれますが。

派遣と同時にキャリアカウンセリングにもオンライン登録をしたので、その先日の派遣登録の際に合わせてキャリアカウンセリングも受けてきました。カウンセリングというぐらいだから、僕のキャリアや将来展望に対して何かしらのアドバイスや指導をしてくれるのかと思い、少し楽しみにしていたのですが、カウンセリングとは名ばかりの職業紹介でした。

僕より確実に若いオネーチャンが出て来て「こんなお仕事があります」なんて、あれでよく「キャリアカウンセリング」なんて言えますよね。笑わせてくれるなぁって思いましたよ。カウンセリングなのに始めからやることが決まってるってどういうことだよ(笑) 時には、仕事を奨めずに別の方向性を探らせる場合もあるわけだし、そこを考えて提供するのがあなたたちカウンセリングの仕事でしょうが。仕事紹介だけならWeb見ればわかるんだよね。あれなら、今日話をうかがって来た師匠のほうがよっぽどキャリアカウンセリングだったよ(笑)


でも、この話実はWeb業界もあまり他人の事をとやかく言える状態じゃないんですよね。

「Webコンサルティング」なんてうたっている制作会社が「SEO対策できます!」「アクセシビリティ配慮なら我社へ!」「CMS導入できます!」とか堂々と言っちゃってますからね。それは手法の話であってコンサルティングではない。「検索エンジン上位できます!」なんてのは、上位表示のお手伝いであって、根本的な解決になってないわけです。

コンサルティングとは、それらの手法を駆使して「いかに問題を解決するか」という「戦略」のことを指し、そこをいかに提供するかでしょう。


コンサルティングやカウンセリングなんて、そう易々と出来る事じゃないんですよね。相手を上回る知識と経験は絶対になきゃならないし、その上でコミュニケーション能力、プレゼン能力、プロジェクトマネジメント能力が必要とされる。最近大学を出たようなオネーチャンにできるわけがない。

この国のラベリング偏重価値観がもたらした、間違ったブランドの成れの果てですね。


僕は、そうならないように気をつけたいものです。
posted by 総さん−ソウサン− at 16:33| ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

突然の訃報。

訃報なんて、大抵は突然ですけどね。
それにしても、ショックです。

僕の古い友人が先月亡くなったそうです。
ずっと連絡をとっていなかったので「友人」と呼ぶ権利が僕にあるのかどうか、凄く迷うところですが、少なくとも幼少時代、幼稚園から小学生までは頻繁に遊んでいた友達の一人だったので、僕にとっては友人です。

ご本人の妹さんから聞きました。
mixiって凄いですね。「兄の友達を探していたら行き着いた」って。
まあ、学校コミュニティの管理人をやっているので、比較的同級生には見つけやすいんですけども。

すごいのは、妹さんは誰かに伝えたかったらしく、それは別に僕に狙いを定めて来たわけではないということ。その中で、去年中学の同窓会幹事を担い、今も仲間を引き連れて遊んでいる僕のところへ来たというのは、自分で言うのもなんですが、良い偶然だなぁと感じます。彼が、何かのおぼし召しで僕のところへ連れてきたんでしょうか。今日という日といい、そう感じずにはいられません。


本当に切ない。
僕の幼少の思い出には必ず彼は存在するし、今、時間をともにしている仲間の中にも、同じように彼は存在すると思う。同じ環境で同じ時間を過ごし、同じように家へ帰る。そういえば「通学路よりこっちの方が早い」と、子供心にちょっとドキドキする、そんな裏道を初めて教えてくれたのは彼だった。

先月、僕は何をしていた。
毎日、厳しい環境に苛まれながらも一生懸命仕事をこなしていた。
そんな時、彼は亡くなった。
僕は、何をしていたのだろう。
僕は、露ほども知らなかった。
僕に何かできなかったのだろうか。

人間の悪い癖ですね。
僕に何かできたわけがない。
そんなものは、ただの僕の自己満足に過ぎない。
同じように、これから先の未来について「僕に何かできることはないだろうか」というのもまた、同じこと。ただの自己満足でしかない。亡くなってしまった後に何をしても、故人は戻ってこないのだから。結局、自分の力を過信した、自分の存在意義を主張したいだけの、ただのエゴに過ぎない。



