2007年01月17日

エリアの騎士【解答】。

コメントの返事をやめて、別記事にしちゃいました(笑)
で、今日マガジンの発売日。
前の記事(エリアの騎士はオフサイドか否か)の解答が連載される日なわけです。

■僕のトリックのネタ予想
オフサイド新ルール「オフサイド判定は受け手がボールに触れてから」を利用したトリックプレー


■解答編ストーリー
駆はボールには一切触れておらず、ボールの軌道に合わせて走っていただけ。駆が触れてボールの軌道が変化したように見えたのは、ボールに強力な回転がかかっていたため、バウンドした際に変化した。駆がボールに触れていない=プレーに関与していないため、これはただのロングシュート。オフサイドではない


はっはっは。
ここまで寸分の狂いも無く当たると興ざめしてくる・・・。
ただ、おかげでより一層これはオフサイドだという確信が持てました(笑)


というわけでこのプレーを解析してみましょう。
その前にオフサイドルールの確認。
fanta君がコメントにわかりやすいまとめをしてくれたのでまんまコピペw(まあ探せば同じのがどっかにあったんだけど)

■反則になるケース
ボールが味方競技者によって触れられるかプレーされた瞬間にオフサイドポジションにいる競技者は、次のいずれかによって積極的にプレーにかかわっていると主審が判断した場合にのみ罰せられる:
●プレーに干渉する、または
●相手競技者に干渉する、または
●その位置にいることによって利益を得る


■積極的にプレーとは
● プレーに干渉するとは、味方競技者がパスした、または味方競技者が触れたボールをプレーする、あるいはこれに触れることを意味する。
● 相手競技者に干渉するとは、明らかに相手競技者の視線を遮る、または相手競技者の動きを妨げる、またしぐさや動きで相手競技者を惑わす、あるいは取り乱させると主審が判断し、それによって相手競技者がボールをプレーする、またはプレーする可能性を妨げることを意味する。
● その位置にいることによって利益を得るとは、既にオフサイドポジションにいて、ゴールポストやクロスバーから跳ね返ってきたボールをプレーする、または既にオフサイドポジションにいて、相手競技者か
ら跳ね返ってきたボールをプレーすることを意味する。


ここで、駆のプレーが相手競技者に干渉しているかどうかだけど、
それは下記参考資料を見てください。
参考資料1
参考資料2
※ともにJFAより

・オフサイドポジションの競技者の位置や動きが相手競技者のプレーに影響を与えている、と副審が判断したとき旗を揚げる。
・オフサイドポジションの競技者が単にボールを追うことは、プレーではない。また守備側の競技者が単に相手を追走することは、自然の行動であり、オフサイドポジションの競技者が影響を与えているわけではない。

・「相手競技者への干渉」の解釈
オフサイドポジションの競技者がプレーするためにボールを追うことで、相手競技者との身体的な接触の可能性があると判断される場合は、オフサイドとして罰せられる(副審の旗〜主審の決定)。


駆は単にボールを追いかけていただけなので、そういう意味では「相手競技者への干渉」はないという解釈なのだと思います。
余談ですが、なんかこんがらがってきますね(笑)「しぐさや動きで相手競技者を惑わす」っていうのは一体どういう意味なんですかと(笑)たぶん、「単にボールを追うことはプレーではない」という"限定的解除"をしているので、それ以外のプレーのことを言うのかと思います。つまり、オフサイドポジションにいる人間のスルーとか。これは「プレーした」とみなされてオフサイド判定になるということかもしれません。実は、これは「ボールに触れる」と「プレーする」の違いにも関係しているのではないかと、僕は踏んでいます。


さて、ここからが論点なのですが僕はなぜ駆がオフサイドだと思うのか。
論点はたった一つで、考え方は意外に簡単なのです。
「オフサイド判定は受け手がボールに触れてから」という新ルールの基本概念ですが、駆はボールに触れてない以上これはクリアしているわけで、ここはもはや論点ではない。結論を左右するのは、前回僕が挙げた追加事項の方なんですね。

その他の味方競技者がボールをプレーする可能性がないと主審が判断した場合、ボールにプレーする、あるいは触れる前に罰せられる。
参考資料:4プレーに干渉する

ここが論点。これが成立するか否か、なんですね。
この観点から行くと、駆は来たボールに向かって走っていて、明らかに他の味方競技者がボールに触れる可能性が無いので「ボールをプレーする可能性がある」という判断が成立する。=オフサイドですね。しかも、この追加事項においては「触れる前に罰せられる」ということですから、前ルールと同じく「パスが出た瞬間」がオフサイド判定のタイミングなんですね。故に、理論的に言うと駆はパスが出た時点、尚且つボールに触れる可能性のある味方が周りにいない時点でオフサイドの判定をくだされるべき。

マンガ内での反論は「触れていないからロングシュート」ということなんですが、これは同じくfanta君のコメントにある「パスかシュートかはオフサイドには関係ない」ということなのだと思います。しかし、パスかシュートかは関係ないとなると、例えば味方がオフサイドポジションにいて、後方からゴールネットを突き刺すようなロングシュートが放たれた場合もオフサイドになるのか、という懸念が僕にはあったのですが、それも結局「積極的にプレーに干渉しているかどうか」という観点で全てを判断する、ということなのかなと思います。

というのも、確かに自分が今までサッカーをやってきてシュートだからパスだからということでオフサイド判定が変更になることはなかったのですね。で、これも考えてみれば簡単な話なのです。強烈なシュートだろうがなんだろうが、そのボールにオフサイドポジションにいる味方が干渉すればオフサイド。例えば、ゴールの左側にいて強烈なロングシュートが右側に決まった場合、圧倒的なスピードのボールに、たとえオフサイドポジションに味方がいても、その味方は反応して走ることはできないでしょう。ということは「プレーに干渉できない」ということなのですが、それはつまり「プレーに干渉できない=プレーに干渉する意志がない」という判断になり、オフサイドではなくなるのだと思います。逆に言えば、オンサイドポジションからどんなに強烈で矢のようなミドルシュートを打っても、その先のオフサイドポジションに味方がいて体を投げ出してボールに突っ込んでいれば、これはオフサイドとなるということですね。

というわけで、これではっきりしたと思います。
駆はその他の味方競技者がボールをプレーする可能性がないと主審が判断した場合、ボールにプレーする、あるいは触れる前に罰せられる。に違反しているため、オフサイド。
意外に、新ルールの根幹は関係なかったんですね(笑)

それにしても、漫画の作り込みとして荒すぎますよねえ。
モリエンテスさんが指摘したオフサイドルールの改正と、漫画の時間軸が大幅にずれていたり(これは実は僕も気付いていました)、ぶよぶよのデブがたった二週間でホッソリしたスポーツマン体型になって戻ってきたり・・・。いくら漫画とはいえ無茶が過ぎる。部活スポーツをなめてるのかなと思いますね。このオフサイドルールを使ったトリックにしても、結局浅はかな知識をひけらかすようなストーリーにしたばかりに、ボロが二つも出てる。

ダメですねえ・・・。
でもまあ、オフサイドの勉強にはなりました(笑)
posted by 総さん−ソウサン− at 19:43| ☔| Comment(11) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

エリアの騎士はオフサイドか否か。

高校サッカーについてはもうちっと待ってください(笑)

いま、ネットでほんの少しだけ話題の的になっているのが、週間マガジンにて連載中の「エリアの騎士」での1プレー。これがオフサイドであるかないかという話。ちょっとこれじゃ説明が足りないかな。漫画の中でも敵から「それオフサイドだろ!」という物言いがついているが、漫画の中では何かしらのトリックプレーによって「オフサイドではない」ということになり、正式にゴールが認められてしまっているということ。で、そのまま次週へ。

■問題のプレー
主人公:駆が完璧なオフサイドポジション(PA内と思う)に走りぬけ、そこに味方選手が中盤からロングパスを蹴り込む(縦方向)。そのまま、ボールはスペースへまるでそのボールを受けるかのごとく走りこむ。ボールは駆の横でワンバウンドしてそのままゴールへ。駆はオフサイドポジションにいたが、ボールには触れておらずオフサイド判定は無効となりゴールが認められた。

で、サッカー知識のある方の意見としては大抵の人は「これオフサイドだろ!駆がボールに触っていないから"パスではない"っていうことなんだろうけど、プレーに関与している時点でオフサイドだ!」っていう論調。僕も実はそう思っていました。

その選手がオフサイドポジションにいて、たとえボールに触れなくてもそのボールに向かって走ったりする等"プレーに積極的に関与している"という行為が行われていた場合はオフサイドなのです。だから、パスの貰い手がオフサイドポジションにいて、オフサイドの反則を貰わないためにはパスの受け手が「私はプレーに関与する気はありませんよ」という意思表示をしなければなりません。完全にゴールに背を向けて歩いたり、スパイクシューズの靴ひもを結んだり、なんてのが代表的ですかね。ここまではサッカーを良くご覧になっている方ならご存知だと思います。


が、なんですよ。
僕もすっかり忘れていました。
オフサイドのルールって昨年度(2005年夏)に変更になったのです。
端的に言うと「オフサイドの反則は受け手がボールに触れてから」となったのですね。あくまでも推測ですが、【エリアの騎士】のトリックプレーとされるのはこのオフサイドルールを利用したものなんでしょう。駆はボールに触れてはいない。だから、オフサイドは無効=正式なゴールとなる。なので、漫画の展開としても正しいのですね。

とは、いかないのが僕の見解(笑)
結論から言うと「ものっすごいビミョー」ですね。
まず、オフサイドの新ルール(ってももうかなり時間たってるけど)をもう少し噛み砕いて考えてみましょう。

オフサイドの判定は受け手がボールに触れてから
  =「受け手がボールに触れたか否かが判断基準」

参考資料:1プレーに干渉する

大雑把にまとめるとこういうことなので、これは一見すると判断基準が「触れたかどうか」というように以前より明確になったように見えるのですが、実はそうでもないのですね。それは、もう一つ大きな判断基準があるから。

その他の味方競技者がボールをプレーする可能性がないと主審が判断した場合、ボールにプレーする、あるいは触れる前に罰せられる。
参考資料:4プレーに干渉する

つまり「オフサイドポジションにいる選手がパスを受けようとしていて、明らかにそれ以外の味方がいなかったら、その場でオフサイドとってちょうだい」ということ。もっと簡単に言うと「明らかにその選手しかパスを受けないような状況なら、前と同じようにさっさと旛上げちゃいなさい


そうするとオフサイドの基本判定としては、
審判は下記のような判断をするわけです。

================================
「DFラインの裏へパスキター!!」
「あ!あの9番いまオフサイドポジションだ!」
(9番はボールに向かって走ってる)

以前のルールならこの時点でオフサイド判定

「・・・・このままボールに触れたらオフサイドの反則だ。・・・・」
「・・・!ボールに触った!」
「ピピー!!」

================================


がしかし、二つ目の基準があるおかげで複雑難解になるわけです。

================================
「あ!あの9番いまオフサイドポジションだ!」
(9番はボールに向かって走ってる)

以前のルールならこの時点でオフサイド判定

「・・・・このままボールに触れたらオフサイドの反則だ。・・・・」
「いやまて!」
「周りに誰もいないか?!」
「他の味方選手がパスを受けたらオフサイドじゃない!」
「あ、いないじゃん!!」
「ピピー!!」

================================

これを一瞬にして行わなければならんのです。
ひどい話だ(笑)
とまあ、オフサイドはまた審判を苦しめる方向に向かっているわけですが、いまは【エリアの騎士】の話。主人公達が行ったプレーはオフサイドであるか否か。

・パスが出た瞬間は駆は完璧なオフサイドポジション
・駆はパスを受けるような動きを見せている
・駆はボールに触れていない
・誰もがオフサイドととれる位置にたった一人で走りこんだおかげで、ゴール前でドフリー=駆以外にパスを受ける選手はいない模様
・ボールは駆の足元でバウンド=明らかにシュート性の一瞬でゴールに吸い込まれるような球質ではない


「駆以外にパスを受ける選手はいない」のだから、オフサイドじゃないかと思うのですが、鍵は「シュートはどうするんだ」というところでしょうね。参考資料の図はサイドへのパスだから、明らかにシュートではない。「明らかにその選手しかパスを受けられない」というのは、ルールの意図としては「それ以外のプレーの選択肢がない」=「オフサイド確定」ということだと思うのですが、そうするとボールがゴール方向に向かっているときはどうするんだという話。

明らかにその選手しかパスを受けられなくても、ボールがゴールに向かっている以上、どんなゆっくりのゴロ球でもシュートになる可能性はある。そうすると「それ以外のプレーの選択肢がない」ということにはならない。=オフサイド確定が出来ない。困ったな〜(笑)でもこれだと、審判が困りますよね。だってもう一つ「ボールがゴール方向に向かっているかどうか」っていう判断もしなきゃいけなくなるんだから。大変だこれは(笑)

現実的に考えるならば、「ボールがゴール方向に向かっているかどうか」なんて判断は無理だと思いますね。「それがシュートかパスか」という感覚的な判断に任せるしかない。これは前ルールでも同じですね。中村俊輔がDFラインの裏にゆる〜いゴロパスを出して、オフサイドポジションにいた高原がそのパスに反応する。明らかに高原は追いつきそう。前ルールならパスが出た時点でオフサイドですね。ここで俊輔が「何言ってんだ!今のシュートだったんだぞ」と言っても通らない。ま、そらそうだけど。

そういう考え方から行くと、【エリアの騎士】のこの話の場合ロングパスがゴール前ドフリーで走りこむ駆の足元で1バウンドしている時点でパスを見なされてオフサイドを取るのが正当な判断かな〜と思います。
物凄い微妙なところですけどね(笑)

