2004年12月02日

僕にとっての宮崎。-前編-

僕は、宮崎県都城市に2002年の3月の終わりから、2003年の8月の半ばまで住んでました。
アパートで一人暮らし。今の会社に内定を貰って、その条件が「宮崎での長期研修をのめるなら」ということでした。
別に宮崎なんて特に思い入れもないし、行きたいと思ったことなんて一度もないけど、「その宮崎行きから逃げて首都圏でのうのうと働く自分」というのを想像した時、虫唾が走るほど物凄いよわっちい男に見えたので、それはイヤだなと思って条件をのんで宮崎に一人で突っ込みました。人を成長させるのは喜びではなく苦悩ですからね。人生で初めての就職を、生まれてこの方訪れたことの無い知り合い一人いない地で、人生で始めての一人暮らしと同時にスタートさせる。苦悩が無いわけがないと思ったわけです(笑)

勝算はありました。精神的にモロい方ではないし、特に親に精神的に依存してきたタイプでもないし、人付き合いは得意な方でしたし。自分ならなんとかなるだろうと思ってました。正直、甘かったっつうかナメてましたね(笑)つらいに決まってるとは思ってましたけどね。


単身乗り込んでみて、かなりびびった。当たり前だけど、旅行に行くのとはワケが違う。そこで生活して働くのだから。メシを食おうにも右も左もわからないし、遊ぼうにもナンもわかんない。また、ド田舎だから大したものもないわけで。
初めの二日間はホテル暮らしでした。ほんと、すんげ暇だった。車を走らせるんだけど、特に面白いものは何もない(笑)もっと遠くへ出れば大自然があるのだけれど、いやいや、首都圏に住んでる人間ならわかると思いますが、いきなり山や川に突っ込む勇気はない(笑)だって、それが道なのか道じゃないのかわかんないんだもの・・・。歩いてならまだいいんだけど、車だとその先にUターンできるスペースがあるのかがすごく不安。首都圏じゃありえないな(笑)その辺に路駐すりゃいいんだけども、何言われるかわからんし、駐禁とられるのも怖いし。あんなとこ、よっぽど変な所に止めなきゃ平気なんだけどそれもまだわかってない(笑)


出社してみて、僕は自分の選んだ選択の過酷さを身を持って知ることになった。
当たり前だけど、誰一人知り合いがいない。転職とかしたら皆そうですけどね。でも、僕は社会人一年生。しかもピッカピカの。僕が配属になった部署は、凄く若い人たちばかりで、平均年齢22ぐらい。若者ですよ若者。すげー若者だらけ。でも、僕はまだ入社して間もないので、まずはオバちゃん達と校正(間違い探しみたいなもんです)のお勉強。ツライですよコレ。目の前で若者グループが楽しそうにつるんでいるのに、僕だけオバちゃんに囲まれてヒッソリと校正。当然、休憩とかも基本的に仲間はずれ。そういう意味で閉鎖的な所ではありましたね。皆若いから、ちょっと学校みたいな雰囲気があって(なんせ10代の子も何人かいたたから)、「今日ちょっとどっかメシでも・・・」なんていうオッサンみたいな誘いはないわけです(笑)仲間に入っちまえば関係ないんだけど。


この頃、ガラにもなく人間関係が怖かった。
別に人身恐怖症になったというわけじゃなく。めったなことが出来ないという意味で。
神奈川にいた頃だって、単身で知らないチームに入っていったり、友達の集まり(僕の関係とは違う見知らぬ集まり)に行くことなんてしょっちゅうだった。そういう経験があったから、自信を持っていたわけで。宮崎に来てすぐの間、その自信がなくなったわけじゃない。人間関係の構築に自信はあったのだけれど、それでも足りないほど難しいと感じた。すごくデリケートな期間だったと思う。

たとえば、僕の住む神奈川でどこかのグループに飛び込んでも、そこに一人でも知り合いが入れば、その友達の僕への接し方が周りに「キャラ」で浸透する。呼び方や、扱い方。それでどんな奴か周りはまず第一印象として測る。
だとえば、そこに知り合いがいなくても、「これから横浜に遊びに行くんだ」というだけでも、色んな情報が周りに植えつけられる。

宮崎に行った僕には、それが何も無かった。真っ白。相手は僕の情報などほぼ何一つ無い。地名や、店、全て僕には無い。どこに住んでいるといっても、それも相手が取る情報にはなり得ない。僕は言うなれば、真っ白なキャンパス。相手は僕のことは何もわからない。もし、僕がココで軽率な行動を取れば、瞬く間に僕の印象はソレで染まる。真っ白なキャンパスにバケツでペンキを流すようなもの。僕には、行く場所、住んでる場所、行く店、そういう少しずつ相手に情報を与えるペンはなかった。

そして、その地で僕は1年〜2年は研修をすることになっていた。そう、知り合い一人いない僕にとって、彼らに嫌われたらもう一巻の終わりだった。自分の与えるイメージというものを考えれば、行動が慎重にもなる。
また、頼るべき同期の連中は皆地元の人間で、4月スタートの僕とは違い、早い人で12月から働いてる人もいた。どんなに遅くとも2月。同期もすでにその『若者部署』で立派に仲間になっていた。社内唯一の『神奈川から来た異物』として僕は孤立していた。

この初めの1週間〜1ヶ月が一番辛かったと思う。校正という作業はこれ以上ないほど地味な作業。紙と紙を並べて、間違いが無いか一字ずつ追う作業。それを朝から晩まで。誰でも通る道なので仕方が無いのだが、コンピュータデザインの学校でキーボードが商売道具になっていた僕にはさすがにキツかった。毎日定時に一人でトボトボ帰り、適当に夕飯を作る。TVは2局しか移らないので大抵の見たい番組も見れなかった。

地元であれば、学生時代の友達と軽く夕飯を食べるだけでもバカ話をしたり、特に悩みとして話さなくても気がまぎれて翌日には前向きになれると思うのだが、まだ宮崎にそういう人は当たり前にいなかった。僕は、社会人1年生の苦悩を紛れることなくをそのまま翌日に持ち込んでいた。友達は凄く大事だと認識していたけれど、自分がそう思う以上に友という存在の大きさを認識させられた。

また、同期の仲間も含め彼らとは休憩の時間も、職場での席も全く違った。学生時代であれば、学校、サークル等コミュニケーションを取るタイミングは多々あると思うのだが、基本的には仕事をする場である職場は、当然のルールとして私語は控えなければならない。時間も会わない上に、話す機会やネタまで制限される。非常にやりにくい環境だった。これが、どこかで転職して来てというモノであればもっと上手く出来たのだろうけど、社会人1年生にはなかなか難しい(笑)

『慣れ慣れしい』と、『気さくな奴』の微妙な境界線を探る毎日。「言葉が通じねえ方が逆に楽か?」なんて思ったり(笑)
その甲斐あってか、僕は次第に仲間として受け入れられるようになった。
僕の3ヶ月ほど後に、僕より3つ上で前職もある人が来たのだが、一人っ子だったらしくかなり世間知らずで礼儀の無い人が来た。その対応に皆が憤りを感じ、最終的にはほぼシカト状態だった。若者はこの辺シビアだ(笑)その光景を見て、自分が慎重に行動して良かったとホッし、自分がもし横柄な態度を取っていたらと思うとゾっっとしたのを今でも覚えている。


後半へ続く。


posted by 総さん−ソウサン− at 21:00| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック