2007年07月24日

全力を尽くした者にだけ成功は訪れる。

「総さんて、後悔とかしないの?」

こんなことを聞かれました。
人の子ですから。そりゃ後悔することもありますがな。でも、たぶん人よりは少ない方だとは思いますね。

「あーしておけば良かった!なんでそうなっちゃうんだ!とか、そうやって何かに当たってしまったり責任を環境に求めたりは?」

これは、ないです。
他人や環境を責めても仕方ないし。
前にも書きましたが、僕の「失敗」対する哲学は「その時点で失敗を回避する能力があったかどうか」と「突き付けられた現実を受け入れること」です。

仕事の失敗や段取りの失敗、生活やお金に関する失敗。よく聞くのは「なんであそこであんなことしちまったんだ!なんで確認できんかったんだ!」という話。この手の後悔は、僕はあまり質の良いものではないと思います。理由は二点。

・自分の実力を受け入れられてないから
・仮定の話に陥っているから

ミスや失敗なんてものは、多かれ少なかれ物理的には小さなポイントだったりするんですよ。同じ人間で先輩が失敗しないで新人が失敗するのって、一つ二つのタイミングでチェックするべきところをしてなかったりすることが多い。だから、新人はミスを犯すのですね。
では、新人に回避する術はあったのか。これはないわけです。それは彼が新人だから。それが彼の実力だからです。


大事なのは「そこで確認を取れるタイミングがあったかどうか」ではなく「そこで確認を取る意識を自分は持てていたかどうか」なのです。たいていはNOですね。確認するタイミング、場所を知らないから、確認できない。それも含めてその人の実力なわけです。「ガスの元栓をしめたかどうか確認すること」は、ガスの元栓の開閉はどんなバカにも子供でもできます。でも「出かける前に確認する」のは大人にしかわからない。


人は後悔や失敗で成長します。
それにおいて大事なのは「現実を受け入れること」と「常に全力を尽くすこと」。常に全力を尽くさなければ、失敗が失敗として、もっと言えば自分の能力の限界としてカウントされない。限界を把握できない奴は、成長しない。「次はちゃんとやろう」としか思わないから。間違いなく次だってちゃんとできないですから。


「あと、右ストレートの一伸び、右腕を延ばし切るだけで相手に勝てた」なんてのは、それが実力なのです。物理的にはほんの少しの差であっても、そのほんの少しこそが越えられない壁であったり、限界になる。「次はあの一発を当てれば勝てる」なんて言ってるボクサーはきっと次も負けるでしょう。あるべきは「あの一伸びが出なかった。まだまだ練習が足りない。あそこでもう一度右ストレートが出せるように、鍛え直さなくては」のはず。

それに必要なのは「あの時俺は全力で戦った」という自負と「それでも届かなかった」という現実を受け入れること。「あの時ああしていれば良かった」というのは、そのどちらかができていないということです。


何事にも全力でぶつかる勇気も、現実を受け入れる力もない奴に、成功はない。


「総さんはいいなあ、好きに生きていて、夢もあって、その上ステップアップしていけて」なんて言われることがある。
リングの外で見ているだけの奴にはわからんよなぁ。


僕の人生や転職はScrap&Buildなんだってことを。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:21| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月20日

楽しみを見出だすために逃げ道をつくる。

企画書を任されています。
コンペ参加用の。
本当は別の先輩がやるはずだったんですが、その方が別のタスクで埋まってしまって。で、そうするとお鉢が僕に回ってきます。間違いなく、本部長の指示ですね。何かにつけて「じゃあ、総ちゃんにやらせればいいんじゃない?」と言い出す。ぽこぽこ仕事を流して成長を促す一番手。僕はそういうポジション。

これが、大変。
意外に、ウチは育成は丸投げ主義なのです(笑) 右も左もわかんないのに「あそこにいけ」というタスクを渡されて、蓋をあけてみたら全然見当違いなところにいるので、ボッコボコにする。そら、やめる人ばかりでしょう(笑)

企画書の作成経験はありますが、何度もここで言って来たように、我社は特異なキビシイ会社なので、今までのロジックなんか意味をなさない。設計やユーザビリティーがどうのこうのならまだ書けるのですが、ココはそれじゃ通じない。ビジネスとしていかに成果を出すかということが主眼になるので、Webを使ったビジネスコンサルの企画書になるわけです。

これ、プロジェクトを初めから終わりまでまわせる、まわした経験のある人じゃなきゃ書けないでしょ(笑)ゴールを予測して道のりを描くのだから。そういうことを平気で新人にぶちこむ会社なのです。そのうえクオリティを求められる。自分が納得いくものでない限りは、ボロクソに言われます(笑)納得のいくものなんて、上がってくるわけないのにね。

憂鬱ですよほんと。
なんと役員五名全員のチェックが入ります。
企画書を作るのが憂鬱なんじゃなくて、役員が納得するものを考えなきゃいけないのに、まったくわからないのが憂鬱。そらまあ、誰でも憂鬱になりますよ(笑)

また、このクライアントが難しいのです。BtoBなのかBtoCなのかよくわからないし、ステークホルダーは異常なほど多種だし。ユーザーはいったい誰になんねん(笑) これだけシナリオを描きづらい会社もない。そのうえ職人肌でやってきた会社なので、企業戦略もビジネスターゲットもはっきりしない。というか、ない。

憂鬱ですが、しかしこれじゃいかんのです。
モノ作り、とくに初めの企画や戦略立案なんてのは、技術よりも頭の回転よりもまず大事なのは気持ちなのです。「この会社を俺の手でなんとかしてやろう」という気概なのです。それがない人は絶対にいいものは作れない。

そのためには、やはりまず自分が楽しめないとできない。良い意味で楽しんでやるからモチベーションを維持できるし、自分を追い込むことができる。嫌々やっていたのではできないのですよね。

楽しんでやること。
大事なことなんです。
でも、我社においてそれこそが一番難しいということもまた事実。上記、丸投げ袋だたき育成スタイルですから(笑)

そんな折り、僕のブラザーである先輩が笑いながらこんな話をしてくれました。

「総ちゃん、この会社に来る人は皆強いやる気を持って入ってくるけど、もう四方から叩かれてプレッシャーかけられて、『なんかもうなんでもいいや』って思うときが誰でもある。そんな時は無理しないで、そのままの方がいいよ。無理に気持ちを立て直そうとしたら、必ずすぐにまた折られて完全に切れちゃうから」

潰れちゃうんでしょうね。
僕にも必ずそういう時が来るのでしょう。
大事なのは己を重心としたバランス感覚。

楽しむように意識を向けつつ、苦しいときは嵐が過ぎ去るまで身を委ねることも必要なんですね。

いざとなれば辞めればいい。他で働く自信はあるし。これが、僕はメンタルコントロールには不可欠だと思います。本当に本当に本当に大一番の勝負を迎える時。そういう時は「退路を絶つ」ということは大事です。ここ一番の力が必要ですから。

しかし、決勝戦ではない日常を戦うためにはそれは得策ではないと思います。言うなれば、常にナイフを突き付けて走るわけですから。半ば、自分の意思ではなくなる。長く安定した戦いをするときは、いかに平常心を保つか。そのためには逃げ道という選択肢を常に抱えておく必要がある。
今の会社に入って、ありえないプレッシャーや、クズのような評価をくだされて滅入ってる時、その度に僕は自分にこう言い聞かせます。


「僕はいつでも逃げられる。だから今は逃げないんだ」
posted by 総さん−ソウサン− at 22:57| ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

少しずつ意識が向いてきた。

ここのところ、以前に比べると本部長に怒られる回数が減り、褒められることもでてきました。
「気が利く」ということに少しずつ意識が向いてきたなぁと思いますね。

元来、僕はもともと相手の動向を観察するのは好きな方だし、相手の好みに合わせて知識を広げることにも興味が向かう方。でも、これは実は大きな限定があって「好きな人」に限ります。だから、友達とか仲の良い人に限る。興味のない人は果てしなくどうでもいいという人です(笑)そういう所が仕事に出て、本部長の逆鱗に触れていたんだろうなと思います。


相手の状況を察し、相手に合わせた行動をする


言葉にすると簡単で、実際その辺のオッサンでも同じフレーズをよく発していると思います。でも、これは考えているよりはるかに難しく、やり切ることは絶対にないですね。しかも、やればやるほど効果は小さくなる。些細なことですから。でも、そこができるかどうか、その差が「気が利く」かどうかの差であり、たとえ小さくとも詰めるのが難しい部分なんだろうなぁと思います。大まかな事は誰でもできますからね。


会議中、先輩の視線が自然に入る所に腕時計を置く。

サイトの話になったら、議事録を手書きに移行し、即座にノートPCで該当のサイトにアクセスする

手持ちの資料で話を始めたら、持参したファイルから同じ資料を探して出す

先輩に次の外出先がある場合、次の行き先に近い最寄り駅を捜す。

最寄り駅の時刻表を出力して持参する。

到着時間から逆算した電車経路を持参する。

サラダとマグカップのスープが出て来たのですが、先輩が席をたった隙を見てマグカップを左手側から右手側に移動する、とか。

「会議中なんだけど、ノートPCを会議室に持ってきて欲しい」と言われたら、届けるまでにPCを立ち上げておく、とか。

タクシー移動なら、雨が降ったら15分前にタクシーを呼ぶとか。


ほんとに些細なことです。
気がつけば誰でもできる。
でも「気がつく」のが難しい。

相手は、次何をしようとしているのか。これをいかに深く的確に考えられるか。簡単そうだけど、そのためには相手の置かれた状況、立場、心境、ともすれば癖まで気を回さなきゃならない。そう考えると難しいでしょ?


