2010年05月10日

エリアの騎士はやっぱり僕には合わない。

ひどい!
ほんっとーにひどい!!
まだ、11巻までしか読めてませんが、連載開始からずっと変わってない。
この作者はサッカーをなめてる。サッカーを読者を釣るためのネタだとしか思ってない。

読んでいてなんでこんなにムカムカするのかわかりました。
恋空と一緒なんですけど、作者、編集者の作為的で、相手をこっちに注目させることしか考えてない、読者のことを本当に考えてない、相手思考がないのがありありと見えてしまってムカムカするんです。全くもって、僕がイライラしてしまうマスゴミとか押し付けデザインなWebサイトと同じなんです。延々と流れるFlashとかね。

だから、本当にケータイ小説のまんまです。
あと、いまtwitterユーザにバカにされているドラマ「素直になれなくて」とそっくりです。


■シュート!の劣化コピー
この原作者は、シュート!の編集担当だった人なんですよ。
たぶん、シュート!の大HITで味をしめて、次もいけるだろう、自分にも物語がつくれるだろうと勘違いしているんだと思います。自分はただの編集者で、コンテンツを作り上げたわけでもないのに。

 ・日本サッカー史上、類を見ない天才が死ぬ
 ・その後からが本当のストーリー
 ・その天才がローティーンの頃に海外でブラジルの天才と会う
 ・ブラジルの天才が日本に来る
 ・自由奔放なサッカーを身上とする
 ・管理型サッカーの強烈否定
 ・ともかく毎試合相手に謎があって、それを解いて勝つシステム
 ・司令塔が超人的にキレ者で謎解きする
 ・Φトリックという”消える”フェイントw
 ・守備やマーク専任のサッカー素人、陸上部員が投入される
 ・夜な夜な公園で勝負を挑んでくる謎の奴がいる

ね。
おっそろしいほどシュート!に出てきたエピソードの数々。
それで面白きゃあいいんですけど、すんごいつまんない。
なぜか。
シュート!の面白い部分を上記のエピソードだと思っていて、
それを使えばまた面白くなるとしか思ってない。

 ・その天才がローティーンの頃に海外でブラジルの天才と会う
これなんか、光岡のエピソードそのものですよ。
でも、彼は日系人なのです。だから、日本に来る理由がある。
親交のあった人に誘われ、離婚した母親を愛するあまり、日本に移住することを決意するのです。
けれども、最終的には魅力溢れる日本代表と敵として戦いたいがために、ブラジルに戻ることを選択するんですけどね。
それでも、彼は日本代表に多大な影響を与え、チームに結束を生む大切な役でした。
エリアの騎士のシウバというブラジルの天才は、ただ単に金で来ただけらしいです・・・。
ブラジルの天才が金だけで日本には来ないだろ。それに日本の高校にそんな金は無い。


■メッセージや哲学、価値観が無い
「リアリティが無い」というのも一つなのですが、漫画はそもそもリアルではないです。
でも、リアルに存在するサッカーをというネタをモチーフにする以上、どこかにリアリティがないと漫画は成立しません。いや、”人間”というリアルを扱っている以上、どんな漫画にもどこかにリアリティは必要になります。

サッカー漫画、スポーツ漫画において、どこにリアリティを表現するか。
それは、そっくりそのまま原作者の「メッセージ」そのものになるんです。
原作者が思う、読者に伝えたい「サッカーの魅力」そのものになります。
だから、作品ごとに違って当たり前ですし、それが無いなら漫画なんか書かない方がいい。
twitterドラマが叩かれているのは、初のtwitterドラマと大々的に宣伝しておきながら、twitterである必要が全くない、そこにメッセージが無いから叩かれるんですよ。その題材となるものをしっかり調査もせず、理解もせず、楽しさも全く把握してないゆえ、twitterの魅力なぞ全く出てきません。主人公達は活用してないし。twitterはただ単に、注目を集めたいだけのものなんですよ。

シュート!にエピソードが酷似していても、シュート!は面白かった。
僕にとって最高のサッカー漫画はシュート!です。

シュート!にはメッセージがある。
久保嘉春は物語を盛り上げるために死んだんじゃない。
あの漫画は、その彼の「楽しいサッカーをしたい」という強い思いに共感し、それを表現したいと集まった掛川イレブンを表現するための漫画であり、その開祖が久保なのですよ。ただ悲しませるため、他が成長するために死んだんじゃない。彼がいなくてもいい、大事なのは彼のその魅力に、彼のサッカーの魅力にひきつけられた仲間達が、一心不乱にそれを目指す素晴らしさを表現したいがために、久保は存在するんです。だから、久保無しには語れない漫画になってる。8巻でそれこそ伝説的な最後を遂げるのに、彼はその後もそこかしこで、それも直接姿を晒すことなく、登場します。どこに?掛川イレブンのプレー、発言、その一つ一つにですよ。

シュート!のメッセージは、「仲間」「信頼」です。
キャプテン翼の半世代後ぐらいにスタートしている漫画なので、必殺技はたくさん出てくるわ、トンデモなプレーがたくさん出てきてしまい、そりゃあ非現実的な部分はありました。そこに興ざめする人もいます。でも、僕はそこは漫画なんだからそれでいいと思っているし、シュート!が本当に伝えたいのはそこではないから、余り気にならない。その辺がキャプテン翼とは違う。

カリスマ的な存在の神谷は、確かにエリアの騎士の荒木のように相手の謎を解き、絶対的な存在として登場します。しかし、神谷は初めからそうだったわけじゃない。「楽しいサッカー」「自由なサッカー」という久保の、一番の理解者であり、最も近くにいた相方であり、同時にライバルであり、久保の存在に最も悩まされた一人です。ゆえに、彼は物語の初めからカリスマだったわけじゃない。久保存命時は、むしろ脇役でした。神谷がその叡智で絶対的な司令塔に成長したのは、久保の死後です。親友であり、憧れでもあり、そしてライバルでもあった久保を失った彼だからこそ、それを乗り越え、ミラクルチームと評される掛川を主将として引っ張っていったからこそ彼は成長し日本サッカーのトップに上り詰めるのです。そこには高校生には考えられないような葛藤があり、親友を失った悲しみがきちんと描かれています。

神谷は、自分が目立つためにサッカーをやっているわけでない。
亡き親友の久保のぶんまで、自分が活躍し、久保が目指したサッカーを誰よりも体現したい、世間に知らしめたいと思っているからこそ、サッカーを楽しみ、真剣に取り組んでいるわけです。だから、エリアの騎士の荒木と違い、神谷はあまり派手なプレーやドリブル突破を多用しません。それはただのスタンドプレーであり、神谷の実力だけで勝つことになるから。神谷はいつでもチーム全体のことを考え、チーム全員の、信頼できる仲間の力を最大限引き出せるようにプレーすることしか考えない。だから、彼のプレーはパスであり、味方のあがりを促す「ロングキープ」なのです。

シュート!はその久保と神谷の友情に始まり、主人公である、トシ、ケンジ、和宏の1年生トリオや、大塚、赤堀と神谷の2年生トリオの信頼や友情物語なんですよ。だから、無駄に神谷だけ活躍したりしない。

高校選手権決勝、vs帝光(帝京がモデル)のロスタイム1点ビハインド。
神谷が怪我をしてピッチに倒れた時、神谷は、意識が遠のく中で、ボールが通り過ぎるのを確認しながら倒れふします。そこで、彼は半年前に他界した久保への想いが蘇り、志半ばで倒れた親友の気持ちは、こういうものだったのか、自分の力の無さを感じながらアイツも倒れたのだろうかと思った矢先、彼は意識を取り戻し、負傷している右足を、自分の腕で無理やり引っ張ってふんばります。そして彼は叫びます。

「俺はまだ久保になれてない。チームを救った1点を俺はまだとってない」
「そして何より、俺はまだやれる!」


神谷は、ロスタイムに奇跡の同点弾をぶち込み、延長戦に持ち込みます。
そのとき、神谷は身を投げ出すようなオーバーヘッドで得点します。かっこよくは無いですね。でも、神谷は、亡き久保の夢を打ち切らせないために、強い心で立ち上がったのです。ここでも作者は神谷の凄さを表現したいわけではないことがわかりますよね。

そして、その神谷が何針も縫わなければいけないような怪我をしているのに、強行出場すると言っていうことを聞かないのを見て、同じ2年生で温厚でニコニコしているだけだった赤堀が、たぶん初めて烈火のごとく怒ります。休めと。すると、神谷はそれにあっけに取られ、退場することを受け入れます。しかし、なんと、天下の帝光相手に、交替することを拒みます。自分が戻るまで10人でやれという無茶を言う。イレブンが反対する中、唯一、赤堀がそれを認めます。

