2007年09月21日

ユーザにわかる言葉で。

商品やサービスの価値を伝える時、当然数字を使う事が多くなりますが、多くなりすぎたり、結局それで分かりづらくなっては意味がない、という話です。

デジカメのバッテリーについて「連続使用時間72時間!」と数字で訴える事は当然必要ですが、それだけではユーザ視点にはなっていないのですよね。例えば競合商品が「65時間!」と謳われていたとき「おお!7時間も違う!」という人はあんまりいないんじゃないかと思います。「長持ちするに越した事はないわな〜」という人が大半じゃないでしょうか。7時間の差を常に体感できているわけではないですからね。

「2泊3日の旅行でも充電無しで大丈夫!」というキャッチコピーの方がユーザには断然わかりやすい話ですよね。ユーザに理解できる形で価値を伝える事で「自分はこの商品の客なんだ」と思わせる事が大事だといいます。

で、なーんでこんな話を思い出したのかというと、レンタルビデオ店の対応に疑問を覚えたからです。基本的には一週間レンタルがほとんどだと思うのですが、その1週間にしてもお店によっては24時間営業のところもあって、その場合、各店舗に「日付変更時間」というのが存在します。

日付変更時間と言っても、実際に日付が変わる0時ではなくて、あくまでも営業上の日付なので大体が翌日の朝型か午前中に設定されています。翌朝5時だったり、10時だったり。すると、つまり一週間でレンタルをすると実質の期限は一週間後+翌営業日の日付変更時間まで、となります。仮に翌朝AM10時が日付変更時間だったとすると、例えば10月1日(月)にレンタルした場合、返却期限は一週間後の10月8日(月)の翌朝10時=10月9日(火)10時になるわけです。

ここで、サービスが分かれるのです。
レジで商品を渡す時のセリフが違いました。

■10月1日(月)にレンタルした場合
 A店:「一週間のレンタルのため、10月9日(火)午前10時までのご返却となります」

 B店:「一週間後、10月8日(月)の翌日午前10時までのご返却となります」


一見、A店の方が正確に情報を伝えているのですが、少なくとも、僕はB店の方が断然わかりやすいです。こちらは「一週間」ということは基本概念として頭に叩き込まれているわけだから「月曜に借りたから、返すのも来週の月曜」+「でも、翌日の朝10時まではセーフ」と覚えるだけで把握できる。

A店の伝え方だと、せっかく予め持っている「一週間」という基本概念を一瞬頭から外す事を余儀なくされる。お店のシステムとしては全く同じなので、結局言っていることも結果的には同じなのですが、B店の場合は基本的に「来週の同じ曜日に返す」という基本さえ抑えておけばいいのに比べて、A店の場合は無駄に「10月9日」+「10時」という数字の情報が入ってきてしまうため、覚えづらくなる。

情報を与えすぎても、良くないんだなぁ〜と思った次第です。
相手が最もわかりやすい形で伝える事が大事ですよね。

これ、なんとなく恋愛にも言えるような気がします(笑)
posted by 総さん−ソウサン− at 22:57| ☁| Comment(6) | TrackBack(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

なつかしの桑田vs桜井とカラオケ。

「日本でただ一人、エルビス・コステロを歌える人」by 槇原敬之

Mr.children 桜井さんのことです。
何もいいません。これを見てください。
ミスチル桜井とサザン桑田のカラオケ対決(音楽寅さん)
ニコニコ動画です。なので午後7時以降は見れませんw

で、まあこれはいつか見てもらうとして、このニコ動の一部がYoutubeにもありました。




おいおい、どんだけうまいんだよ(笑)
興味のある人はニコ動のフルバージョンも見てみてください。
サザンの「みんなのうた」も歌ってて、それもめちゃくちゃうまい。
「これこの人の歌なんじゃねぇの?」っていうぐらいうまい(笑)

桑田さんもすごいです。
「イノセントワールド」も、「FirstLove」もうますぎ(笑)
何より、番組として面白いです。
イノセントワールドのイントロ中の桑田さんの暴言。

「おい桜井コノヤロー!この歌はこういう風に歌うんだよバカやロー!」

超ウケた(笑)
その人自体が正解なのに、間違いだと言ってしまえることが素敵。
最後のユースケのサプライズも素晴らしいですね。(まあ、仕込だと思いますが)
この二人がタッグを組むなんて、これ以上の最強デュエットって見当たらないんじゃないでしょうか。奥田民生と井上陽水ぐらいなもんでしょうか。