でも、相手に与える効果自体はさほど大きなものでもない。鈍感な人だったら気付かないかもしれない。でもそこに神経を張り巡らせられるかどうかが、分かれ道。


世の中の「良いモノ」はそれができているから、愛される。それを作れる人は、そういう考え方が出来る。それが出来る人は、なぜできるのか。自分も似たような経験をしてるから、わかる。わかるから、できる。できる人は、たくさんのことを経験しているから、わかる。


「気が利く人」になるのは、難しい。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:17| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月05日

妹の結婚式。

反応というか反響が大きいので、感想を記事にします。

良いか悪いかで言ったら良い式でした。まあ、オーソドックスな結婚式でしたけどね。妹はボロボロ泣いてました。母さんは最後の新婦挨拶の時、多少眼が赤かったかなぐらい。他のタイミングは全く持って涙なし。にこやかにしてました。親父も同様。さすがに、バージンロードを妹と歩いてる親父はなかなか感慨深いものでしたけどね。

さてさて、ワテクシですが、思ったとおりビミョーでした。立ち位置がわからん(笑)なんで同級生がいるんだか。主役の同級生は叔父や叔母に「これからヨロシクお願いします」て、変な絵ですよ〜(笑)

でも、やっぱり感動は0。
涙なんて、出ましたよ。
あくびでね。
なんかね、やっぱり興味がないというか実感がないというか。そう、実感がない。そんな感じ。
「で?明日からどうなるの?」っていう感覚が消えないんですよ。「明日から苗字が代わるんですよ。奥様になるんですよ」っていうことなんですが(笑)


なんでその実感がないのか考えてみたのですが、「実感がない」っていう感覚自体が、もうおかしいんだなぁと気付きました。適切じゃない捉え方というか。苗字が変わるとか、奥様になるとかね、そもそもどうでもいいんですよ。興味がない。妹は妹だし、付き合い方が代わるわけでもない。友達なら、結婚によって生活も変わりますが、妹は生活の接点すら貧弱ですからね。毎日連絡取るわけでもないし、遊びに行くわけでもないし。仮に、メシでも食いたきゃあ呼び出せばいいんだし。

カレーがハヤシライスになったら、実感ありますよ。あーこれはカレーじゃないよなーって。でも「今日はおイモが、男爵からメークインに変わってます」て言われても、ああそう、ぐらいにしか思わないわけですよ。


つまり、そもそも苗字や奥様というステータスを見ていないってことなんです。苗字なんて、産まれた時から同じですから(笑)どうでもいい。

「だからなんなのよ。イモはイモとしてちゃんと入ってて、普通にカレーやんこれは」
っていう感覚なわけです。
「明日から何が変わるの?」って、妹に関していえば何も変わらないのです。だから、特に何も感じない。

あとね、感動しない理由がもう一つ。どんなに演出されても、どんなに感動的な手紙を読まれてもダメなんです。今までの全ての実生活の裏側を知ってるから。他人の結婚式に行くと、僕は感動屋なので手紙や小さい頃の写真を見て勝手に頭の中でドラマが展開されるのです。ああ、こんなにカワイイ時から育てて、大変やったろうなぁ、今日嬉しいけど切ないんだろうなあ、ありがとうて、嬉しいだろうなぁ、いろんなことあったんやろうなあ・・・って。

でも、実親や実妹は無理。「そんなこと言って、昨日寝ながらテレビ見て大笑いしてたしなぁこのオバハン」「一昨日、家でグダグダ親に文句たれてたしなぁこのガキャー」とか思うと、なんかもう演劇にしか見えないんですよ(笑)「何を言ってるんだコイツ(笑)」とか(笑)

でも、一つだけ。
劇的に変わることがありますね。
妹じゃなくて、義弟ができること。彼とことあるごとに会うことになるわけですよ。そりゃ、違和感ありまくり。

そして、それを実感したのが最後の花束贈呈。
両親に満面の笑みで迎えられる彼を見て、少し嫉妬した。あれ、おかしいな、そこは僕一人の席なのに。もう一人席ができちゃうんだって。なんとなく、自分の価値観を垣間見た感じです。きっと、僕はむすめが出来ても彼氏に嫉妬したり、イジメたりはしないです。間違いなく。バカバカしい。でも、結婚する時、新郎の父を「おとうさん」と呼ばれるのが1番へこむんだろうな。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:06| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

今日は妹の結婚式。

なわけです。
6月30日。

良い式になるといいなあ、めでたいなあとは思う。
けどやっぱり、あまり興味がない(笑)
もうね、ほんと話す人話す人、「妹がお嫁にいっちゃうんだね!」
とか、「お兄ちゃん大変だ!」「強がっちゃって〜!」
なんて言われるんですが、もうそれが一番めんどくせえ(笑)

いや、ほんとになんかやる気がないというか興味がないというか・・・。
だって、僕3日前までどこでやるのかすら知らなかったぐらいですから(笑)
最寄の駅は知ってましたが、具体的にどこの結婚式場で、何時からやるのかすら知らなかった・・・・。

なので、たぶん泣かないです。
3月の友人の結婚式では泣いたのに(笑)
別に、こともあろうに妹夫婦は超近所に住むし、そもそも既に家にいないし、僕毎日帰り遅いし・・・で。まあ〜、よかったねぇ〜ぐらいなもんだろうな・・・。

まあ、適当にお兄ちゃんやってきます。




・・・・・・・。




違うのね。
これが一番憂鬱なのね。
「お兄ちゃん」や「長男の顔」で参加するのに、「新郎の同級生」という顔も合わせてしなきゃいけない。なんだよそれめんどくせえよ(笑)新郎の友人は本来全く関係のない人のはずなのに、中学の同級生がいっぱいいるわけですよ。「家の顔」を外の人に見られる。なんか、家でパジャマ姿の自分をマジマジと見られる感じです。

間違いなく、今日の結婚式で一番複雑な心境なのは僕に違いない(笑)
ササっと参加してきます。

おにぃty・・・・いやどうきYuせ・・・・ぅあぶぶぶ。
posted by 総さん−ソウサン− at 10:33| ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

金は力という事実に立ち向かう覚悟。

最近、仕事の内容が変化しています。
というのも、即戦力候補の僕は普通の新人アシスタントとして使うわけにはいかず、そろそろメインディレクターとして一つの案件に入らなきゃならないのですが、なかなか受注が決まらないのですね。次が決まったら確実に僕が担当になるのでドキドキです。

で、今は何をやっているかというと先輩や上司にくっついて新規案件の営業にまわってます。といっても、ウチの会社は一般的にいう営業はしないので、会社回りをしてご挨拶・・・なんてことをやっているわけではないです。まずクライアントからウチに問い合わせがあり、そこで先方の与件や予算感の確認、合わせてウチのやり方をプレゼンして理解してもらう場なのです。つまり、営業というよりはその次の契約内容検討に近いですね。


ここ二週間ほど、これでもかというほどその新規案件打ち合わせの場に同席させられます。たぶん、受注したら僕が担当するので、あらかじめクライアントの状況を把握しておけということなんでしょう。

今日も新たなクライアント企業の担当と会いました。先輩が打ち合わせ後にそう漏らしたように、手応えはなかったです。渋い顔をしてましたから。何がクライアントを悩ませるかって、値段。ウチのWebに関する考え方やプロジェクトの進め方、その手腕に疑問を抱く方はほとんどいません。成果を約束しますし、実績もある。その辺では確実に他を圧倒している。でも、その分値段も半端なく高い。

「こんな金額、普通の会社には出せないよなぁ」
先輩はそう言いました。
出せないですよ。年間の利益ですら、そこまで達成できていないような、そんな金額ですから。ましてや手にとって触ることの出来ないWebにポンと大金を出して、社内でリニューアルに向けて大量の人材を割けるなんていう企業の方が珍しい。


あちらもビジネスとして来ていますから、値段を聞いて「うわー!高いなあ!」なんて、オバハンみたいなことは言えない。笑顔を崩さず、苦笑いをしながら申し訳なさそうに「そうですよねえ〜、それぐらいかかりますよね〜、ははっ」なんて辛そうな返事をする。そんな時、僕はやっぱり、自分の追い求めるものとは違うなぁと思います。
彼等が辛いのは、この結果を社に戻って報告しなければならない。愕然とするような金額に諦めの境地でしょうね。そしてもっと辛いのは、妥協以外に他に打開策がなくなること。Webサイトが機能せず、社内に問題を抱えなんとかそれを打破したい、解決して欲しいと我社の門を叩くクライアントは、前述の通りウチのやり方に非常に共感し、「ここなら何とかしてくれるかもしれない」と、自らのビジネス、企業としての展望を熱く語り出す。そしてビジネスとしての発展、Webでの成功に夢を抱くのです。しかし、その夢はお金という現実にあっさり打ち砕かれる。その時のクライアント担当者の表情は、ビジネスマンとしての体裁を崩せず、平静を装う中にも苦しそうな、せつないものです。

そしてウチを諦めた所で、ウチの様にWebをビジネスのツールとして捉え、あくまでビジネスコンサルが行えるWeb屋は皆無に等しい。小さな制作会社なら存在するかもしれませんが、そこには実績も、なにより体力もない。大手ではもちろん聞いたことないし、他に無いからウチがバイネームで仕事ができるのです。ウチを諦めたクライアント企業はその後どうするんだろう。たぶん、妥協しかないと思うのです。


恋人や親を喜ばせたくて、有名なレストランを訪ねて見たら、とてもじゃないけど出せるような金額じゃなかった。なんてところでしょうか。


僕は、やっぱりそういう人にも、むしろもっともっと小さな会社にもWebを提供したいなぁと思うのです。でもね、だからといって今まで自分がやってきたような、数多ある制作会社がやっているような動く絵や誰が見ても使いやすいなんていう通り一辺倒な、役に立たないサイトは作りたくないのです。肉屋なら肉が売れる、喫茶店ならお客さんが増える、そんなサイトであって欲しい。

大きな大きな矛盾がそこには存在する。我社は、何もクライアントから金をむしり取るためにWeb屋をやっているわけではない。良いサイト、機能するサイトを作ろうと思ったらそれだけ金がかかるということなんです。実際、金額に見合う労力を費やしていますから。

機能するサイトを作るたむには、しっかりとした戦略を立てなきゃならない。しっかりとした戦略を立てるには、問題点を確実に把握しなければならない。問題点を的確に捉えるためには、綿密な調査をしなければならない。そら、時間も労力もかかる。


成果を約束する。
クライアントと対等以上に渡り合う。
そして、名前で仕事が来る。
凄いことですこれは。

でも、お金のない人にそれを提供するのはもっと難しい。
そんな矛盾にいま、ぶつかってます。
どうしたらいいのかわからん。

たぶん、現実はどこかでクオリティを落とすしかないんですけどね。
そうすると、どこで金額とクオリティの折り合いをつけるのか。

難しい問題です。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:35| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

役所はなぜ平日しか動かない。

ズサンな管理は今に始まったことではないですが、根本はズサンなんじゃなくて、目的意識が低いんですよね。

少なくとも僕が「市民と役人」として接して来た人は全てそうだったな。今いる会社からすると、南極と北極ぐらい意識が違う。今の会社は、もうこれでもかというほど「それは何のためにやるの?」を突き詰める会社ですから。

ずーっと不思議で仕方ないんですよね。
なんで、市役所や警察署は土日祝日に稼動してないんだろう。意味がわからん。別にね、公的機関の全てが休日対応をしろということではないです。事務仕事等、休日稼動が意味をなさないものもありますから。でも、市民の窓口になる部署まで休むのは、はっきり言って意味がわからなすぎる。だって、彼らの仕事は僕ら市民と応対することでしょ?

