2007年05月21日

赤ちゃんポスト

赤ちゃんポスト。

断固、反対です。
誤解されないように付け加えると、赤ちゃんポストという機能は反対ではないです。しかるべき前提と成果があればいいんじゃないんですか。これ、取り入れているのはドイツでしたっけ?

確かに、環境や状況が足りなさすぎて、どうしても育てられない親というのはいると思います。そんなもん、だったら産まなければ良いという話ですが、世の中正論だけじゃ成り立ちませんから。というより、「世の中が正常に動く」ということの論理を「=正論」とするなら「人間は過ちを犯す」というあるべき価値観が欠如した論理は、その時点でどんなに筋が通っていたとしても、正論ではなく“机上の空論”ですね。

では何が問題か。
必要なはずの前提条件が無いからです。
赤ちゃんポストを作る前にもっとすべき事があるはず、と僕は思います。

赤ちゃんポストというのは、いうなれば「進むべき道からの逃げ」です。本来は親が自分の責任で育てなければならないのだから。でもね、人間はどこかに逃げ道を作っておかないと、選択肢のない道に圧迫され、死んでしまう。たまには、逃避する場所がないとね。

ですが、逃げ道がその本来の使命「進むべき道に戻るための脇道」であるためには、まず絶対に欠かせないものがある。

「絶対に進むべき道に戻る」

という思想、価値観です。
これがないと、逃げ道はいつか本線と同等の幅をを持つ道になってしまいます。

具体的に話しましょう。
まずあるべきは「この子は絶対に、命に代えても私が育てる」という価値観だと思うんです。それがあってはじめて「それでも、どうしてもお互いのために別れて生きなければならない」という道が意味を持つ。

赤ちゃんの話にするから、話が複雑になる。例えば、給食の残飯です。最近は残す子が多いみたいですね。そのような状況で「残飯処理BOX」を設置したらどうなるのでしょうか。たぶん、ちょっと嫌い、ちょっとお腹が減ってない、はたまたダイエットなどとぬかして残飯の山になるんじゃないでしょうか。

僕らがガキンチョの頃はまだそうでしたが、まずあるべきは「出されたものは残さず食べる」という思想でしょう。作ってくれた人に感謝をし、少々嫌いなものでも頑張って食べる。そういう思想がしっかりと教育できていてはじめて「それでもどうしても食べれない人は先生に相談して残しなさい」という逃げ道が意味を成す。


他のエントリでも語りましたが、この国は人間や社会において最も大事なものを見失ってしまったんじゃないかと思います。伝え忘れた、というべきかな。高度経済成長の後に。


良い高校。
良い大学。
検討違いな「個性」。
モラルの欠如。
体罰禁止。
命の扱いを知らないペットブーム。


「心」をどこかで伝えてこなかったんだな。


posted by 総さん−ソウサン− at 20:50| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日、子どもの運動会がありました。
近頃の運動会では運動嫌いな子どもも一番になれるようにチャンスレースなるものが存在し、徒競走はタイム順。
つまり、力があるからといって一番になれるわけではなく、棚ぼた式に一番になれたりするんです。
この日に全てを賭けている子もいるというのに!!
個性を認めよう、平等にしよう、子どものいじめはダメで、親は先生をいじめる。

まず、親をキチンと育てないと・・・・
親の権利を放棄することを認める赤ちゃんポスト。私も反対です。
Posted by 通行人A at 2007年05月23日 11:59
権利ではなく、義務ですね。
お恥ずかしい・・・
Posted by 通行人A at 2007年05月23日 12:02
ちょうど今日身の回りで「心」を失ったらしき若者の将来の夢を聞いたのでココに書かせていただきます。

将来の夢を語ってくれたのは僕の友人でとある大学に通う21才の真面目な男子学生なのですが、彼の夢は日本で有力な政治家・経済力保有者になり中国を改革することだそうです。

その目的は、第一にアジア経済のため。第二に中国国民の人権のため。
現在の中国内政である共産主義は彼曰く、アジア経済発展(彼はココで大東亜共栄圏という言葉を使いましたが・・・)にとって障害物となることで、中国の民主主義化は必要不可欠であり、そのためには外部からの干渉しかないそうです。
また第二に、現在の中国政府は圧制を強いており、その下にいる中国国民の人権は保たれてないとのことです。そこで彼は中国国民を解放したいそうです。

・・・ここまでの話は夢の極め細やかさや言葉選びは置いておいて、「自分の周りにも大きな夢を持った人がいたもんだな〜」と思っていた程度でした。

しかし、その改革方法を尋ねてみると、真剣な顔で「まずは日米軍事同盟を強化し、有事を用いて中国政府を破壊する。全体の幸せのためには多少の犠牲は仕方がない」とのことです。
・・・今日は時間がなく自分の疑問に思ったことや、反論点だけを伝えて話はそのままになってしまったのですが、

ブッシュ政権がイラク戦争のときに口にしていたことをそのまま範唱し、人の命というものを軽んじているように感じる彼の夢には、総サンがおっしゃったように「心の教育」が欠けている人を見たような気がしました。
これは戦争を肯定/否定するかという議論にも繋がると思うのですが、正直同年代の友達で他に彼のように戦争を肯定する人を見たことはないので、すごくショックを受けました。

今後もう少し詳しく彼の話を聞き、さまざまな意見や戦争というものについて議論をしてみたいと思います。

Posted by YAYA at 2007年05月25日 14:15
>通行人Aさん
結局、価値観を広げようとして全ての価値観を常に認めるような行動に出てしまい、結局誰も認めない社会になっているんですよね。

お話の運動会にしても、それなら学業もそういう風に評価しろよという話でね(笑)かけっこでビリになる子は責められないのに、勉強でビリになる子は責められる。不思議な話です。

>YAYAさん
「全体の幸せのために多少の犠牲は仕方ない」という言葉自体は誤りではありませんが、そもそも「多少の犠牲」という犠牲の大小は誰が決めるのかっていう問題がありますね。それは同時に何をもって「全体の幸せ」とするのかということにもなりますが。

結局、そういうことを言う人ってリアリティに欠けるんですよね。リアルにそれがどういうことか描けていない。だから、平気で人が殺されるような事がいえる。一遍、死んでみればいいのに(笑)なんて思っちゃいますね。

なぜ、リアリティが欠けるかというと、それは経験が乏しいからですね。人は経験すればそれに応用というバリエーションをくわえて、相手の立場を理解しますから。なぜ、経験が足りないのか。失敗すること、傷つく事を否定する教育だからです。

何か、見失ってますよねぇ。
Posted by 総さん−ソウサン− at 2007年05月30日 00:04
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック