2007年09月18日

なつかしの桑田vs桜井とカラオケ。

「日本でただ一人、エルビス・コステロを歌える人」by 槇原敬之

Mr.children 桜井さんのことです。
何もいいません。これを見てください。
ミスチル桜井とサザン桑田のカラオケ対決(音楽寅さん)
ニコニコ動画です。なので午後7時以降は見れませんw

で、まあこれはいつか見てもらうとして、このニコ動の一部がYoutubeにもありました。




おいおい、どんだけうまいんだよ(笑)
興味のある人はニコ動のフルバージョンも見てみてください。
サザンの「みんなのうた」も歌ってて、それもめちゃくちゃうまい。
「これこの人の歌なんじゃねぇの?」っていうぐらいうまい(笑)

桑田さんもすごいです。
「イノセントワールド」も、「FirstLove」もうますぎ(笑)
何より、番組として面白いです。
イノセントワールドのイントロ中の桑田さんの暴言。

「おい桜井コノヤロー!この歌はこういう風に歌うんだよバカやロー!」

超ウケた(笑)
その人自体が正解なのに、間違いだと言ってしまえることが素敵。
最後のユースケのサプライズも素晴らしいですね。(まあ、仕込だと思いますが)
この二人がタッグを組むなんて、これ以上の最強デュエットって見当たらないんじゃないでしょうか。奥田民生と井上陽水ぐらいなもんでしょうか。

桜井和寿という人は、実は誤解されやすいのだけど、この人はちゃんとお腹から声を出しているんですね。前にそういう話を聞いたのだけど、確かに他の人の歌を聞くとなんとなくわかる気がします。奥行きがあるというか。そのしっかりとしたボーカルの基礎があって、その上にあの独特のハスキーなんだけど甘い声があるから、この人は唯一無二のボーカリストなのかもしれません。

ご存知の通りミスチルファンを公言して憚らない僕なので、CDもたくさん持っているし(っていうかほとんどミスチルしかない)、聞いた曲数も回数も半端なく、だいたい桜井さんがどのへんで声をしゃがれさせて、どの辺で叫ぶかも勝手に覚えています(笑)おかげで「他のアーティストの曲を桜井さん風に歌う」という、全くもって何の役に立たない芸を習得したのですが(笑)、意外にカラオケではそんなに歌いません。

いえいえ、めっちゃ歌いますよ?
でも、それは気心しれた仲間とか彼女さんの前だけです。
それ以外の時は、あんまり。もうどうでもいいやっていう時は歌いますが。
よく「ミスチルを歌う奴はモテようとしている」などと言われ、どうやらモテカラオケの王道らしいのですが、少なくとも僕にそれはないですねぇ。むしろ、モテようとしたらまずミスチルは歌わない(笑)

あのー、気にいらないのです。
桜井和寿ではない自分が。
他のアーティストの歌だって歌うし、当然僕はオリジナルではなく、カラオケとはそもそもそういうものなのですが、ミスチルだけは違和感の値が大きいのです。逆に言えば他のアーティストはその辺がどうでもいいということなのですが(笑)堂本剛とかバンプとかコブクロとか、気にならんのです。でも、桜井さんの声だけはどうも気になるのです。頭の中でCDをかけられるぐらい記憶している曲ばかりなので、ギャップが激しいんでしょうね。

そのギャップが激しすぎて、くっそー下手くそだなぁと思うのですよ。
そもそも別に歌がうまいとも思わないのに、その中でもより「へったクソだなぁ・・・・」と思うのがミスチルの曲なんですね。だから、そんなもんモテようと思ったら歌わないでしょう(笑)しかも、ミスチルってなんか合コンとかで歌ったら他の曲より求められるハードルが高そうだし。「うまく歌えないんだったら歌うな」という空気を感じるというか(笑)

あのー、これは自分に関してだけです。
他の人がミスチルを歌っていても、それは全然気にならない。
カラオケなんだから桜井さんとは違って当り前(笑)