マクドナルドの本社やマネジメント、企画部署は土日なんてやる意味ない。でも、店舗まで土日休んだら笑えないでしょ。彼らは、なぜ土日も営業するかというと、メインターゲットである消費者が、土日に店に来るから。バカでもわかる理屈ですな。


「市役所や警察署は営利団体ではないから」

とか、これまた浅はかな反論をする人がいるんだけど、営利団体じゃなかったとしても、サークルではないわけで(笑)どこからかお金が出て運営している以上、健全な経営を目指すのは義務。遊びじゃないんだから。

「会員の方からお金をもらって運営しています」
「そのお金を最大限に活かして運営するにはどうするべきでしょうか?」
「会員の方が1番集まりやすい日に動くのが最も無駄がないと思います」


休日対応したら余計に費用が嵩む?
バカだなぁ。
平日の人員を減らせばいいんだよ(笑)

「お客様が1番多い日に従業員を厚くする」

その辺のデリバリーピザ屋の店長でもわかることだ(笑)でね、だいたいこういうこと言うと、頭の悪い役人さんは「他の曜日を休みにしたら、そこから反発が来る」とかアホな平等論を言うんだろうかと思うわけですよ。いやいや、それなら現状は対象ユーザのほとんどを無視しているんだってば(笑)
まあ、そもそも毎日やればいいだけなんですけどね。別に全員が毎日出る必要もないし。


あなた方のお客様は誰ですか?
何のために役所は動いてるんですか?
最も無駄のない運営を目指すべきではないのですか?

「免許の更新です」
「平日の17時までに来て下さい」


お前が決めるなよ(笑) 考え方がそもそも甘いと思うんですよね。一人の人間の時間を奪うことがどれだけ大それたことか。単に自分の用で本人が仕事を一日休むだけ、なんて考えてるんだろうケドそれがまず甘い。原価管理とか考えたことないんだろうな。その人が仕事をするべき平日を1日休ませるということは、その人の給料一日分を使っているということ。仮に時給2000円の人なら、2000×8=16000円の費用が発生するということ。本来、その人が出勤していれば16000円入るのに、仮に欠勤になると16000円を払っているのと同じ状態なわけです。これは、別に役所じゃなくても休みをとって遊びに行けば一般企業相手でも同じことなのですが、決定的に違うことがある。役所にはすでに税金として市民は大金を毎月納めているわけです。すでに役所のためにお金を払っているのに、その上強制的に16000円を払えというんですよ?どれだけ大それたことを役所が言っているかわかりますよね。

しかも、事実は実はもっと大きい。
僕らは、会社の一員として仕事をしてお金を貰うわけですが、僕が実際に稼ぎ出しているのは僕らのお給料だけではない。当然ですね。給料分だけじゃ、会社はまわらないですから。空調や衛生、リース代と会社の維持にはさまざまな費用がかかる。僕らはその分も稼ぎ出さなければならないので、実質的に稼いでるお金はもっともっと多いのですね。一般的にはその人の給料の3〜4倍といわれています。僕の原価を僕は把握しているのですが、時給にすると10000円近いです。と、いうことは、僕が仕事を休むことによって出る損害は80000円近いわけです。でね、しかもその上会社は会社で税金を納めているわけですから、80000円がまるまる損益になる。役所の怠慢のおかげで、それだけのお金を(しかもそれでたった一人分)浪費している。

有休を使えば損しないかもしれませんが、有休もその人の財産ですから。会社から「働かなくても賃金を払うよ」と言われている日なのだから、つまり「お金の代わりに働かなくてもいい日を与えます」ということ。出勤しなくても給料が出るのだから、つまり賃金自体は発生しているのですね。


こうやって考えると、ほんとにありえない話だ。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:07| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

二年後の僕は誰。

二年後の僕へ。


こんな手紙を出したら、それを1番楽しんで読むのは、僕自身かもしれない。

二十歳を迎えた頃から、本当に二年後や一年後ね自分が想像できない。想像していたとしても、全く違うものになっている。
正確に言うと高校卒業から。
まさか、自分が専門学校へ行って、コンテストで受賞するなんて、夢にもどころか身の回りの他人の話でも信じてない(笑)

まさか、専門学校時代に自分が卒業後に宮崎県に行き、仕事をしながら一人暮しをするなんて、全く想像もつかなかった。

宮崎にいる時に、二年もたたずにまさか自分がその会社以外の会社に転職し、本当にWeb業界の門を叩くことになるとは、宮崎の誰も信じなかったでしょう(笑)

Web業界の門を叩いたあの日、まさか二年後に業界No.1といわれる今の会社の一員になれるなんて、僕だけじゃなくて修業をさせていただいた新宿の大手制作会社の先輩方も思わなかったでしょう・・・。

もちろん色んな出会いや、起きる事象全てを想像できる人はいないわけで、誰だって先のことはわからないわけですが、僕の場合、メインライフそのものが全く見当がつかない。

今も二年後どころか一年後もわからない。
これは、良いことなのか悪いことなのか。

先が読める人生なんてつまらないので、良いことと捉えていますけどね。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:02| ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月15日

目的と裏付け。

やっと今週も一週間が終わりました。
幾分、今週は暇だったかな(笑)

今までやってきたことが、ほんとに通用しないなぁと毎日思うわけですが「他を知っている」ということは決して悪いことばかりではなく、良いこともあります。そもそも、Web屋なのだからWebの知識があって困ることはないですしね。業界未経験の方が社内での風当たりが弱いのは間違いないですが、彼等は彼等で「知識が何もない」という不安を抱えていますから、大変ですよね(ただ、先輩や上司もそれを理解した上での対応をするので、絶対経験者より楽ですがw)

他がどんなことをやっているのか知っているということは、つまり我社がどうしてNo.1をうたえる強みがあるかを理解できる、ということです。こういう思考は、ココへこなければ出来なかったと思いますね。

僕もそうでしたし、他のWeb業界の方のblogや、実際に働いている方の話を聞いてると、技術や外面の話に行きがちです。技術も外面もツールですから。デザイン学も、情報デザインも、ログ解析も全て方法論。戦略ではなく戦術なのです。戦術を学ぶことは大事ですが、戦術が目的になってはいけない。
Flash?CMS?Ajax?SEO?
確かに素晴らしい技術だけれども、使えば良いというわけでもないし、弊害もある。

「それを使うとどうなるんですか?」

これに答えられなければ意味がない。大概の制作会社は答えるわけです。
「検索エンジン上位表示ができます!」
「更新が自分でできます!」
「動くサイトができて御社のブランディングに繋がります!」
なんて。
大手制作会社のWebディレクターが言えば、たいていの企業Web担当者は「なるほど!」となりますね。確かに「どうなりますか?」という問いに答えてはいますから、間違いではない。けれども、それじゃ根本的な解決にはならないのですね。なぜなら、本来の質問の意図はこうなるはずですから。

「で、ビジネスの何に役立つの?」

Flashでカッコよくしようが、SEO対策を施そうが、それが目的になってしまっては意味がないのです。Flashでカッコ良いデザインになっても、ユーザがそれを求めてなければなんの意味もない。SEO対策をしても、肝心のWebサイトがユーザのニーズを満たしていなければ意味がないし、自分の問題を解決してくれないサイトに訪れたユーザは二度とそのサイトには来ないでしょう。結局、Webサイトといえどプロダクト商品と変わらないわけです。

・ターゲットユーザは?
・ユーザが持つニーズは?
・ニーズ喚起の必要性は?

これらがはっきりしてなければならない。だいたい、どこも企画書には書いてあるんですよ。でも、肝心の根拠がない。ユーザが誰で、そして何を求めているのか。どういうキーワードでユーザは検索しているのか。そのユーザに対して、何をしてあげなければいけないのか。

「我社には○○という名の通った商品があるので、それを売り出したい」
とか
「名前を売りたい。ユーザにハイセンスな印象を与えるデザインをして欲しい」


なんてクライアントはいいがち。そして、制作会社は「では、検索エンジンにひっかかるようにその商品名をたくさん出しましょう。またトップからも迷わないように誘導しましょう」なんて言うわけですが、大事なことが欠落しているわけですね。


そもそも、そのキーワードでユーザは検索してるの?


笑えない現実です。
固有名刺として有名でも、ユーザはそれで検索なんかしない。商品名で検索して来たユーザは、もうすでにその商品へのニーズをはっきりと抱えたFanですから、むしろあまり対応はいらないですしね。
会社名も同じですね。
会社名なんて、ユーザにはどうでもいいんですよ。良いサービスさえあれば。世に数多存在する「ブランド」といわれる名前は、あれは名前が良いのではなく「質の高いサービス」を提供し続けているから、名前が力を持つわけです。

なぜ、それが必要なのか。
なんのために、それを利用するのか。

これこそが最も大事なセンテンス。
単純な話なんですけどね。
サッカーなんかで言えば、ゾーンプレスやサイドアタック、フラット3にあたるものです。「最新の戦術なんで、これは良いですよ。使いましょう!」なんて言っても誰も納得しないですね。

「勝利のために」
「勝つためには相手の弱点であるココを狙う」
「サイドアタックを使おう」

が正しい論理ですから。
「全てのデザインには機能がある」
デザインという外面には、その意図する機能=根拠があるという話。
でも、物づくりはこれでは足りない。
こうでないと。


「あの人が使うから、そのためにはこの機能が必要。だからこのデザインになる」
posted by 総さん−ソウサン− at 20:56| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

見えて来た夢の青写真。

最近、毎日が憂鬱です。
入社してから褒められた記憶がない。
というか、毎日物凄い勢いで怒られます・・・。
智恵熱やプレッシャーからくるストレスで入院する人がいる会社ですからね。ただ、先輩も皆大変そうで尊敬するのですが、周りを見渡すとわかることは、やはり僕は特別難しいポジションにいるなぁということ。

鬼本部長にほぼベタ付きで仕事をしているのですが、初っ端からそれはかなり珍しいらしい。で、僕の凹む原因のほとんどはこの方からのプレッシャです。ともかく、厳しい。本当に細かい所まで気が回らないと認めては貰えない。あのカリスマ社長の次に厳しいと言われるのも頷けるってもんです。ま、言葉が著しく攻撃的だということもありますが・・・。何度人格否定や全否定をされたことか・・・orz。けれども、不思議なもので周りには「総ちゃんは黙々と卒なく仕事をこなしているよね」と見えるらしい。そんなに余裕があるように見えるのかしら(笑)