桜井和寿という人は、実は誤解されやすいのだけど、この人はちゃんとお腹から声を出しているんですね。前にそういう話を聞いたのだけど、確かに他の人の歌を聞くとなんとなくわかる気がします。奥行きがあるというか。そのしっかりとしたボーカルの基礎があって、その上にあの独特のハスキーなんだけど甘い声があるから、この人は唯一無二のボーカリストなのかもしれません。

ご存知の通りミスチルファンを公言して憚らない僕なので、CDもたくさん持っているし(っていうかほとんどミスチルしかない)、聞いた曲数も回数も半端なく、だいたい桜井さんがどのへんで声をしゃがれさせて、どの辺で叫ぶかも勝手に覚えています(笑)おかげで「他のアーティストの曲を桜井さん風に歌う」という、全くもって何の役に立たない芸を習得したのですが(笑)、意外にカラオケではそんなに歌いません。

いえいえ、めっちゃ歌いますよ?
でも、それは気心しれた仲間とか彼女さんの前だけです。
それ以外の時は、あんまり。もうどうでもいいやっていう時は歌いますが。
よく「ミスチルを歌う奴はモテようとしている」などと言われ、どうやらモテカラオケの王道らしいのですが、少なくとも僕にそれはないですねぇ。むしろ、モテようとしたらまずミスチルは歌わない(笑)

あのー、気にいらないのです。
桜井和寿ではない自分が。
他のアーティストの歌だって歌うし、当然僕はオリジナルではなく、カラオケとはそもそもそういうものなのですが、ミスチルだけは違和感の値が大きいのです。逆に言えば他のアーティストはその辺がどうでもいいということなのですが(笑)堂本剛とかバンプとかコブクロとか、気にならんのです。でも、桜井さんの声だけはどうも気になるのです。頭の中でCDをかけられるぐらい記憶している曲ばかりなので、ギャップが激しいんでしょうね。

そのギャップが激しすぎて、くっそー下手くそだなぁと思うのですよ。
そもそも別に歌がうまいとも思わないのに、その中でもより「へったクソだなぁ・・・・」と思うのがミスチルの曲なんですね。だから、そんなもんモテようと思ったら歌わないでしょう(笑)しかも、ミスチルってなんか合コンとかで歌ったら他の曲より求められるハードルが高そうだし。「うまく歌えないんだったら歌うな」という空気を感じるというか(笑)

あのー、これは自分に関してだけです。
他の人がミスチルを歌っていても、それは全然気にならない。
カラオケなんだから桜井さんとは違って当り前(笑)

いやー何が言いたいんでしょうか僕は。
だんだん自分でもよくわからなくなってきました。

まあだから、僕がミスチルを歌っているときは「モテたい」とは真逆で「もうどうでもいいや」っていう時だと思ってください(笑)
posted by 総さん−ソウサン− at 20:01| ☁| Comment(11) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕はただの装置でもいい。

生きていると、それはそれは辛い事の連続ですね。
生きていると、それはそれは楽しい事の連続でもあるのですが。

僕は、生きているだけで幸せです。
辛い事もありますよ。あーもう嫌だな〜っていうこともある。
でも、死ぬよりはマシ。死にたくないもん。生きてる方が幸せな事が圧倒的に多いから。結局、それをいくつ見つけられるかが、「生きる」ということなのかなぁとも思います。最近は。地位も名声もそのうちのひとつにしか過ぎない。

わかってはいるのです。
でも、どうしても理不尽さを感じてしまう。
今の僕の周りには幸せの絶頂だったり、その幸せに向かって順調に走っている人間もいれば、不幸のどん底を感じている人間もいる。僕だって、全人生のなかでいえば、少なくとも27年のうちワースト3に入るぐらい落ち込んでいる時期ではあります。これを「差」ととるか「リズムの違い」ととるかで、その人の人間力が見える気がしますね。

僕の幸せは、僕にはどうにもできない部分もあって、それは仕方ない。やっぱり、運もあるし。自分のメンタルや環境だって、僕は自分の今の性格を嫌いではないけれども、いくつもの環境を作り出した偶然があってこそ。齢80を越える祖母ちゃんが「まあ、そういう意味で言うなら人生の半分は運だね」と言ってました。そういうことなんでしょうね。自分が得た力というものも、確率論という話をベースにするなら、運によるものが大きいですし、そもそも今の両親のもとに生まれたことすら「運」ですから。

どうしようもない波というのは、物理的にも人生の流れとしてもあると思います。人はそれに悩み、時に希望を打ち砕かれるわけですが。そう考えると、僕におきる不幸なことは当然友人にも起きるわけで、そして起きない事もある。現実に今そうなっているわけですし。理不尽とも思えるような"リズム"がありますね。リズムをしっかりとつかめる力があるかどうか、というのも大変大変大事な事ですけどね。

抗うことのできない自分の人生の流れ、そして仲間の人生の流れというものがあるとして、僕はどうやって生きぬくのか。僕が持つべき最大の武器は「自分はどうありたいか」という大波にも負けない自己の進路なのかなと、最近は思うようになりました。決して揺らぐ事の無い自分の追い求めるもの。それを人は信念と呼ぶのかもしれません。

僕の信念。
大切にしたいものはいくつもあります。
しかし、それは時の流れによって、自分の行動とは関係の無いところで失う、失わざるを得ないものでもあるのかな、と最近は思うわけで。そう考えると、自分の揺るぎない信念、つまりそれは「目標とする最小限の自分」となるわけですが、その「自分」を持つことこそ、大事な事なのだと、思います。

僕は、人の心を増幅できる人でありたいです。
希望を失った人には、希望を見出せるだけの心を与えられる人。
希望をもっている人には、その希望に邁進できる心を与えられる人。

僕が何者でもいい。
僕の言葉かもしれないし、態度かもしれない。
何でも良いんです。
僕の行動によって、相手が何かしらを感じ、一歩でも進んでくれれば。

人間の燃料は心だと常日頃訴えている僕ですが、
その燃料を注ぎ込める人になりたい。

「あー辛いな。ウザいけど、でもアイツと話すと元気出るんだよな」
っていう存在でもいいんです。それが機械なら、僕は進んでその機械になりたい。

人間は、結局心です。
やる気がきゃ、いい仕事はできない。
本気で好きにならなきゃ、良い恋人にはなれない。
本当に相手を求めなきゃ、いい友達にはなれない。
本気で、人生を歩こうとしなければ、幸せにはなれない。

僕は、心を増やせる人になりたいです。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:02| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月16日

CMのあるべき姿。

CMにこれほどイライラさせられているのは日本人だけ?

結構長い記事なので読むのが面倒臭いという人のために要約すると、つまるところ「日本のCMと海外のCMでは全くスタンスが違う」という話です。どう違うかというのは、下記引用より。

CMの出し方は、ここ数十年で格段にあざとくなった。さあいよいよ真犯人がわかるというところでCMなどというのは当たり前。盛り上がって、さてクイズの答えというときにもCM。CMあけにはCMまえのシーンがまた繰り返され、答えを言うのかと思えば、そのまままたずるずると映像が続き、再度CMに突入、などということも珍しくない。
 われわれはこのようなCMにすっかりならされてしまっている。しかし、こういうCMの出し方は、どこの国でも行なわれているというわけではないようだ。欧米では山場CMは日本よりはるかに少なく、話が一段落して入れるCM(このレポートでは「一段落CM」と名づけている)が圧倒的に多い。

以上、「歌田明弘の『地球村の事件簿』」より抜粋


この[山場CM]の比率が圧倒的に日本は高いらしい。
言われてみれば、クイズ番組の正解発表前、バラエティの面白い映像ダイジェストの後の本編、ニュースにしても「続いてのニュースは」などと言ってCMを挟むことがほとんど。これが欧米では圧倒的に少ないらしい。理由も単純明快で、視聴者からの苦情が殺到するからとのこと。

僕は、上記リンク先に書かれている「タダで見るんだから、多少イライラさせられたって仕方がないだろ‥‥」という人種で、そもそもTV局や制作側に苦情を言う人の気が知れないというタチなんですが(誤報や捏造は話が別ですよ)、苦情を言わないにしても確かに「CM」というもののあるべき姿からするとおかしな話だなぁと思いますね。全然気付きませんでしたが。

「視聴者の心象を悪くするから山場CMを行わない」というのは、当り前すぎるぐらい当り前の論理で、これは要するに"ブランディング"と呼ばれるものなんですよね。"ブランディング"や"ブランド"というものを語る時、やれカッコいいデザインだの、流行の最先端だの、はたまたカッコいいロゴだの、CIだのと叫ばれがちですが、その論議こそが生産性が低いと僕は思います。(全くの無意味だとはいいませんが)

