2004年12月03日

僕にとっての宮崎。-後編-

注:前編を読んでない方は下の前編から読んでね。


結局、僕はその彼らと共に残業もし、休日出勤、夜勤全て仲間として行動した。
人間関係は全くの0からのスタートだったのだけど、神奈川で培った人との接し方、自分なりのポリシー、つまりこのブログに書いているような事が、大筋間違っていないということが確認できた。これはすごく良かったと思う。

彼らに仲間として受け入れられ、日々を過ごすようになりすごく楽しかった。
夜勤は眠いし、残業なんて毎日で1日12時間労働が当たり前。休日出勤も毎週のようにあったし、仕事なんてやってもやっても片付かないのに、給料は法律に引っ掛かるんじゃないかっていうぐらい安い(首都圏なら中卒レベル)。まるで若者をアパルトヘイトのようにコキ使う会社(笑)すごく大変だったけど、今考えると凄く楽しかった。

上司に「遅刻をするな」と怒られる奴はいるし、「帽子を脱げ」と言われる奴はいるし、「うるさい」と注意される奴もいた(笑)明らかに注意のレベルが高校生レベルだ(笑)課長はもう完全に先生で、その部署は教室みたいだった。ガーガーうるさいし、休憩になればダラダラグダグダしているし。サッカーの話をする奴もいたし、TV、女、食べ物、色んな話をした。やっちゃいけないこともコソコソやってみたり。朝方まで飲み歩くなんてしょっちゅうだったし、カラオケでバカ騒ぎもしたし。会社の同僚なんだけど、皆友達だったと思う。

スポーツをしたこともあったし、川に飛び込んだ事もあった(笑)色んな所へ連れて行ってもらったと思う。皆良くしてくれた。男の仲間はたくさんいたし、やっぱり僕も若い男だから潤いは欲しい(笑)そういう意味で嫌な顔一つせず、僕の遊びに付き合ってくれる女の子も何人かいた。彼女なんて出来なかったけど楽しかった。ひとえにソレはその友人であるの女の子達のおかげだと思ってる。

一人で宮崎に来て僕が楽しく1年半過ごせたのは、間違いなく仲間である彼らのおかげだ。もう一度学校に入ったような、転校生のような気分だった。

宮崎県都城市。かなり鹿児島に近い。空気はキレイだし、食べ物はおいしいし、焼酎はおいしいし、時の流れは凄くゆるやか。そうやって僕が宮崎を好意的に見られるのも彼らのおかげだと思ってる。彼らは「ココは本当に何も無い」という。確かに、何もない(笑)けれど、それこそが田舎の長所なのだと思う。あの地には『何も無い』という事がある。そこに0があるということ。何も無いから、大自然が残る。そして、空が広い。横浜や東京の空は狭い。高層ビルがあるおかげでね。宮崎や鹿児島の空は本当に広かった。

物があることが全てじゃない。それは「物が無い状態を失っている」ということ。
時間に追われた記憶もないし、安らかに時間が流れるのは、モノに溢れた都会にはない。
ずっとそこにいる彼らは気づかないと思うけど。

知り合い一人いない状態で宮崎に来た僕は、1年半で帰る事になった。僕の意思次第で延期することも出来たのだが、僕には夢があった。それは宮崎にいてはかなえられない夢。だから、すごく寂しかったけど帰る事にした。


2002年 4月。
僕は孤独だった。
たった一人だった。



2003年 8月。
僕の送別会には忙しい中20人以上の方が集まってくれた。
朝まで騒いだ。
入れ替わり立ち代りでドンドン来たから延べ人数だともっといたのかもしれない。
最後の最後まで付き合ってくれた人もたくさんいた。
その光景を見て、「たった一人で来たのにね・・・」と僕の横で涙してくれた人もいた。
一緒に戦った仲間は、それぞれが僕にプレゼントをくれた
僕は素敵な仲間に囲まれていたと思う。



僕にとって宮崎県都城市は第2の故郷。
凄く楽しくて素敵な時間だったと思う。
その時間を与え、共有してくれた友の事を僕は一生忘れない。


僕が「そっちにちょっと行けるかもしれないよ」というと決まって怒られたりする。
「"行ける"やないやろうが!!"帰ってくる"やろうが!!(怒)」
僕にとって涙が出るほど嬉しい言葉です。

ありがとうみんな。


posted by 総さん−ソウサン− at 18:28| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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