そんな最中ですから、将来のことをよく考えるわけです。正直、ココでこのまま続けていけるのかは全く自信が持ててないですし。

仮に、今の会社で4年も5年も続けて、僕は幸せになれるのか。そう考えると難しいなと感じます。たぶん、3年も続けられれば、この会社は生き残るだけでもかなりの年収と地位を得られると思います。社長いわく「いるだけで70点はとれる会社」。その通りだと思います。ビジネスの何たるかを知り、Webブランディングの第一人者であるこの会社には揺るがないコアコンピタンスがある。それをまず体に叩き込ませるだけで・・・という話。けれど、それは僕にとって幸せなのか。

答えは否なのです。
いや、僕にだって野心はあるし、有名になりたい、名前を売りたいと思う心はあるし、それは人一倍強かったと思います。でも、それって結局その仕事が好きなのではなく、誰かに認められたいということなんですよね。もちろん、その感情がない人は大成しませんが、それだけじゃダメです。有名に成りたいだけで、サッカー選手になる人、なれる人は皆無に等しいでしょう。やっぱり、サッカー、好きじゃないとね。

この道で有名になれるならなりたいです。そして有名になるなら、今の会社にいることが最短距離なのは間違いないと思います。でも、有名に成りたいほどこの道が好きかというと、たぶんそこまででもない。別に紙でも映像でも空間でも、まあ、はたまた物書きだって教員だって興味はありますから。

Webサイトというのは建築物に似ていて、今の会社は成果が出なければ受注は受けないし、金額もバカ高い。当然、相手は超一流企業だらけ。言うなれば超高層ビルや、テーマパーク、はたまた土地開発等の巨大建築物を造っているようなものです。そのため、工程を細かく区切り、都度クライアントとの合意を取り、無数のドキュメントを管理し、サイト構造は緻密の極みです。それが出来る人や組織は素晴らしいと思うし、実際僕にその能力が必要ないということはないです。得られるなら是非得たい能力。が、自分がやりたいことは、果たしてビジネスの根城となる巨大建築物なのか?ココに来て、そうではないということに気付いたのです。

原点に帰って、自分のやりたいことってなんなのか。答えは、以前に書いたぼんやり浮かんだ現実味のない「夢」という名の想像の中にありました。

「一線を退いたら、商店街をチャリンコで駆けずり回るWeb屋になりたい」

「有名になりたい」「凄い人になりたい」というある意味でミーハ−な感情を削ぎ落とした、ありのままの僕のやりたいこと。それは、僕が作りたいのは、豪華な建物、六本木ヒルズや東京ミッドタウンではなく、ドリームハウスなのです。お金がない人もいる。土地がない人もいる。場所を譲れない人もいる。それでも、良い家が欲しい。今の会社は「当たり前の事を当たり前に」という会社です。だから、ビジネスが出来るのですね。しかしそれは「Webサイトには大金がかかる」「Webサイトは手間がかかる」ということを否定しないということ。だから、金のない企業、人員をWebに割けない企業は受注しない。


でも、世の中にはそれができない企業の方が多いです。社員1000人以上の中小企業でもそうなのだから、数多ある小さな会社、商店はまず無理でしょう。僕は、そんな人達にもWebサイトを持てるような仕事がしたい。それも、ちゃんと機能するサイト。

いまいる会社は、医療業界で言うと最先端の大学病院。でも、僕はその技術に興味はあれど、そこに夢はないんです。町内を原付きで走り回るような、そう、Dr.コトーのようなWeb屋になりたい。

地位や名声なんて手に入るわけもないし、収入も減るでしょう。でも、それでもいい。結局、自分が熱意を持ってやれなければ何にもできない。メールも使ったことのないようなオッサン相手に、商売の道具となるようなサイトを提供したい。

そうすると、僕はどこを拠点に置くのか。
やっぱり、思い付くのは生まれ育った街なんですね。

この湘南という「Web田舎」で、Webサイトを持てないような個人経営の会社や商店、施設のWebサイトを作りたい。そして、そこを利用する湘南の人々にもいくらかの幸せを提供できたら、そうやって故郷に貢献できたら、こんな素敵なことはないなと思うのです。そういう夢なら、あれだけ嫌がっていた「社長」という肩書きもいいかな、なんて現金なことを思ったり。小さな事務所を構えるのも、悪くないですよね。

いつまで、今の会社にいるかわかりません。
吸収できるものは吸収したいと思うし、若いうちしか冒険できないとも思う。
まだまだ未熟だと思うし、今の会社で長居してしまったら、もう収入減に絶えられなくなってしまうかもしれない。

とりあえず、1年間は何も考えずに頑張ってみようと思っています。
ま、潰れなければだけど(笑)
一年経って、その景色から選択しようと思っています。

でも、僕の今の夢はいずれ湘南に戻ること。
生まれ育った街で「原チャリディレクター」になること。

皆さん、よろしく。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:23| ☔| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月29日

凹んでないで明日を見よ、僕。

最近、怒られるために会社に言ってる感じです。毎日よく怒られること・・・。僕だけじゃないんですけどね。でも、僕は社内でも部のトップにかなり近いポジションで仕事をしているので多い方です。


昨日はデータ作成で怒られ、今日はクライアントとのミーティングで怒られ。一口に怒られると言っても、単に注意されるだけではないです。もうズッタズタのボッロボロにされます(笑)


「はあ?バカじゃないの?」
「常識なさすぎなんだよ!」
「社会人何年目よ?今まで一体何やってきたの?」
「処理速度は遅いわ、気は利かないわ、常識はないわ、使えなさ過ぎ」
「他のアシスタント連れてった方がまだ使えるよ」
「ふざけんなよ。それはおまえがズボラで怠けてるだけだろうがよ!バカじゃないの」


さすがに、今日は帰りのタクシーの中で罵声を浴びせまくられ心が折れそうでした・・・orz
人生でこんなに否定されたこともないなぁ。

今日のミスは、ミーティング準備の段取りで周りが見えていないこと、機密保持の自覚が足りないこと、ですかね。上司が言ってることは正しいのですが、なにぶん今の会社は厳しい会社で、そして矛盾するかのように、Web業界というのは緩い業界なのです。その緩い環境に身をおいていたことで染み付いたマナーの低さが出てしまいました。 とくに、機密保持に関しては僕の前職のように会社全体で専属のクライアントとやり取りしていると緩くなりがちだったりしますね。

しかし、本当にヤバかった。
人に怒られて泣いたりとかはない人間なので、涙こそでませんでしたが、次から次にでる否定の台詞に、もう手は汗でダクダクになるし、うなだれて顔はあげられないし、精神的に追い詰められるし、心が折れる寸前でした。


でもまあ、時間を経るごとに平常心を取り戻していくのだから、不思議なものですね。これだけ言われてすぐに立ち直れる僕は、やっぱりタフな方なんでしょう。あそこまでの否定をされてショックはまだ抜け切れませんが、やっちまったものは仕方ないしね。次同じことをやらないように体に刻みこむしかないですから。

時に、そうやって怒られて腹が立つってことは僕はあんまりないんですよね。それはもう昔から。実力を認めている目上の人からなら、人格否定されると凹みはしてもムカついてグレることはないです。意外がられるのですが(笑) 自分でも意外なんですが、言われたら言われっぱなしでジッと堪える方です。仕方ないなーって。


それでも今日はさすがに堪えた。
帰り際、そんな僕に一人の先輩が声をかけてくれました。
プロジェクトのメインディレクターで、僕の直接の指導者。いわゆるブラザーにあたる人です。

「ソウちゃん、今日本部長に言われたこと、忘れないようにね」
「ほんとはこんなもんじゃないから。もっとずっと怖いから(笑)」

彼なりに僕を気遣ってくれたのだと思います。フラザーにもかなり注意されたんですけどね。さすがに人格否定はないですが(笑)
ブラザーの先輩は、一年前に僕と同じ歳で入社して、その前もWeb制作会社にいました。そう、僕と全く同じ道を歩んでいる人。「業界経験者は使えない」という定説を謡う我社ですから。きっと「こんなもんじゃないよ」というのは彼の受けた事実でもあるんだと思います。社内でも1・2を争う厳しい上司の下ですから。
そんなブラザーは最後に一言僕に言葉をくれました。


「頑張ってね」


何気ないその一言が、すごく暖かかった。
そして、僕を気遣ってくれているというその想いが、涙が出るほど嬉しかった。ブラザーにとっては、なんてことはないただの一言二言だったかもしれません。でも、そんなこと僕には関係ない。


僕に届けられたその手紙は、暖かかったのだから。


僕にとってはそれが真実。
希望を失った人間が諦めるんじゃない。
そこに希望を見出だせなくなった人間が諦める。
どんなに否定されても、また立ち上がればいい。
そこにまだ走る道があるのだから。
先を行くあの人が見守ってくれているのだから。


すっげー辛いけど、
寝っ転がってる場合じゃないよ、僕。
太陽は空を見上げた人間にしか見えない。
明日もまた頑張ろう。
顔を上げてね。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:17| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

赤ちゃんポスト

赤ちゃんポスト。

断固、反対です。
誤解されないように付け加えると、赤ちゃんポストという機能は反対ではないです。しかるべき前提と成果があればいいんじゃないんですか。これ、取り入れているのはドイツでしたっけ?