ブランドというのはメーカーと消費者を繋ぐ"信頼"であって、その信頼はどのように構築されるのかというと、当然「顧客満足獲得の連続行為」からなるわけです。Panasonicの商品が多少高くても受け入れられるのはそれ相応の安定したクオリティを持つ商品を多数、そして長期間にわたって消費者に提供してきたからであって、別に「Panasonicのロゴがカッコいいから」ではないですね。だからこそ「タイマーがついている」と揶揄されるウォークマンを生み出したブランドは価値を下げているわけで。同時に、そのブランドを認めている人もいるわけですが、それとて同じ事。

もちろん、ブランドや商品においてデザインや、そのデザインの一部となるロゴというものは多大な価値を生み出します。が、外見やデザインというものは商品やサービスの一部の価値でしかなくて、それが全てとなってしまっては意味がないわけです。物凄くカッコイイロゴの会社がDVDレコーダーを発売したところで、2割が不良品、カスタマーサポートが薄い、では誰も買わなくなるでしょう。

当然、大手メーカーのようにロゴが多大な力を持ち、そこにファッション性や信頼を生み出す価値を持ったメーカーも存在します。それは本当に素晴らしい事であるし、そのロゴの持つ力、信頼性というのは是が非でも維持していくべき。でも、それはロゴが力を持ってからの話であって、サービスも商品も消費者が求めるものを提供できていないのに、ロゴだけ変えても何の意味もありません。

amazonなんか、本当にいい例で「本屋なのにアマゾンってどんな名前なのよ」って初めは多くの方が思ったと思います。が、そのamazonは今や書籍・映像商品通販サービスの押しも推されぬトップブランドになっているわけです。それはamazonが長期にわたって消費者のニーズを満たしてきたからに違いありません。(余談ですが、amazonはカスタマーサポートも優れていると思います)

要するにブランドとは
「お客様が自社に何を求めていて、どのように応えるか」
ということそのものであり、それを確立していくことこそが「ブランディング」なんだと思います。

そう考えると、日本のCMのスタンスは確かにおかしいわけで。
確かに、TV局にお金を払うのは企業です。
がしかし、企業が満足するCMを提供してどうする。
TV局も企業も視聴率という数字にしか目がいってなくて、肝心の「お客様」に意識が向いていないんでしょう。お客様視点に立てば、山場CMというのは明らかにやめるべきですから。

こういう話って、実はWEB業界も例外ではないんです。
企業の広報担当者と話をしていると、どうしても「こういうことを伝えたいんです」とか「わが社の理念は・・・」なんていいがちなんですが、WEBサイトを使うユーザにとっては、そんなもんどうでもいいんですよね。そんなことよりWEB上でどんなサービスを受けられるのかが大事であって、そこに必要な情報やサービスがあればユーザは満足します。

日本のCMがどうしてこうもお客様を無視した山場CMばかりなのかというと、皮肉にもほぼ全ての番組が山場CMを行っているので、視聴者にとってそれが当り前になっているからなんでしょうね。仮に、皆が一段落CMを使っていれば、山場CMは叩かれ、それを行った企業の心象は悪くなるでしょうから。

TV業界は、いつかこの矛盾、というより自分本位なサービスを行っている事に気づくんでしょうか。
posted by 総さん−ソウサン− at 22:45| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

人生は上々だ。

なんて、ドラマがありましたね。10年くらい前に。
いや、結構面白かったんですよ。浜ちゃんとキムタク。

ココ最近思う事は「人生が上々になるかどうかは、自分次第だなぁ」です。
おおう、なんだこの当り前すぎる格言は。
環境がイヤなら変えればいい。自分がイヤなら変えればいい。
そういう話になりがちですが、そういうことではなく。
(それも真理だと思いますよ)

ずいぶん前に、「人はなぜ人を殺してはならないのか」という記事を書きました。それなりに反響もあり、嬉しい限りだったのですが、結局これも同じなんですよね。ただの「ルール論」。で、ルールそのものが生物という論理から言えば"絶対"ではないから、その解にも絶対的な答えは無い。「人はなぜ人を殺してはならないのか」→「そんなものに絶対的な答えはない」ということです。

世の中にルールというものが存在し、その存在意義と、そして時代によって変わってしまうというある種の軟弱性を見る限り、ルールというものは所詮、数多の価値観の集合体でしかなく、人はそれを「常識」と呼ぶのだと思います。結局、その程度のものでしかないと。

