2007年08月26日

高校の同窓生がいたのに気付かない。

ずっと書いてなかったのでまとめ書き。
一昨日友人達と飲みに行った居酒屋で、どうやら隣りの席に高校の同窓生の女の子達がいたそうなのですが、名前を聞いても全く分からず。あとでアルバムを引っ張り出してビックリするわけです。「確実に名前知ってたじゃんよ・・・」って。

僕は人の名前を覚えるのは早いです。
基本的に記憶力はいいのです。
なのに、覚えていない。

理由は明白。
興味が無かったからです。一時的に、ですね。
今の心理状態では、高校の同窓生までに気が回らないというか、もっとぶっちゃけるとそれ自体がどうでも良くなっていたんですね。興味がない事は頭に入ってこない。当然、記憶という引き出しの利便性も著しく下がる。

まあ、僕は高校時代なんてほんと超が着くほどの無名人だったのでw、覚えていた所で何も変わらないし、声をかけたって相手は絶対にわからないという、僕にしては珍しいとてつもなく大きいネガティブな自信があったのも大きいのでしょうが(笑)いや、それでも僕は人の名前や顔は覚えている方だということが言いたいわけで、つまりその程度のつながりから発生する記憶は心理状態に大きく左右されるということでしょう。

何が言いたいかというと、人の情報量というのは、その人がその対象に持つ興味という名の「意欲」が大きく関わってくるんだということです。同じ物を見たり感じたりしても、それを受ける人が興味を持ってそれに接していないと、見逃す情報も多くなる。「気付き」に最も大事なのは「興味を持つこと」なんですよね。

ここ最近、僕は本当にサービスや商品に対する目が厳しくなったように思います。それで機嫌が悪くなる事もあるし(笑)でも、逆に良いなあと感じる事も増えた。そういう目で相手を見ているからだと思います。何も考えないで無頓着に過ごしていたら見逃す。事実、以前の僕は見逃していたと思うし。

今、この時だからこそ色んなものを見たい、読みたい。
色んなものに興味を持つこと。
「気付き」に一番大事なことを、今はもっともっと意識するべき時なのかなと思います。

まだまだ若造ですから。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:13| ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冷静さを捨てることも時には必要なんだけど。

ここ最近、なんだか良くないことが続きます。
特にこの一週間で起きた事は本当に辛くて、凹まされます。
まあ、自業自得なんですけども。

人が死んだとかいう話ではないので、大した事ではないといえば大したことではないのですが、日常というものをベースに考えれば大した事ですね。気が滅入るのも、凹むのもある意味当然で、元気だったらそれの方が不思議なのですが、それでもやっぱり辛いものは辛い。

気分があがったり、あがろうとすると現実を突きつけられて凹んだり、小さな波の躁鬱状態です。小さな波っていう所が何とも僕らしい。大きく凹んで体調を崩す事も無ければ、自らを見失う事も無い。自分のことを信じる姿勢も失わない。食事だって普通に摂っているし、TVを見れば笑いもする。でも、元気いっぱいにもならない。

これだから僕は「ドライ」なんて言われてしまうんでしょう。
実際ドライな部分もあるのですが。
そういう自分を見るに付け、こういう時は我を忘れて塞ぎ込んだ方が人間として可愛げがあるなぁ、なんてつくづく思う。可愛くないですよ、こんな時まで冷静でいるというのは。どこかで、人間味溢れる人に対する嫉妬というものが僕には存在しますね。

けれども、いつでもどんな事態でも冷静さを保つ、という僕のスタイルはそれはそれで今まで人生に大いに役立ってきた訳で、特にディレクターという仕事や、仲間を集める時、大きなイベントを仕切る時には必要不可欠だったとすら思う僕の個性なのだから、今さらそれに呆れても仕方がない。なんて、それ自体がまた可愛くない分析だなと思ったり。