にしても、やっぱり僕は【エリアの騎士】って好きになれないですね〜。
こんな危ういルールを持ってきて、それでトリックプレー的(謎解き的)に使うのも、うまいというよりはコスイ手だなと思うし(まあまだわかりませんが)。サッカーの大原則で、サッカーをやっているものなら誰でも耳が痛くなるほど聞かされている「笛が鳴るまではプレーを止めるな」を完全に無視したストーリー(オフサイドと判断してGKが一歩も動かない)も、陳腐だなあと思う。なんか、サッカーの醍醐味や本質というのを明らかに間違えて捉えていて、その上浅はかなサッカーの知識をひけらかしているように見えます。僕には。同じ戦術オタク的な漫画でも、【ホイッスル!】は良作だと僕は思うのですが、違いはその辺にあると思いますね。
posted by 総さん−ソウサン− at 12:24| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月09日

高校サッカー。-準決勝-

本当は、まず神奈川代表:桐光学園から触れるべきなのですが、色々な想いが交錯しまとめるのに時間と根気を必要としそうなので後回し・・・。

というわけで、準決勝をTVで、決勝を生観戦行って来ました。

■準決勝
 神村学園 vs 作陽
 

神村学園は我が神奈川代表:桐光学園を退け、星陵高校をも退け国立への切符を手にした高校なので、晴れて国立の舞台にたった4チームの中では一番情報をつかんでいるチーム。まあ、生で見てきていますかね。

作陽高校は、前評判で「どうやら今年はかなり強いらしい」という情報をチラっとGET。エルゴラなのか、サカマガなのかその他の情報誌なのかサッパリ覚えていないが、チラっと見ただけでもある程度頭に情報が残るのは自分の長所であり、こういう時ラッキーだと感じる(笑)「野村IDサッカー」と勝手に名づけられたそのチームは、選手個々の能力も決して低くは無いが最も恐るべきは監督の組織戦術だという記述もその時に見ていましたね。

試合開始前から「この雨は神村には不利だろうな」と思っていざ試合を見るとやはりそのとおり。ただ、作陽も組織ベースとはいえポストプレイを基本にショートパスを繋ぎ、走りながらスペースを見出すサッカーという情報もあったはずなので、大雨コンディションは神村の方に若干不利なのかなという戦前の予想だったのだけど、蓋を開けてみればなるほど、確かに作陽の監督は理論派らしい。サイドバックを引っ込め、ショートパスは多用せずに前線のポスト役に浮き球を当てるサッカーを展開してきた。

必ずそうするべき、とまでは言わないけれど大雨コンディションの試合は効率性の低いプレーは避け、浮き球を中心に前線へ放り込む方がコストパフォーマンスがいい。雨の中のきついランニングも減るし、まずい位置でボールを奪われるリスクも大幅に軽減する。そして、スリッピーなピッチ&鈍重なボールは守備者の予測を裏切る動きをしやすく、事故が産まれやすい。FKなんかが取れれば、晴れた日の試合に比べると格段に儲けものというものですね。

また、実際に生で見た感想からすると神村学園はその攻撃力に比べて守備力は見劣りするものがあると思う。チーム自体が攻撃的なのも手伝って、全員が攻撃に意識が向くのか守備戦術は高くない。神奈川:桐光学園との試合でもいくつかのピンチがあったけど、桐光学園はお世辞にも多彩な攻撃のできるチームではなく、堅守速攻型のチーム。その桐光学園に決定的チャンスを提供してしまうのだから、あまり強固な守備力はないのだろう。

実際、得点はFKのロングボールから生まれた。
大雨により神村の良さは消され、作陽は執拗にロングボールを送り込む。
神村の選手は非常に技術に優れ、体力も申し分なく良く走る。だが、体格はどの選手もかなり小さい。この雨では攻撃力はどうしても発揮しづらい。特にショートパスを繋いで圧倒的な個人技や個々のスピードを活かして相手を凌駕するスタイルとあれば、あの大雨はさぞ辛かったに違いない。素晴らしいチームだったので、残念だったがそこはコンディションに合わせてサッカーを変えられる「作陽の幅」の勝利だったのかもしれない。


 盛岡商業 vs 八千代
コンディションは悪化の一途。
センターサークル付近なんて、ショートパスは一切禁止のような状態だった。
もうここまで降ると、どちらもサッカーなど選んでられないですね・・・。
田んぼでサッカーやってるようなもので、気持ちと慣れが物を言う。
正直、チャンスとしては八千代の方が上だったと思います。
しかし、雨に適したサッカーを展開していたのはどちらかというと盛岡商業。
けれど、どちらも前線のタレントが主力の攻撃型チーム。雨に適したサッカーがどうのこうの、というのは無駄な論理な気もする。それぐらい、ひどい雨だった。

最後は本当にあっけなく、八千代GKには本当に心の痛む結果だった。
けれど、あれは運もあるけど、半分は運じゃない。
その前のプレー全てが、雨を考えたプレーだったし、その結果として得たCKだった。そして、その雨のセオリーを破ることなく、あそこにCKを蹴った林を褒めるべきでしょう。雨はああいうことが起きるのです。特にGKというポジションは。

正直に言うと、神村 vs 八千代を見たかったので残念だったけど、盛岡商業も前線にタレントを揃えるし、作陽の組織サッカーにもかなりの興味があったのでそれはそれ(笑)

ワクワクしながら決勝を迎える僕なのでした。
posted by 総さん−ソウサン− at 20:01| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月11日

安易に管理サッカーを否定するな。

日本にサッカーがどんどん普及してきて、人気スポーツになったのは嬉しいことなのですが、特に素人の方が見るメディアの風潮が偏りすぎていて、憤りを感じたりするのです。特に漫画。

依然として僕の評価が低いエリアの騎士ですがw、お決まりコース的なストーリー以外にも違和感を覚える部分があるのですね。まあ、これはエリアの騎士に始まったことではないのですが。完全に「テクニック重視の自由奔放なサッカー」=正義で、「リスクを抑えた組織管理サッカー」=悪なのが、どうも・・・。組織管理サッカーにサッカーの持つべきスペクタクル性が乏しいのは認めるけども、キャラクターが必要以上に性格が悪かったり、監督がヒールキックやドリブルすら一切認めずに、フィジカルのみで選手を見ようとしないというのはいくらなんでも行き過ぎで、間違った思想を日本サッカーの底辺に与えかねないと僕は思うのです。

エリアの騎士の中で、組織管理サッカーを標榜するチームは長身のFWにロングボールを預け、競り勝ったボールを味方が拾い一気に攻撃に繋げて、守備は完全に引いて守り強いフィジカルでびくともしない。そのサッカーについて、漫画の中では「労力が少ないから、それを採用する」という事しか語られていない。これは、いくらなんでも印象が悪すぎる。まるで「サッカーを義務としか捉えていない悪い風潮」というような。そして、自由奔放なテクニカルサッカーを標榜する主人公チームの監督は「目指すのは高校サッカーNo.1じゃない。世界なんだ」と言う。間違いなく、野洲高校の山本監督のコピーでしょうね。まるで、組織管理サッカーは完全な間違いですよ、あれじゃあ。

エリアの騎士だけではなく、他のサッカー漫画や下劣なメディアにありがちですが、なぜ高校サッカーにおいて組織管理サッカーを標榜する監督が多数存在するのか。ここをしっかりと掘り下げて語られていないと、僕は媒体としては認められませんね。

■なぜ、組織を重視するのか
単純に、負けられないからです。わかりきったことですが。
では、なぜ負けられないのか。高校選手権がトーナメント形式だから。
負けたらそこで終わってしまう。今でこそ地域リーグやプリンスリーグ等、ユース世代のリーグ形式の大会も栄えてきましたが、全国的な知名度、そして高校生の思い入れ、Jリーグへの距離感といい選手権が根強い力を持っているのが現状なわけです。そこで勝ち上がっていくためには、一発の博打的な強さより、安定して発揮できる力の方が、危険が少ない。

局面でリスクを買いドリブルやリスキーなパスを仕掛け、相手を圧倒しようとするテクニカルなサッカーというのは、流動的なポジションチェンジや背後に常に巨大なリスクを背負ってのサッカーとなります。相手によっては通じないこともあるし、選手同士の呼吸がほんの少しずれただけで上手くチームが回らなくなることがある。精密な機械ほど、小さな歯車が崩れると機能しなくなるというのと同じ。つまり、この手のサッカーというのは選手個々のコンディションや、呼吸によって様々に姿を替え安定した力を発揮しづらいのですね。

■安定という名の武器
仮に選手個々のトータルが10の力を持ったチームがいたとして、それが有機的連鎖を起こしスペクタクルなゲーム運びを出来たとしてそれが14になるとします。けれど相手によってほんの少しで、そしてミスの連発で力が6に減退してしまうこともある。そうすると、自分達は10の力を持っているというのにともすれば7〜8の敵にすら敗北し、6の相手にすら危険な状態になることもある。それぐらいリスクの高いことなのですね。

そこへきて、反復した組織練習を行い「チームワーク」という崩れにくい力を手に入れたチームは、リスクの高いプレーを選べない代わりに、大崩れしないという武器を手に入れられます。先ほどの数値で言えば、悪くても8、良くても12という幅の中で力が発揮できる。その上、そのリスクを限りなく軽減し守備に徹すれば、14の敵だって封じ込められる可能性もある。取りこぼしがなくなるので、計算ができる。


■なぜ、負けられないのか
上にも書きましたが、トーナメントだからです。
リーグ戦なら、例えば昨年のガンバ大阪の様に攻撃を重視しスペクタクル溢れるサッカーを目指し最大値の高いサッカーで相手に挑むことも理に適っていると思います。最大値の高いサッカーとて、反復して行い勝利を重ねればある程度の安定は得られますし、何より敗北しても次の試合がある。それに向けて調整すればいい。

しかし、選手権はそうはいかない。負けたらそこで終わり。高校サッカーにはプロを目指す選手もいれば、そこまででサッカー人生に終止符を打つ選手もいる。高校サッカーの監督はそれら様々な選手を抱え、勝利を目指す。そして、サッカー教育と同時に人間教育でもある学生サッカーにおいて、大きな舞台に立たせるというのは何物にも代えがたい経験であり、またサッカーの成長においても、できる限り多くの真剣勝負をさせるというのが、選手の実力UPの最短ルートであることに変わりは無い。組織重視の管理サッカーとて、別に監督が好き好んでやっているわけでもなく、「のびのびとサッカーをさせたい」「しかし勝たなければ全てが無駄になる」という矛盾からくるものであって、なんら批難されるものでもないはずなのです。
昨年野洲高校が評価されたのは、その思想のみではなく自らのリスクの高い思想や信念を曲げることなく高校サッカーの頂点に立ったからこその評価なのです。負けてたら誰も認めてはくれない。(まあベスト4までくらいいけば評価は割れるところでしょうが)

■そもそもどこまでが組織でどこからが自由なのか
守備をガッチリ固めて攻撃に出ない、というのは確かに組織重視といえばそれまでですが、DFラインを高く設定し中盤で走り回りボールを奪う。その後、FWにクサビを当てて、中盤へ落とし中央に引きつけられた敵守備陣の隙間を縫ってサイドへ展開する、というのも立派な組織なわけです。

また、今日び「ボールを取ったらすぐ長身FWへロングボール」なんて前時代的なサッカーをするチームなんて、トッププロにも高校サッカーの一流クラスでも見ないですよ。当たり前です。だって、それじゃ勝てないもん(笑)相手が、プレッシャーを掛けてきて、DFラインを高く設定されたら、結局攻撃なんかできない。いくらロングボールを当ててても、肝心のゴールまでの距離が遠いから。まあ、そこを執拗にロングボールを蹴ることでラインを下げさせるという打開策もあるのですが。それをやっているチームというのは、完全に格下のチームでしょう。アジアの弱小国がそうなように。あれは「勝つためのサッカー」じゃないですから。


■必要以上に悪にするのが問題
高校サッカーを見ていればわかりますが、確かにリスクを回避するようなサッカーをする高校もあるし、フィジカルに頼ったサッカーをするところもある。けれど、始めから自分達の可能性を否定するような「ロングパス一本」のチームなんてもう中々お目にかからないですよ。「ロングパス一本」というのは一つの手段であって、結局自分達が主体となってパスを繋がなければ強くはなれないから。あの国見だって、フィジカル全盛だけど、別にドリブルやリスキーなパスがないわけじゃない。大久保も中村北斗も三浦も、古くは永井秀樹も国見なのだから。要は、「組織と個人」「リスクとチャレンジ」のバランス感覚の問題であって、チームはそれぞれに一致団結して自分達のサッカーを展開しようと一生懸命に走り体をぶつける。

全てに、それなりの事情があって、そして高校生は一生懸命にサッカーをやっている。

それを安易に「面白くないから」と言って、悪役にして切り捨てるような漫画やメディアは、サッカーを知らなすぎますね。
posted by 総さん−ソウサン− at 19:07| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

オシムサッカーを見ていると切なくなる。

W杯が終わってからというもの、サッカー系のエントリが激減していますね。別に見る機会が減ったわけではないのですが。

「走るサッカー」
もう、ジーコの時にはそんなこと一言もいわなかったマスゴミさん達がこぞって騒ぎ始めましたね。走ることは必要ですよ、今も昔も。僕は前からそれを書いていますよねえ。ほんと。上手くても走らなきゃいかんのです。でも、走りつつも上手くなきゃいかんのです。うん。

昨今のオシムサッカーやそのような風潮を見ているととてつもなく切なくなるのです。なぜ、もっともっと早くそっちの方向へ行かなかったのか。わかっていたことなのに。よく走る選手、そこでスペースを生み相手をかき乱して敵守備陣にギャップを生み出すプレイヤーとして、千葉の羽生や山岸が代表に選ばれ、その動きの質の高さを賞賛されていますね。そして、民放各局のサッカー解説者はスポーツニュースで、それを視聴者に教えるように解説する。

これが、凄く切ない。
いや、羽生も山岸もいい選手ですよ。
羽生は、デビューした頃から知ってます(確かユニバーシアード日本代表だった)があの動きの量は良いと思います。他のMF陣にはない動きですね。でも、パスセンスやドリブル突破力、シュートセンスはどうかというと、僕の目には「うーん」なんですよね。別にド下手というわけではないのだけど、うまいなあとは思えない。もっともっと早く日本のサッカー観が羽生のような選手を重宝する価値観に目覚めていれば・・・と思うと、もったいないことしたなあ、とちょっと切なくなったりします。