最近になって思うことがある。
よく言われる「自分の居場所は自分で作るもの」というのは、まったく真理だと思う。けれどそれが全てだと思ってしまうと、それはエゴでしかなくなるのだと、最近は痛感させられる。自分の居場所は自分で創造するものだけれど、自分の居場所を形成しているのは、自分ではなく周りにいる人達だと。確かに、自分の立ち振る舞いや言動、もしくは持っている技術によって自分の居場所というのは創造されていく。けれどそれは間接でしかなくて、その居場所を形成しているのは、周りの人間。周りの人間が「君は、こういう人なんだね」と理解をし、評価してくれるから自分の居場所がそこに生まれる。

自分の生命を維持するために、水分を確保しようとする。水分を蓄えるものといえば、例えばコップ。コップは確かに人がつくるものだが、結局のところ命に必要な水を蓄えているのは、自分ではなくてコップだ。水を蓄える為の「器」を人が作ったに過ぎないわけで。だから、人間がいくら万能になろうとも、その「器」そのものを乱暴に扱ってしまっては、何もなしえる事はできない。

僕の居場所は、僕の行動や人間性を受けた仲間が作ってくれている。彼らが存在するからこそ、そして理解してくれるからこそ、そこに僕の居場所が出来る。自分ひとりで出来ている訳ではない。と同時に、僕も他の誰かを受け入れ、好意を抱き、そこにその人の「居場所」が存在する。彼がそこにいてくれるのは、僕がそこに彼を映し出す「居場所」の一つを、僕の体内に形成しているからだろう。

そう考えると、先月亡くなってしまった僕の友人の「居場所」は、少なくともそのカケラは僕の体内に存在する。彼とともに同じ時間を過ごし、一緒に走り回ったその時間は、多くの大人のそれと同じように、僕という人間の礎になっているし、彼もまたそうだったろうと思う。彼の「居場所」の一つを僕は持っていたと思うし、久し振りに出会えばまた同じように、やあ、なんて言って彼を受け入れただろう。それは、今も存在する立派な彼の居場所だったと思うし、そして僕の心や思い出に存在するその彼のための器は、誰にも消す事の出来ない、彼がこの世に存在していた証だと僕は信じて疑わない。


大人になってからは一度も会っていない。
今、子供の頃と変わらず笑いながら盃を交わす仲間と同じように、彼とも今の話、ガキの頃の話、これからの話をしたかった。そう思えることが、そういう想いを抱ける事が僕は幸せだと思うし、それが叶わなくなってしまったことに心を痛めることこそが、人間の価値だと僕は思う。


彼のためだなんていうつもりはさらさらない。
彼がこの世に、ここに存在したという証明の一つが僕の中に存在する。
その証明に向き合い涙できることが、僕の、そして彼の財産だと思う。

いつも笑いあうことばかりが人間の価値ではないさ。
彼が遺した彼の居場所。それを自分の中で感じられる事を大切にして、
ポッカリ空いた心を受け入れようと思う。
彼に感謝の意を込めて。

心より、ご冥福をお祈りいたします。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:20| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

酒井友之がヴィッセル神戸へ移籍。

たまには大真面目にサッカーの話でも。
酒井友之という選手をどれほどの人たちが知っているだろうか。
「サッカー好きです」という人の5割は知らないと思います。
「サッカー"が"好きです」という人の5割もまた知らないかも??
日本代表にキャーキャー言って、日本代表以外のサッカーを知らないミーハ−な人は知らないでしょう。逆にJリーグのファンなら知っている人はかなりいると思う。


思えば、どうも華が無い選手だった。
運動量も豊富で、技術も確か。パスセンスも悪くはないし、ドリブルが全くできないわけではない。そして、守備力はかなり高いものを持っていた。いや、持っている。今だってレッズで試合に出た時はいつも良い動きをしている(らしい)。豊富な運動量に正確な技術を持ち、そして何よりもすぐれた戦術眼。中盤の掃除屋は十八番だし、繋ぎ役もできる。ロングパスも下手じゃない。