でもま、やれることを精一杯。
これが僕の基本スタンス。
どうせ出来ない事は出来ないんだから。
今あるゆったりとした時間を使って、大いに凹んで、大いに羽を伸ばすことが、きっと次のステップに繋がると思います。

とりあえず、まず自分の進路を決定しなきゃ。
posted by 総さん−ソウサン− at 17:54| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月25日

解約させないという手法。

ス〇パーを解約しようと思っても、WEB上ではできないんですね。
で、その上カスタマーセンターへも中々繋がらないというね・・・。
契約変更はWEB上で出来るのに、解約はできないというのも不思議な話ですね。

同じような話を〇ahooBBでも聞きます。
〇ahooBBはもっとタチが悪くて、解約すると言ってるのにそのまま電話越しで問題解決を訴えて契約延長へ引っ張ろうとするとか。そういえばソ〇ットを昔解約しようとした時も、WEB上でいくつもの引止め工作がありましたねぇ。

こういうのって、ほんとに顧客が見えてない手法だなと思います。
だって、ユーザは解約する事を求めているのだから(笑)
どこかで一枚「お困りの事はこういうことではありませんか?」というお情け頂戴のタイミングはあっても良いとは思いますが、あの手この手で解約させないようにするなんて、サービスというものを勘違いしているとしか思えませんね。少しでも契約者を確保したいのだろうけど、そんな対応されたらユーザは「二度とこんな所と契約しない」なんて思って、むしろ逆効果だと思います。

解約されたくないのなら、力の入れ所が違うんですよね。
サービスを商品とする契約って恋愛みたいなもので、数あるサービスの中からユーザは「ここがいいね!」と選んでくるわけです。それを「あの手この手で解約を阻む」というのは、言ってみれば別れの宣告をされそうになって(もしくはされて)悪あがきをするようなもんです。連絡を受け付けなかったり、話を聞かなかったり、もう終わりにしたいと言ってるのに無駄に話を延ばしたり。そこで頑張っても、時すでに遅し、なんですよね。大事なのは、そこにいかに至らせないサービスを日々実施するかであって、愛想をつかされてから頑張っても見苦しいだけ。凄く簡単な事なのになんでわからないんでしょうか。

きっと、目先の数字ばかりに目がいってるんでしょうね。
中には、引越しや住宅環境からプロバイダを変える人だっているだろうに、サービスさえ良かったらまた環境が変わった時に選んで貰えるかもしれないのに、わざわざそういう機会を損失するような行為だと思います。

ユーザに対してどんなサービスを提供するのか。
これがはっきりしていないといけないわけですが、つまるところそれは「自社にとって、ビジネスターゲットは誰なのか」をしっかりと分析し把握する事なんですよね。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:02| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月10日

あれでキャリアカウンセリング?。

先日、派遣の登録に行ってきました。

最近の転職系サイトは、職業斡旋に留まらず、転職の方向性やプランに対するアドバイスも行ってくれるんですね。俗にキャリアカウンセリングと呼ばれますが。

派遣と同時にキャリアカウンセリングにもオンライン登録をしたので、その先日の派遣登録の際に合わせてキャリアカウンセリングも受けてきました。カウンセリングというぐらいだから、僕のキャリアや将来展望に対して何かしらのアドバイスや指導をしてくれるのかと思い、少し楽しみにしていたのですが、カウンセリングとは名ばかりの職業紹介でした。

僕より確実に若いオネーチャンが出て来て「こんなお仕事があります」なんて、あれでよく「キャリアカウンセリング」なんて言えますよね。笑わせてくれるなぁって思いましたよ。カウンセリングなのに始めからやることが決まってるってどういうことだよ(笑) 時には、仕事を奨めずに別の方向性を探らせる場合もあるわけだし、そこを考えて提供するのがあなたたちカウンセリングの仕事でしょうが。仕事紹介だけならWeb見ればわかるんだよね。あれなら、今日話をうかがって来た師匠のほうがよっぽどキャリアカウンセリングだったよ(笑)


でも、この話実はWeb業界もあまり他人の事をとやかく言える状態じゃないんですよね。

「Webコンサルティング」なんてうたっている制作会社が「SEO対策できます!」「アクセシビリティ配慮なら我社へ!」「CMS導入できます!」とか堂々と言っちゃってますからね。それは手法の話であってコンサルティングではない。「検索エンジン上位できます!」なんてのは、上位表示のお手伝いであって、根本的な解決になってないわけです。

コンサルティングとは、それらの手法を駆使して「いかに問題を解決するか」という「戦略」のことを指し、そこをいかに提供するかでしょう。


コンサルティングやカウンセリングなんて、そう易々と出来る事じゃないんですよね。相手を上回る知識と経験は絶対になきゃならないし、その上でコミュニケーション能力、プレゼン能力、プロジェクトマネジメント能力が必要とされる。最近大学を出たようなオネーチャンにできるわけがない。

この国のラベリング偏重価値観がもたらした、間違ったブランドの成れの果てですね。


僕は、そうならないように気をつけたいものです。
posted by 総さん−ソウサン− at 16:33| ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

突然の訃報。

訃報なんて、大抵は突然ですけどね。
それにしても、ショックです。

僕の古い友人が先月亡くなったそうです。
ずっと連絡をとっていなかったので「友人」と呼ぶ権利が僕にあるのかどうか、凄く迷うところですが、少なくとも幼少時代、幼稚園から小学生までは頻繁に遊んでいた友達の一人だったので、僕にとっては友人です。

ご本人の妹さんから聞きました。
mixiって凄いですね。「兄の友達を探していたら行き着いた」って。
まあ、学校コミュニティの管理人をやっているので、比較的同級生には見つけやすいんですけども。

すごいのは、妹さんは誰かに伝えたかったらしく、それは別に僕に狙いを定めて来たわけではないということ。その中で、去年中学の同窓会幹事を担い、今も仲間を引き連れて遊んでいる僕のところへ来たというのは、自分で言うのもなんですが、良い偶然だなぁと感じます。彼が、何かのおぼし召しで僕のところへ連れてきたんでしょうか。今日という日といい、そう感じずにはいられません。


本当に切ない。
僕の幼少の思い出には必ず彼は存在するし、今、時間をともにしている仲間の中にも、同じように彼は存在すると思う。同じ環境で同じ時間を過ごし、同じように家へ帰る。そういえば「通学路よりこっちの方が早い」と、子供心にちょっとドキドキする、そんな裏道を初めて教えてくれたのは彼だった。

先月、僕は何をしていた。
毎日、厳しい環境に苛まれながらも一生懸命仕事をこなしていた。
そんな時、彼は亡くなった。
僕は、何をしていたのだろう。
僕は、露ほども知らなかった。
僕に何かできなかったのだろうか。

人間の悪い癖ですね。
僕に何かできたわけがない。
そんなものは、ただの僕の自己満足に過ぎない。
同じように、これから先の未来について「僕に何かできることはないだろうか」というのもまた、同じこと。ただの自己満足でしかない。亡くなってしまった後に何をしても、故人は戻ってこないのだから。結局、自分の力を過信した、自分の存在意義を主張したいだけの、ただのエゴに過ぎない。



最近になって思うことがある。
よく言われる「自分の居場所は自分で作るもの」というのは、まったく真理だと思う。けれどそれが全てだと思ってしまうと、それはエゴでしかなくなるのだと、最近は痛感させられる。自分の居場所は自分で創造するものだけれど、自分の居場所を形成しているのは、自分ではなく周りにいる人達だと。確かに、自分の立ち振る舞いや言動、もしくは持っている技術によって自分の居場所というのは創造されていく。けれどそれは間接でしかなくて、その居場所を形成しているのは、周りの人間。周りの人間が「君は、こういう人なんだね」と理解をし、評価してくれるから自分の居場所がそこに生まれる。