もし、運動量豊富で敵陣をかき乱せる選手を日本サッカーが本当に必要としていたら、森島なんかはもっともっと偉大な功績を残していたんじゃないか、なんて空想してしまうのです。僕の完全な主観ですが、パスセンスやドリブルテクニック、得点力のどれを取っても、僕は森島の全盛期の方が上だったと思います。そして、あの敵陣の中に切れ込む質の高い動き。本当に上手い。中盤からトップへの顔の出し方、体の使い方、走りこむ軌道、敵守備陣から消える動き、FWのゴン中山を除けば日本サッカー史において、技術と動きの質のトータルバランスが最も優れた選手だと思います。絶対、今なら日本の中盤に欠かせない人材だったと思います。

そして、森島よりもっともっと表舞台に出てこなかった"運動量系司令塔型選手"、加藤望。長らく柏レイソルの10番を務めたテクニシャン。ゲームを作るセンスや、スルーパスの技術は森島よりこの人の方があったと思いますね。ほんと、よく動き回る司令塔だった。若返って欲しい(笑)

最後に、藤田。
この人こそ、日本の宝の持ち腐れのまま現在に至ってしまった選手でしょう。いやあ、ほんと上手い。俊輔や小野のような、足元で球をこねて観客を沸かせるような選手ではない。でも、中盤で動き回り、狭い地域でも苦としないトラップ技術、そして中盤の密集地からスルスルっと抜けて、完璧なトラップからのゴール。年齢的な全盛期だったと思われる時に、代表にこの選手のポジションはなかった。そこには「ファンタジスタ型」の選手が一人入るだけで、他は職人達のポジションしかない。いまもって、この選手を世界に売れなかったのがとてつもなく悲しいです。走りながらのボールコントロールが本当にすばらしい。だから、密集地でも裏をかくプレーができるんでしょうね。森島や加藤望ほどの運動量はなかったけど、それでも日本人が愛してきた"ファンタジスタ"よりは数段上の心肺機能を持っていたと思います。


う〜ん。
オシムサッカーを見ていると、運動量先行でボールが足につかない選手が目に付く。だからこそ、彼らをピッチに探してしまうのですよ。
posted by 総さん−ソウサン− at 12:02| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月04日

入れ替え戦・・・orz

入れ替え戦を生で観戦するつもりだったのです。
奇跡的にセレッソ大阪が15位に入ったら、J2の横浜FCか柏レイソルが入れ替え戦に出る可能性が高かったので、それを観戦に。もし横浜FCなら、第2戦の敵地へも行ってやるぜ!!と。セレッソが入れ替え戦参戦なら、長居まで駆けつけ、第1戦も柏なら仕事終わりに駆けつけて応援に行こうと。

ともかく、セレッソが参加ならその応援、セレッソが不参加でも地元から行ける距離なら観戦。そのつもりでした。


結果。


セレッソ大阪:17位 =降格決定
柏レイソル:2位 =昇格決定

入れ替え戦: アビスパ福岡 vs ヴィッセル神戸


・・・・orz
しかし、セレッソは何をやっているんだ。
我が教祖:名波大先生を召喚しておきながらこの無様な体たらくは。
まあ、わかっているのですが。山本のオッサン同様、あの塚田監督も名波の使い方をわかっていなかったということでしょう。何度かTVでも生でも観戦したけど、ほとんどトップ下で使ってたし。バカヤロウが。トップ下で使うんだったらまだ引退前の澤登の方が良い動きするわい。

名波のことは別の機会にします。
どうやら来年いっぱいで引退を考えているそうなので・・・。
くっそぅ、来年はともかく一つでも多く名波のゲームを観戦に行くぞ!!!

でもJ2は首都圏開催どころか静岡も少ないんだよね・・・orz
posted by 総さん−ソウサン− at 19:30| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月29日

高校サッカーが面白いそのワケは。

桐光学園は初戦が大阪朝鮮に決まりました。
嬉しいのは、三ツ沢と等々力が会場の山に入ったこと。(これって何かで決まってるのかしら?)
注目の野洲も滋賀県予選を勝ち上がって代表となりました。
両校なんとか勝ち上がって国立のピッチに立って欲しいものです。

さて、高校サッカーって面白いんですよ。
Jリーグ発足前から盛り上がっていたのも頷ける。
その理由をたいていの人は「何かに一生懸命になっている姿はカッコイイ」というのですが、僕はそこじゃないと思うんですよね。まあ、プロだって一生懸命やってますからね(笑)こういうと差別かもしれないけど、Jリーグや欧州でプロとして戦っている選手の方が、ある意味では「一生懸命」だとも思いますよ。モチベーションや気持ちで高校生>プロとするのは、ちょっとプロ選手に失礼かなとも思うのです。

だって、僕らだってそうじゃないですか?
どんな仕事にせよ、その模倣や若年層のアマチュアは学校やそれ相応の組織で行われていて、僕らだってその過程を通ってきた。その上で「高校生>プロ」とされたら、僕だってだまっていない。学生の所詮趣味や学業の粋で作られた作品、役回りを自分らと同等のモチベーションだなんて認めるはずも無い。こちらは、それで飯を食ってるんだから。お金を貰う対価として働くのは並大抵のモチベーションじゃないですよねえ。

では、高校スポーツの何が人を惹き付けるのか。
僕は、矛盾するようだけど彼らが"プロではないから"だと思うんですよ。なぜなら、プロが一生懸命頑張るのは当たり前だから。お金を貰って、それで生活をしているのだから全力を尽くすのは当たり前の事。早い話が義務なんですね。プロは。

高校生は義務じゃない。
基本的には当人の自由であり、サッカーをやりたい者だけがやればいい。別に負けてもいいわけです。損するのは自分達だけだから。勝っても報酬もない。次のステップへ進めるだけの話。高校サッカーには、上はプロを目指している選手から、下はここまででサッカー自体をやめてしまう若者もいる。そして、3年と言う期限の後に半ば強制的にチームは解散させられる。

その後の環境が全く違う様々な若者達が「同じ学び舎」という名の何物にも代えがたい"家"で出会った"友達"と球蹴りに興ずる。選手権はトーナメント方式、つまり一発死であり終われば即チームは解散となる。

彼らは「We like soccer」の名のもとに一試合でも、いや、一分でも多くかけがえの無い仲間達と同じピッチに立つために、一生懸命に走り、汗を流す。彼らの背中には常に敗北という名の「別れ」が存在し、ドリブル・パス・シュート、その全てのチャレンジには「終わり」という絶望か「継続」という希望に直結する結果が待っている。

もちろん、彼らは知っている。
たった2チームしか、最後のピッチには立てないことを。
たった1チームしか、笑顔のままで別れることが出来ないことを。
それでも彼らは別れを拒み続けることに挑み、パスを出し、ドリブルを仕掛け、シュートを放ち、体を張ってそれを止める。

僕らも、それを知っている。
だから、高校サッカーは面白い。
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2006年08月12日

名波移籍・・・orz

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060812-00000102-sph-spo

どうせなら関東のチームに来て欲しかった・・・orz
posted by 総さん−ソウサン− at 10:08| ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月05日

今はそっとしておいてあげて欲しい。-中田英寿引退-

7月3日。
僕は帰宅中の電車の中でその一報を心ある友人二人から同時にメールで聞きました。「やっぱり・・・・」と思った後に、自分の目を疑った。先入観で「代表引退」と読んでしまっていたから。


気が動転したと言ってもいいぐらい錯乱した。
本当に残念で、誰しもが思ったことと同じように「まだまだできるのに・・・」という想いでいっぱいだった。遅かれ早かれ、欧州のトップシーンからは身を引くことがあるかもしれない。けれど、それでもJリーグではまだまだ彼の力は絶大だったろうと思うし、晩年をJリーグで過ごして引退するものだと思っていた。必ず生で観戦に行こうと思っていた。しかしそれはもう叶わない。

■引退表明を全て読み終えて
ただ、彼の引退表明の全文を読んだとき、心にポッカリ穴が開き、これから彼のいない代表を見なければならないことに巨大いや極大な喪失感や寂しさを味わうのだというやりきれない感情を持った反面、彼の引退に納得してしまった自分がいた。そして、今まで夢を与えてくれて本当にありがとうと。

彼の「メール」と称されるサイトの文章の全てに目を通せば通すほど、僕が描いていた「中田英寿」という人とほぼ同じ人間像がそこにいて、そして彼の心情がダイレクトに伝わってきた。多くのマスコミや著名人、一般のブロガーやmixiの日記で彼の素直な表現に驚き「今までとは違うヒデ」というコピーをそこかしこで拝見したけれども、僕にはむしろ今までどおりのヒデが、描いていた通りのヒデがそこにいたという印象だった。

■中田英寿という人の人間性
中田英寿という人のマスコミのイメージは「孤高の人」「わがまま」「クール」「文句ばかり」「独善的」「自分勝手で周りのことを考えない」「自分の要求ばかりを通す」。僕の印象は正反対。芯は強いがそれはあくまで高すぎるほど高い目的意識に支えられているもので、裸になった心そのものは人一倍弱く、それは純粋さからくるもの。中田英寿と言う人は、本当に「純粋な心の持ち主」だと思うし、中田をマスコミのいうイメージのまま受け取る人はあまりにマスコミの作り上げた虚像に踊らされすぎていると思う。

中田の引退を受けて、心無い人が彼のバッシングをまたもや始めて、そして目に余るのは「逃げ」だとか「義務の放棄」だとか「都合の良いところでやめる」という、あまりに主観に頼ったイメージで語る人を目にするが、これははっきり言って筋違いだと思う。単純に価値観の違いであって、中田英寿は最後までプロの中のプロだったと思うし、とても好意的でそしてサッカーとサポーターを愛していたと思う。同時に、人一倍愛されという願望も持ちながら。

■プロ精神と引退の価値観の相違
カズを引き合いに出す人がいる。
彼こそが真のプロフェッショナルで、途中でサジを投げてサッカー以外のものに手を出す中田はカズに劣るし、サッカーへの情熱も乏しいと。日本が誇る近代日本サッカー最高のストライカーであるカズは、紛れも無くプロフェッショナルの鏡だと思うし、その人間性も評価されるべき部分だと思うけれども、それが=「ヒデはプロではない」ということではない。それは盲目故の偏見だと思う。

彼は肉声のつまったVTRでこう語っていました。
「期待されるプレーができなくなったから」
これこそが、彼のプロフェッショナルの真骨頂であるし、ある意味ではカズにはもち得ない中田英寿の賞賛すべきプロの姿。彼にとってプロとは「サッカー選手として夢や感動を与えること」ではなく、「サッカー選手として、期待されるようなプレーすること」であり、その結果「夢や感動を与えること」なのだと僕は捉えています。そして、ここからが中田の考え方の特筆すべきところであり、それこそが「純粋」たる由縁。彼の哲学からすれば「期待されるプレーが全力でできなくなった以上、プロでいるべきではない」という「妥協を許さない」という一つのプロフェッショナルなのでしょう。KINGカズは、トップフォームを失ってなお未だプレーを続けていますが、あの伝説となるような、「日本の三浦カズ」と胸を張ってアジアに、世界に声高に叫べるようなプレーを今もって見せてくれているでしょうか?答えはNOでしょう。少なくとも数字や目に見えるプレーにおいて、今の三浦カズは我が国の二部リーグで得点を量産することもできない一介のFW。確実に現時点での実力を踏まえれば、玉田や大黒、佐藤寿人らに軍配をあげるべき。

別にカズを否定したいわけじゃない。
カズは本当に素晴らしい選手だし、これからも本人の意思が続くまで現役でいて欲しい。単純に、彼ら二人の哲学で言えば中田英にとってカズの行動は「プロ」では無いでしょうし、逆もまたしかり。ただの「プロ」と言うものに対する価値観の違いであって、どちらも超がつくほど立派なプロだと思う。「求められる最高の動きができなくなったならやめるべき」と「何かを求められる以上衰えてでも傷ついてでも諦めずに続ける」という、二つの、決して否定されるべきではないプロフェッショナルの姿だと思う。


■ヒデの心の疲労
全文を読んで、ひしひしと伝わってきたのは彼の純粋さ故の、今まで戦ってきたことによる心身の疲労。特に、心の疲労。内外の敵と戦い続け、純粋さゆえに妥協をすることができず、ある意味で求めすぎてしまうために、傷つく。メディア対応については詳しくは別エントリに譲るが、結局それも彼のプロフェッショナルであり、彼の妥協を許さない純粋さ故。だから、FANやマスコミに傷つく。相手を信じたいからこそ、求め、諦めず、最後は裏切られてしまう。多くの選手がそうしているように「マスコミなんてそんなもの」と割り切ってしまえばきっと楽なんだろう。けれど、サポーターと繋がる重要な線となるマスコミに全てを曝け出し、自分を愛してくれる人に真実を伝えたいと思うが故、求めるものが大きくなる。事実、彼は高校時代からプロになって数年の間は、マスコミに好意的な態度を取り積極的にコミュニケーションをとる選手だった。彼を「孤高の人」「クール」「マスコミ対応を怠る選手」として位置づけてしまったのは他でもない、純粋な彼を裏切ってしまったマスコミであり、それに踊らされ彼を傷つけてしまった僕ら一般人だと、僕は思っている。

■各界の語る中田英寿
事実、僕が敬愛してやまない名波にしても、あの前園にしても、今の中田英寿という虚像が出来上がる前、渡伊以前に彼と接していた人間の多くは、中田英のことを口をそろえて「人なつっこい奴」と表現する。あまりに、マスコミの作り上げた「中田英寿」とはかけ離れたフレーズ。彼の発する公式HPでのメッセージにしても、数多くの書籍にしても、マスコミというフィルターの通らない中田英寿そのものが表現される場面では、彼は自分の趣味や趣向を惜しみなく表現している。だいたい、根本的な話になるがクールで孤独を好み、独善的な男が、世界中に友人を作れるだろうか。あのロナウドが、デルピエロが、ムトゥが、そんな男に魅力を感じるだろうか。それは国内においても例外ではなく、彼と親交のある人間は大抵「人懐っこく喋りやすくて礼儀のしっかりしている人」だという。あの辛辣で真実であればきつい表現でも発することを厭わない金子達仁にそう言わしめる。

■純粋が故の不器用さ
『プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
"好きだよ"とは素直に言えない自分がいた。』

当時こう言っている中田の事について、前園に、城に、名波に、山口に問えばいとも簡単に逆転の答えが出てくる。「いやあ、あいつは結局俺らとおんなじ。サッカー好きだよ。めちゃくちゃ好きなんだよあいつだって。」

純粋であると言う事は、裏を返せば頑固で、不器用だと言う事だ。彼が世界最高の人間だとも思わないし、彼よりもっともっと上手くマスコミと付き合いバランスのとれる人もいるだろう。ゴン中山なら、中田のような扱いはされないだろうし、中田よりももっともっと精神的にタフな人だと思う。しかし、それによって、中田英寿という人の人間性を否定し、マスコミの言葉を鵜呑みにし、彼を否定するのはいくらなんでも一人の人間に多くを求めすぎだと僕は思う。日本代表のエースとして戦い、信用できないマスコミに傷つけられ、それでも自分を愛してくれる人に少しでも自分の事を表現することをあきらめず、なんとか本当の自分を表現しようと努力してきた人間に対して、そしていくつもの感動と勇気を与えてくれた、常人では到底成しえないような偉業を成し遂げ、僕らに大きな大きな感動を与えてくれた人間に対して、毎日配信される愚劣な情報を自らでその真偽を見極める努力もせずに彼を言及するのは、毎日平穏な暮らしを送りピッチに立って骨身を削ることの無い、サッカーにおいて何の重圧も無い僕ら一般人がそれをするのは、どう考えても僕らの方が「自己中心的」だと思う。

■目的意識の高さゆえの献身性
特に年齢を重ねるにつれ、目的意識の高さがどんどんと芽生えたように思う。
それは、結局上記純粋さだと僕は思うし、それからくる「日本サッカーに対する想い」だと思う。ボランチでの守備にしても、莫大な運動量にしても以前の中田には見られなかった。「今、自分に何が必要とされているのか」「今、自分は何をするべきなのか」を強く意識するからこそのプレーだと思う。

時に、この4年間での彼の発言に対して「ぶっきらぼう」だとか「人の気持ちを考えていない」とか「文句ばかり」という人がいる。「相手のことを考えろ」という人がいる。僕はそれはサッカーという視点から見れば甘すぎると思うし、人間観察という視点からすれば浅すぎると思う。思い返して欲しいのは、98年の中田は確実にそのようなタイプの選手ではなかったし、個人の主張そのものだった。個人の主張の中で言われたことを、求められたことをキッチリとこなす。そんなプロだった。その中田が他人に対して言及し、チームに檄を飛ばす。彼はゴン中山でもなければ、ドゥンガでもラモスでも柱谷でもない。もともと、そういうタイプではなかった。どう考えても、彼が他人を傷つけるために、良いものを求めすぎるあまりに独善的に発している発言だとは思えない。そう、中山やカズ、名波ら彼より上の年代の理解者は理解していたと思うが、中田は必要だから声を大にして叫んだのだろう。自分の経験からすれば、チームにおいて言うべきは自分だと。


■中田の苦言の真意と必要性
当たり前すぎることだが、誰だって好き好んでチームメイトに苦言を言うわけがない。僕には、やっぱり中田は自ら進んで「ヒール」を演じていたのだと思うし、同時にあの程度の言葉でへこたれるような選手は、プロになるべきでは無いと思う。たぶん、これはサッカーやその他団体競技を本気で取り組んだ人でなければわからないかもしれない。あの程度のことを言われるのは日常茶飯事だし、監督なんてもっと怖かった。どつかれまくったし、怒鳴られまくった。チームメイトともケンカをしたし、言い合いもした。けれど、それぐらいやらなきゃ、本当のチームにならない。あの程度の苦言に耐えられないようなら、本気で取り組むのはやめた方が良いと僕なんかは思ってしまう。


■ヒデに望むこと
全文を読み終えて、涙が出そうになった。
ヒデは結局、最後まで全力で走りぬき、そして僕らサポーターを愛し、諦めずに表現しようと努力してくれたのだと。「楽しかったサッカー」を見失うほどに、走り、戦い、求められるものを最大限に表現しようと努力してくれた。その結果、僕達はワールドカップという舞台の楽しさを最大限に感じることができたし、それ以上に「極東の弱小国のHEROが、それまでの予想もつかないような大舞台で絶大な敵を打ちのめす」という途方も無い感動をと興奮を僕らに与えてくれた。本当に感謝してもしきれない。

29歳という年齢を考えれば、まだ戦える肉体を持っているのかもしれない。しかし、中田英寿とて自分の人生のために日々を送るわけで、このままプロサッカー選手を続けていても、あの頃のようなサッカーを楽しむ気持ちには戻れないと思ったのかもしれない。このまま歳を重ねれば代表においてもクラブにおいても最年長者の部類に入るのだから。もう、自分が若かりし日にそばにいた自分のよき理解者はいない。このまま心を浪費し続けても、自分の人生に良い結果は訪れないと判断したのではないかと思う。

ファンとしては、もちろんもっともっとやってもらいたい。もっともっとできるのだから。Jリーグでだってヒデを見たかった。代表でだって彼をまだ見ていたかった。でも、ここまで戦い続け、純粋に日本サッカーのことを考えて傷つき、それでも立ち上がってきたヒデが、「楽しかった頃のサッカー」に戻ることを宣言し、卒業するというのを、僕は否定できない。それぐらい、君は戦ってきたさ。

引退したばかりというのに、Jの役員だの、功労賞だの、協会幹部だのといくつもの話があがってきている。彼を使いたいのはわかる。力を借りたいのはわかる。けれど、ブラジル戦のピッチに倒れ、心がボロボロになり、大好きだったサッカーへの想いを失ってしまうほどに戦ったヒデを、今はそっとしておいてあげて欲しいと僕は想う。

僕達のHEROはとてつもなく頑張ってくれた。
またいつか、違う形でピッチに戻ってきてくれるかもしれない。
もしかしたら、戦士としてまた戻ってきてくれるかもしれない。
だから今は、見守りたいと思う。


僕達のHEROの安らかな休息を。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:45| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

多忙により中田引退については後日。

物凄く多忙で、今日もこれからプライベートで一仕事。
ブログ書く暇がありません・・・。

無論、中田引退についてはいろいろな想いが交錯しすぎて、語りたい事は山ほどあり、まだおあずけにしている中田のメディア対応についてもあります。

ココを定期的に見ている数少ない方、必ずやUPしますので、もうしばらくお待ちください。


PS.先日TVで放送があるまで「戦国自衛隊1945」だと思ってました。1945はシューティングゲームの「STRIKERS1945」ですな・・・。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:38| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

和田アキ子さん、中田英寿という人を知っていますか?

いつも、なるべく言葉を選んでアツくなりすぎないよう冷静に書いているつもりの僕ですが、今日はちょっとそういうタガが外れてしまうかもしれません。お見苦しい文章になるかもしれませんので、もし不快になられてもご容赦ください。


アッコにおまかせ。
言わずと知れた日曜昼食時にやっている芸能界のご意見版・和田アキ子がメインパーソナリティーを務めるバラエティー番組。先日の放送を外でチラリと見て耳を疑い、後日ネットで確認。やはり、事実だったようだ。信じられない彼女の発言は。ブラジル戦後10分近くピッチに倒れたままだった中田英について。


「あんなとこでわざわざ泣く必要ない」
「控え室(ロッカールーム)で泣けばいいじゃん」
「なにもそこまで泣くほどのことでもないでしょ」
「そんなに悔しいか?そこまで悔しい?」
「クロアチア戦が終わって分かってた結果でしょ?」

※実際に録画していたわけではないので、一字一句正しいわけではありません。

こういう人を、想像力の乏しい人と言うのでしょうね。
以前から僕なりの経験でココに書いてきた事の一つに「人に優しく接するためには、相手のありとあらゆる可能性に想像を張り巡らさなければならない」とありますが、まさしくこの発言をしている彼女にはそれが欠如しているとしか僕には思えません。

ココを定期的にご覧になっている方は、僕がある種の中田批判をしているのを見ているかもしれませんが、僕は紛れも無く彼の一ファンであるし「中田英はかつての姿を失ってしまった」というのは、もちろん彼のことを地球に立つ一人のサッカーファンとして敬愛し、成功を祈るからこその分析であり、僕にとって中田英寿という人は間違いなく憧れのヒーローの一人です。

中田英が、どんな気持ちであのピッチに立っていたのか、どんな強い想いを抱いてこのW杯を向かえたのか。そんなこともこの和田アキ子という人にはわからないんだろうか。サッカーを知らない人なのはわかっている。別に専門的で的を射た発言なんて求めていない。けれども、彼女のこの発言はやはり「無知という罪」そのものであるし、恥じるべき発言だと僕は思う。

和田アキ子さん、アナタは中田英寿という人を知っていますか?
中田英寿という人がどれほど日本代表を愛し、尽くしてきたか知っていますか?


アナタは知らないでしょう。
中田英寿という人がどれだけ偉大な人物かを。たった20歳の青年が、日本中の期待を一身に背負い、日本代表の司令塔として僕らに目の覚めるようなスーパープレーを披露し、全国民の期待が全て攻撃へと変換されてしまうような絶望の最中、それでも彼は自分のプレーを見失わず最後まで日本代表の司令塔だった。そして中田英寿は僕達を初のW杯へ導いてくれた。それ以前の偉大な先駆者達の、誰も成しえなかった偉業を成し遂げた。本戦出場後も、中田は最後まで自分のプレーを発揮し、僕達に一筋の光を与えてくれた。

アナタは知っていますか?
当時の日本サッカー界にとって、セリエAという舞台がどれだけ大それた舞台か。アナタはきっと知らないでしょうね、ユベントスというクラブがどれほどの歴史と権威を持つ偉大なクラブなのかを。中田英寿という、サッカー弱小国である極東の島国から来たたった21歳の青年が、デビュー戦で2ゴールをあげるということがどれほどの離れ業なのか、きっとわからないでしょうね。

スクデットという言葉を知っていますか。
当時のASローマ。トッティ、エメルソン、カフー、デルベッキオ、モンテッラ、バティストゥータ、トンマージ・・・・。世界のどこに出しても恥ずかしくない陣容を揃え、ASローマは本気でスクデット獲得に走り、そして見事その栄冠を手にしました。その一員として、スクデットを獲得するための豪華陣容にふさわしい選手として、W杯で一度も勝ち点を獲った事の無い国の選手を選ぶことがどれだけ異常なことか、アナタにはわからないでしょうね。

中田英寿は世界を相手に常に戦い続け、たった一人で欧州の場に乗り込み、世界にその名を売ることで日本サッカーの未来を切り開いてくれた。一サッカーファンとして彼には感謝してもしきれない。同時に、彼を育てた、彼に関わった全ての人にも感謝をしたい。誰もが認めるだろう。中田英寿こそ、世界における日本サッカーの第一人者であると。

その中田英寿が、自身29歳で迎えるW杯にどのような想いを抱いていたのか。チームに檄を飛ばし、汗をかきながらピッチを走り回り、試合後は立てないほど肉体を酷使した。アナタにはそれがどれほどの重く、強い想いだったのかを想像する力も無いのですか。

中田英寿は、絶対に弱音を吐く男ではない。
そう簡単に心が折れるような柔な選手でもない。
僕達にいくつもの希望を与えてくれたヒデが、そんな柔な選手なわけがない。

「中田もこんなトコで泣かんでもええと思わへん!?」
違うよ。アナタは本当に何もわかっていないよ。
あの、どんなに辛いときも、たった一人で欧州に乗り込んだときも、スタメンを外されても、どんな大会で負けたときも、弱音を吐かず弱い部分を見せてこなかったヒデが、ピッチの真ん中で涙を流した。どんなに荒いタックルを受けても、どんなに激しいチャージを受けてもピッチにひれ伏すことの無かった、絶大な力を持つ巨人達にその日本人と言う名の小さな体で勇猛果敢に挑み、決して屈することの無かったヒデが、ピッチに倒れた。


"あの中田英寿が"ピッチに倒れて涙を流したんだよ。

どれほど辛かったろう。
どれほどの強い想いを抱いて、このピッチに立っていたのか。
あの中田英寿が、涙を流している。
ブラウン管に映るヒデを見て、僕も涙してしまった。

和田アキ子さん。
アナタが中田英寿の事をどう言おうと自由だよ。
誰もそれは止められない。中田が嫌いならそれも仕方ない。
けれども、国民の期待を一身に背負い、常にマスコミの矢面にさらされながら、代表デビューから10年を戦ってきたヒーローに対する発言として、少なからず国民に影響力を持つアナタの発言として、とても品位に欠ける発言だと僕は思う。

和田アキ子さん。
アナタはきっとすごい人なんだと僕は思うよ。
何かを成した人でなければ今の位置にはいけないもの。
でも、アナタが中田英寿にどのような感情を持とうが自由なように、僕だってアナタに対する評価は自由だ。僕は、アナタがどんな大きな舞台で唄を歌おうが、今後一切耳を傾けるつもりは無いし、偉大な歌手だとも思わない。どんな素晴らしい発言をしても、僕はそれに感心することは絶対に無いし、アナタを人間として成熟した人だとも思わない。TVの中で、涙を流しながら唄をうたっていても、惨めだとしか思わないよ。

