こんなことを聞かれました。
人の子ですから。そりゃ後悔することもありますがな。でも、たぶん人よりは少ない方だとは思いますね。
「あーしておけば良かった!なんでそうなっちゃうんだ!とか、そうやって何かに当たってしまったり責任を環境に求めたりは?」
これは、ないです。
他人や環境を責めても仕方ないし。
前にも書きましたが、僕の「失敗」対する哲学は「その時点で失敗を回避する能力があったかどうか」と「突き付けられた現実を受け入れること」です。
仕事の失敗や段取りの失敗、生活やお金に関する失敗。よく聞くのは「なんであそこであんなことしちまったんだ!なんで確認できんかったんだ!」という話。この手の後悔は、僕はあまり質の良いものではないと思います。理由は二点。
・自分の実力を受け入れられてないから
・仮定の話に陥っているから
ミスや失敗なんてものは、多かれ少なかれ物理的には小さなポイントだったりするんですよ。同じ人間で先輩が失敗しないで新人が失敗するのって、一つ二つのタイミングでチェックするべきところをしてなかったりすることが多い。だから、新人はミスを犯すのですね。
では、新人に回避する術はあったのか。これはないわけです。それは彼が新人だから。それが彼の実力だからです。
大事なのは「そこで確認を取れるタイミングがあったかどうか」ではなく「そこで確認を取る意識を自分は持てていたかどうか」なのです。たいていはNOですね。確認するタイミング、場所を知らないから、確認できない。それも含めてその人の実力なわけです。「ガスの元栓をしめたかどうか確認すること」は、ガスの元栓の開閉はどんなバカにも子供でもできます。でも「出かける前に確認する」のは大人にしかわからない。
人は後悔や失敗で成長します。
それにおいて大事なのは「現実を受け入れること」と「常に全力を尽くすこと」。常に全力を尽くさなければ、失敗が失敗として、もっと言えば自分の能力の限界としてカウントされない。限界を把握できない奴は、成長しない。「次はちゃんとやろう」としか思わないから。間違いなく次だってちゃんとできないですから。
「あと、右ストレートの一伸び、右腕を延ばし切るだけで相手に勝てた」なんてのは、それが実力なのです。物理的にはほんの少しの差であっても、そのほんの少しこそが越えられない壁であったり、限界になる。「次はあの一発を当てれば勝てる」なんて言ってるボクサーはきっと次も負けるでしょう。あるべきは「あの一伸びが出なかった。まだまだ練習が足りない。あそこでもう一度右ストレートが出せるように、鍛え直さなくては」のはず。
それに必要なのは「あの時俺は全力で戦った」という自負と「それでも届かなかった」という現実を受け入れること。「あの時ああしていれば良かった」というのは、そのどちらかができていないということです。
何事にも全力でぶつかる勇気も、現実を受け入れる力もない奴に、成功はない。
「総さんはいいなあ、好きに生きていて、夢もあって、その上ステップアップしていけて」なんて言われることがある。
リングの外で見ているだけの奴にはわからんよなぁ。
僕の人生や転職はScrap&Buildなんだってことを。