この仕事やってるとまず見れないですから・・・。
とくにHOMEなんてたいてい平日でまず見れない。
昨日、残念でしたねぇ・・・。
すんごいショックでした。
なんだかんだ、勝つと思ってましたから。戦績で言えばサウジは相性の良い相手ですからね。95年?のサウジ二連戦から、負けた試合をほとんど見てませんでしたし。
ただまあ、アジア三連覇や四大会優勝など、失ったものは大きいですが、そんなに落ち込むこともないのかなと。一敗はただの一敗ですから。トーナメントでは充分に有り得ること。決めきれないのも今に始まったことではないし、一対一が弱いのも同じ。
方向として間違ったほうに向かっているとは思わないし、アジアカップが最終目標でもない。チームを熟成させつつ、結果も狙いにいったという観点から見れば、ベスト4は合格点だと思います。時の運もあるし。
トルシエ、ジーコ時代に比べたら遥かにレベルの高い安定した試合をしていると思いますね。常に力を発揮するという意味で。
トルシエ時代、選手は自己で考える権利を与えられず、歯車に徹することを強いられた。事実は、その中でも個性を出せということだったんですが、あまりの独裁にそれを出せる選手は限られ、オートマティズムによる連動性こそが強みだった。日本代表は限られた「自由と規律を操れる」指揮者により、抜群のバランスを獲得。史上最強の強さでアジアを征したが、世界に出たとき、あまりに少なかった指揮者のタスクを担える人材をとうとう失い、バランスではなくオートマティズムのみで戦うことになった。それなりの結果を残したが、機械の選手達にはそれ以上はのぞめなかった。
ジーコは、まるで突然に考える権利を与えるかわりに、施策は全く与えなかった。全て自分達で考えろと。道標を失った日本代表は、時折発揮するクリティカルな連動と、「動かないこと」による組織固めというアベレージを武器に戦った。結果、高度な守備組織に動かないことによる牙城をもって攻撃を跳ね返し、カウンターをもってなんとか得点するスタイルで、アジアをなんとか征した。当然、アジアでのみ通用する戦い方は世界では役に立たず、クリティカルを狙った世界では、一つの施策も手に持たない選手達のアドリブだけに頼り、当然のごとく散りさった。
オシムは、全体の哲学と局所の施策、そしてそれらを「ツール」として自己で考えることを求めた。完全な機械組織でもなければ無策のアドリブ要求でもない、個の武器に組織大砲と二つの武器の使い方を与える。選手達は組織連動のベースに個の武器を加えたスタイルを身につけようとしている。
さて、今はどうか。
間違いなく、ジーコジャパンより走り、チャンスを作り、そして間違いなくトルシエジャパンより応用が効いている。考えるようにもなったし、足を動かすようにもなった。たしかにまだ、個の力を上乗せするレベルには至っていない。今はまだ走ることとバランスを維持することに頭が向いて、個の力を発揮する意識を持つに至っていない。が、これは仕方ないでしょう。今それが出来ていたら、それは完成に近いのだから。
この9年間の流れを見ていれば、間違いなく良いほうに向かっている。まだ本番じゃない。これからでしょう。
そう考えれば、完全なオートマティズムもない中で、よく繋げて、よく連動していると思う。あの劣悪な環境で。はっきり言ってサッカーをやる環境じゃない。その中で、よく動いている。あれで動かない、足元ばかりだと言う人は、一度真夏のフルコートでサッカーをやってみるといい(笑) すぐに動けなくなるから。
97年のアジア最終予選オマーン戦。これほどボールは支配出来なかったし、もっともっと足がとまっていた。
2004年のアジアカップ。
劇的な勝利は見ていてとても楽しかったが、やっているサッカーはこの上なくつまらなく、未来のないサッカーだった。アジア相手に完全リトリートでセットプレイとカウンター頼みなんて、世界で戦うつもりがないのと同じ。
ちゃんと、考え出した。
ちゃんと、走り出した。
個の精度、仕掛け、試合運び。
これから付け加えるものでしょう。
日本サッカーは着実に進化していると思いますよ。
少なくとも三年前のチームよりは。