まあ、これは僕の感覚というかセンスの話ですけどね。
もう、身の毛がよだつほど嫌い。というか寒気がしてしまうんですねぇ。
自己顕示欲が強くて、物事の本質が見抜けてなくて、勘違いしてる人。
たとえば、若くしてVIP車を乗り回して、車高を下げて騒音立てて走ってる子とかね。ドンキホーテに良くいて近隣住民の苦情の元になっている人たちね(笑)
何が、そんなに受け付けないかって、人様に迷惑をかけているから、ではなかったりする。少なからず誰しも人様に迷惑をかけることはあるだろうし。まあ、いきすぎだと思うケド(笑)
僕が彼らのような人を受け付けないのは、彼らの「かっこいい」と思うものが僕には理解できず、物凄くかっこ悪いと思うから。
若くしてVIP車を乗り回して、分不相応だーなんていう人がいるけど、それも僕は気にならない。背伸びしたい時もあるでしょ。僕が寒気がするのは、その背伸びの仕方が薄っぺらいこと。それが凄く気になる。そこに、本質、哲学がないから、ですね。
車高を下げて、派手なスポイラーをつけてフルエアロ。
「なぜ、それがかっこいいのか?」ということをちゃんと理解してるのかな?と思うわけです。
車高を下げたりスポイラーをつけたりする、というのはカーレースのプロがやっていること。なぜ、彼らはそれを取り入れるかというと、もちろん空気抵抗や安定性の向上により結果としてタイムが縮まるから。いや、詳しくはしらないけれどもね。コンマ何秒を縮めようと日夜努力している故の結論ということには違いないんじゃないかな。
もう一つの観点から見る。
VIP車というのはなぜ好まれて乗られているのか。
まあ、お金持ちの車だよね。
お金持ちの方は、なんのためにVIP車を買うのか。
彼らにとって、VIP車とは外見ではないでしょう。
広い室内空間。安定した走行。どんな坂でもすいすい登ってしまう馬力に、静かなエンジン音。そしてドライバーを守る強固な装甲。車として、「速さ」ではなく「移動の道具」「居住空間」というクオリティの高さ。お金持ちの方が、VIP車を求めるのはあくまで道具としての有用性の高さに惚れこんで、手に入れている。と、思う(笑)
もちろん、そこにブランド性というのはあると思うし、商品におけるブランド性というのは「信頼」というキーワードを成り立たせる為に重要な役割を持つ、必要なものだと思う。けれど、そのブランド性を成り立たせているのは、車の本質である機能のクォリティの高さがあるからこそだ。
何が言いたいのかというと、『若くしてVIP車を乗り回して、車高を下げて騒音立てて走ってる子』なんていうのは、外見だけを真似したカッコつけにしか見えないということ。
プロのレーサーが車高をさげてカッコいいのは、それは車高を下げているからカッコいいのではなくて、恐ろしいほどの集中力を持って速さに挑んでいるからこそ、その結果として車高をさげているからこそ、カッコいいのでしょう。それを外見だけ真似しても少しもカッコよくない。
と、いうと、僕はまるで走り屋の方達を否定していると思われるかもしれないけれど、それは別。まあ、世の中の走り屋の定義が崩れてきていてまるで「走り屋=暴走族」になっているのが悲しくて仕方ないのだけど、本物の走り屋さんは街中でむやみに乱暴な運転はしないし、騒音を無駄に出したりもしない。そらそうだ。彼らが憧れているのはレーシングであり、速さの追求であって、自己顕示ではないもの。
無駄に運転を荒くしたってなんの意味も無い。本物の走り屋っていうのは僕はそう言う人たちだと思っているけど、僕は彼らはかっこ悪いなんて微塵も思わない。カーレースの世界に憧れ、車を購入し、改造する。その過程で、車高も下げるしスポイラーをつけるだろうけど、それは彼らにとってファッションではない。いや、憧れるレーサーがやっていることだから多少のファッション性はあるだろうけどね。第一目的ではないということね。
同じ事はVIP車についても言える。
VIP車がかっこいいのは、その車としてのクォリティの高さ。