和田アキ子さん。
アナタにそっくりそのまま言葉を返すよ。
「そんなこと、楽屋で言えばよかったんじゃないの?」


そして中田英寿、ヒデにはこの人の言葉こそ伝えてあげたい。
僕はそう思う。

http://sports.nifty.com/saposta/cs/japanreport/category/3/1.htm

名波「彼がどれほどの功績を残したのか、近くで見た若い選手たちは忘れちゃいけない。センターサークルに一人で座っていたヒデのところに、俺は行きたかった。行って、ヒデ、もう一度W杯をやってくれよ、と声を掛けたかった。彼に失礼だと思うが、本当によくやった、と言いたい。」
posted by 総さん−ソウサン− at 20:18| 🌁| Comment(19) | TrackBack(6) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月23日

さよならジーコJAPAN。

これ以上ないほどの大差でしたね。
これが今現在の日本の実力。
と、多くの方が仰るようにそれは間違いではありませんが、これはいくらなんでも言葉が足り無すぎる。これじゃライトなファン(いや、サッカー好きの人の目も狂わせるかも)は勘違いしちゃうじゃないか。今回の事象を正確に表現するなら、こう。


「リスクを度外視して2点以上を取りに行った日本の実力はこの程度」

これ以上でも、これ以下でもない。
そこを見逃しちゃダメさ。今回の戦いだってブラジルは集中していたし、コンフェデだって同じ。今日の試合は、特に両サイドバックが本当に頻繁に攻撃に出ていたし、他のポジションも相手が世界最強のブラジルということを踏まえればかなり前がかりなポジショニング。ブラジル相手にハナッから2点を奪いに行くようなサッカーをすれば、代償として大敗のリスクが大きくなるのは仕方ないですよ。同じようなスタイルのチェコやアメリカでも、十分に今日のようなスコアになる可能性はあったと思います。

それにしても、ブラジルは強い。
こちらがリスクを背負ってバランスを崩してでも攻めに行ったということを差し引いても、このスコアをすんなりと叩きだせるブラジル。あっぱれですわ。たぶん、ブラジルが本気で日本と同じようにリスクを度外視して(まあ、このチームは伝統的にリスクマネジメントをあまりしないチームですが・・・)攻めてきたら、強烈な攻撃が展開されるでしょう。本物を見せ付けられた気分です。

まるで、本物と、本物を真似て作った量産型チーム。
悔しいけど、こんな感じ。溢れる技術で中盤を制圧し、強力なFW陣とMFのシュート能力でその中盤を結果に繋げる。日本には、技術豊かな中盤はあったものの、強力なFWもいなければ、MFにシュートセンスもありません。この時点で、我々はブラジル代表になるのは早すぎたのかもしれない。誇るべき中盤にしても、やはりボールを持ったときのコンテンツが違う。たぶん、フリーの状態ならそんなに大差は無い。しかし、彼らはファーストタッチ、そして敵に囲まれたときのテクニックが全くモノが違う。ロビーニョやカカーなんて、そこまでフィジカル強くないし。ワンフェイクや、体の向き、ワンタッチで敵のプレスをいなし、体をぶつけさせない術を知っている。だから、半ばフリーの状態でボールを持て、プレーコンテンツが飛躍的に上昇する。まあ、この辺の差は2年前のドイツ戦の時からわかっていたことですけどね。


さて、ここからジーコJAPAN個別にレビュー。


■宮本の不在
一体どれだけの人がこれに気がついてくれるのか甚だ不安ではありますが、今日の一戦に宮本が不在だったのは本当に痛かった。昨日宮本の存在価値なんて記事をUPしたけれども、裏の不安として「これ、負けることによって宮本の大きさがわかるなんてことになったら嫌だな・・・」なんて思ってたら、本当にそうなっちゃいました。

気づきました?ブラジル戦、オフサイド一度も取れてないんです。オフサイドトラップという戦術を今までの歴史の中で幾度と無く多用してきた、フラット3なんてリスキーな戦術を選択してまで頻繁に繰り出してきた日本が、一度もオフサイドを取れていない。ラインがあがらない。ブラジルの猛攻を完全に受けにまわってしまって、サンドバッグ状態。あそこは、たとえ苦しくても、裏のスペースが気になっても勇気を持ってある程度DFラインを押し上げていかないといけない。それが出来るのが宮本だった。

オフサイドトラップって物凄く怖い。DFラインに入ってプレーしたことがある人ならわかると思うけど、あの裏のスペースをあけてグッとあがるのは、これ以上無いぐらい怖い。タイミングを一歩間違えば二列目から裏へ抜けられて即一点になりかねない。僕ならあんなリスキーなラインコントロールなんて絶対できない(笑)でも、オフサイドトラップという戦術にはそれ相応の大きな利点がある。オフサイドを取れるのはもちろんだし、前述の様にそれによって中盤のスペースを消し、連動した力強いプレッシングの土台となる。ただ、それだけじゃない。単純に敵の攻撃を中断させるわけだから、被攻撃回数を物理的に大きく減らすことが出来るし、その上マイボールとなり味方イレブンは攻められていた状態から一転、そこで一呼吸ついて自分達の攻撃から立て直せる。これは物凄い利点でしょう。

だからこそ、特に日本代表のようなチームは退いて守るときでもラインコントロールは常に勇気を持って正確に行わなければならない。けれど、坪井も中澤も敵に対応するためスペースを消そうとしてどうしてもズルズルと下がってしまう。そこを、試合を読みリスクとメリットを冷静に分析し、絶妙なタイミングで繊細なラインコントロールができるのが、宮本。日ごろからライン統率を担っていない中澤や坪井には重すぎる負担だった。オーストラリア戦、クロアチア戦、ドイツ戦、全て日本がとったオフサイドの方が多いんですよ。宮本の不在はやはり痛かった。


■やはり初戦
全ては初戦。あれがひどすぎた。
それに対して「集中力不足」だの「体力不足」だの、はたまた「守り方を知らない」という専門家がいるけど、あまりにも通り一辺倒な教科書的な反応で現実が見えていないと思う。日本人が持久力において諸外国より優れいているのはいくつものスポーツで実証済みだし、過去の日本代表もそう。集中力不足なんて、今までのどの代表よりもこのチームに一番不似合いな言葉。その集中を切らさずに幾度もの奇跡を起こしてきたのを忘れたのかい?プロの解説者の方々。「守り方を知らない」なんて、そんなの今に始まったことではないでしょう。ドーハの悲劇やフランスW杯予選で学んだのは、集中を切らさないことと同時に「日本には1点を守りきるサッカーはまだまだ無理」だったはず。「リードしていても、積極的に自分達のサッカーを」というのがこの国のサッカーの定説でしょう。

大事なのは、持久力に優れるはずの選手達がなぜ足が止まってしまったのか、なぜ畳み込まれるように失点をされてしまったのか。なぜ、最後までファイトできる長所を持っていた選手達の集中が切れてしまったのか。そこについて分析しなければ専門家の意味が無い。僕はやっぱりそれは、ヒディングの狡猾な策略であったと思うし、それに対するジーコの無策・無謀だったと思うし、もっと言えば、「3トップ相手に3バック」「自分達の能力を否定する5バック」というこの2策による「自分達のサッカーを見失った」ものだと思う。初戦の戦略性のなさ、無謀さについては既にジーコの戦術論に未来はあるのか。ヒディングは采配より戦略を評価すべき。で散々書いてきたので、ここでは控えます。


■中田英寿
やっぱり、どうにも彼の能力に改善が見られない。
内容は以前に書いた中田英寿の憂鬱。今大会においても、中田の存在は絶大であったし、必要不可欠だった。けれど、それは経験やメンタルによる部分が大きく、ボール持ったときのコンテンツが良くない。今大会にしても今日のブラジル戦にしても、ボールをキープしていても危なっかしかったり、パスミスが多かったり、サイドチェンジのパスが敵に引っかかったりと、らしくないプレーばかり。小野なら、たぶんこれらのことは安心し見ていられると思う。

ジーコや他のファンは彼を攻撃的なポジションに置くことを期待するが、どうなんだろう。僕にはどうにもそこから効果的な動きができる絵が想像できない。中田が華麗なテクニックで敵を翻弄?柔らかいタッチでボールコントロール?鋭いドリブル突破?テクニカルなミドルシュート?どれもここ数年見た記憶が無い。全て小野か中村俊輔か、松井大輔の方が期待できる。

今大会を通して、やはり確信に近い思いがある。
中田は確実にサッカーが下手になった。トラップがぶれる。ボールの扱いがスムーズじゃない。ドリブルの軌道が乱れる。今の中田はテクニシャンとも呼べない。惜しみない運動量や、激しいアタック等どうみてもファイター型のMFだ。柔らかいタッチでボールをコントロールし、中村俊輔や小野とはまた違う驚異的な空間把握能力を駆使し、まさに「トラップは自分へのパス」のお手本となるような絶妙な置き所を捉えたトラップから、天才的なボールのキャッチ&リリースでのドリブル突破。そして、敵陣の隙間をつくスルーパスに、高い決定力を誇る絶妙なミートからのシュート。あの頃の中田はどこへ行ってしまったんだ。

僕のこの講釈が大げさだと思うなら、ペルージャ時代のビデオやフランスW杯予選・本戦のビデオ、首都圏にお住まいならnakata.net cafeにでも行って見て欲しい。僕が書いた上記のセリフが嘘じゃないとわかるから。付け加えれば、この当時のビデオを見てビックリすると思う。中田は結構速い。スピードがある。この当時の中田なら、どんなライバルが現れようとトップ下のポジション以外考えられないと思う。

やっぱり、筋肉をつけすぎたのだと思う。
ロビーニョもカカーもロシツキーもそんなに筋肉質な体じゃない。中田だって、当時のビデオをみると今よりふっくらしている。中田には、一度代表のことを忘れてほしい。そしてリーグやチームのレベルを落としてでも自分が王様になれるチームへ移籍して、ほどよく筋肉を落とし、テクニックとフィジカルの奇跡のバランスを取り戻して欲しい。そして、あのころの様にサッカーを楽しんでいた"ヒデ"に戻って欲しい。今の経験、価値観にあの頃のプレーコンテンツが戻れば、次の大会でも必ず必要なMFになる。サッカーを楽しめ、中田英寿。


■三都主(加地)
なんだろう。
今大会を通して、かれはさほど悪くなかった。
三都主の突破でできたチャンスもあったし、パスワークに参加したときも悪くなかった。もちろん、相変わらずの稚拙な守備や、軽いプレーはある。けれど、それも以前ほどではないし、守備に関して言えば完璧を求めるのは筋違い。元々攻撃のタレントなのだから、守備はある程度目をつぶらないと。そういう意味で、三都主は攻撃の一翼を担っていたし、満点ではないけど不合格でもないと思う。これは、加地も同様。悪くなかった。クロスの精度が怪しかったけどね・・・。


■遠藤の選出と松井の不選出
今大会中、何度松井の姿を探したことか・・・。
少なくとも間違いなく、クロアチア戦に松井が出ていれば効果絶大だった。足の止まったクロアチアにあの独特のステップからのドリブルやパスはかなり効果的だっただろうと思う。なぜ、遠藤を選出したのだろう。遠藤の才能に疑いの余地はない。しかし、いかんせん出る場面が無い。彼は中田のみならず小野をベンチに追いやらなければスタメンには出れないし、途中出場で流れを変えるタイプではない。その上、3番手だと思っていたらなんと中田浩二が先に出た。ジーコは遠藤をどういうプランで使うつもりだったのか。予想通り「得失点差の関係で前がかりにならなければならない局面」は2試合も訪れ、しかし日本にジョーカーはいなかった。唯一ジョーカーになりえた男をみすみす国で留守番させてしまっていたのだから。やっぱりどうしても、松井が必要だった。


■今後の日本代表
4年後4年後というが、何を言っているのだろうか?
違うでしょ。
まず2年後でしょ。
とりあえずまずは北京五輪でしょ
確かに今大会は残念だったけど、国内に残してきた猛者はまだまだいる。
この北京世代にはカレン、本田、増島、鹿島の内田、森本、家永、水野、広島の前田そして平山。
アテネ世代はまだまだこれからだ。
松井、田中、大久保、今野、小林大悟、阿部、磐田の前田、闘莉王、そしてなんといっても長谷部。

今回の代表のメンバだって小野は南ア大会でもまだ30。
元々スピードやフィジカルで売っている選手ではない。
もっともっと円熟味が増して、守備にも攻撃にも大きな影響を及ぼせる選手になるだろう。名波を超えられるのは小野だけだ。

たかだか三回目の、初回のお客様が終わり二回目のホスト国が終わり、事実上W杯出場国として始めての戦いが惨敗だったに過ぎない。日本サッカーはまだまだこれから大きく発展していく。

こんなところで泣いていられるか。
posted by 総さん−ソウサン− at 16:01| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

宮本の存在価値。

この記事はUPしないつもりでした。
クロアチア戦後、ブラジル戦に向けて書くつもりでしたが、当の本人が累積警告で出れない。それで彼について書いてもなぁ・・・と。

がしかし、僕自身が大きな過ちをおかしていることに気づいたのです。
宮本が出ようが出まいが、彼が日本代表のキャプテンであることに変わりはないし、なにより、まだ宮本に出番はあるはず。自分で「裏切られても良いから日本代表の勝利を信じる」と言ったくせに、これはおかしい。僕が書くこの記事だって、後々意味があると信じて書かなきゃだめさ。

ここ最近、特にW杯が近づいてからというもの、宮本の短所に言及したマスコミの記事や、それを目にしたライトなファンの宮本不必要論を目にする。わかってないなぁ。サッカーとはそんな単純なスポーツじゃないのさ。

■宮本の短所
宮本の弱点は百も承知。
上背、瞬発力、フィジカル。
攻撃者におけるフィジカルというものは「あれば良い」という、あくまで個性の範疇であり絶対に必要なものではない。リケルメも中村俊輔も遅い。メッシーは小さい。しかし、守備者におけるフィジカルというものは必要不可欠。なぜなら、その多様な個性を持ったありとあらゆる攻撃者を迎え撃たなければならないから。忍者は小柄でも良いが、門番は小柄で鈍足ではダメでしょう。