なぜ、万引きをしてはいけないのですか?
万引きを許してしまうと、社会が崩れるから。
なぜ、社会を崩してはいけないのですが?
たくさんの人がともに生きるために社会が必要だから。
なぜ、社会が必要なのですか?
たくさんの人が、幸せになるために社会を必要としているから。

つまり「俺に社会は必要ねえぜ」っていう人がいるなら、どうぞ万引きしてください、という話です。当然、「万引きはしちゃイカン」というルールがあるのだから、それを犯せば罰せられる。それは社会から外れた行為だから罰せられる。それでも構わないという奴がいたら、そら構わないでしょ。その代わり、全力で通報するけどね(笑)そして、牢獄にぶち込まれ、人権を剥奪され、職も失う。そりゃそうですね。人権も、職も、真っ当に生きる権利というものは、社会があって初めて与えられる者だから。そのために、皆ルールを守るのだし。

「自由には責任が伴う」

結局、究極的に言えばこの一言で全て片付くのかなと思います。
その"自由"を選択するなら、それに伴うリスク(責任)も受け入れましょう。

最近の若者が(って、僕もまだ26ですが・・・)認められないのは自由だけ選択して、そのリスクを受け入れないからでしょう。茶髪で何が悪い。深夜に出歩いて何が悪い。ネクタイしなくて何が悪い。いや、悪くないよ君達。でも、人は外見や行動で人を値踏みするもの。その人に気にいられようとしてないんだから「気に入れよお前」っていうのは無理がある。

で、人の幸福の話です。
結局ね、行き着くところは「自分が良ければそれでいいんじゃん」かと思うわけです。27年生きてきて。ホームレスの人も、フリーターの人もいる。そりゃ、軽蔑されますよ。税金払ってないんだもん(笑)フリーターの方は払っている人もいますが。まあ、そういう目で世の中から見られるわけです。でもね、本人が「別にそういう値踏みされたっていいよ」っていう人なら、この人は幸せなわけですよ。当り前ですが。

僕は、たぶん同年代の人間からすれば、いや、僕よりずっと年上の方からしても転職歴の多い人間です。まあ、僕のいた業界ではそんなにめずらしくもないんですが。この前の4ヶ月で辞めたのは異常だとしても、その前はそれぞれ3年と2年勤務してますから。もっと多い人はザラにいたし、派遣だと一年いたら長い方でしたしね。

ただ、それは僕の業界の話であって、その職歴だけ見たら「コロコロ変わってる奴だ」と思う人もいるし「おお、ちゃんとステップアップしとるなぁ」という人も当然いる。当然、それは受け取る側の自由であって、言っちゃえば僕の事を「いい奴」だと思う人もいれば「悪い奴」と思う人もいていいのと同じ事。

で、自分の幸福論を考えた時、これはどうなのかと。
それは、つまるところ「自分次第」なんですよね。
例えばAさんに「あいつ最低や」と思われても、僕がAさんにそう値踏みされることを気にしなければ、どうでもいい情報なわけです。それを決めるのは誰か?もちろん、自分ですねぇ。自分が「これでいい!」と思えばいいわけだから。そう考えると、人間っちゅうのは自由だなぁと思うわけです。

価値観も思想も、自分が幸せならそれでいいわけです。
自分の幸せには、当然他人の幸せも含まれてくる、ということもふまえて。
ということは、大事なのは「誰に認められたいか」ということをしっかりと選択することですよね。で、それは結局「自分にとって幸せとは何なのか」ということを明確に把握する事に繋がるわけなんですが。

例えば、今無職の僕は妹の旦那様のご家族にはさぞダメ人間に映るでしょう。そもそも同級生ですから(笑)「ウチの息子は結婚もして定職にもついてしっかりやってるのに、あの子はダメな子だ」なーんて値踏みをされるでしょう。気分の良いものではないです。でも、僕個人の幸福論として考えた時、義理の弟の両親(同時に同級生のご父母にあたるわけですが)の評価なんてどうでもいいんです。そんなもん、言わせておけばいい。僕には僕の幸せがあって、それを理解してくれない人もいる。それで構わない。でも、同じ言葉を僕の今の仲間にいわれたら、相当凹みますよ。人生の方向性を変えてしまうかもしれない。それぐらい重大なことです。