確かに、環境や状況が足りなさすぎて、どうしても育てられない親というのはいると思います。そんなもん、だったら産まなければ良いという話ですが、世の中正論だけじゃ成り立ちませんから。というより、「世の中が正常に動く」ということの論理を「=正論」とするなら「人間は過ちを犯す」というあるべき価値観が欠如した論理は、その時点でどんなに筋が通っていたとしても、正論ではなく“机上の空論”ですね。

では何が問題か。
必要なはずの前提条件が無いからです。
赤ちゃんポストを作る前にもっとすべき事があるはず、と僕は思います。

赤ちゃんポストというのは、いうなれば「進むべき道からの逃げ」です。本来は親が自分の責任で育てなければならないのだから。でもね、人間はどこかに逃げ道を作っておかないと、選択肢のない道に圧迫され、死んでしまう。たまには、逃避する場所がないとね。

ですが、逃げ道がその本来の使命「進むべき道に戻るための脇道」であるためには、まず絶対に欠かせないものがある。

「絶対に進むべき道に戻る」

という思想、価値観です。
これがないと、逃げ道はいつか本線と同等の幅をを持つ道になってしまいます。

具体的に話しましょう。
まずあるべきは「この子は絶対に、命に代えても私が育てる」という価値観だと思うんです。それがあってはじめて「それでも、どうしてもお互いのために別れて生きなければならない」という道が意味を持つ。

赤ちゃんの話にするから、話が複雑になる。例えば、給食の残飯です。最近は残す子が多いみたいですね。そのような状況で「残飯処理BOX」を設置したらどうなるのでしょうか。たぶん、ちょっと嫌い、ちょっとお腹が減ってない、はたまたダイエットなどとぬかして残飯の山になるんじゃないでしょうか。

僕らがガキンチョの頃はまだそうでしたが、まずあるべきは「出されたものは残さず食べる」という思想でしょう。作ってくれた人に感謝をし、少々嫌いなものでも頑張って食べる。そういう思想がしっかりと教育できていてはじめて「それでもどうしても食べれない人は先生に相談して残しなさい」という逃げ道が意味を成す。


他のエントリでも語りましたが、この国は人間や社会において最も大事なものを見失ってしまったんじゃないかと思います。伝え忘れた、というべきかな。高度経済成長の後に。


良い高校。
良い大学。
検討違いな「個性」。
モラルの欠如。
体罰禁止。
命の扱いを知らないペットブーム。


「心」をどこかで伝えてこなかったんだな。
posted by 総さん−ソウサン− at 20:50| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

料理の神髄と物作り。

料理。できません。
自分の食べるものぐらい適当に調理することはできますけどね。
でも、ちゃんとした名前がある料理はできません。できないっていうと「やればできる」と言われるので、正確には作り方を知らない、ですね。

でもまあ、なんちゅーか発想だけで適当には出来る。自分が食べるだけなら満足なものは出来ますね。

だがしかし、世の中には奇特な人がいるもので、そんな僕のテキトー料理を「おいしい」と言ってくれる人がいて、それがまあ彼女さん。いや、別に自慢でものろけでも無いですよ(笑)いくら褒められても、嬉しいことは嬉しいけど「よし!じゃあ料理ドンドン頑張ろう!」とは思わないですから。根本的に好きなものではないんでしょうね。

作ったのはあんかけ丼。
まあ、だから”あん”だけですよ。片栗粉があれば簡単に出来ます。野菜を煮込んで、味を調整して、ベースの味を決めるだけ。味噌か醤油か塩か。これに僕なりの発想を加えるとカレーとトマト。あとは、入れる野菜やお肉、シーフード。これのバランスで味が変わるぐらい。煮込むと味が出るようなものが影響大ですね。簡単簡単。始めて作った時は一から十まで、全部思い付きです(笑)

料理って、物作りの全てが凝縮されてるなぁと思うんです。技術もいるし、センスもいるし、知識もいる。経験もいる。物を作り出すってことはそういうことであり、1番大事なのは実は「気がきくかどうか」なんですよね。世の中にある使いやすいものって、ユーザーの視点で作られていて「気がきく」じゃないですか?

だから、料理の上手い人って、コミュニケーション能力が高いと思うわけです。コミュニケーション能力というのは「喋れる」ではなくて「相手に伝えられる」という意味で。

相手がどんな味覚を持っていて、好きなもの、嫌いなもの、空腹具合、価値観、食べやすさ、食べにくさ。だから、技術があればいいわけでもないし、センスがあればよいというわけでもない。技術も知識もセンスも、全ては相手に何かを伝えるためのツールでしかなくて、目的は「気をきかせる」ことなんですね。

僕の母は、料理の技術は高いです。それようの学校に通って調理師免許も持ってますから。でも、なんでもウマイかというと、否。美味しいと感じるものは、たいていレシピ通りに作ったもので、まずいと思うのはオリジナルのもの。

もう、感覚が理解できていないという感じ。たとえば、チンジャオロースとか“あんもの”が入っていた小皿に、切ったリンゴを入れてしまう。ものっすご気持ち悪いですよ(笑)リンゴがドロドロですから。料理の組み合わせにしても「それとそれを組合せるか?!」なんてことはザラです。

要するに相手の立場にたった考え方ができないんです。だから、これは料理に限ったことじゃなくて、会話にしてもそう。道を説明するのに誰もが知ってるコンビニではなく、スーパーローカルな有会社を出してしまう。決まって、僕がフォローしますが(笑)

だから、僕は知識もセンスも0でも、うまいものがつくれたりもしちゃうわけです。僕だけがおいしければ良いわけだから、可能なんですね。彼女さんが美味しいと言うのは、味覚が似ているのと、僕が理解している相手だから。

だから、誰でもが美味しいと言えるものが作れる人は、それだけ経験と知識とそして「相手を理解する能力が高い」からできるわけです。凄いなぁ。しかも、料理にかかる時間も大事だし、コストも重要な要素。

ほら、同じ。
物作りも同じなんですよ。
世の中(その場)にいる、
ユーザー(食べる人)は、
何を求め、それを作るには、
いつまでに、
どうやって(技術や方法)、
いくらで、
作らなきゃいけないのか。
これを実現するには、決定的に必要なものがあるのです。それは、


「美味いものとは何なのか」


これを、いくつ知っているか、なんです。世の中にあるうまいものをどれだけ知っているか。それを知っていれば、新しい相手に会ってもすぐに「こんな料理がいい」と出てくる。引き出し、なんていいますけどね。


いま、僕はWebサイトという物作りの現場にいて、ヒーヒー言ってます。引き出しがないからです。足りない足りない足りない。


でもね、Web業界で、本当に「物作り」をしているのって、大手ではたぶんウチだけなんですよ。中小制作会社を含めてもたぶんほとんどないですね。お金かかるから。そら、クリエイターですから。

どこの制作会社も作ってるのはWebサイトです。サイト構造決めて、デザイン決めて、かっこよくブランディングして。でも、それは「物作り」じゃないんですよ。ただ動く絵を書いてるだけ。

「我々はWebサイトを売ることが仕事じゃない。Webを媒介としたソリューション(問題解決)を売ることが仕事なんだ」

「何もないところから、ビジネスのツールとして役立つものを作る」

良いWebサイトって何なのか。
=良いサービスって何なのか。

引き出し、足りなさ過ぎなのも仕方ないんだよね(笑)

でも、引き出し、増やさなきゃ。
そして「気付き」を大切に。
「気のきく」人は「気付き」をたくさん持ってますから。

これは、全ての職業に言えることかもしれません。


「気のきく人」ですか?
posted by 総さん−ソウサン− at 21:32| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

4人で同窓会って。

こうも書かないかというぐらい、書かないですね。
やらなきゃいけないことも、やりたいこともたくさんあるのです。
でも、休日になると何も(他人との)予定がないとグダグダしてしまう。
もともと、ぐうたらが大好きな人なので・・・・。

そういえば、なくなっていた遊び文章がこの前Web上で見つかりました。でも、全然続きを書いていない(笑)脆弱だが、確実にHIT数は維持されているので、失礼といえば失礼なのですが、まあ、道楽なので(笑)

道楽だから、知ったこっちゃない。
でも、認められると結構嬉しい。
なぜなら、道楽=自己満足。
自己満足=自由。
自由=自分の個性。
だから、それが認められると嬉しい。

これ、自己満足だから成り立つんですね。
他人を巻き込んで、他人の時間や場所を使うことになると、こうはいかない。やっぱり、ちゃんと目標を立てて、計画をたて、そして周囲を巻き込んでも満足するように、もっと言えば周囲が自分から動き出せるようにアクションを起こさなければならない。人とともに何かをするって、そういうことですね。

ふと、中学のコミュニティで同窓会の告知がされてます。
でもねえ・・・・。僕が幹事で去年の11月末にやったばかり(笑)
この歳になって、年に一回だって無いのに、半年に一回ってありえない(笑)案の定、現時点で参加者4人。うち幹事2人(笑)ちょーウケるっていう話ですね。いや、むしろ意味がわからない。幹事の一人は誰かと言うと、そう、あの人です。僕の大嫌いな、あの人。ほんとウザい。

この人ですよ。
僕はもう、携帯、メール、mixi全て着信拒否をしているので、全く絡むことも無くなったのですが、未だになんか僕の悪口言ってたりするらしいです(笑)そして、あの同窓会からというもの、被害が拡大している噂もチラホラ聞きます。ほんと、周りが見えてないというか、もっというと大きな大きな子供なんでしょうね。自分の価値観の中に他人と言う存在がいない。平たく言うと、社会性が著しく低い。だから、相手の気持ちがわからない、相手の生活がわからない、相手の価値観がわからない。

きっと、僕がやった同窓会幹事がさぞ楽に見えたんでしょうね(笑)
で、楽しかったからアタシ達もやろう!みたいな。
そりゃあ、仕事なんかに比べたら楽なもんでしたけど、ただ単に参加するだけの人に比べたら数十倍大変でしたよ。そんなの、当り前。のべ70人近い人の出入りがあるイベントです。簡単なワケがない。仕事の方が辛いというのは、そういう「仕切り業」でお金を貰う仕事だからです。普通の事務とか技術職じゃこういう能力は養われないと思いますよ。あとは毎月20人近い仲間の集まりや旅行を仕切っているというのもあるでしょうね。確実にそういうところで養った力があってこその同窓会幹事成立でした。

パッと思いついて、じゃあやろうとなって、適当にmixiで告知。
来る、わけがない(笑)それで来るとしたら、それは幹事がそうとう人望があるか、共に時間を過ごす事がとてつもなく価値のある人ですね。ま、その時点でたぶん同窓会じゃないですけど。

人の心や時間を動かしたければ、その人達の興味や意思をコントロールしなきゃいけない。そのためには、情報を発信しなければならない。いつ、どこで、何時からやるのか。そんな基本的なことも記載がない。そのくせ、謝罪も無くいきなり開催日を1日ずらすという愚考を行っていました(笑)自分が、いや幹事というものが、参加したいと思っている多数の人(参加する人だけではない)の大切な大切な時間を預かっている、ということがわかってないんでしょうね。

誰だって、つまらない場所には参加したくないですよねぇ。
だって、自分の身は一つしかなくて、その時その時間も一つしかない。
未来だろうが過去だろうが「今」という時間はその瞬間にしか訪れない。
自分がやりたい事、やらなきゃいけないことをやることが、全ての「今」の目的であり、大人になればなるほどその目的のために時間の使い方を取捨選択するようになる。要は、時間は貴重ってことです。

同窓会ともなれば、60人クラスですよ。
参加したい、予定を調整したいという意思をもった人も含めれば100人に到達することも稀ではないでしょう。その100人の人達に「同窓会をやるので、この時間のスケジュールについて検討してください」と、訴える事なのです。貴重な貴重な時間を、しかも高いお金まで払わせて、こちらの催しに時間を割いてくれと、検討してくれと要求している訳です。幹事と言うものが、いかに重大な発言をしているかがわかるでしょうか。