いやー何が言いたいんでしょうか僕は。
だんだん自分でもよくわからなくなってきました。

まあだから、僕がミスチルを歌っているときは「モテたい」とは真逆で「もうどうでもいいや」っていう時だと思ってください(笑)


posted by 総さん−ソウサン− at 20:01| ☁| Comment(11) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕はただの装置でもいい。

生きていると、それはそれは辛い事の連続ですね。
生きていると、それはそれは楽しい事の連続でもあるのですが。

僕は、生きているだけで幸せです。
辛い事もありますよ。あーもう嫌だな〜っていうこともある。
でも、死ぬよりはマシ。死にたくないもん。生きてる方が幸せな事が圧倒的に多いから。結局、それをいくつ見つけられるかが、「生きる」ということなのかなぁとも思います。最近は。地位も名声もそのうちのひとつにしか過ぎない。

わかってはいるのです。
でも、どうしても理不尽さを感じてしまう。
今の僕の周りには幸せの絶頂だったり、その幸せに向かって順調に走っている人間もいれば、不幸のどん底を感じている人間もいる。僕だって、全人生のなかでいえば、少なくとも27年のうちワースト3に入るぐらい落ち込んでいる時期ではあります。これを「差」ととるか「リズムの違い」ととるかで、その人の人間力が見える気がしますね。

僕の幸せは、僕にはどうにもできない部分もあって、それは仕方ない。やっぱり、運もあるし。自分のメンタルや環境だって、僕は自分の今の性格を嫌いではないけれども、いくつもの環境を作り出した偶然があってこそ。齢80を越える祖母ちゃんが「まあ、そういう意味で言うなら人生の半分は運だね」と言ってました。そういうことなんでしょうね。自分が得た力というものも、確率論という話をベースにするなら、運によるものが大きいですし、そもそも今の両親のもとに生まれたことすら「運」ですから。

どうしようもない波というのは、物理的にも人生の流れとしてもあると思います。人はそれに悩み、時に希望を打ち砕かれるわけですが。そう考えると、僕におきる不幸なことは当然友人にも起きるわけで、そして起きない事もある。現実に今そうなっているわけですし。理不尽とも思えるような"リズム"がありますね。リズムをしっかりとつかめる力があるかどうか、というのも大変大変大事な事ですけどね。

抗うことのできない自分の人生の流れ、そして仲間の人生の流れというものがあるとして、僕はどうやって生きぬくのか。僕が持つべき最大の武器は「自分はどうありたいか」という大波にも負けない自己の進路なのかなと、最近は思うようになりました。決して揺らぐ事の無い自分の追い求めるもの。それを人は信念と呼ぶのかもしれません。

僕の信念。
大切にしたいものはいくつもあります。
しかし、それは時の流れによって、自分の行動とは関係の無いところで失う、失わざるを得ないものでもあるのかな、と最近は思うわけで。そう考えると、自分の揺るぎない信念、つまりそれは「目標とする最小限の自分」となるわけですが、その「自分」を持つことこそ、大事な事なのだと、思います。

僕は、人の心を増幅できる人でありたいです。
希望を失った人には、希望を見出せるだけの心を与えられる人。
希望をもっている人には、その希望に邁進できる心を与えられる人。

僕が何者でもいい。
僕の言葉かもしれないし、態度かもしれない。
何でも良いんです。
僕の行動によって、相手が何かしらを感じ、一歩でも進んでくれれば。

人間の燃料は心だと常日頃訴えている僕ですが、
その燃料を注ぎ込める人になりたい。

「あー辛いな。ウザいけど、でもアイツと話すと元気出るんだよな」
っていう存在でもいいんです。それが機械なら、僕は進んでその機械になりたい。

人間は、結局心です。
やる気がきゃ、いい仕事はできない。
本気で好きにならなきゃ、良い恋人にはなれない。
本当に相手を求めなきゃ、いい友達にはなれない。
本気で、人生を歩こうとしなければ、幸せにはなれない。

僕は、心を増やせる人になりたいです。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:02| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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