自分の生命を維持するために、水分を確保しようとする。水分を蓄えるものといえば、例えばコップ。コップは確かに人がつくるものだが、結局のところ命に必要な水を蓄えているのは、自分ではなくてコップだ。水を蓄える為の「器」を人が作ったに過ぎないわけで。だから、人間がいくら万能になろうとも、その「器」そのものを乱暴に扱ってしまっては、何もなしえる事はできない。

僕の居場所は、僕の行動や人間性を受けた仲間が作ってくれている。彼らが存在するからこそ、そして理解してくれるからこそ、そこに僕の居場所が出来る。自分ひとりで出来ている訳ではない。と同時に、僕も他の誰かを受け入れ、好意を抱き、そこにその人の「居場所」が存在する。彼がそこにいてくれるのは、僕がそこに彼を映し出す「居場所」の一つを、僕の体内に形成しているからだろう。

そう考えると、先月亡くなってしまった僕の友人の「居場所」は、少なくともそのカケラは僕の体内に存在する。彼とともに同じ時間を過ごし、一緒に走り回ったその時間は、多くの大人のそれと同じように、僕という人間の礎になっているし、彼もまたそうだったろうと思う。彼の「居場所」の一つを僕は持っていたと思うし、久し振りに出会えばまた同じように、やあ、なんて言って彼を受け入れただろう。それは、今も存在する立派な彼の居場所だったと思うし、そして僕の心や思い出に存在するその彼のための器は、誰にも消す事の出来ない、彼がこの世に存在していた証だと僕は信じて疑わない。


大人になってからは一度も会っていない。
今、子供の頃と変わらず笑いながら盃を交わす仲間と同じように、彼とも今の話、ガキの頃の話、これからの話をしたかった。そう思えることが、そういう想いを抱ける事が僕は幸せだと思うし、それが叶わなくなってしまったことに心を痛めることこそが、人間の価値だと僕は思う。


彼のためだなんていうつもりはさらさらない。
彼がこの世に、ここに存在したという証明の一つが僕の中に存在する。
その証明に向き合い涙できることが、僕の、そして彼の財産だと思う。

いつも笑いあうことばかりが人間の価値ではないさ。
彼が遺した彼の居場所。それを自分の中で感じられる事を大切にして、
ポッカリ空いた心を受け入れようと思う。
彼に感謝の意を込めて。

心より、ご冥福をお祈りいたします。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:20| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

酒井友之がヴィッセル神戸へ移籍。

たまには大真面目にサッカーの話でも。
酒井友之という選手をどれほどの人たちが知っているだろうか。
「サッカー好きです」という人の5割は知らないと思います。
「サッカー"が"好きです」という人の5割もまた知らないかも??
日本代表にキャーキャー言って、日本代表以外のサッカーを知らないミーハ−な人は知らないでしょう。逆にJリーグのファンなら知っている人はかなりいると思う。


思えば、どうも華が無い選手だった。
運動量も豊富で、技術も確か。パスセンスも悪くはないし、ドリブルが全くできないわけではない。そして、守備力はかなり高いものを持っていた。いや、持っている。今だってレッズで試合に出た時はいつも良い動きをしている(らしい)。豊富な運動量に正確な技術を持ち、そして何よりもすぐれた戦術眼。中盤の掃除屋は十八番だし、繋ぎ役もできる。ロングパスも下手じゃない。

しかし、言われてみればみるほど、華が無い。
華が無いというのは、何も中村俊輔や小野伸二のようになれということではない。たとえば、中澤にも阿部にも鈴木啓太にも華はある。別に技術がどう、ということではないのだと思う。うまいし、汚れ役もできるし、手を抜かない。計算の立つ選手。僕が監督なら、間違いなく欲しがると思う。欲しがるだろうけど、では手元に小野と長谷部と鈴木啓太と阿部がいたら?ベンチに置くだろうと思う。そのうちの二人をベンチから外したとしても、たぶん酒井はベンチに置きたくなる。しかし、スタメンではない。何かが、足りない気がする。それが何なのかと問われると難しいところなのだけど。