結局、気の持ちようなんだなと。
良い事も悪い事も起きます。人生ですから。
「犬も歩けば・・・」なんて言いますが、いや、仰るとおり。
棒に当たった事を軽傷だと思うか致命傷だと思うか。
もっと言うと、棒に当たってしまったその経路を失敗だと思うか、必要な道程だったと思うか。結局そういうことなのかなと。その道が無駄な道なら、棒に当たった事も無駄な傷でしょう。その道が幸せに続く道なら、棒に当たった事も試練として受け入れられるでしょう。

全ての人に受け入れられる事も無理だし、人生100点満点も無理。
あるべきは、自分の幸せの地を見つける事、ですね。

価値観なんて、所詮人のものであり自分だけのもの。
幸せに絶対はないわけで。

自分さえしっかり持っていれば、人生は上々です。

posted by 総さん−ソウサン− at 00:50| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

ポスト安倍じゃなくてポスト小泉では?

ポスト安倍ポスト安倍と叫んでいますが、結局「失敗だった」という結論に至るなら、そして指導力、リーダーシップ、発言力等を求める世論を聞くと結局、「第二の小泉」を求めているようにしか見えない。ポスト小泉と謳われた安倍さんがダメで、また他のポスト小泉を探しているという風に感じますねぇ。

世論ってのは怖いですねぇ。
就任時はあれだけ安倍さん、安倍さんって叫んでいたのに少し不祥事がおきるぐらいで、掌を返すように、こうなる。まあ、それは小泉さんの時も同じですけどね。あれだけ持てはやしたのに、就任してしばらくすると叩きだす。そして、辞めるとまたチヤホヤしだす(笑)マスコミに感化されたのもあるでしょうけど、むしろいとも簡単に感化されている人っていうのが大多数なのかなぁと思う。(僕はずっと小泉さん派で、就任前・中・後全て彼は素晴らしいリーダーだと思っています)


安倍さんに指導力がない?
強いリーダーシップがない?
強烈なメッセージ性がない?
そんなもん、就任前からわかっていたことでしょう(笑)
あの小奇麗なオッサンのどこにそんなものを見出していたのか、それの方が不思議です。

当然、僕は就任前から安倍さんは反対でした。
リーダーに必要な上記の資質が備わっていないから。
どの角度から見ても、麻生さんの方がリーダー向きだよなぁって。
どうみても、ブッシュと対等に渡り合えるような個性の持ち主には見えなかった。例えば何の前知識も無い人が見て、安倍さんと麻生さんが並んで話していたら、たぶん7割の人は麻生さんに向かって「総理!」と叫ぶ気がしてならない(笑)

それを踏まえて言えば、安倍さんはそれなりに頑張ったなぁと僕は思います。就任直後から海外へ飛んで友好を深め外交に貢献したり、肝炎問題にも精力的に動いたりと、局面局面ではそれなりに結果は残しているんですよね。大局で見ると、寂しい結果なのですが。

確かに、優柔不断だし、煮え切らないし、お坊ちゃん的な要素満載でいまいちピントがズレているような発言も見えますが、この人の場合そこは目をつぶって他をみるべき人材なのでは?と若造なりに思います。いや、だってそういう人じゃないですか(笑)見るからに。

安倍さんて、いい人なんですよね。
上司にしたら、こんなに過ごしやすい人もいないんじゃないかとすら思います。それが良いか悪いかは別ですけどね。で、いい人はいい人なりに頑張って、それなりの成果を出していたよなぁ、と思うんですね。でも、マスコミも世論も欠点ばかりを責めてそこに目を向けない。

小泉さんの時から思っていることですが、この国の人はトップの人間に多くを求めすぎ、同時に責任の全てを押し付けすぎじゃないかと思います。当然、僕も含めですが。小泉さんが総理に就任して支持率こそ高かったものの、後半はマスコミ含め叩きまくりでした。小泉さんが首相になって、この国は大きく変わったかと言うと、否ですよねぇ。でもね、それ小泉さんの責任にしていたら、変わらないですよ。むしろ僕は「あれだけの変人を持ってしても変わらなかった」なんて思います。人っ子一人変えたぐらいで、国が変わるわけが無い。それを受けて、国民が変わらないと。

今度は、福田さんですか。麻生さんじゃないんですか・・・(汗)
「誠実そうだから」っていう選択理由をよく耳にするのですが、リーダーに一番必要なモノって「誠実」なんですかねぇ。それだったら安倍さんでよかったじゃん、っていう(笑)誠実さがあるに越したことはないですが、もっと必要なモノがあるんじゃないかと思います。