「わかった。神谷を待つ。その代わりドクターが良いって言うまで絶対に出てくるな」

掛川イレブンはその赤堀の言葉を受け、延長戦を10人で戦うことを決意します。
そして、神谷は延長後半から登場するのですが、ここでも一つのエピソードが入ります。
応急処置しかしていない神谷は、万全の状態ではなく満足に走れません。それでも、アツイ感情を持つ神谷は歯を食いしばって走り回ろうとするのを、もう一人の2年生である大塚が止めます。お前は、前線に残れと。

天才久保嘉春に憧れて掛川サッカー部に入部した面々がほとんどであるサッカー部において、大塚は、自身はそうではないと神谷に伝えます。サッカー部が創部まもなく人数が足りない時、サッカーをやめるつもりでいた大塚と赤堀は、中学時代の神谷の悪評を聞いていて、久保が頭を下げているにもかかわらず、神谷がいるチームではサッカーはしたくないと堂々と発します。しかし、実際にチームメイトとして一緒にプレーするにつれ、大塚は、自分が神谷を誤解していたことを幾度も痛感させられます。そして大塚は創部からともに走ってきた主将神谷に、足を引きずりながら走ろうとする神谷に言います。

「俺は他の奴らとは違う。俺は、お前にパスを出すために掛川サッカー部に入ったんだ。だから、俺はお前に必ずパスを出す。お前はそのスルーパスで得点シーンを創れ」

大塚は、全国レベルで言えば並みのプレーヤーです。
しかし、そんな大塚にもこれだけのエピソードがある。
それは、シュート!の原作者が伝えたいものが、大島先生が考える「サッカーの魅力」が「友情」や「信頼」にあるからなのだと思います。ゆえに、他の漫画に比べて緻密なパス、ドリブルの解説などは少ない。それより、ともにボールを追いかける仲間の素晴らしさ、パスを交換することの素晴らしさを伝えたい。ゆえに、ああいう描写になるのでしょう。

だから、シュート!には「コンビでなければとれないパス」や、長年連れ添った友達だからこそわかる阿吽の呼吸というものがクローズアップされる。高校選手権中にケンジが警察に連れて行かれ、しかし一度も相手に手をあげてないケンジは、それでも自分の名前を隠します。自分の身元がバレれば、掛川は出場辞退しなければならなくなるから。

脇役でスピードしか取り得の無い左ウイングの佐々木がピンチになれば、その後ろに控える中学時代からの親友:左サイドバック新田は必ず助けに参上します。逆もまたしかり、です。両者も主人公達に比べればレベルが落ちる二人なのですが、それでも試合で活躍し、そしてそれは単純に個人能力ではない。お互いの信頼や友情が、時に主人公達を超えるプレーを実現する。

その新田は、先輩である赤堀に、DFラインのコントロールは自分に任せてくださいと言い放ち、赤堀の負担を軽減させます。そして彼は、誰も追いかけていなかったボールを赤堀よりも後ろで察知し、チームのピンチを間一髪で防ぎます。それは、新田が常にベンチでもイメージトレーニングを怠らず、そして努力に努力を重ね、筋トレと走りこみを繰り返した結果であり、掛川イレブンの誰もがそれを見ています。

物語のなかで掛川を評する言葉に、こんな言葉があります。

「神谷や田中、平松が凄いから掛川が奇跡なんじゃない。全員が同じ思想を持ち、お互いを信頼し、一つのチャンスに勇気を持って飛び込める、そんな奴が11人集まったことが、掛川の奇跡なんだ」

まさしく、作者が言いたいこと、サッカーの魅力とはそこなのでしょう。
これは、僕が好きな名波のサッカー観にも通ずるものです。
だから、僕はシュート!が好きなんだと思います。
選手権で優勝した神谷は優勝旗を受け取る時に、左手にスパイクを抱えています。
それは、半年前に亡くなった、親友久保のものです。
「やっぱり、アイツとここに来たかったですから」
このシーンは今でも泣いてしまいます。


■キャプテン翼、ファンタジスタ、ホイッスル、Jドリーム、オレンジ・・・・
そう考えると、各作品それぞれ、確かにメッセージが違います。
バカにされがちなキャプテン翼だけど、しかし日本サッカーへの貢献を考えた場合、キャプテン翼を超えるものはまだないでしょう。僕だって小中学生の頃ははまってましたし。キャプテン翼がスタートした頃はJリーグなんて影も形も無く、日本にプロリーグができるなんて誰も思っていなかったときです。日本人はサッカーなんて体育の授業でしかしらないような状態だったものです。

