2006年12月11日

安易に管理サッカーを否定するな。

日本にサッカーがどんどん普及してきて、人気スポーツになったのは嬉しいことなのですが、特に素人の方が見るメディアの風潮が偏りすぎていて、憤りを感じたりするのです。特に漫画。

依然として僕の評価が低いエリアの騎士ですがw、お決まりコース的なストーリー以外にも違和感を覚える部分があるのですね。まあ、これはエリアの騎士に始まったことではないのですが。完全に「テクニック重視の自由奔放なサッカー」=正義で、「リスクを抑えた組織管理サッカー」=悪なのが、どうも・・・。組織管理サッカーにサッカーの持つべきスペクタクル性が乏しいのは認めるけども、キャラクターが必要以上に性格が悪かったり、監督がヒールキックやドリブルすら一切認めずに、フィジカルのみで選手を見ようとしないというのはいくらなんでも行き過ぎで、間違った思想を日本サッカーの底辺に与えかねないと僕は思うのです。

エリアの騎士の中で、組織管理サッカーを標榜するチームは長身のFWにロングボールを預け、競り勝ったボールを味方が拾い一気に攻撃に繋げて、守備は完全に引いて守り強いフィジカルでびくともしない。そのサッカーについて、漫画の中では「労力が少ないから、それを採用する」という事しか語られていない。これは、いくらなんでも印象が悪すぎる。まるで「サッカーを義務としか捉えていない悪い風潮」というような。そして、自由奔放なテクニカルサッカーを標榜する主人公チームの監督は「目指すのは高校サッカーNo.1じゃない。世界なんだ」と言う。間違いなく、野洲高校の山本監督のコピーでしょうね。まるで、組織管理サッカーは完全な間違いですよ、あれじゃあ。

エリアの騎士だけではなく、他のサッカー漫画や下劣なメディアにありがちですが、なぜ高校サッカーにおいて組織管理サッカーを標榜する監督が多数存在するのか。ここをしっかりと掘り下げて語られていないと、僕は媒体としては認められませんね。

■なぜ、組織を重視するのか
単純に、負けられないからです。わかりきったことですが。
では、なぜ負けられないのか。高校選手権がトーナメント形式だから。
負けたらそこで終わってしまう。今でこそ地域リーグやプリンスリーグ等、ユース世代のリーグ形式の大会も栄えてきましたが、全国的な知名度、そして高校生の思い入れ、Jリーグへの距離感といい選手権が根強い力を持っているのが現状なわけです。そこで勝ち上がっていくためには、一発の博打的な強さより、安定して発揮できる力の方が、危険が少ない。

局面でリスクを買いドリブルやリスキーなパスを仕掛け、相手を圧倒しようとするテクニカルなサッカーというのは、流動的なポジションチェンジや背後に常に巨大なリスクを背負ってのサッカーとなります。相手によっては通じないこともあるし、選手同士の呼吸がほんの少しずれただけで上手くチームが回らなくなることがある。精密な機械ほど、小さな歯車が崩れると機能しなくなるというのと同じ。つまり、この手のサッカーというのは選手個々のコンディションや、呼吸によって様々に姿を替え安定した力を発揮しづらいのですね。

■安定という名の武器
仮に選手個々のトータルが10の力を持ったチームがいたとして、それが有機的連鎖を起こしスペクタクルなゲーム運びを出来たとしてそれが14になるとします。けれど相手によってほんの少しで、そしてミスの連発で力が6に減退してしまうこともある。そうすると、自分達は10の力を持っているというのにともすれば7〜8の敵にすら敗北し、6の相手にすら危険な状態になることもある。それぐらいリスクの高いことなのですね。

そこへきて、反復した組織練習を行い「チームワーク」という崩れにくい力を手に入れたチームは、リスクの高いプレーを選べない代わりに、大崩れしないという武器を手に入れられます。先ほどの数値で言えば、悪くても8、良くても12という幅の中で力が発揮できる。その上、そのリスクを限りなく軽減し守備に徹すれば、14の敵だって封じ込められる可能性もある。取りこぼしがなくなるので、計算ができる。


