僕は一度コイツダメだと思うと、簡単に人を切れてしまう悪魔のような人なのでw、そういう友達はいないですね。もういい加減大人だし皆。
ただ、出会いの場にはたまにいるんだなこれが。
ある日、フットサルの練習試合で口論になりました。
まあ、熱い心を持ってる球蹴り人同士なら、そうめずらしいことではない。
ただ、その時の彼の対応に、僕は憤りを感じて「コイツとは二度とやりたくない」と思った。
サッカー観がまるっきり違うというのも、大いにあってそれも否定できないけど。
彼は、チームが後ろで様子見の横パスをえんえんと回している時に「それでいい」という。
「強いチームは無駄なパスが多いんだよ」と。(ちなみに彼はサッカー経験者ではない)
あれまあ、パスワークやポジショニングにおいては、サッカーの進化版とまで言われるフットサルにおいて、なんて古典的な事を言ってるのだろうと思った。僕はそれは絶対に違うと思う。
彼は「強いチームさんは無駄なパスが多くて、無駄な横パスをどんどん出してピヴォ(フットサルでいう一番前にいる選手)に当てるタイミングを狙って狙ってっていうのが、いいチーム」という。アホかと。彼の論理には絶対的な球蹴りの本質が抜けている。たぶん、まともにという意味ではフットサルしか見ていないから知らないのだろうと思うけど。
ピヴォにボールを当てるというが、そのタイミングをどう作り出すのだろう。後ろ2枚ないし、3枚で横パスをつないでいればそのタイミングを計れるというが、単純に計算して4vs4のフットサルにおいて2枚後ろにいたら前には一人か二人しかいなくなる。足を止めていれば、敵だってバカじゃない。ピヴォにもプレスをかけつつ、ボールホルダーにもプレスに行くだろう。
サッカーにせよフットサルにせよ「トップにボールを当てるための横パス」というのは必要で、そこまでは彼は間違っていないと思う。問題はその後だ。どうやってトップに当てるのか。ポジションチェンジを繰り返し、相手のマークにギャップを作るしかない。そして、フットサルはサッカーに比べ圧倒的にスペースが少ない。その上人数も少ないので、止まっているマークを捕まえやすい。
そう、サッカーとフットサルの両方経験している方ならご存知だろうが、老若男女誰でも楽しめる間口の広さが長所とされるフットサルは、実はサッカーよりも絶えず動くことを求められる球技なのだ。極めると、だが。その進化した形が「エイト」と呼ばれるコート内を横八の字型にポジションチェンジを繰り返す戦術だろう。「強いチームが無駄な横パスが多い」というのは、絶えずポジションチェンジをしながら、ギャップが出来るのを見計らっているということだ。だから、実は無駄なように見えて、一度攻撃シフトに入ったらそんなに多くのパス交換はしない。当たり前だ。サッカーよりはるかに狭いフットサルにおいて、無駄なパス交換をしながら攻撃をしていたら、すぐさま敵は守りを固めてしまう。サッカーよりずっとプレースピードや判断スピードと、正確な技術を必要とする。(そのかわり、サッカーのような全体を見た広い位置でのポジショニングというのはあまりいらない)
彼は「フットサルとサッカーの違いがわかってないんだよなぁ!」と言っていたが、むしろそれは明らかに彼のほうだ(笑)サッカーはフットサルほどのポジションチェンジを繰り返さずとも、攻撃の形が出来ることもある。隙を見るために横パスをつなぐのも許される。しかしそれも「DFラインのみで」と付け加えたほうが現代のサッカーには適切だが。
ただ、「フットサルほどの」ポジションチェンジを"基本"としては求められることはないが、無論、有機的連鎖のある強力なアタックには"応用"としてポジションチェンジは必ず必要なものだ。だからこそ、3−5−2で戦う日本代表はポジションチェンジの意識が弱まり、攻撃が単調になる。
もし、ポジションチェンジやフリーランをせずに相手の綻びを誘い、得点できるチームがあるとすれば、紛れも無くそれはブラジルだろう。つまり、自チームの個人能力が圧倒的に相手を凌駕していなければ成立しない。そこへきて、その当時の我がフットサルチームはどうだったかといえば、個人能力で打破できるほどのタレントはいない。これでは、プレッシャーをかけられてずるずると下がり、相手の思うツボだ。事実その試合はそうなっていたし。
少なくとも、戦術論においてここまでの事なら、僕は絶対に彼は間違っていると思うがw、問題は彼の人間性にある。口論になったとき、彼は怒鳴りだした。
「ちっがうよ!後ろでまわしてまわして!いかにしてピヴォにあてるか、それを繰り返すかのがエイトなんじゃないか!」
彼は怒りに満ち満ちた表情で、ボディランゲージたっぷりに、そして体育館中に響き渡るような声で怒鳴った。それまで意見を戦わせていた仲間は黙り込んでしまった。僕も反論はしなかった。これ以上反論しても、彼があの状態では聞く耳を持たないと思ったから。実際、上に書いたとおり、彼の論理は穴だらけだと僕は思ったし、充分に反論できる材料は持っていたけど。
事態がおさまった後も彼は試合を見ながら自説を「ほらね?」「ね?」「やっぱり〜なんだよね」「フットサルとサッカーを一緒にしたらだめなんだよね〜」と同意を投げかけるように仲間に話していた。
戦術が未熟なのは許す(「未熟」としているのはあくまで僕の価値観だがw)。ただ、怒鳴ってどうする。議論をする上で、相手を敬えなくなったら終わりだ。それは議論じゃなくて、ただの威嚇でしかない。子供のすることだろう。少なくともそういう人は「言葉をしゃべれる人」であっても「人の話を聞ける人」では絶対にない。
相手と対等に話が出来ない奴とわざわざ僕は球蹴りをしたいなんて思わない。
フットサルにせよ、サッカーにせよチームプレーだ。
僕はプロではない。だから勝利に走る義務も無い。
それでも、勝ちたいと思うのは、「アイツにパスをしたい」と認められる仲間がいるからだ。守備に走るのだって疲れるし、ボールを追うのも疲れる。シュートコースに体を入れるのも疲れるし、スペースに走りこむのだって楽じゃない。
それを苦にさせないモチベーションは「このチームの勝利に貢献したい」という思いであり、素敵な仲間にパスを出し、パスをもらい、ゴールを決めたいからだ。
相手の話を聞けないような人間のために汗をかいて走るほど僕はお人よしでもないし、暇でもない。はっきり言って、人生の無駄な時間としか思えない。
世の中で一番使えない奴は、能力の低い奴じゃない。
人の話を聞けない奴だ。