わざわざ乗りにくくしてどうする(笑)
車高を下げて、スポイラーをつけて速くしたいならシルビアでも、シビックでもハチロクでも買えばいいのに。そもそも「速さ」と「居住空間」というのは相反する所にあるものだしね。「速さ」を追求すれば「居住空間を高めるもの」っていうのは邪魔なものになるから。
そう。
彼らがやっているのは、「ある世界のかっこいい人たち」の外見だけを取り集めたものでしかない。しかも別々の世界のね。だから模倣、というか簡単にいうとコスプレなんですね。
例えるなら消防服。
消防士って僕の友達に何人かいるけれども、凄くカッコいい。話を聞いてて涙ぐましい話もあるし、凄いなぁっていう話もある。僕はWebディレクターとしてプロとしてお金を貰っているけれども、それは彼らのような「日々の安全を守る」人たちのおかげでなりたっているんだな、と凄く痛感する。
では、そこで消防服を着ればカッコいいのか?と言えば、言わずもがなそれはNOだね。消防士がカッコいいのは、命をかけて人々を救っているからこそカッコいいのであって、消防服は火に飛び込むための、科学の粋を結集した防護服。だからこそ彼らはそれを着る。消防服を着ているからカッコいいのではないですね。
彼らVIP車を乗り回す若者がやっているのはそれと同じだと思う。
それを消防服を着て、自衛隊の帽子をかぶっているようなもの。
それぞれのカッコいいものの外見を取り集めて、カッコいいなんて「うわーさぶいなー」って僕は思っちゃう。
コスプレを趣味にしている人を否定しているわけではないですよ。
彼らはそれが「模倣だ」と気付いてやっているわけですから。
むしろ「どれだけ完成度の高い模倣ができるかどうか」という所が肝なわけで、ディティールにもこだわる。「模倣する事」がカッコいいわけですね。
僕が今そのセンスを嫌う若者は、明らかに模倣だと、コスプレだと気付いていないと思うのは僕だけだろうか。気付かずに「俺はイケてる」と豪語しているように見えてならないんだよね〜。
だから、もし若くしてVIP車を乗り回していても、VIP車の意味を知りクォリティを上げる事にお金をつぎ込んで、楽しんでいる人がいたとすれば、僕はその人はそれはそれでカッコいいなと思います。「お金を持ってない若者がVIP車を乗るなんておかしい」というわけではないんだよね。
同様に、コスプレマニアの人だって嫌いではないし、もっと言えばアキバ系のオタクだって僕は嫌いじゃない。社会性とか、コミュニケーション能力、精神力等に問題がある人が多いってのは認めるけど、彼らの趣味自体を「うわーかっこ悪いなー」とは全く思わない。各々哲学は違うかも知れないけれど「それ」の「何」が「かっこいい(良い)」のかを自分なりに捉えて、邁進しているのだからね。ある意味で『本物』だと思います。
前に何かのコラムで読んだけども「都会人がシャープでオシャレで、クールでカッコいいのは都会にいるからだ。時間に追われ、色んなものを抱え様々な人と触れ合わなければならないストレス等、都会の持つそれが都会人にそのステータスを求める。ファッションではなくて必然的にそうなるのであって、大空の下、田舎に住む人間がその外見だけを真似しても全くもって意味が無いしファッション性もない。田舎には田舎の生き様があるし、それを持って身を整えればよい」というものがあったけど、これも同じ事ですね。
車なんて、当人の好きに乗ればいい。
誰に批難される覚えもないし、そんなものは当人の自由。
何にも間違っていない。
だから、若くしてVIP車を乗り回すような若者を僕は人として間違っているなんて微塵も思わない。
思わないけれど、人は自由を与えられれば必ずそこに自らの哲学が顕著に表れる。考え方や物事の捉え方がセンスとなって目に見える形であらわれる。だからこそ、それに対する他人の好き嫌いが生まれるわけで、僕はまず間違いなく彼らのセンスはダサいと思う。