そう、宮本は単純に1vs1の守備者としては確かに厳しいものがある。
ただ、サッカーはそんな単純なものじゃない。彼とて、1on1をやっているわけではないのだから、僕が記憶している中でも簡単にぶっちぎられたことはない。無論、そのフィジカルの乏しさが日本代表の弱点となったことはあるけれども。

では、宮本は日本代表のお荷物なのか?
そんなわけはない。そんな選手に代表のキャプテンが勤まるわけが無い。
安易に宮本外しを謳う人はココをあまりに見落としすぎだ。

■ライン統率者としての能力
まず、単純に宮本の個人能力について。
とりあえず言われるほど足の遅い選手ではない(笑)
そして何より、ラインコントロール。この人のラインコントロールは本当に素晴らしい。リスクの高いラインコントロールを宮本は平然とやってのける。平然とやってのけるから、ライトなファンは気づいていないのかもしれないが、あれはDFライン統率者という観点から見れば、本当にデリケートな手綱さばき。ほんの何歩、ほんの数メートル(いやもっと細かいかも)の単位でのラインコントロールなんて、怖くて出来ないさ。宮本だけでなく、ほぼ全てのポジションにおいてフィジカルに課題を抱える日本代表において、このラインコントロールは、中盤のタレントとともに生命線といえる。頭脳明晰な上に、戦うハートや諦めない心を備え、そしてイレブンからの絶対的な信頼を得ることの出来る宮本は、間違いなくDFリーダー、ライン統率者としては国内屈指の能力を持つ男だ。


■守備力
1vs1は弱い。そりゃあ弱い。
でも、言われるほど彼は抜かれたりしてない。
よっぽど三都主の方がドリブルで簡単にやられている。
しかし、守備と言うのはそれだけではない。
危険地帯を即座に見抜き、そこへ真っ先に飛び込む能力。
敵がドリブルで突っかけてきたときに、それをセーフティーに切る能力。そう、宮本は守備センス自体はかなり高い。この人は高さが圧倒的に不足しているだけであって、別に単純に守備力に乏しいわけではない。2002年のW杯、日本の素晴らしい守備を支えたのは紛れも無く宮本だと言う事を忘れてはならない。


■キャプテンとしての能力
宮本のおかげで、どれだけ助かっていることか。
サッカーというものは人間がやる以上、メンタルや空気感、モチベーションに左右される。こと、超一流のプロが集まる日本代表となれば、さまざまな心理ストレスが働き、より一層メンタルコントロールは重要となってくる。そこへくると、宮本は崩れることが無いし、他の選手に与える影響も大きい。今でも忘れないのはアジアカップ2004のヨルダン戦。川口のスーパーセーブばかりが取りあげられるが、あの過度なプレッシャーのかかるPK戦の最中にピッチの悪状態に気づき、流暢な英語で審判に講義し、エンドを変えさせるなどという行為は、宮本以外の誰に出来ただろうか。これはそれまでの日本サッカーの歴史を探ってみてもそうはいない。

中田英「ツネは人と人を繋いだり、前に立って皆のモチベーションをあげたりだとか、そういう部分が凄く上手い」と語っているが、まさしくそれが統率者という面で中田英の持ち得ない宮本の能力なのだろうと思う。中田英にそのようなコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力は無い。自らもサッカーをする人間なら良くわかると思うが、ピッチ内外に問わずチームの安定というものは非常に重要で、結局そこが崩れてしまえばチームは単なる個の集まりとなり、どんな相手にも良いパフォーマンスが発揮できなくなる。人間というのは、チームというのはそういうものだ。

チームを個の寄せ集めではなく、戦う集団とするために、そして選手が遺憾なくその能力を発揮するために宮本が担っている役割はあまりにも大きい。少なくとも「ジーコジャパン」における宮本の存在は絶大だ。

ウイニングイレブンでシュミレーションをして満足しているマスコミなんかにわかるもんか。宮本の能力はゲームで表現できないところにこそ、その真骨頂がある。ゲームの中にいる宮本というお面をかぶったブサイクなAIシステムは中澤に終了間際のオーバーラップを指示することなんて出来ないだろう?ゲームで使うなら宮本の意味なんてないんだ。

だから、このまま終わらせてはいけない。
このまま国民に宮本の能力を見誤ったまま終わらせてはいけない。

日本代表よ。
いや、坪井よ、中澤よ、加地よ、三都主よ、駒野よ。
君達のリーダーをこのまま終わらせるわけにはいかないだろう?
もう一度、我らが日本代表のキャプテンをピッチに連れ戻せ。

そして見せてやるんだ。
バカなマスコミに、僕達のリーダーの素晴らしさを。
posted by 総さん−ソウサン− at 19:23| 🌁| Comment(2) | TrackBack(1) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

合言葉は"宮本をもう一度あの場所に立たせろ"

ブラジルに勝たなければならない。
しかも2点差以上。2−0か3−1だ。
世界最強、史上最強と謳われるチーム相手にこのスコアをたたき出すのは至難の、いや死難の業だ。絶体絶命とはまさしくこのことか。

と、うなだれていても仕方がない。
どうすれば勝てるのか。勝とうという意志を持つことの方が大事だ。

2−0。
要は2得点だ。
イタリアやスコットランド、そして日の丸を背負った国際試合で数々のFKを決めてきた10番に一発を期待するのは贅沢だろうか。まだ出ていない一発を次の試合で期待するのは贅沢だろうか。決してそんな事は無いはずだ。中村俊輔のFKが世界に脅威を与えることは僕達が一番良く知っている。距離との折り合いさえつければ、間にブラジル人が何人いようがFKには関係ない。個人能力?FKにそんなものは関係ない。あるのはキッカーの精度だけだ。

今まで数々の奇跡的なゴールを大黒に求めるのは間違いだろうか。敵陣の中に身を潜め、ギャップを見つけ出し走りこみ、ボールを枠に捕らえるのを期待するのは無理があるだろうか。決してそんな事は無いはずだ。中盤での攻防をなんとかこらえて、なるべく多くのボールを大黒につぎ込む。伝統的に守備の強い国ではない相手。敵陣のギャップを見出し、ほんの一度でよい。ボールをゴールに叩き込む。出来ないことはないはずだ。3−1ならもう1点だ大黒。昨年は君にもう一度チャンスがあったじゃないか。あれを決めれば良い。


マスコミは2点3点取ることの難しさ、必要性を語るばかりだが、どちらかというとブラジル相手に無失点で切り抜ける方がよっぽど難しい。守備の方が実は問題なのかもしれない。しかし、昨年は中澤がいなかった。敵にもカカーがいなかったが、ロナウジーニョとロビーニョを有している相手と比べれば、チーム内の重要性で言えば中澤の方が上だ。それぐらい、僕達は中澤に頼りきっている。その、中澤が今回はいる。これほど頼もしいことはない。そして、どうやら稲本も調子が良さそうだ。持っているポテンシャルで計れば日本屈指のボランチ。爆発してもおかしくない。昨年、ブラジルは負ければ予選敗退だった。今回は違う。昨年ほどの圧倒的な攻撃力は無いはずだ。




なんだ。
結構良い材料もあるんじゃないか。





もう無理だ、日本さようなら、日本はダメだ、所詮その程度の実力?
言いたい奴には言わせておけばいい。
それは、本気で信じることを恐れた臆病者のリスクヘッジだ。
僕らサッカーファンにはそんなものは必要ない。
今こそ我らKINGカズを見習うときだ。
ボロボロに負けて裏切られて傷ついたって構わない。
それでも僕らは日本代表が好きだから。

あきらめるな。
合言葉は"宮本をもう一度フリッツ・ワルターのピッチに立たせろ"だ。
posted by 総さん−ソウサン− at 15:18| 🌁| Comment(6) | TrackBack(3) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

日本vsクロアチア。

遅くなりましたがクロアチア戦。
川崎のチネチッタで見てきました。
いや、戦ってきました
あんなに声だしたの久しぶりだなぁ。
相変わらず試合に則した応援が出来ていないのが気になったけど・・・。
おーばもにぃっぽおん〜とニッポン!しか言えないのかしら?

試合の方ですが、不満もあれば満足した部分もありなんとも言えない試合でしたね。評価が難しい。柳沢にはさすがに失望したけど・・・。さすがに、あれを決めなきゃピッチに立っている意味すら疑われるよ・・・。柳沢の超決定的シーンを外したことについて、ジーコ「準備不足」と苦言を呈しましたが、それに対して数多くの方が「怪我明けのまま選出したのはお前だろ!」的な怒りに満ち溢れたコメントやブログを書いてます。

それは違うでしょ(笑)
メディアに左右されすぎだから。
ジーコが言っているのはコンディションの問題じゃない。「FWとしてのあの場面に対する準備が出来ていない」ということでしょ。世界のFWは、どんなに突然のビッグチャンスでも、常にそれに備え体をそこに集中している。90分間眠っていても、ほんの数秒のチャンスを虎視眈々と狙い、それを決める。そのためには、それ以前から心と体の準儀をしていなければならない。FWというのはそういう仕事。その面においていつでも準備万端で狩りをする獣のごとくゴールを狙っているアドリアーノは、あの場面でも慌てず適切にインサイドキックを選択してゴールを奪っているだろうっていうこと。柳沢には、そのメンタルや姿勢が乏しいと言っているのですね。

だいたいねえ、コンディション云々であの局面でインサイドを選択せずにアウトサイドで蹴ってしまったとするようなデリケートな選手はプロにはなれないですよ(笑)あの場面でアウトサイドをインサイドに変えるなんてコンディションが悪かろうが出来る人は出来るし、出来ない人はコンディションが悪くても出来ない。「体が重くてアウトサイドで蹴ってしまった」なんて笑っちゃうでしょ。アウトサイドで蹴る方が体に負荷がかかるっつうの(笑)

おっと、柳沢の話ばかりになってしまった。
試合全体としては、悪くなかったと思います。
っていうかね、いまさら言っても遅いんだけど、もう本当にコレが言いたい。



どうしてはじめっからコレを目指さなかったんだよジーコのバカ


オーストラリア戦だって、始めから同じようなスタンスで臨んでいれば、結果は今とは見違えるものだったはずだと僕は確信してしまいましたよ。根拠は過去の日記「ヒディングは采配より戦略を評価すべき。」でも読んであげてください。

クロアチア戦。
全てが全て満点ではない。もちろん。勝てなかったのだから。
けれど、後半スタミナ切れするまではボールも人も動き、中盤を圧倒的に支配。得点チャンスもそこそこ作れてました。中盤でプレスをかけ、奪ったら攻撃へ展開し、速攻が適わなくなったらポゼッション重視で敵陣を崩しにかかり、両SBは激しい上下動を繰り返す。まんま、日本が今までやってきたサッカーじゃないですか。加えて言うなら、リズムの緩急に乏しく、FWに迫力が無く、少ない決定機を確実に決めることが出来ない。もうほんと、我らが愛してやまない日本代表じゃないですか。W杯はこれでいいんですよ。自分達のサッカーを、力を、いかに100%に近い状態で発揮するか。それが勝利へ繋がる。そして、自分達の力を出し切った先に、そこからどうやって修正し伸びていくのか。ココで伸びたチームが上に行く。

確かに、ピンチはあったしカウンターをバシっと決められた時もありましたが、そのリスクを全く問題ないレベルまで下げられたら、それは日本代表じゃないです(笑)自分達で試合をコントロールしながら、世界を相手にすればDFラインの脆さも出てしまう。そんなリスキーな駆け引きで勝ち負けを得てきたのが、日本代表のサッカー。だから、もう本当にクロアチア戦は思ったとおりの試合。いくつかの決定機を決めていれば勝っていた。いくつかのピンチを決められていれば負けていた。そんな試合。

振り返ってみれば8年前。
これほど試合を掴めていなかったし、チャンスは今回よりずっと少なく個々の能力でも勝てていたとは思えない。そしてシュケルに決められ敗北を喫した8年前を考えれば、クロアチア相手にあのようなパスワークで中盤を制し、得点機もそこそこ作れたのはとても評価してよいこと。素晴らしい。

ではなぜこんなに不甲斐なく見えてしまうのか。
当たり前に2戦目だから。初戦でこの試合だったら、確実に合格点でしょう。2002、1998のどちらの初戦よりずっと良い試合をしていたと思います。だから、冒頭の一言。

どうしてはじめっからコレを目指さなかったんだよジーコのバカ

5バックにリトリート守備に、ポゼッションを無視したカウンター重視。誰がどうみても、今まで日本代表がやってきたこととは正反対。むしろ3-5-2で挑んでくるクロアチア以上に、オーストラリアの方が4-4-2で相対するべき相手だったのに。結局、ジーコは口癖の様に「選手を信じている」と言っていますが、最後の最後、本番では信じることが出来なかった結果だと思います。選手を信じきることが出来なかったから、後ろ向きなスタンスとなり、日本はヒディングの策略の坩堝にはまっていってしまった。



まあ、今さら言っても始まらない。
もうブラジルに2点差以上で勝つしかない。
それしかないんだから、それを全うするだけ。
頑張ってくれ我らが日本代表!
posted by 総さん−ソウサン− at 14:00| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

18日の件についてご相談がございます。

ブラジル様
ご担当者の皆様

平素大変お世話になっております。
日本代表でございます。

昨日13日には無事強豪企業のクロアチア代表様を退けたとの事で、おめでとうございました。もとい、ブラジル代表様のお力であれば当然のことかと思われます。世界一部上場企業の御社ですから、企業戦略として全勢力の収集は5試合後にスケジュールを段度っておられるかと存じますので、昨日の収益が1得点に留まったこともこちらとしては驚きはございません。ますますのご発展をお祈りしております。

さて、私ども日本代表でございますが、御社から代表監督として派遣いただいている神様の手違いで、32年ぶりに上々を果たしたオーストラリア代表様に後塵を拝する結果となってしまいました。誠にお見苦しい限りでございます。

そこで、手前勝手なお願いで誠に恐縮なのですが、18日にブラジル様がお手合わせをなさるオーストラリア様についてですが、是非ともいつもより若干多めに収益をあげていただけないでしょうか?御社のお力であれば7試合目にご披露いただける姿の3割引でも、かのオーストラリア様を退けることができるかと思います。そこを、何卒1〜2割引にとどめていただければ御社の収益が大幅あがることも十分に可能かと私どもは考えております。特に、御社の宝であるカエル顔のお方に是非ともお一言「神様からのご依頼」とお伝えいただければ幸いです。

もちろん、クロアチア様については私どもの方で全力を持って叩かせていただきます。御社が昨日に叩いてくれたおかげで、クロアチア様も全社をあげて収益を得ようとがっぷり四つで組んでいただけると思いますので、私どものような貧弱な体の持ち主でも、やり方次第で収益をあげられると踏んでおります。3度目の上場企業、そして8年前に全く同じ組で退けられておりますので、8年分の思いのたけをぶつけてまいります。

心配はございません。弊社の柱である金髪の社員も海外出向により今はすっかり大人になりチームの秩序を保つ存在でございますし、8年前に新入社員として皆様にお披露目した社員は、遊び心を押さえ今では頭を丸め修行僧のごとく落ち着きを持った社員へと成長しております。必ずや御社の後に続きクロアチア様を退けてご覧に入れます。


いつもいつも御社にはお世話になりっぱなしで、弊社のような未熟な一企業がお願いをするのは恐れ多いことは重々承知しております。しかし、私どもは弊社設立当時から、御社のご指導によりここまで発展を遂げ、弊社は御社のことを親御様のようにお慕い申し上げております。ここは一つ、息子のためにひと肌脱いではいただけないでしょうか?