■なぜ、負けられないのか
上にも書きましたが、トーナメントだからです。
リーグ戦なら、例えば昨年のガンバ大阪の様に攻撃を重視しスペクタクル溢れるサッカーを目指し最大値の高いサッカーで相手に挑むことも理に適っていると思います。最大値の高いサッカーとて、反復して行い勝利を重ねればある程度の安定は得られますし、何より敗北しても次の試合がある。それに向けて調整すればいい。

しかし、選手権はそうはいかない。負けたらそこで終わり。高校サッカーにはプロを目指す選手もいれば、そこまででサッカー人生に終止符を打つ選手もいる。高校サッカーの監督はそれら様々な選手を抱え、勝利を目指す。そして、サッカー教育と同時に人間教育でもある学生サッカーにおいて、大きな舞台に立たせるというのは何物にも代えがたい経験であり、またサッカーの成長においても、できる限り多くの真剣勝負をさせるというのが、選手の実力UPの最短ルートであることに変わりは無い。組織重視の管理サッカーとて、別に監督が好き好んでやっているわけでもなく、「のびのびとサッカーをさせたい」「しかし勝たなければ全てが無駄になる」という矛盾からくるものであって、なんら批難されるものでもないはずなのです。
昨年野洲高校が評価されたのは、その思想のみではなく自らのリスクの高い思想や信念を曲げることなく高校サッカーの頂点に立ったからこその評価なのです。負けてたら誰も認めてはくれない。(まあベスト4までくらいいけば評価は割れるところでしょうが)

■そもそもどこまでが組織でどこからが自由なのか
守備をガッチリ固めて攻撃に出ない、というのは確かに組織重視といえばそれまでですが、DFラインを高く設定し中盤で走り回りボールを奪う。その後、FWにクサビを当てて、中盤へ落とし中央に引きつけられた敵守備陣の隙間を縫ってサイドへ展開する、というのも立派な組織なわけです。

また、今日び「ボールを取ったらすぐ長身FWへロングボール」なんて前時代的なサッカーをするチームなんて、トッププロにも高校サッカーの一流クラスでも見ないですよ。当たり前です。だって、それじゃ勝てないもん(笑)相手が、プレッシャーを掛けてきて、DFラインを高く設定されたら、結局攻撃なんかできない。いくらロングボールを当ててても、肝心のゴールまでの距離が遠いから。まあ、そこを執拗にロングボールを蹴ることでラインを下げさせるという打開策もあるのですが。それをやっているチームというのは、完全に格下のチームでしょう。アジアの弱小国がそうなように。あれは「勝つためのサッカー」じゃないですから。


■必要以上に悪にするのが問題
高校サッカーを見ていればわかりますが、確かにリスクを回避するようなサッカーをする高校もあるし、フィジカルに頼ったサッカーをするところもある。けれど、始めから自分達の可能性を否定するような「ロングパス一本」のチームなんてもう中々お目にかからないですよ。「ロングパス一本」というのは一つの手段であって、結局自分達が主体となってパスを繋がなければ強くはなれないから。あの国見だって、フィジカル全盛だけど、別にドリブルやリスキーなパスがないわけじゃない。大久保も中村北斗も三浦も、古くは永井秀樹も国見なのだから。要は、「組織と個人」「リスクとチャレンジ」のバランス感覚の問題であって、チームはそれぞれに一致団結して自分達のサッカーを展開しようと一生懸命に走り体をぶつける。

全てに、それなりの事情があって、そして高校生は一生懸命にサッカーをやっている。

それを安易に「面白くないから」と言って、悪役にして切り捨てるような漫画やメディアは、サッカーを知らなすぎますね。


posted by 総さん−ソウサン− at 19:07| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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