しかし、言われてみればみるほど、華が無い。
華が無いというのは、何も中村俊輔や小野伸二のようになれということではない。たとえば、中澤にも阿部にも鈴木啓太にも華はある。別に技術がどう、ということではないのだと思う。うまいし、汚れ役もできるし、手を抜かない。計算の立つ選手。僕が監督なら、間違いなく欲しがると思う。欲しがるだろうけど、では手元に小野と長谷部と鈴木啓太と阿部がいたら?ベンチに置くだろうと思う。そのうちの二人をベンチから外したとしても、たぶん酒井はベンチに置きたくなる。しかし、スタメンではない。何かが、足りない気がする。それが何なのかと問われると難しいところなのだけど。

考えるに「節目節目での大活躍」が無いのかもしれない。
苦しい予選で眼のさめるようなパスさばきを見た記憶も、獅子奮迅の働きで中盤を引き締めるような活躍を見た記憶もない。いつも「しっかりと着実に」というイメージしかない。時に、それが数多の監督の信頼を勝ちえ、同時にチームの「小さく正確な歯車」以上の評価を得られなかった原因かもしれない。

つまり、彼がチームに欠かせない選手となり、チームの安定に絶対的な力を発揮するような活躍が必要なのだと思う。エドガー・ダービッツ、ドゥンガ、山口素弘のように。そういう意味で言えば、ヴィッセルは悪い選択ではないと思う。純マーカスも加入し、ボッティも遠藤兄もいる。そう簡単ではないだろうが、しかしこのまま老け込むような歳でもない。是非、活躍して欲しい。活躍とはもちろん「監督の計算の立つ」程度ではなく「ヴィッセルの中盤は酒井でもっている」と言われるほどに。ポテンシャルから言えば決して不可能ではないはず。

こういうことを言うとファンには失礼かもしれないが、この10数年サッカーを見続けて来た僕の目が確かなモノだとするなら、酒井の運動量と守備力は決して啓太に大きく見劣りするものでもないし、そして啓太よりずっと確かな技術を持っていると思う。

左腕に腕章が似合うぐらいの活躍、して欲しいよ。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:55| ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月03日

ふわふわりの平日。

どうも、毎日そわそわしますね(笑)
やっぱり、未来が何も決まっていない、収入源がないというのは何か落ち着きません。社会人としては正常なんでしょうけどね。

とりあえず、このままどの道に進むとしても、短期の仕事でも、夢に向かう長期の仕事にしても食いブチを見つけにゃあ生きていけないので、派遣に登録したり就職情報誌を見たりしています。これはこれで結構楽しい(笑)そして、毎日の穏やかなこと。特にWeb業界に入ってからは忙しさに追われ毎日を走り抜けてきた気がします。気づけば、常にトップギアで走っていたような。何かしらの責任にプレッシャーを感じていたり。それがモチベーションだったりもするのですが。

けれど、ふと社会の流れから外れてみると、穏やかですね。
新宿にいても横浜にいても湘南にいても、毎日を組織の歯車として過ごしている人が大半の中で、すれ違う人すれ違う人、これまでの自分を見ているようです。いつかはそこに、戻らなきゃいけないんですけどね。その中に紛れ込むと、自分だけ社会に取り残されたような、ふと、そんな孤独感を感じます。同時に、今は走らなくてもいいんだなという安堵感も感じられる。

いつも絶対に見られないようなTVを見て、絶対にでかけられないような時間に外をブラブラする。いつも飲めないような時間に呑んで、いつも寝られないような時間に寝る。ブログ以外の文章を書きたい。遠出をしてみたい。昼間に銭湯でもいくか。そうだ、前から気になっていた湘南の朝市に行ってみたい気もする。仕事や夢以外に、自分には結構やりたいことがあったんだなぁと、新たな自分を見つけたり。

仕事、探さなきゃいけない。
将来を考えることも必要。
でも、僕はもう26歳。
仕事探しながら遊べるくらいじゃないと、
26歳としてはダメかなと思います。

というわけで、ともかくいろんなモンを感じて、
いろんなくだらないことをやりたいと思います。

くだらないこと、大真面目にやるのって大人には難しいので。
とりあえず皆、遊びましょう。
posted by 総さん−ソウサン− at 14:31| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。