カッコいいものの外見だけをみたって本質は見えてこないし、それで騒音を出し目立とうとして周囲の人に訴えるなんて、ほんとダサいなーと思う。もうほんとに寒気がしちゃう。
本当にかっこよかったら、自己を目立たせる必要はないし、いちいちルールを破る必要なんてない。だって、言わなくても気付くもの。本当にカッコいい人って。弱い犬ほど良くほえるっていうけど、目立とうとしてわざわざルールを破ったり、自己顕示欲を見せるなんて、まだまだ偽物だと僕は思う。
僕はそういう人とは絶対に友達になりたいとは思わない。
2005年08月27日
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模倣の勘違いほどダサいものはない。
Excerpt: 模倣の勘違いほどダサいものはない。
Weblog: 話の種(´━`)
Tracked: 2005-08-31 10:10



そういう美意識がどういう風に、あるいはなぜ形成されているかというと、結局の所、ソレを商売にしている(食い物にしているとも言う)大人達が、こう言うのが格好良いよ、とうまいこと雑誌などで提示してそれに染まっていると言うことでしょう。
若いうちは経験が少ないのでそういうのに引っかかってしまうのも仕方ないかな?とも思います(女性のブランド好きなんかも似たようなもんですね)が、友達になりたくないのはまったく同様です。
いい大人になってもやっている人は、まあ、ろくな人生経験積んでなくて中身が成長してないって事でしょう…
>VIPカーは様式美
ごもっともですね。そのとおりだと思います。だから、少なからずその外観や持ってるイメージで憧れるのは、まあありかなあと思いますね。
>いい大人になってもやっている人は、まあ、ろくな人生経験積んでなくて中身が成長してないって事でしょう…
これも同感です。
若いうちならいいんですけどね。
人間そういう時期があってもいいと思います。僕にもあったし。ただ、大人になってそれをやって「かっこいい」とか「イケてる」と思っている人は受け付けないですね。僕は。無駄にわめき散らすような事をする人も。
確かに、一般的に見て意味ない、おかしい、人から間違って刷り込まれた価値観と見えるかもしれないのですが、決定的に誤解している部分があります。
車にゴテゴテつける(ように見える)改造は、すっごい「強そう」に見えるのです。強そうなのっていいと思います。人の価値観は尊重すると言いそうな方なので、きっとある程度は理解してくれるかな?
ちょっと、自分はきちんとしたセンスがあって、ルールをすべてきちんと守っている人のような態度で書かれている文章に反感を覚えたので、ちょっとひねた態度で書き込みました。
人を感情のまま悪し様に非難するとき、ずるい人は「別にそれほどイヤでも怒ってもいないけどさ」と言いながら言葉をつむぎます。そんな感じがして、人間のいちばんずるく、汚い部分を見ちゃった気がして気持ち悪いです。
コメントありがとうございます。
いやーちょうどよかった。実は、追記したかったんですよ。でも、そこまでするものでもないしな〜と思って流してました。
というわけで、お返事且つこの記事の追記。
>車にゴテゴテつける(ように見える)改造は、すっごい「強そう」に見えるのです。強そうなのっていいと思います。
えっと、それって結局そういう車を、それに乗っている自分を「かっこいい」とか「イケてる」と思ってのと同じじゃないですか?まあ、だから誤解もしてないし、わかっているつもりなんですけどね。むしろ、わかっているからこそ、僕は受け付けないのですね。
「強そうに見せる」って僕にはぜんぜん良いとは思えませんね。強いなら強いで、そう思っておけば良いじゃない(笑)って思うから。別にそれを他人にアピールしてどうなるもんでもないし。要するに外見で、しかも意味のないただの足し算をしただけの外見、中身のない主張ってのは、僕はかっこ悪いと思うのですね。
>ちょっと、自分はきちんとしたセンスがあって、ルールをすべてきちんと守っている人のような態度で書かれている文章
