2007年09月18日

僕はただの装置でもいい。

生きていると、それはそれは辛い事の連続ですね。
生きていると、それはそれは楽しい事の連続でもあるのですが。

僕は、生きているだけで幸せです。
辛い事もありますよ。あーもう嫌だな〜っていうこともある。
でも、死ぬよりはマシ。死にたくないもん。生きてる方が幸せな事が圧倒的に多いから。結局、それをいくつ見つけられるかが、「生きる」ということなのかなぁとも思います。最近は。地位も名声もそのうちのひとつにしか過ぎない。

わかってはいるのです。
でも、どうしても理不尽さを感じてしまう。
今の僕の周りには幸せの絶頂だったり、その幸せに向かって順調に走っている人間もいれば、不幸のどん底を感じている人間もいる。僕だって、全人生のなかでいえば、少なくとも27年のうちワースト3に入るぐらい落ち込んでいる時期ではあります。これを「差」ととるか「リズムの違い」ととるかで、その人の人間力が見える気がしますね。

僕の幸せは、僕にはどうにもできない部分もあって、それは仕方ない。やっぱり、運もあるし。自分のメンタルや環境だって、僕は自分の今の性格を嫌いではないけれども、いくつもの環境を作り出した偶然があってこそ。齢80を越える祖母ちゃんが「まあ、そういう意味で言うなら人生の半分は運だね」と言ってました。そういうことなんでしょうね。自分が得た力というものも、確率論という話をベースにするなら、運によるものが大きいですし、そもそも今の両親のもとに生まれたことすら「運」ですから。

どうしようもない波というのは、物理的にも人生の流れとしてもあると思います。人はそれに悩み、時に希望を打ち砕かれるわけですが。そう考えると、僕におきる不幸なことは当然友人にも起きるわけで、そして起きない事もある。現実に今そうなっているわけですし。理不尽とも思えるような"リズム"がありますね。リズムをしっかりとつかめる力があるかどうか、というのも大変大変大事な事ですけどね。

抗うことのできない自分の人生の流れ、そして仲間の人生の流れというものがあるとして、僕はどうやって生きぬくのか。僕が持つべき最大の武器は「自分はどうありたいか」という大波にも負けない自己の進路なのかなと、最近は思うようになりました。決して揺らぐ事の無い自分の追い求めるもの。それを人は信念と呼ぶのかもしれません。

僕の信念。
大切にしたいものはいくつもあります。
しかし、それは時の流れによって、自分の行動とは関係の無いところで失う、失わざるを得ないものでもあるのかな、と最近は思うわけで。そう考えると、自分の揺るぎない信念、つまりそれは「目標とする最小限の自分」となるわけですが、その「自分」を持つことこそ、大事な事なのだと、思います。

僕は、人の心を増幅できる人でありたいです。
希望を失った人には、希望を見出せるだけの心を与えられる人。
希望をもっている人には、その希望に邁進できる心を与えられる人。

僕が何者でもいい。
僕の言葉かもしれないし、態度かもしれない。
何でも良いんです。
僕の行動によって、相手が何かしらを感じ、一歩でも進んでくれれば。

人間の燃料は心だと常日頃訴えている僕ですが、
その燃料を注ぎ込める人になりたい。

「あー辛いな。ウザいけど、でもアイツと話すと元気出るんだよな」
っていう存在でもいいんです。それが機械なら、僕は進んでその機械になりたい。

人間は、結局心です。
やる気がきゃ、いい仕事はできない。
本気で好きにならなきゃ、良い恋人にはなれない。
本当に相手を求めなきゃ、いい友達にはなれない。
本気で、人生を歩こうとしなければ、幸せにはなれない。

僕は、心を増やせる人になりたいです。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:02| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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