リーダーって、僕は2タイプいると思うんですね。
一つは頭がキレて、オールマイティーにマネジメントが出来る「秀才型」
もう一つは、頭の回転も必要ですが、それ以上に強烈な個性で人を轢き付ける「天才型」

秀才型というのは、ある程度なんでもこなせるので融通が訊くのですが、しかし逆に言うと一人で何でもこなさなければならないので、あまりに巨大なプロジェクトには向かない。

天才型というのは、得てしてその政治力を補う作戦参謀がNo.2にいるものです。天才型リーダーの求心力で組織を生み出し、黒子となる作戦参謀がコントロールする。

秀才型は、天才型の脇で構えるNo.2にもなれますね。
芸人で言うと、天才型は松本人志や、明石家さんま。
秀才型は島田紳助や浜田雅功。
当然、両者とも明確に分かれるものではなく、各々二つの能力をある程度兼ね備えた方々だと思いますが。でもね、天才型は名司会にはあまり向かない。明石家さんまは確かに司会行もこなしますが、あの人は結局自分が輝く事を最優先に考えていますから(笑)そこへくると、島田紳助や浜ちゃんの司会業というのは、全くレベルの違うものですよね。彼らはちゃんとゲストの長所も存分に引き出す。(余談ですが、だからこそさんま紳助のトークは本当に面白い)

こう考えると、安倍さんというのは究極の秀才型、というより「究極のNO.2」だと僕は思うのですね。トップにいるより、NO.2として動いた方が才能が発揮されるような気がします。究極の天才型である小泉さんが生みだしてしまうネガティブな要素を、各所を回って笑顔で「すいません、すいません、悪気はないんです。改革は素晴らしいんです」って動いている安倍さん。これほど似合っている職もないのではないかと、僕なんかは思ってしまう(笑)

その人が、トップに立ってしまった。
しかも、国を動かすなんていう秀才型には向かないプロジェクト。
ある程度、不得手な部分は見逃してやればいいのに、なんて思うわけです。
そしてまた、この方の宿命なのかそういう星なのか、運が悪すぎる。
年金問題や、事務所費流用問題。別に安倍さんの政治によって起こったことではないですよね?安倍さんが総理の時に、明るみに出ただけ。そして、そのあおりで大臣自殺・・・。安倍さんがどうのこうのじゃなく、他の方が総理になったとしても、大問題になったでしょう。仮に小泉さんでも。ほんと、運が悪い。

確かに、このタイミングでの辞職は最悪です。
けれども、それに対して「お坊ちゃん総理」「精神力が無い」「器が足りない」では、何の解決にもならないし、何も生まれないでしょう。安倍晋三という人が、どうしてこうなってしまったのか。どういう心理状態でこの結論に至ってしまったのか。そこを考えないと。単なる個人の資質で結論を下してしまっては、何も解決しない。トップが替わるだけで終わる。

僕は、原因は国民性やマスコミにあると思っています。
再チャレンジと言いながら一切の失敗を許さない国民性(僕も含む)。
失敗の傷口をこれでもかと広げようとするマスコミ。
安倍さんが総理やるんだから。毅然とした態度とか、強いメッセージ性とか、そういうのは諦めなきゃ。その代わり、この人にはその人間性から出る求心力とか、対外性のやわらかさとか、そういう武器もあるのだから。

次の総理に求めるモノ。
当然、「天才型」です。
しかし同時に「天才型」を「天才型」と理解する国民の成熟度も必要だと思います。むしろ、そっちの方が大事かと。小泉さんの発言は、もう本当にリスキーですよ。でも、あの人の発言はたいていが合理主義。「ああ、まあそうだやね」っていう発言が多い。「最小限の犠牲で、最大限の成果を」なんてまさしくその象徴。確かに、デリカシーがないですよ。でも、現実をそのまま伝えたら、大抵はデリカシーがないもんです。デブにデブ、ハゲにハゲ。デリカシーのかけらもない。しかし時に、デブを変えるのはデブと発言する人だったりもする。「そのままでいいんだよ^^」って言ってる人は、癒しにはなれど、改革はできない。

つまりね、「デブにデブって、こいつまたデリカシーの無い事言ってるよ。あ、でもまあ、コイツの言ってることは間違いじゃないし、コイツはこういうリーダーなんだよね」っていう国民の懐の深さが必要だと、僕は思います。それがなきゃ、国なんて変わるわけない。

リーダーは腹黒でも変人を。
それ以前に、国民はリーダーの責任より、自分の責任を問いましょう。

僕も含め、ですよ。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:48| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月06日