別に、そんなことは一言も書いてませんが、僕が書いた文章でそう思ったのなら、それはもう僕の責任ですね。
ルールを全て守っているつもりなんてないです。全く。というかそんな人いないでしょうね・・・。僕が、彼らのセンスを否定する部分の一部に確かに「ルールを破る」は存在します。けれどそれは、もっと正確に言うと「ルールを故意に、自己満足や自己主張のために破る」というのが、嫌なのですね。
だから、ルールを破る全ての人を否定するわけではないです。人は時にルールを破る過ちを犯すものでしょう。それが「故意」であるか「過失」であるかというところが、問題。たとえば、彼らがものっすごい急いでいて、信号無視をしてしまったり、乱暴な運転をしてしまったというなら(まあ、ほめられたことではありませんが・・・)、僕はそこまで嫌悪感は持ちませんね。
だからそうですねえ、万引きと一緒ですね。そのものが欲しくて欲しくて、でも公然と買えるものではなくて・・・となって万引きしてしまったのなら、そこまで嫌悪感を持ちませんが、スリルを味わうために万引きする人は受け付けないということですね。
>ずるい人は「別にそれほどイヤでも怒ってもいないけどさ」と言いながら言葉をつむぎます。
いやいや、別にそれほどイヤだし、怒ってもいますよ(笑)ただ、だから彼らが車を乗るのはおかしいとか、生きるべきではないとか、そういうことは思わないということです。「僕は君らの事、ものっすごいダサいと思うけど、まあ君らは君らで楽しいんだろうし、好きに生きてくれや〜」っていう感じ。
この記事の冒頭でも書いてますが、これは僕の感覚やセンスの話です。世の中これが全てではないし、「世の中において」というスタンスでモノを語っているつもりもないです。僕の好き嫌いの話ですから。
「それ」をすごく好きな人がいる。であれば、ウラには必ず「嫌いな人」がいるのは自然なことだと思います。それを踏まえて言ってるのですね。
あーつまり。
僕はサッカーを好きな人ですが、「サッカー好きな奴って、うるっさいし、プレーは荒くて汚らしいし、サポーターとかゆうて問題起こすし、だっさいし嫌い」っていう人がいてもいいと思いますよ。そりゃあ、多少腹が立ちますが、僕がそれで人間としてダメと言われてるわけではないし、誰かに認めてもらいたくてサッカーを好きなわけじゃないので、どうでもいいといえばどうでもいいですね。「言わせとけ言わせとけ」って。むしろ「あーサッカーの魅力がわからないなんて、不幸な人だな」なんて思ったりね(笑)
お返事&追記はこんなところです。
あ、誤解の無いように付け加えると、僕は別にヤンキーに苛められてた事があるわけでもなければ、そういう友達がいなかったわけでもないです。10代の頃はなんだかんだ結構いました。ヤンキーって、なんかすごく友情に厚いし(おかげで他者に盲目だったりしますが・・)、変なところでルールを守ってかわいかったり、どうでも良いことはたくさん知っているのに、ガソリンを金額で指定できるシステムをしらなかったり(笑)とか、良いところもありますよね。
また、僕だってヤンキーとは違うけど10代の頃はモテたくてモテたくて、かっこつけとか無駄な外見に走っていたこともありますしね。ものっすごいダサかったなって今も思うw
誰しも、若い頃はそういう方向に走りがちだし、それで良いと思う。けれど、それを20代を向かえてもやっていて、「自分が外見だけにとらわれているかっこ悪い奴だった」と気づいていない"大人"が嫌いなんですね。
だから実は、「俺、元暴走族だったんだよね」っていう人は、むしろ好意的に見る傾向にあります。過ちを犯し、それに気づいて改善した人のほうが、人間として魅力があると思います。経験値が違いますよね。
う〜ん、記事一個分みたいな長さになっちゃったな(笑)
海外へ行くのも良いけど日本の夏の過ごし方も良いとおもうけどなぁ。
このブログ、共感するところ多々あり。日本の未来も暗くないね、と思った。