2007年03月26日

健全なmixiの使い方。

なんてものは、特にありません(笑)
いや、我ながら自分は健全な使い方をしているなと思うというだけです。

mixiに限った事じゃないんですけどね。
ネットのリテラシーが最近著しく落ちている気がします。
ブロードバンドによって飛躍的に拡がったインターネットですが、それにユーザーのレベルがついて来ていないのだろうと思いますね。

あまりネットに詳しくない方は驚くかもしれないけれど、世間的な常識という意味ではなく、あくまでインターネットの常識・ルールというものを把握し遵守する事がネットリテラシーだとすると、mixiやその辺のブログより2chの方が優れているとすら思います。彼らは、ネットで遊んでいるだけで、使い方はよく知っていますから。

平気で個人の名前を出したり、写真を出したり、情報を漏らしたり。mixiはその辺のセキュリティがひどいなと思うこともありますが、それ以上にコミュニケーションツールとしての方向性を理解してない方がたくさんいるように見受けますね。いや、これはmixiに限った事ではないのですが。公衆に対して情報を発信しているという意識が低いから起こっているような気がします。

インターネットは所詮2次元の物であって、それ以上のものにはなり得ません。ここで得られる情報というのは言うなれば模倣や模型に近いモノであって、本物ではない。Webディレクターというインターネットを生業としている僕が言うのもおかしな話ですが、所詮インターネットなんてものはその程度のものなのです。結局、生身の人間が生み出すものには勝てない。

ネットを活用する人は、その辺を理解して使うべきだと思います。それが理解できていないと、とても危険なツールとなる。そして、それを根本的に理解できていないから「mixi中毒」なる依存症が起きるのだと、僕は思っています。
注:「中毒」=「苦しんでいる人」という前提なので、単純にmixiにはまって楽しんでいる人のことをさしているわけではないです。

ネットはリアルとは違う。
当り前だけど、これをどこまでしっかりと理解しているか。
頭ではわかっていても、体がちゃんとそれに反応できているかということが大事だと僕は思います。

マイミクがどんどんと増えていき、そしてコメントを残す。
始めは楽しくてやっていたはずなのに、少しずつ意識が変わっていき、義務感に変化すると、苦痛となるのは時間の問題。「あしあと」という機能がそれを助長させ、ユーザーを苦しめる。そしてあろうことか、自らもその苦痛を知っているにもかかわらず、相手に同じ行動を求めてしまう。

「コメントを残してくれない」

無視された、ととられるのでしょうね。
もちろん、そういう側面も否定は出来ないのですが。
でも、そうしたら毎日mixiを開いて、毎日マイミクと繋がってなきゃいけない。毎日、一挙手一投足に目を向け、注目し続ける。ネットだから、リアルな生活が監視されている訳ではない。でも、ではこれをリアルに置き換えて考えてみる。気持ち悪くないですか?(笑)

ネットとは、所詮人間のつながりをその程度に繋いでくれるものです。単純に情報でお互いが繋がるだけ。生身の体に触れられるわけではもないし、声で会話が出来る訳でもない。それ以上の事を期待するほどの、素晴らしい万能な道具ではない。mixiの「あしあと」と、街でバッタリ会うのとは全然違うシロモノなのです。けど、ユーザーはそれを同一視してしまう。怖い話ですね。

マイミクのお友達は、あなたに会いに来たわけではない。
あなたが発した情報をPCの画面から閲覧しにきただけ。
言うなれば擬似の訪問。本当にあなたのところに足を運んだ訳ではない。本当にあなたのところに足を運ぶなら、髪形を整え、ファッションを選び、財布とケータイを持ってあなたが触れられる距離にまで近寄ってくるでしょう。その時、お互い心と体両面の準備をしているのですね。でもmixiのあしあとはそんな大層なものではない。あなたが出した、言うなればチラシをふらっと見に立ち寄っただけ。そこに人間の温度感はない。

ネットでは人間の温度感は伝わらないのです。
ネットなんて所詮その程度のもの。それなのに、相手に温度感を求め自分の温度感も相手に伝えなければならないと、義務感に苛まれてしまう。そして、人はそのギャップが埋められずに疲弊してしまう。

僕は今、mixiの使い方としてほぼリアルにあったことがある人しかいません。それ以外の人はマイミクにもならないし、あまりあしあともつけない。例外はもちろんいますけどね。あまりに見知らぬマイミクだと、僕でも「ああ、コメント残さなきゃ」と思ってしまう。それって、僕の自発に見えてそうではなく、ただの通過儀礼なのですね。それは、楽しく無いしそして意味が無い。日記を見てもコメントを残さない事なんてザラ。何かを感じたとしても、それが相手に伝えるほどのことでなければ特にはコメントに残さない。でも、それってリアルでもそうでしょう?特に異論もなく、目新しい意見もなければ「うん、うん、そうだね」で終わる事の方が多いはずです。

コメントを残さずにスルーしても問題にならない関係。
たいてい、リアルで繋がっている人です。
頻繁に会っていればいるほど、そこに問題がなくなる。
「ああ、読みにきたんだね」程度で話が終わる。
それは、リアルでの人間の温度感がお互いに感じられているからだと思います。根底にしっかりとしたコミュニケーションの蓄積があり、そのおかげでしっかりとした信頼関係が結ばれる。故に、問題にならない。

いま、仲間を集ってコミュニティを開いていますが、リアルでは月に一度しか会わない仲間たちが、mixi上でコミュニケーションを取りより関係が深まり、そして月に一度の集まりでそれがフィードバックされる。こういう時、mixiというツールは抜群の能力を発揮するなと感心しています。根底にリアルな人間の温度感のあるコミュニケーションがある、その上でなら、これほど強力なツールは無いと思います。

mixiは、インターネットは所詮ただのプログラムの集まり。
0ではないけれど、リアルな人間のコミュニケーションに比べたら瞬間に送受信できる情報量なんてたかが知れてます。それを、ユーザーはもっと理解してインターネットを使うべきだと思います。

僕が今一番恐ろしいのは、子供です。
大人ですら、ネットの力に惑わされる。
リアルな世界で充分にコミュニケーションを取ってきたはずの大人でさえ。
子供は、それを知らない。
人間の温度感の排除されたこの世界のコミュニケーションを「健全なコミュニケーション」だと信じ込んでしまう。とてつもなくキケンな事だと思います。

大人がネットを使えるのは、生身のコミュニケーションを理解しているからです。「本物」を知っているから「擬似」を使いこなせる。子供に「本物」を叩き込む前に「擬似」を与えたらどうなるか。

これから、世界はインターネットと子供の関係を見直すべきだと僕は思っています。
年齢規制をかけても良いのではないかと、本気で思っていたりします。

生身の温度感を知らないガキんちょが、社会に出てくるんですよ。
このままでは本当に、大事な何かを失ってしまう。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:42| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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