思いつきで、他人に貴重な時間に干渉しようとしている自覚が無い幹事なんて、幹事じゃなくてタダのバカですね。

いや、そういう人をトラブルメイカーと呼ぶのか。
posted by 総さん−ソウサン− at 22:44| 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日

チクショウ!!!!。

本日、本部長にこっぴどく叱られました。
僕だけじゃないですけどね。
でも、僕が一番怒られたかも。

今、新人研修中です。
ビジネスマナーとか一般的なものだけではなくて、この会社のやり方やスタンス、実際のフローなど細かに講義が設定されていて、一日1コマ50分×8で、朝から晩までビッチリ入ってます。

おっそろしいのが、その日の8コマ全ての講義が終わったら、その後一時間の間に各講義に対してレポートを提出しなければならない。しかも、上長のチェックを入れての一時間なので、実質もっと早く仕上げなければならない。単純計算でいくと、一コマ5分ぐらいしか時間が無い。この会社の厳しさが少しはわかっていただけるでしょうか。

僕は、間に合いませんでした。
もとい、新人の誰も間に合いませんでした。
しかし、僕は本気で怒られました。
「君が間に合わないでどうするの!!」って。
「君が背中をちゃんと向けてしっかりとやらないと下も見習わない」。
「求めているものが違うんだから、新卒の子と同じレベルでやってどうするの!」

おっしゃるとおり。
いや、僕以外にも中途は何人もいるんですけどね。
悔しくて仕方が無い。

僕は、これを予感していて入念に準備をして望みました。
レポートのフォーマットを事前に作る。
アジェンダ(目次)を予め入力しておいて、そこにメモを取ればレポートになる。あとはメモを纏めるだけ。
でも、間に合いませんでした。
大幅に。

原因はいくつかあります。
まず一つは、他の業務を優先してしまった事。
これが、一番の原因ですね。
クライアント対応をしなければならなくて、レポートというのは社内業務であり、自分の作業。ディレクターの鉄則で「自分の作業は後回し」という言葉があります。まず、周りに影響を与えるタスクから先に行ってから、自分の作業を行う。

もう一つは、タスク(この場合レポート作成)の最終像と、それにかかる時間が正確に測れていなかった事。要は、目算が甘かったと言うことですね。5分で一コマという計算が本当の意味では出来ていなかった。

この二点は、転職したからこその僕の甘えが無意識に出たものもあります。慣れないことだらけで、ある程度「多少時間がオーバーするのは仕方ない」という見方を周りも自分もしていたのですね。それが顕著に出た。


ただ、悔しいのはもっともっと気を使って動いていればちゃんと出来たということ。自慢じゃありませんが、この業界に来てからあらゆる納期を守らなかった事は稀な事です。それぐらい納期にを守ることには自信があった。それが、出来なかったのが悔しい。それこそがディレクターにとって一番大事なことなのに。


しかし、悔しい中にも良い事もありました。
提出したレポートについては、間接的にですが認められました。
「どんなに内容や体裁が素晴らしくても、納期を守れなければ意味がありません」という返事をメールで貰ったのですが、他の新人はみんなダメ出しされる中で、僕は物理的な修正に関しては「誤字脱字修正」のみ。口頭でも「この内容で期限を守れていればカッコいいのに」といわれました。

「オーバースペックなんだよ」といわれました。
つまり、時間内に作るのに見合ったクオリティじゃないと。
けれど、これはどうしても譲りたくない。
これよりクオリティを落として明日出せば、基本的には認められるでしょう。相手が求めているのはそういうことなのだから。けれど、それでは意味が無い。納期を守るということに対して、それ相応のクオリティにするというのは、立派なセルフコントロールなのだから、それはそれで良いのだけど、本来それは出来て当り前。

このクオリティを維持したまま、期限に間に合わせたい。
じゃなきゃ、見返せないジャン。
この会社に来て、初めて悔しいくてイライラしてます。
たぶん「出来たはずのこと」と思っているからです。

50分のアツイ講義を5分でまとめる。
しかも体裁も内容もそれなりのものにする。
かなり難しいことだと思います。
このレポートのフォーマットは自由です。
でも、それが一番難しい。この会社の「自由」は「とりあえずどんな形式でも書いてあればいいから」という自由ではありません。「形式や体裁は各々で決めて良いから、自分で考えて伝えたい事をしっかりと伝えられると思うフォーマットで提出しなさい」ということ。自由というのは「根拠を元に自分のスタイルで相手を説得しろ」ということであり「クオリティは気にしない」ということではないのです。

そうなると、5分では無理ですね。
事前にフォーマットを作って、アジェンダを書き込む。
だけでは足りなかった。
事前に出来る事は全てやっておくぐらいでないと。
講義のタイトル、講師の名前等全て入力してある状態で出力する。
そして、どんな簡単で資料のままでも、必ず持参した用紙にその情報を落とす。データにする時に情報が散らばっているとそれだけで時間がかかるからです。そして、メモを取る時も自分がわかるように、ではなくそのメモの段階でそのままタイピングすればレポートの一文になるようにメモを取る。

結局、結論は一つ。
講義終了後には、メモしたことをそのままタイピングするだけでレポートになるようにまとめておかなければならないということです。

今週一瞬間はずっと研修です。
明日から、今のクオリティを落とさずに期限に間に合わせて見せます。

絶対やってみせる。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:38| ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

東国原知事とマスゴミ。

東国原知事:「定例会見は必要ない」地元記者クラブと論争記事

松沢知事:「説明責任が重要」 東国原・宮崎県知事「定例会見不要」発言に /神奈川記事

アホやなぁ〜と思って見てます。
特にTVでのコメント。なんか「私は中立的な立場から意見してます」みたいな顔して、こぞって著名人がコメントしているのを見ていると、さぶっ!って思います(笑)いやいや、あなたたちTVの人だから。

「地元を宣伝するといいながら地元とのつながりを軽視している」
「県政を伝えるのに、県民の声をすいあげるのに必要な場所」
「まるで子供のケンカ」

言いたい事言ってるだけですよねえ。
なんだろう。もっとまともなことをいえる人はいないんだろうか。
こういう時、ダウンタウン松本とか島田紳助とか、あの辺の人は冷静に見れるからいいんだけどな。

物凄く日本的というか、ナンセンスだと思うのが「つながりがあるから必要」という意見。不思議ですよねえ。それで繋がりがあるからといって、地元記者が物凄い無駄な話をして、知事が茶でも飲みながら相槌打ってるだけで、そしてそれが記事になって「気さくな知事」なんて書かれたら、それでも必要って言えるんでしょうか(笑)

会見といっても、ヒアリングですから。ミーティングや打ち合わせというカテゴリに分類されるものでしょ?「重大な発表がなければ必要ないのではないか」というのは、これはこの発言が問題なのではなくて、この発言をさせている受け側の問題なんですよね。定例記者会見ごとに、有意義な質問がくれば知事だって軽視はしないでしょう。

ビジネスの世界では当り前すぎるほど当り前のことですが「無意味な会議は必要ない」です。会議って、30分やったとしてもこれ物凄い人件費使ってるんですよ。たかだか30分かと思うかもしれませんが、たとえば10人で会議をやったら、その人の稼働時間のうち30分×10人分を使ってるわけです。それが、管理職も何人か含まれたら発生する人件費って相当な額になりますよね。

「何の会議で、そこで何を決めるのか」
これがはっきりしていない会議なんて、ただのお茶のみですよ。
僕の会社の社長さんは、外で有名な場所で公演して高いお金をもらえるぐらいのカリスマ社長です。この社長に打ち合わせに参加して貰うのに「聞きたいことがあるので、お願いします」なんて言ったらもう大変ですよ。フロアじゅうに響き渡る声で怒鳴られるでしょうね。

東国原知事が全面的に正しいとは思いませんが、これに関してはマスゴミの体質が出てるなと思いますね。「聞けるのが当り前」みたいなね。どうみても、今の知事に時間はないでしょう。軽視という表現も物凄い乱暴な表現で、この無駄と思われる時間を他に使いたいというだけの話。別に怠けようとしているわけではないですね。

だいたい、県政についてはもうネットもあるんだしいくらでも伝えられるんですよ(笑)「県民の声を」なんて地元記者は言ってるけど、では貴方はどこかでアンケートでも取ったんですか?というね。根拠がない。ただただ「県民と知事をつなぐ」という一点張り。バカですねぇ(笑)仮に、本当に県民の声を吸い上げた質問なら、きっと知事は答えるでしょう。

あのクソ忙しそうな知事を捕まえて(しかも月に二回ってw)、もしくだらない質問をしていたら、それこそ罪だと思うんですけどね。

神奈川県知事の松沢さんも、これまたテキトーなこと言ってますね。
この人の言ってることは「マスコミは大切なんだから仲良くしないと」って言う事だけ。そんなのね、そのへんのオッサンでもいえるっつうの(笑)「仲が悪いネェ。仲良くしなさい」っていうだけなんだから。そんなの仲が良いに越したことはないです。

この定例記者会見は、そこで何を伝えて、何を問うものなのか。
この焦点をしっかりと定めていないから、こういうレベルの低い話になるんだと思います。

何のために、何を聞いて、それをどう県民に落とすのか。
目的は?方法は?成果は?

並べてみると簡単なもんです。
ヒアリングするんなら、事前にアジェンダでも送ってお互いで確認のうえ会見でも開けばいいのに。

大事なのは、目的と成果。
ビジネスの基本です。
posted by 総さん−ソウサン− at 10:51| ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

入社して、はや二週間。

全く書かずにはや二週間半。
それぐらい忙しいってこってすわ。

入社して二週間半。
毎日カルチャーショックと戸惑いの連続です・・・。

この会社にはこの会社のやり方があって、単純にこの会社のでの力=世間での力とはならないのですが、それでもかなりレベルの高い事を行い、また社員にはレベルの高い事を求めているというのは間違いないです。

これで、転職は三回目。職場が大きく変わり、内容も変わるという意味では四回目。「四回変わる」ということはつまり、職場としては五ヶ所目ですね。

もう慣れたものと言えば慣れたものだし、いつまでもたっても慣れないといえば慣れない。転職とはそんなもんです。これは経験した人にしかわからないかな。

日々、落胆と発見と自信と喪失の連続。ただ、自分に関して言えばこの時期が1番延びているのかなとも思う。


入ってみてわかったこと。

・予想していたのに、それを上回る「キッチリ」会社
・Web業界の人間は変なしがらみがあって吸収が遅い→業界経験者は取らない
・矛盾するようだが、しかし僕はどうやら即戦力候補として期待されているらしい
・この会社のレベルからすれば、いかに自分が「考えて」こなかったか。
・意外にも、自分にも業界のしがらみがあり、柔軟に動けない
・この会社の戦力として、いかに自分の今までの蓄積が足りていないことか


毎日緊張するし、失敗ばかりしている。
ただ、新卒や他の経験を持っている同じ"新人"というカテゴリの中で見ると、僕は年齢的にも経験的にも有利なポジションにいるようだ。先輩方の経験を聞いても、僕のようにWebや印刷の経験を持って26歳という年齢でこの会社に来た人はめったにいないらしい。もう+2年くらいというところでしょうか。

Web業界の人間はこの会社のやり方がかなり特異(筋は通りまくりなぐらい通っているんですけどね)であるため、吸収が悪く、基本的には採らないらしい。そんな中で僕は採用されたわけで、それなりに風当たりが強いわりに、「経験者」という目で見られるため期待されることも多い。ただ、業界経験者にも関わらず採用したのは、それなりに見るものがあったということなんでしょうが・・・。

その証拠か、扱いは確かに違うことが少しずつわかってきたわけで。
早くも本部長直下のお抱えアシスタントのような形になっていて、他の新人達が先輩ディレクターから与えられる「作業」に没頭する中、早速外出に同行もした。自らのタスクもこの時期であれば上から時間を指定して与えられこなしていくべきところ、僕は「君は自分でコントロールしてタスクを分けなさい」と難しい事を任されている(まだ右も左もわからんちゅーのにw)。新規案件のアシスタントかと思いきや、それは形ばかりでメインで動く役目になるらしいということも昨日知った(笑)期待はされているらしい。

がしかし、実際実務をこなしてみると、差を感じる毎日・・・orz
ともかく、求められるレベルが高い。頭の中を常にグルングルン回転して動かないと追いつかない。難しいのが、僕自身は前職の経験など捨てるつもりでこの会社に入ったのだが、その経験を生かしたほうが良い場面と、やっぱり捨てた方が良い場面があり、そのデリケートなバランス調整に日々苦しんでいます。こういう時、新卒は楽だなと思ったり。


日を追うごとに気付くのは、悔しくとも罵倒しようとも自分の持っている経験というのは結局使いようであり、変わらない過去という財産はつまるところ「使い方」こそが最も重要だと感じます。無駄じゃないんですよね。DTP(印刷)の知識も、普通のWeb制作会社での経験も。

僕と日を同じくして入った二つ年上の元編集者の方は、どうやら日々この会社の厳しさや遊びの少ない社風に違和感を覚えている様子。こういう時、自分はまだ柔軟な方なんだろうなと思いますね。あまりこだわりもないですから。計5つの職場を見ているので、それはそれは多種多様な職場、社風があるわけですから、確かに今の会社の社風には驚かされるばかりだけども、拒否反応というのは今もって感じない。

見知らぬ人、見知らぬ組織、わからぬ社風の中に見を置いた時にどう動くべきか。今までのどの転職も「環境から逃げる」ではなく「夢のためのステップアップ」だったと胸を張っていえるので、その数の多さもやはり自分の血となり肉となっているわけです。ちょっと、悔しいけど。大嫌いな会社もあるので。

ほんと、毎日しんどいです。
転職して、これほどしんどいのも初めてです。
それぐらい、厳しい。今日は社長に大声で怒鳴られたし。
きっと、これも新人の中では僕が最初でしょう(笑)
たぶん、明日も怒鳴られると思います・・・。

でもまあ、ほんとに日曜は憂鬱だし、自分の能力を疑う事の連続で、26にもなってこれほど辛い事もないですが、結局ね、どうせガムシャラに失敗して覚えての連続をこなすしかないので(笑)しかし、同時に僕は毎日が評価される対象なので、失敗の規模を必要最小限に留めつつ、というのがきっと僕には求められている以上、そこは本当にデリケートな作業なんですけどね。

凹みながらも毎日頑張っとります。
posted by 総さん−ソウサン− at 22:01| ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

この場所から逃げ出したい。

エイプリルフール、ではないです。
僕の仲間や、僕の事を知っている人は大抵意外がりますが、
僕にもそんな気持ちになるときがあります。
出来るならば持っているもの全てを放り投げて、この場所から逃げ出したい。何もない、無の場所へ行きたい。責任も義務も期待も裏切りもなく、毎日何かに追われる事も無い。そんな世界へ逃げ出したいと思う。

特に、溯ること2年前。
Web業界の門を叩いてからは、常にその感情との背中あわせですね。
ディレクターという職業は、クライアントの広報担当者、その上長であったり管理職であったりする方、社内の営業、アートディレクター、デザイナー、コーダー、SE、校正、ディレクターグループの上長とプロジェクトに関わる全ての人間とコンセンサスを取り、プロジェクトのリーダーを務めるという職業。当然、プロジェクトに対して最大の決定権限を持っているのですが、つまりそれは裏を返せば巨大な責任を負っているということです。

全ての人間とコンセンサスをとるということは、僕の仕事のミスや遅れは全ての職人に影響を及ぼすという事です。その責任を一手に引き受けるのがディレクターだと言えば、そのプレッシャーの大きさをご理解いただけるでしょうか。

最近は慣れてきましたが、この業界に入って半年は毎週月曜日が憂鬱でした。何か漏れている事は無いか、何か忘れていないか、リスクヘッジを怠っていないか、今日は大丈夫だろうか、明日は大丈夫だろうか、クライアントに怒られるんじゃないか、上司に、デザイナーに、他部署の管理者に責められたりしないだろうか。ほんと、一度休んでしまうと心も休んでしまい、憂鬱になるもんです(笑)

明日から、本格的に新しい会社でのお仕事が始まります。
この業界に入ってから、その名は嫌というほど聞いてきたし、他の制作会社とのスタンスの違いに何度驚かされた事か。たった2年で、その集団の一員になれたことは自分でも驚きですし、希望や期待はもちろんありますが、前向きで精神力だけには自信がある僕でも、さすがに憂鬱です。厳しい会社で、精神的なプレッシャーがきついのは間違いないですから。



出来る事なら、この場所から逃げ出してしまいたい。



僕の事を、悩みもなく常に前向きであっけらかんとした性格だと思っている人が多いのですが、僕の根本はスーパーネガティブでなりたってるんです(笑)常に最悪の事態を頭に描きながら、それに怯えながら生きています。それでも、前向きになろうと努力するのは、起こりうる最悪の事態に怯えて身動き取れなくなることが、自分にとって一番恐ろしい事だと考えているからというだけです。だから、勇気を振り絞ってチャレンジする。

我ながら弱いなぁと思いますが、そんな弱い自分、自分の弱い部分を否定することだけは避けるようにしています。どんなに虚勢を張ったところで、やっぱり怖いものは怖いですから。失敗するかもしれない、馴染めないかもしれない。

誰に聞いても「お前なら大丈夫でしょ」と言ってくれます。
実際、僕自身なんとかなると思っています。
そんな周りの期待や、何より自分に対する自分への期待が重くのしかかる。そんな状況にウンザリする弱さも、やっぱりまた自分なのだろうと僕は考えるようにしているのですが。

ただ、少なくとも僕の知っている自分は、皮肉にもプレッシャーのかかった時ほど、能力を発揮するということも事実です。苦しいけどもその集中力のおかげで、良い結果が得られる事が多い。

高校時代ぐらいまででしょうか。
どんなことも諦めず強い心を持って、どんな事も解決できる人ほど素晴らしい人だと思っていました。それこそが、人として魅力のあることなのだと。そして、周りの輝いている人、華やかな集団の人はそういう人なんだと思っていました。しかし、人に触れ、自分を見つめなおした所で、そういう人は本当に強いとは言わないのだと、僕は考えるようになりました。

自分も、そして他人もほとんどの人はスーパーマンではないと気付いた時、取るべき行動は自分の弱さを認めることだと考えるようになりました。大事なのは恐怖心を消す事じゃない。恐怖心を上手に抱える事だと。

今すぐにでも逃げ出したい。
そんな弱い自分を好きにはなれない。
けれど、そんな弱い自分がいるからこそ、その先に成功があるのだと僕は思っています。その恐怖心がない人、自分は失敗するかもしれないという恐怖心が無い人は、成功する事は出来ない。いつだって人を動かすのは脅迫か恐怖。失敗したくないから頑張るのだし。

その恐怖を抱えながら、精一杯やるしかない。
どうせ、僕にはそれしか出来ませんから。
精一杯やれば必ず道が開ける、新しい道が見つかるとは思いません。
世の中そんなに甘くないよね。
でも、新しい道を見つけた人は皆、精一杯力を出し切る努力をしている。

不思議なモノで、この場所から逃げ出して楽になりたいという欲望を振り払い、今の道を走る気持ちをつなぎ止めているのは、周りの期待だったりします。何かに失敗して、大きな損害を出してしまった時、大きな大きな舞台が待っているとき、逃げ出したいという僕の心を握りつぶすのは、最後のところで踏ん張れるのは、周りの期待があるからです。


「こんなところでクタばってられるか」

本来、月に一度の仲間の集いを4月ではなく3月31日に行ったのも、実はそういう僕の弱さから来るものでもあったりします。発端はもっと別にありますが。初の出社前に飲み会をするというのは体力的にハードかなと思ったのですが、それより先に仲間の顔を見ておきたかった。よし、がんばるぞ、と心に誓いたかったから。

期待は重いです。ウンザリする程のプレッシャーになります。
けれど僕は、その期待に押しつぶされる人にはなりたくない。
願わくば、周りの期待を自分の力に変えられるような人でありたい。

だから、僕は逃げません。
だから、僕はどんな時も自分を信じるスタイルを捨てない。
最後まで信じ続ける事が、僕に出来る戦闘体勢だから。

明日から、また頑張ります。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:56| ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

プロとはなんぞや。

お金を貰って働いているんだからねぇ・・・。
と、この一年よく思ったものです。
やっぱりプロってすごいと思うんですよ。
僕は今20人近くの仲間が集うグループを纏めていますが、
これがもう本当に職業がバラバラ。

僕はWebディレクター。
も一人Webデザイナー。
消防士と救急隊。
英語教師に、獣医。
DTPオペレータとデザイナー。
不動産屋さん、SE、プログラマ、3DCGクリエータ、パティシエ・・・。
他にもいますね。