その当時に必要なのは、「サッカー全般の魅力を知ってもらうこと」だったのですよ。
だからトンデモな必殺技の応酬になりまるでサッカー版ドラゴンボールみたいになったのですね。でも、サッカーというものがまだまだ知られていない状況では、まず、サッカーってなんなの?っていう部分から魅力を提示しなければならず、サッカーを知ってもらうことが一番大事になるわけで、ゆえにそうなるのです。だから、あの時代だからこそキャプテン翼が必要だったのですよね。高橋先生はサッカーを馬鹿にしたいわけではなく、先生自身がサッカーをそこまで知らなかった中で、一生懸命取材して、どうやって楽しく魅せるかを考えた結果なのですね。そのおかげで、どんな主人公より有名なサッカー少年:大空翼が生まれるのですから、素晴らしいです。

たとえば、「ホイッスル」
ホイッスルは、サッカーのテクニックやスペクタクルというよりは、中学生という多感な時、その未熟な彼らがサッカーを通して成長していく、そこにサッカーの素晴らしさがあることを伝えてくれます。桜上水中は掛川にはない、エピソードがたくさんあります。特に、才能に恵まれた子と、そうでない子の組み合わせの葛藤。中学サッカーではどこでも起こりうる、運動神経の悪い子と、良い子の葛藤、衝突。そして、同じポジションでのポジション争いなど、そこに中学生等身大の”人間”がいるのですよね。多感な時期を、一緒にボールを蹴って汗を流す体験の素晴らしさにサッカーの魅力がつまっているというメッセージですよね。だから、中学の現状や選抜の話など、そのあたりに物凄くリアリティがあります。太っちょで足の遅いDF野呂君は、破天荒な天才GK不破と折り合いがつかずサッカーをやめる選択までするのですが、両者が歩み寄り、自殺点を防ぐシーンはまさしく、信頼や友情をこれから築き上げる世代のエピソードです。


たとえば「ファンタジスタ」
この作品はシュート!やホイッスルとは一線を画します。
友情や信頼というより、もっともっとサッカーのドリブルやパスなどの”プレー”に言及した作品です。この作品のメッセージはそのタイトルが示すとおり「ファンタジスタ」ですね。一つのパス、一つのドリブルで局面が変わるその瞬間こそにサッカーの魅力がつまっている。とくに、他作品では圧倒的なテクニックや決定的なパス、驚異的なドリブルや、試合をつくる創造性などで表現されることの多い「ファンタジスタ」という人種を、「誰にも見えていない3秒先の世界を描ける選手」と表現したのは、全く新しい試みだったと思います。そして、文字通り、読者はそのファンタジーに酔いしれることができる作品です。コミックス8巻のメキシコ戦で主人公:坂本轍平が見せる全てを掌握してしまう未来映像プレーは、圧巻の一言です。


他にはJドリームやオレンジがありますね。
この二作品は割と共通する点が多いかもしません。
どちらもクラブチームと代表が題材になることが多い。
オレンジはその中でも地方クラブの葛藤、そこから這い上がることの難しさ、素晴らしさを描いている作品です。
Jドリームは赤星鷹を中心とした、「友達とのサッカー」というシュート!寄りの作品ですね。

そして、現在のジャイアントキリング。
これは、本当に今までに無い作品です。
監督にスポットを当てているのもそうですが、それ以上に徹底したリアリティにより、サッカーを現実的な面白さ、どこまでもどこまでも実際にサッカーをプレーする、観戦する楽しさを訴えている作品です。ですから、トンデモプレーはほとんど出てきません。Jリーグと完全にイコールなレベルです。そこに、面白さがある。選手の葛藤や、コンディション、サッカーの質や戦略性など、実際のサッカーの面白さを十二分に語ってくれる作品で、もし、実際のJリーグのサッカーの楽しみ方がわからないという人は、ジャイキリほどうってつけな作品はありません。きっと、どこかのサポーターになりたくなると思います。


どの作品にも作者なりの「サッカーはここが楽しいんだ!」っていうメッセージがあるんです。
それを、作者は伝えたくて、共感して欲しくてサッカーを描いているのがわかる。
エリアの騎士にはそれがない。

「こうしたら面白いだろう?」「こうしておけば見るだろう?」
というような、クリエイティブ側のおごりが見られる。
それは、ケータイ小説もそうでしょう。
ただただ主人公を悲しませたいために悲劇が用意されている。
スナナレ(ドラマ)も同じ。注目を集めたいだけにtwitterが登場する。
ダメなマスコミと同じですよね。

だから、イライラするんだと思います。
シュート!はあんなに感動したのに、エリアの騎士にはイライラさせられる。
サッカーをなめてるんだろうなー。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:59| 神奈川 ☁| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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