これまでお世話になったことは誠に感謝しております。
御社からは優秀な人材を数多く派遣していただき、弊社の社員への影響も計り知れません。現在代表監督である神様には選手として派遣いただいた際には大変大変お世話になっており、「正社員の心得」の教えをもとに数々の優秀な社員が育ちました。また、95年には闘将様を磐田支部に派遣いただき、弊社の歴史に大きな足あとを残す磐田支部"猫背の7番"や、今回の上々にも大きく貢献した"元FWのイケメン"も、闘将様あっての成長と捉えております。
93年以降からは神様のご尽力により、神様の弊社の文化に対する配慮もあったのでしょうか、弊社の神話にも通ずる"カッパ"を派遣いただいたり、昨年私どもに"誤った牛肉"を送りつけてきた経済的大企業を相手に、94年に肘打ちを披露した"ジャングル大帝"様等、多数の優秀な人材をご提供いただきました。現在でも、"合衆国首都"様や、大阪支部にて司令塔としてご活躍いただいている"チビ太"様他、たくさんの方々にお力をいただいております。弊社の未熟な社員育成のため、各支部3名までと派遣社員の数に制限を持たせておりますが、その中でもやはり御社からの派遣社員が最も多いかと思われます。時に、昨年弊社営業成績NO.1を収めた"荒"様はお元気でしょうか?


また、御社から派遣いただいた方の中で、特に弊社の環境を気に入っていただき、正社員として勤務された方もおられました。"モジャモジャ頭の熱血男"は弊社のどの人間よりも愛社精神に富み、弊社の家庭料理の一つである"お茶漬け"の宣伝担当になったこともありました。現在上場している代表チームにおいても、一名御社から弊社の社員として入社している者もおりまして、営業成績の方はあまり芳しくありませんが、彼はしっかりと通訳として活躍しております。

お願いに際して、お心苦しいのですが御社より派遣いただいた方の中には、組織の歯車として適切でない行動を取られる方もおりまして、派遣契約を結んでいるにも関わらず、契約期間中にカタールへ飛んでしまう方がおられたり、開幕直後に御社に戻ってしまう方がおられたり、戦略として組み込んでいるこちらは非常に困ってしまいました。あ、お二人とも浦和支部所属でした。今回のご依頼に際して、こちらの件も合わせてご一考いただければと思います。


わかっております。
昨年の仮上々市場においては、弊社が必死になるあまり、御社とのお手合わせの中で、弊社からスコットランドへ出向しているきのこ頭や、弊社の伝統として伝わる七福神の一人、大黒天が誤って御社に危害を加えてしまい、大黒天に至っては最後に再び捨て身の暴行を働き「足で打つか迷った」などと、子会社社員にあるまじき発言をしたこと、一連の騒動において大変ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。

しかし、弊社の方もなんとか社全体の発展に尽力を尽くし、その結果御社にあのような暴行を働いてしまったのですが、悪意はなかったことをご理解いただきたく思います。また、一次突破を御社と争うことになるなど弊社としても恐れ多く避けたく、仮上々市場においてはそのような事態を避けられなかったための騒動であることもまた事実かと思います。そのような事態はなんとしても避けたい旨、このようなお見苦しいお願いをしているのをご理解ください。

え?
ドイツ様ですか?
確かに弊社はドイツ様にも大変お世話になっておりますが、ドイツ様からは市原支部に"がに股トリブラー"様、浦和支部に"あしながオジサン"様以来、あまり優秀な人材を派遣いただいておりません。私どもにとってはいくらドイツ様でも、ブラジル様と天秤にかけたら足元にも及びません。

弊社はブラジル様のますますの発展をお祈りし、今後も良いお付き合いをさせていただきたいと思っております。何卒、大量得点(あ直接言っちゃった!)の方宜しくお願い申し上げます。
posted by 総さん−ソウサン− at 12:14| 🌁| Comment(6) | TrackBack(1) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月13日

ヒディングは采配より戦略を評価すべき。

一夜明けて、そして昼休みです(笑)
失意の念が消えないままですが、一夜明けて(夢に出てきて?w)少し冷静に見れるようになりました。

そうすると、あれよあれよと考察が浮かんできて、もう止まらない(笑)
サッカー好きな人はこれ読んで賛否両論楽しんでください。

■サッカーにおける数字という概念
日本人監督はこういうの非常に得意です。
たぶん、ドイツの影響が色濃いからでしょう。
そこに攻撃性における部分においてブラジル的な発想が加わっているのが、今現在の日本人指導者の平均的姿じゃないかな。

ジーコにはこの数字の概念がないらしい。
田中誠がアウトになって、追加選手を呼んだのが茂庭。
DFライン統率者は確実に2から1へと減ってしまった。
その宮本は初戦でイエローカードを貰ってしまった。
ポジション的にもう一枚貰うことは容易に想像できる。というか、そこに対して想像力を働かせリスクヘッジをしない(控えにもう一人おかない)のははっきりいって無謀を通り越して無策だろう。

■ピッチ上の人数換算
また、このブログで再三述べているようにピッチ上の人数換算というものに意識が全く向いていない。昨日の試合は、なるべくしてなった試合であり、それは巷が騒ぐような「結局実力の違い」では到底無い。どう間違っても、オーストラリアよりドイツの方が強い。ブラジルの方が強い。当たり前だが、ビドゥカよりもクローゼやアドリアーノの方が力は上だし、キューウェルよりも確実にシュバインシュタイガーの方が動きはキレているし、ロナウジーニョは言わずもがな。いまさら、個人対個人で遣り合えば劣るのは当然の話。そこを、いかに走りぬいて敵陣にギャップを生み出し、そこに洗練されたパスを送り込み得点機をいかに作り出すかが、日本代表の強みでしょう。

オーストラリア戦は、それが出来る状態ではなかった。
システムなどというものは所詮ピッチ上での人の配置に過ぎない。されど、人の配置だからこそ、それは「戦線における戦力分布」でありとても重要なものだ。それによって、ピッチに立つ戦士である選手の意識も変わってくるのだから。その戦力分布であるシステムにおいて、ジーコの思考には「敵陣との相対的な人数換算」というものが欠如している。

■サイドとセンターDFの相対的人数剰余と不足
再三再四ここで述べているように、サイドの攻防における人数と、センターDFの人数の不一致。敵は1トップ。こちらは3バック。敵のサイドはウイングとサイドバックの二人(これは正確には違ったのだが)。センターDFに3人も割いていれば、サイドの守備はアウトサイドに選手に任せるしかない。三都主と駒野。故に、二人はDFライン吸収されることを余儀なくされ、そしてジーコもそれを選択した。この時点で既に敵に対して後手を踏んでいるのだが、問題はその先。中盤であるはずの両サイドがDFラインに下がるのだから、中盤の枚数は単純に2枚も減っている。その状態でどのように攻撃を構築していくのか。トップ下の人選は中村ではなく、中田でなければもたないだろう。キープ力、守備力、繋ぐ力という点においては、中田英は中村を凌ぐ存在。中村はもっとパスの選択肢がある中でこそ輝く天才。孤立して巨人達に囲まれたまま活躍できるタイプではない。

結局、ジーコの思考回路には「対敵相対人数換算」というものはなく「ガッチリ戦うなら3-5-2」「柔軟にリズムある展開で戦うなら4-4-2」という2択に、一方の選択肢のオプションとして「もっとガッチリ守る5-3-2」という2択+αしかないのだろうと思う。


■ヒディングの周到な戦略
ここへきてW杯初戦、vs日本という見地から考えるヒディングの戦略は本当に用意周到で、これぞまさしく「イヤラシイ監督」の真骨頂だった。マスコミでは、交替カードがあたり策士の采配と称えているけれども、そんなことより僕が評価したいのは、それ以前のこの試合に対する準備。後から見れば見るほど、この監督相手にいかに日本代表、もといジーコが無策なのかが見えてしまう。それほど狡猾な戦略だった。


■日本の弱点
・上背のなさ
・身体能力の低さによる球際の弱さ
・3-5-2における両サイドの守備。

・3-5-2における両サイド
3-5-2の両サイドを突くのは、ヒディングにしてみればもはやお家芸。格好の餌食だ。相手が3-5-2でなくとも基本戦術として4-2-3-1システムを敷いているのだから、相手が3-5-2で挑んでくるのであらばもはや考える必要も無い。自慢のアタッカー陣を相手の弱点に注ぎ込むだけの単純作業だ。

・上背のなさ、身体能力の低さにより球際の弱さ
仮に、日本が両サイドを下げオーストラリアの4-2-3-1に対抗してきたとしても、個人能力でサイドの攻防は上回る。そのうえ、もう一人サイドバックとしてサイドに人材をつぎ込める。サイドの攻防に不安はない。そして何より、中央にはビドゥカがいる。日本が退いてくるなら執拗にサイドを突いて、高い位置からボールを中央へ放り込み、こぼれ球も体格に勝るオーストラリアが拾える確率の方が多い。これで、日本を自陣に釘付けにできる。

そう。
整理してみれば、本当に本当にある一つの事実が浮かんでくる。
「日本が自陣に退いて守備をする」というのは、ヒディングにしてみれば思うツボだったのだ。これ以上の得策はないほどに。それは下記「■日本の長所」でもっと顕著になる。

■日本の長所
言わずもがな、中盤の華麗なパスさばきに流麗なポジションチェンジから成る圧倒的な幅のある攻撃。昨年のコンフェデ、そして先日のドイツ戦を見たらどんな監督でもあの展開は恐るべき事態だったでしょう。あれをまともに発動させたら、鈍重なオーストラリアDF陣では歯が立たない。狡猾で理知的なヒディングなら、まず間違いなくこう考えたに違いない。


「あのパスワークを発動させてはならない」
コンフェデ・ブラジル戦のようなパスワークを展開されたら、オーストラリア自慢のサイドアタックどころではない。中盤の主導権を握られ鈍重な守備陣のプレスはいとも簡単にかわされ、混乱の最中にヤナギサワによって守備陣に致命的なギャップを生み出され、そのギャップを日本のナカムラとナカタは見逃さなずにパスを送り、タカハラやオオグロはドイツ戦のようにそれをゴールに突き刺すだろう。もしもタマーダが出てきたら、その混乱の中PA付近で彼にボールをもたれたら、ギリシャをズタズタにしたそのスピードにオーストラリアDF陣はついていけるはずもない。

事実、試合後にヒディングは日本の中盤をどうにかおさえなければならないと思ったとインタビューで答えている。では、日本のパスワークを発動させないためにはどうすれば良いか?誰しもがそう考えるとおり、日本の創造性を維持する生命線である中村と中田英を潰すべきだ。とくに、中盤の低い位置から有効なパスを連発する中田を潰せば、日本の攻撃連鎖はほぼ食い止められる。

しかし彼ら二人を抑えるのは、彼らに複数人のマークをつけるだけでは無駄になる。もともと長い時間ボールをキープするスタイルではない。簡単にボールをはたかれ、マークが置いて行かれて結局あのパスワークが発動してしまうだろう。彼らを止めるには、彼らに激しいプレスをかけるのと同時に、彼らのパス先の選択肢を減らさなければならない。

その点において、本当にヒディングは狡猾な戦略を練ってきたといえる。日本が3-5-2で臨む場合、パスをまわすためには両サイドが中盤と並列に位置していることが絶対条件。中盤のセンターに3人を割きながら常時両サイドにも一人ずつ常駐させることで、各選手が自ポジションに留まるだけで戦術的リスク無く右へ左へワイドに展開できるのが3-5-2の利点。自ずと、その両翼を後ろに封じ込めてしまえれば、その展開力は半減する。横パスが出来なくなるのだから(ドイツ戦においてよい時間帯だったのは駒野が高い位置を維持していた時間とイコールだということがそれを如実に証明している)。そして、実際上記3-5-2の弱点を執拗に突くことで、ヒディングはそれに成功している。

・2トップへの対応
ココは本当に驚かされた。
たぶん、ヒディングはオーストラリアのDF陣(しかもポポビッチ抜き)では、高さでは勝ててもスピード勝負をされたら高原と柳沢を抑えることは難しいと考えたのかもしれない。なんと、3バックできた。そしてなんとなんと、攻撃時は4バック、守備時は3バックで対応してきたのだ。なんとも理に適った大胆な戦略・・・。