話を聞いてると、すごいですね。
自分の知らない世界の情報がドンドン入ってくる。
皆プロですから。まあ、まだまだ若造なのでその道のベテランからすればヒヨッコどもの集まりなんでしょうが。でも、まがりなりにもその道で生計を立てているプロですから。それなりの責任を社会から与えられているということですよね。すごいな〜と思います。

そういう人を尊敬すると言う事は、そうでない人を軽蔑するということです(笑)まあ、人には仕事に対する環境も違うし、そもそもの才能もあるので、一概には言えないんですけどね。でも、僕が軽蔑するというのは、才能や環境とは無縁なレベルの話ですね。ただの、姿勢です。プロとは姿勢から始まると思いますし。

僕が、転職をする理由の一つはコレでした。
ともかく、ともに働いている同僚を尊敬できない。悪い人ではないんですけどね。でも、同業者として尊敬できない。そもそも、知識やスキルでは僕がNo.1でしたから。これは奢りでもなんでもなく。僕、まだこの業界入って2年のヒヨコなのに(笑)もっともっと、尊敬できる先輩が欲しくて、次の就職先を決めました。希望通り、次の会社は僕など足元にも及ばないほどの強者だらけです(笑)

僕の同僚の方はWebディレクターなのにHTMLを知らない。
タグ一つ理解出来てない。
画像の形式一つわからない。
1年半一緒に働いていましたが、わからないなら勉強すればいいのにと思うのに、そういう姿勢が感じられない。
これで、世間様に「Webディレクター」なんて言うこと自体、僕の価値観からすれば罪ですよ(笑)

時代や環境によってわからない技術があるのは仕方ないです。
僕だってわからないことだらけですから。
でも、クライアントはその僕にお金を払うわけです。
わからない技術はわかるように努力するのがプロの仕事でしょう。

次の会社の社長は、なんと500以上のネット上のIDを持っているそうです。「たぶん、君の年収より多くネットショッピングしていると思う」って。Webのプロとして働いてるんだから、それぐらい当り前だと言ってました。「Webのプロが、Webのこと知らないでお客さんの前に出れないでしょう?」と。おっしゃるとおりです。そういう努力を社長として名を馳せた今でもやっているのだから感服します。

僕の同僚は、そういう意味ではアマチュア以下です。
ディレクターという職業は人間がいて初めて成り立つ職業です。
つまり、報連相のレベルが他の職業より一段高いレベルで求められます。電話も打ち合わせも頻繁だし、メールなんて日に何十通も来ますね。それなのにその同僚の方は、物凄くメールの誤字脱字、文章ミスが多い。これが本当に。ほぼ毎日ですね。

メールなんて誰でもかけますよね?
キーボードさえ打てれば誰でも。
そこに慢心が生まれミスが起きるのですが。
でもね、これはケアレスミスなんです。
誤字脱字や記載ミスなんて、確認をすれば限りなく100%に近い領域で防ぐ事ができます。要は意識の問題なんですね。その同僚の方は自分では「確認している」というのですが、変換ミスや日時のミス、宛名のミス、あて先のミスを多発している時点で、そんなものは確認とは呼ばないのですね。たぶん、ただ読んでいるだけなんでしょう。

ちゃんと考えればわかるはずなんですけどね。
メールだって情報をお客様に渡すものなのですから、一つの「納品」なのです。確認しないで納品なんて愚の骨頂ですよね。「確認」て、「確かめて」「認める」作業。お客様に自分が"認めていない"ものを出すなんて、学生のすることでしょう(笑)

僕だって、ミスします。
というか、僕はケアレスミスが以上に多いです(笑)
もう生まれつきでしょうね。頭に描く未来像ばかりに意識がいって、現在の部分への配慮が足りないのです。僕は。将棋とかしているとよくわかります(笑)学生の頃から、数学は苦手。得意なのに、苦手(笑)くだらないミスさえなければ100点だったのに、結果は60点とかザラでした(笑)だから、僕は「決められた事をキッチリミスなくやる」ということに関しては、極度に自分を信用していません(笑)手放しでやれば僕は必ずミスを犯すアホ人間だと思っています。仕事はそれじゃダメなので「じゃあどういう風に確認すればミスが減るだろう?」と考えてやっているだけです。

僕の同僚の方は、僕が引継ぎをしているというのに、その場で「僕、これ忘れると思う」と平気で言えるのですね。耳を疑いますよ(笑)マニュアルを作って欲しいと平気で言ってのける。いや、マニュアルというのは業務標準化を考えたら必要なモノです。でも引継ぎのためにその時に作るものではないですね。常に必要なモノですから。

プロなんだから、仕事を覚えるのは自分。
一度聞いた事は二度と聞けないぐらいの気持ち出ないと、僕は失格だと思います。教える相手だって仕事で教えてくれているのだから。
一度聞いただけで忘れてしまうなら、メモを取ればいい。
その同僚の方はメモをとっているのですが、じゃあ実際に作業をするという時に、メモをみている姿が一切無い(笑)形だけなのですよね。で、メモをメモのままにするから忘れる。同じ事を何度も聞いてしまう。

メモでわからないなら、わかるようなメモの取り方をして後で纏めればいい。教えている側だって相手が人間だということは百も承知なのだから、メモを取りながらその場で再度確認することは嫌がらないでしょう。「マニュアルが欲しい」なんて、それじゃ先生と生徒じゃん(笑)社会人一年生が言う事ですね。まず、仕事を覚えようと思ったら自分用のマニュアルを自分で作れ。それが基本姿勢だと思います。


この人、実は僕より年上で今年35になるのです。
わからないのですが、この世代ってもしかしてバブル就職世代ですか?
だから、新人の時にそういうことを叩き込まれていないのかなと思いました。

知識もなければ努力も無い。
そんな奴プロでもなんでも無いですね。


posted by 総さん−ソウサン− at 16:19| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月30日

大人はわかってくれない。

子供の時からずっとそう思っていました。
一番身近な大人だった両親にこそ、僕はずっとそう思っていたし、子供の頃からの僕の哲学は「親は何もわかってない」でしたね。

いや、当時から自分の事を一番知っている大人は間違いなく両親だったと思います。でも、「一番知っている」は「何でも知っている」ではないのですね。しかし、僕は子供を持ったことがまだないので推測に過ぎないのですが、言葉も喋れない頃からその人間を見続けて来た「親」という立場になると大人は慢心してしまうのかもしれません。子供の事はなんでもわかっている、という態度になられて憤慨したのを良く覚えています(笑)

で、子供ながらに僕は思ったわけです。
親だって一人の人間なんだから、全てをわかるわけがない。
「皆そうなんだよ」「皆同じ様にやっているんだ」
と、僕に発するその言葉を耳にするたびに
「でも、父さんや母さんが毎日学校に通ってるわけじゃないじゃん」
と心の中で呟いていました。
考えてみれば当然のことですね(笑)
今、小学校で何が流行っていて、どんな会話をしていて、どんな遊びをしているのか。情報を処理するコンピュータの性能では"親"という大人に大きく劣る子供でも、それをカバーして余りあるほどの"日常"という圧倒的な情報量が子供には入ってくる。子供には子供の世界があるってことですね。

子供だから、と相手の情報に耳を傾けるというコミュニケーションの基本的な行動を疎かにしてしまい、その割には「子供の事は良く分かっている」という慢心が、結局のところ実際の情報量と、意識している情報量のギャップを生むのでしょう。

というわけで、僕は金銭的なことはいざ知らず、精神的な面では本当に親を頼ってきませんでした。これはもう本当に。悩みを相談した事なんて無いな(笑)一人の人間としては信頼していたけども、結局どうせ自分の事なんかわからないことだらけなのだから、自分の問題は自分で解決して、もっと言えば悩んだ時に必要な心のよりどころや適切なアドバイスというお助けアイテムwこそ、自分で選んでいかなければならないと考えていました。(だから、僕は親子より友達という仲間の方に意識が向く人間になったんでしょう・・・)

話は反れますが、僕と親の関係が悪いと言う事はないです。祖母も含めお祝い事はやったりプレゼントをあげたりもしますから。そして、親が男女であるという事も当たり前に知っているし、それゆえにいろいろな問題を抱えている、つまり「親」という顔だけで成り立っている訳ではないということを早くから理解していた気がします。なので、今はともかく10代後半〜20代前半までは、同世代の友達と親の話をしてもかみ合わないのですね(笑)親が恋愛をしている、だとか、離婚だとか、仲が悪いとか、僕はたぶん高校生の時からそんなことどうでもいいですっていう人だったので。そういう人のほうが珍しいですね。たぶん、親を生意気にも「対当視」して育ったので、逆に「神格化」しないで済んだのかもしれません。親って子供にとって絶対的な存在であることが多いですから。絶対的→対当的の変化こそ親離れ子離れだと思うんですけどね。

それまくりました(笑)
なので、大人なんて杓子定規なことしか言わなくて、そのくせわかった風な事を言うだけで、結局問題の本質を見抜けないんだ「大人はわかってくれない」が僕の口癖だったのですが、いざ大人になってみるとそれもちょっと違うなと思い出してきました。

「大人はわかってくれない」のではなくて。
「話のわからない大人が多い」ということなんだと(笑)
今も、幼少期も思春期も、僕の心を射止めたのは「話のわかる大人」でした。話のわかる大人=自分の事を容認してくれる大人、ではないです。頭がキレて物事の本質を見逃さず、批判も許容もしてくれる大人の人。高校の先生にもいたし、それは友人にもいたし、専門学校の師匠もそういう人でした。

僕は幼少期から親に反発して生きてきたので、早い話が捻くれ者だったのです。今もそうですが(笑)AB型というのも災いしているでしょうね・・・。特に大人に「これはこうなんだ」と断定されればされるほど、そのアンチを探して訴える。アウトローな奴ですね(笑)彼女さんによく言われますが「総さんは、子供にしたら絶対カワイくない」って。そうだと思いますよ(笑)一度、それで認められなくなったら大人を小ばかにするようなクソガキでしたから(笑)

でも、何人かに一人、いや何十人に一人「むむむっ・・」っていう大人が現れるのです。僕の行動も良く分かっていて、その上で注意もするし、応援もしてくれる。それは僕だけにではなくて、教壇や面接、その方が誰かに意思を発しているところ見るだけでもわかります。「むむむ。この人、他の人と違う。こりゃかなわん」って。

僕は子供が好きだし、将来自分も子供が欲しい。
意外がられるんですけど、これでも子供には結構モテます(笑)
オモロイオッサンだと思うんでしょう。

これから生きて行くうえで、たくさんの子供と触れ合うと思います。
僕は「むむむっ」と思われる大人でありたいなと、思います。
posted by 総さん−ソウサン− at 16:09| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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