就活も楽しいもんだ。

まーだ仕事が決まりません。
このブログでしか僕の近況を知らない方は、意外がるかもしれませんね。
別に、就職活動を怠けていた訳ではないし、それなりに理由があってのことです。まあ、動けない状況がしばらく続いていた、ということですわ。

やっぱり、仕事が決まらないと毎日悶々とします。
人と会っている時はいいんだけど、一人の時間、一人でやることになると途端にテンションが下がる。先の事を考えてしまうからでしょう。「先立つもの」と言われるものが無いってのも大きいのですが(笑)

ただ、就職活動自体は楽しいです。
自分を査定されるわけですが、自分のやってきたこと、できることについては自分でもわかってるつもりですから、そんなにビビることもない。それより、人との出会いですね。これが多くて、本当に面白いしタメになる。

以前、某人材派遣会社のキャリアカウンセリングを受けてガッカリしたという日記を書きましたが、今回はその逆。「ああ、これこそカウンセリングだよなぁ」という人に出会えました。やっぱりちゃんとしているところは凄いですね。マナーや気配りも徹底しているし。

良い話なので名前出しちゃってもいいかな。
インテリジェンス株式会社DODA運営会社)
東京駅前、丸の内ビル27階。
行ってみてビックリ。超一流企業のようなキレイな受付カウンターに、しっかりとした対応。カウンセリング対応用のルームが50以上。ドリンクサーバー完備。まるで、大手弁護士事務所のようです。

リス株式会社しごとナビ運営会社)
ここは何が素晴らしいって、小さくても事業所が首都圏に無数にあることです(無数は言いすぎか)。僕の地元の湘南にもあって、チャリンコで行けてしまいます。これって大きい。という大きいという意識を会社側も僕ら人材側も持たなきゃいけないと思います。上記インテリジェンスの場合、東京駅ですから。東京駅近くにすんでいる人は稀で、そして人材紹介サービスを必要としていないでしょう(笑)。僕の場合、ほぼ往復2000円かかるのです。結構な金額ですね。それに耐えうるサービスを行っているかどうか。そういう目でシビアに判断するべきだと思います。

二社とも、肝心のカウンセリングについて言及していません。
それはこれから書くから(笑)
二社とも、良かったですよ。良かったんですけど、基本的には僕という媒体についてのカウンセリングだから、そんなに大きく変わるものでもない。だから、まとめてここで書きます(笑)

両社および両者とも、僕が前に受けたカウンセリングと決定的に違うのはカウンセラーが転職に関して圧倒的な知識を有し、且つ対応する相手の業界の知識も一定の水準を保っている事。つまり僕の場合はWEB業界ですね。僕の前職を見て、まずそこから反応が違いますし。「WEB業界のことは知ってます」といって、前職の企業を知らなかったら、それはウソになるような会社ですからね。

僕のこれまでのキャリア、これからのキャリア、最終的に目指すもの、今目指すべき事、僕のキャリアの弱点、長所。言わなくてもちゃんと答えてくれます(もしくは聞いてくれます)。これでこそ「カウンセリング」ですよね。どちらかと言うと、インテリジェンスの方がビジネスライクでキチっとした対応、リスの方が砕けた話を交えつつの人間味溢れる対応、ですかね。

また、これは人材紹介会社に限った事ではなく、他のサービスやはたまた応募先の企業にもいえることですが「良いな」「できるな」と感じるところは、レスポンスの早いところです。何かを依頼する、連絡をする、質問をする。その全てに対するレスポンスの早いところというのは、やはり素晴らしいなと思いますね。当然、上記二社も早いです。これはきっと、世の中全てのサービスや、もっと言ってしまえば対人関係にも言える事でしょうね。

と、いうことは、これは僕自身も気をつけなければならないということ。
これまでやってきたWEBディレクターという仕事は、一般のお仕事より、一段上のレベルでこれを求められる。今までだってそれは意識してやってきたつもりだけど、受ける側になってなお改めて思いました。気を引き締めていかないとね。

ってなわけで、就職活動はゆっくりですが、まあ順調っちゃあ順調なんだと思います。

あ、そうそう。
結構スカウトメールが来ます。
わけのわからんちんぷんかんぶんな職種も来ますが・・・。
ちゃんと、WEBディレクターとしてもスカウトメールが来るので、
これはこれで自信になりますね。

posted by 総さん−ソウサン− at 22:03| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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