3バックというのは、本来対2トップ用に編み出された守備システム。敵2トップに一人ずつDFがつき、そしてもう一人余らせてこぼれ球を拾う。たぶん対2トップという意味では完璧な戦術だと思う。守備時に3バックにすることで、日本パスワーク第2の基点であるFW陣を潰す。2トップにボールが入ったら、3バックの長所を存分に活かし、果敢にアタックをする。高原と柳沢はそれを中盤にきれいに落とすのが役目だが、中盤の中村と中田以外に、本来いるべきはずのサイドが上がってこない。彼らの落としどころは結局、ほぼ一つしかなかったということになる。オーストラリアにしてみれば、パスする先がほぼ読めているのだから、これほどプレッシングのかけやすい相手もいない。中田と中村に落とすとわかっていて、彼らにアタックすればよいのだし、そのナカナカコンビにも、パスの選択肢が無い。これが日本にまた悪循環をもたらした。

また、攻撃時4バック→守備時3バックという変則システムは別の面でも効果を発揮した。三都主や駒野がボールを保持しても、何か余裕が無いというか、強烈なプレスがかかっているなと思ったが、その答えがこれだった。

攻撃時
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 ↓

守備時
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4バックの時は、攻撃にタテの深みを持たすためにサイドバックが必要。しかし、守備時には相手がサイドを高い位置で突いてこないのだから、はっきり言って不要どころか、サイドバックとウイングの間に出来るスペースを埋めるため、味方ウイングが下がって対応しなければならない。だったら、4バックのサイドバックを前にあげれば良い(実際はすんなり両サイドバックをあげて対応したわけではないけど)。

3バックの弱点は両サイドの守備。
けれど、その両サイドをつくであろう敵(日本)のサイドの選手は、自分の前にいるのだから、その敵を抑えれば自分の背後を突く敵選手はいない。そして、そうすることによって、敵のサイドの選手を味方(オーストラリア)ウイングを高い位置に維持させたまま二人で挟み込むことが出来る。

結果、三都主や駒野は自軍の低い位置でも強烈なプレッシャーに晒されることとなる。これがまた、日本の両翼を自軍に釘付けになる要素をつくり、尚一層日本の中盤は機能しなくなり、攻撃は単発で終わり、ショートパスはプレスによって掻っ攫われ、またオーストラリアの攻撃が始まる。


こんなことを試合開始からずっと続けられれば、そりゃあ坪井の足の痙攣も仕方なしというものだし、スタミナが減り終盤に集中が切れてしまうのも、もはや筋書き通りというもの。


■今までの敵にヒディングはいなかった
今までの大きな大会、コンフェデ、欧州遠征。
日本は世界を驚かせるコンテンツを見せたことは幾度と無くあり、日本のサッカーファンはそんな時代が来たことに胸を躍らせた。しかし、ドイツにせよブラジルにせよ、チェコにせよイングランドにせよ、誰も、どんな敵も「日本を執拗に分析し、相手の長所を消しこちらの長所を発揮する」という対応をしてきた相手はいなかった。

ヒディングはそこが全く違った。
これでもかこれでもかというほど、日本を分析し確実に弱点を突き、長所潰してきた。これだけのことをされて、勝てるほうがおかしいと思う。

ジーコはあまりに無策だったのではないだろうか??

<このエントリーのTB先>
武藤文雄のサッカー講釈
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posted by 総さん−ソウサン− at 12:49| ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ここまで予想通りになるとは・・・・。

今、オーストラリア戦を見た後です。
正直、ショック・・・。
いや、予想できるスコアだったし、今までこのブログで書いている通り、予想できる試合展開でした。

ともかく、DFラインが上げられない。
3−5−2の両翼がDFラインに吸収されてしまい5バック。
それで守れれば良いケド、そこで守れても結局バイタルエリアにスペースが出来てしまう。なぜ、バイタルがあくのか。それは、攻撃の時にかなり悪いボールの奪われ方をしているから。なぜ、ボールが悪い形で奪われてしまうのか。それは、2トップと中村・中田英にボールが入った時に、ボールを預ける選択肢が少ないから。少ないから、プレスをかけられてボールを奪われてしまう。なぜ、ボールを奪われてしまうか。パスの選択肢となるはずの両サイドの上がりが極端に遅いから。なぜ、両サイドはすばやくあがってこれないのか。5バックだから・・・。

悪循環ですね。
中盤で優位に立てない=ラインを高く設定できない。
ラインを高く設定できないと、攻撃の時にパスの選択肢が増えない。
パスの選択肢が増えないと、効果的な攻撃が展開できない。

その根本たる原因は何か。
やっぱり、システムだと僕は思います。
初めから終わりまで、懸念されたDF陣は奮闘しました。
中澤はビドゥカと対等以上に渡り合っていたと思います。
けれど中盤は完敗。完敗と行っても、我らが日本代表の持ち味を十二分に出し切ったとはおせじにもいえない。出せないような悪循環でしたからね。

3トップに対して、なぜ3バック。
ココを頑固に変えられないからこそ、3バックではサイドを補いきれないため5バックになる。5バックでは、中盤で競り勝てない。つまり、そもそも3バックの選択に誤りがあると僕は思う。今日の中澤の動きを見れば、充分に4バックでも対応できたのでは?と思う。守備は崩壊したが、決して日本DF陣の責任ではないもの。それより、バイタルエリアであれだけフリーの時間をつくった中盤の守備に責任があるとおもう。全責任を負わせても良いほど、今日はバイタルエリアが空いていた。ハッキリ言って、終盤に失点を重ねたが川口が当たっていなければ、もっと失点していてもおかしくなかった。

結局、相手に物怖じして自分達の戦い方を失ったか、常に見失わなかったかだと思う。今日の試合、オーストラリアは自分達の戦いそのものだった。日本はどうだっただろう。どう見ても、積極的に自分達のサッカーをしようという風には見えなかった。5−3−2ではそもそも無理だろう。


希望は0じゃない。
一刻も早く4−4−2に戻す事を祈る。




そして、小野をピッチに出せ。
posted by 総さん−ソウサン− at 01:04| ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

日本代表の鍵を握るのは福西。

W杯始まりましたね。
面白くて面白くて眠くて眠くてしょうがありません。
ビックリしたのが、民放及びNHKでの試合放送の多さ。
今の所、ほぼ全ての試合をどっかしらでやっている気がするのだが、果たしてどうなんでしょう。実況の稚拙さはともかく、とても嬉しい事態。スウェーデンvsトリニダード・トバコはちょっと感動してしまいました。

さて、我らが日本代表。
今日からW杯参戦です。もうドキドキしてドキドキして・・・。
昼休みなのにこんなこと書いちゃってます(笑)

マスコミでは中田がどうだの、中村俊輔が鍵を握るだの、ビドゥカvs中澤だのと騒がれておりますが、僕が注目しているのは福西。彼の出来次第で日本の行方は決まるとすら思います。

■日本の"らしさ"
鍵は「ボール奪取能力」。
日本が日本らしさを発揮するためには「相手に走り勝って自分達のスペースを作ること」by中田英ですが、それは言わずもがなこちらがボールをキープしている状態の話。無論、守備だって走らなければならないが日本"らしさ"という話であれば、やはりそれは攻撃についての話に偏る。絶えず動き、スペースを作り、ワンタッチ・ツータッチでパスを繋ぎフィジカルコンタクトを裂け、技術と速度の勝負をさせる。そうすると「敵をおちょくる様なプレー」by中村俊輔が可能となる。

つまり、彼らが言っているのは全て「自分達の技術をいかに発揮するか」ということ。日本が誇る中盤の長所は紛れも無くそこ(技術)にある。そのためには、走りぬいてスペースを作るだけでなく、そもそもそのチャンスを数多く作ること、そしてそのチャンスを有効に活用することが求められる。要するに、守備にせよ攻撃にせよ走りぬいたところで、マイボールになる回数が少なければ意味が無いし、その成功率も高くないと相手にとって脅威とはならない。そのためには、まずFW陣にビシっとキレイなボールが入らないとチャンスにならない(日本の崩しのパスワークはそこから始まることが多いから)。自ずと、そこへボールを入れる中田英と中村俊輔がいかに良い体勢でボールを持てるかが、重要となってきます。

■長所を発揮するには
では、その二人が良い体勢でボールを持つにはどうしたら良いか。
我らが日本代表DFラインには頼りになる中澤がおり、各国エースとの対決において彼ほど心強い存在は、まず日本国籍を持つ者において他に存在しない。がしかし、毎度毎度彼にお世話になっているようでは、たぶん日本に良い結果はもたらされないでしょう。中澤は、エースに入ってきたボールを跳ね返す働きとともに、それと同じかそれ以上の時間「敵エースストライカとのせめぎあいで相手を疲弊させる」という働きに没頭してほしい。いや、してもらわなければならない。

中田英の言う「走り勝て」というのは、つまり攻撃と同時に中盤でのプレッシングも意味することになり。=それは高い位置でのボール奪取が必要ということ。さて、では日本代表の面々、それもDFラインを除く7人にボール奪取が期待できるだろうか。中村や大黒、柳沢のように、そして世界を見渡せばアイマールやメッシーの様に、攻撃というセンテンスにおいて、体格や瞬発力等は必ずしも必要と言うものではない。体が小さくても、足が遅くても攻撃は出来る。しかし、守備は違う。相手を追い込むことは出来ても、最後の最後ボールを敵から毟り取るには、フィジカルが必要不可欠(故に宮本は1vs1が弱く、中澤が重宝される)。

日本はたぶん、中盤に網を張り敵を包囲する能力は高い。今の個人能力を持ってすれば世界のどこ相手でもそれなりの高い連動したプレッシングができるとだろう。しかし、敵を囲んでからいざボールを奪う作業となると著しく弱い。だから、プレスをかけているにも関わらず2〜3人がするするっとかわされてピンチを招いてしまうことがある。たぶん、単純なボール奪取能力で言えば、日本はアジアでもトップクラスには位置していないでしょう。

■ボール奪取における第一人者
では、誰がボールを奪うのか。
中村俊輔、三都主、駒野(+FW陣)はお世辞にも期待できない。
やはり、1番手は福西だと思う。彼が、味方と連動しいかに高い位置でボールを敵から奪えるか。そしてイーブンボールをいかに拾うか。ココに代表の命運がかかっている。敵エースストライカにボールが入った後も、中澤とサンドイッチにするのは彼か中田英の役目だ。中田は攻撃への責務もあり、守備にばかり没頭しているわけにもいかない現状を踏まえれば(そして一発でかわされてしまう守備のギャンブル性も踏まえれば)、福西のボール奪取能力にかかる重みは相当なものだ。

以前にも書いたが、福西は"ボランチ"としては限界があると思う。必要最低限なテクニックやパスセンスが無い。しかし"守備的MF"として捉えれば、テクニックやパスセンスも一定の水準にあると思う。無論、フィジカルや守備も十分に世界で戦えるものを備えていると思う。守備センスには、もうひと伸び欲しいところだが・・・・。

本来なら、ここにはやはり今野が欲しかった。
豊富な運動量に、身を投げ出してもボールを止めようとする体を張った守備、球際の攻防の基礎となる守備センス。そして意外に高いパスセンス。大舞台にも物怖じしないメンタル。どんな劣悪な環境にも弱音を吐かないファイティングスピリット。フィジカルも申し分なく、我らが日本代表の足りないものを埋める存在だったと思う。


松井とともに、間に合わなかったアテネ経由に心を馳せても仕方ないか。
今日は、いや今大会やはり、そんな彼らを押し退けて代表レギュラの座にドシっと構えた、我らが誇る"守備的MF"の出来に注目したい。

願わくば大会後、中村や中田英ら"アーティスト"の活躍にわめくマスコミを尻目に、専門誌で称えられる福西の姿を見たい。

posted by 総さん−ソウサン− at 15:54| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

ジーコはなぜ非公開にしないのか。

手の内さらして最終準備 世界でも異色なジーコ流

う〜ん。
ほんとこの人の考えることはよくわからんが、そんなことより責任を果たしていないと思うんですよね。攻撃的な意志や、選手を根っから信頼する勇気やその人間性はこの人の長所であり、きっと人間としては魅力的な人なのだと思います(前任者は子供っぽすぎるかな・・・)。サッカー選手としては超一流の人だったしね。けれど、どうにも視野が狭くなるときがあると思う(選手時代はあんなに広い視野を持っていたのに)。

代表監督といえど、お金を貰って働いている以上クラブチームの監督と同じプロ。であるからには、代表監督と言うのはその全ての行動が「日本が勝利できること」に繋がっていないとダメだと思うのですね。まあ、当然っちゃあ当然。その「勝利」へのプロセスはもう人それぞれでしょう。守るなり攻めるなり。

だから、練習を公開にしようが非公開にしようがそんなもんは監督のやりたいようにやればいいし、他人がどうのこうの口を挟む類の問題ではない。ただ、現時問題として、サッカーというものが緻密な戦略ゲームという側面がある以上、敵にそれを知られない方が圧倒的に有利だし、手の内を常に敵に晒すというのはマイナス効果があるのは否めない。敵に知られないなら、それに越したことはない。

そんな状況で「サッカーに秘密にできることはない」と言っても、秘密に出来ているチームがいくつもある中で「非公開にしない」と豪語するだけでは、それはただのジーコのポリシーに過ぎない。そんなどうでも良いポリシーを職場である日本代表に持ち込んでよいわけがない。

要するに、ジーコにせよインタビュアーにせよ「公開にすると、どのように勝利に繋がるのか」「試合の結果を睨んだ上で、非公開にすると何が問題なのか」を答えないと意味が無いし、そこまで突っ込まないとただのジーコの自己紹介になってしまう。

公開という姿勢をとることで「逃げも隠れもしない」という堂々としたメンタルを持つことができ、結果として試合で良いパフォーマンスが発揮できるということなのか。非公開にすると周囲とのコンセンサスが取れなくなり、選手に良くない影響を与えると言う事なのか。

プロセスは結果を見据えた話でないと意味が無い。
もっと突っ込んだ話をして欲しいですね。
posted by 総さん−ソウサン− at 17:25| 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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