考えるに「節目節目での大活躍」が無いのかもしれない。
苦しい予選で眼のさめるようなパスさばきを見た記憶も、獅子奮迅の働きで中盤を引き締めるような活躍を見た記憶もない。いつも「しっかりと着実に」というイメージしかない。時に、それが数多の監督の信頼を勝ちえ、同時にチームの「小さく正確な歯車」以上の評価を得られなかった原因かもしれない。

つまり、彼がチームに欠かせない選手となり、チームの安定に絶対的な力を発揮するような活躍が必要なのだと思う。エドガー・ダービッツ、ドゥンガ、山口素弘のように。そういう意味で言えば、ヴィッセルは悪い選択ではないと思う。純マーカスも加入し、ボッティも遠藤兄もいる。そう簡単ではないだろうが、しかしこのまま老け込むような歳でもない。是非、活躍して欲しい。活躍とはもちろん「監督の計算の立つ」程度ではなく「ヴィッセルの中盤は酒井でもっている」と言われるほどに。ポテンシャルから言えば決して不可能ではないはず。

こういうことを言うとファンには失礼かもしれないが、この10数年サッカーを見続けて来た僕の目が確かなモノだとするなら、酒井の運動量と守備力は決して啓太に大きく見劣りするものでもないし、そして啓太よりずっと確かな技術を持っていると思う。

左腕に腕章が似合うぐらいの活躍、して欲しいよ。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:55| ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月03日

ふわふわりの平日。

どうも、毎日そわそわしますね(笑)
やっぱり、未来が何も決まっていない、収入源がないというのは何か落ち着きません。社会人としては正常なんでしょうけどね。

とりあえず、このままどの道に進むとしても、短期の仕事でも、夢に向かう長期の仕事にしても食いブチを見つけにゃあ生きていけないので、派遣に登録したり就職情報誌を見たりしています。これはこれで結構楽しい(笑)そして、毎日の穏やかなこと。特にWeb業界に入ってからは忙しさに追われ毎日を走り抜けてきた気がします。気づけば、常にトップギアで走っていたような。何かしらの責任にプレッシャーを感じていたり。それがモチベーションだったりもするのですが。

けれど、ふと社会の流れから外れてみると、穏やかですね。
新宿にいても横浜にいても湘南にいても、毎日を組織の歯車として過ごしている人が大半の中で、すれ違う人すれ違う人、これまでの自分を見ているようです。いつかはそこに、戻らなきゃいけないんですけどね。その中に紛れ込むと、自分だけ社会に取り残されたような、ふと、そんな孤独感を感じます。同時に、今は走らなくてもいいんだなという安堵感も感じられる。

いつも絶対に見られないようなTVを見て、絶対にでかけられないような時間に外をブラブラする。いつも飲めないような時間に呑んで、いつも寝られないような時間に寝る。ブログ以外の文章を書きたい。遠出をしてみたい。昼間に銭湯でもいくか。そうだ、前から気になっていた湘南の朝市に行ってみたい気もする。仕事や夢以外に、自分には結構やりたいことがあったんだなぁと、新たな自分を見つけたり。

仕事、探さなきゃいけない。
将来を考えることも必要。
でも、僕はもう26歳。
仕事探しながら遊べるくらいじゃないと、
26歳としてはダメかなと思います。

というわけで、ともかくいろんなモンを感じて、
いろんなくだらないことをやりたいと思います。

くだらないこと、大真面目にやるのって大人には難しいので。
とりあえず皆、遊びましょう。
posted by 総さん−ソウサン− at 14:31| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人材という名の力。

今もって、無職になってしまったのに後悔がないのは、結局僕が一番大事だと考えているものが、あまりにも合致しなかったことなんだなぁと、いまさら気づいています。

人と人との繋がり。
僕が一番大事だと考えるものです。
それが、とても薄い。だから、「教育」という概念がない。
そういう会社でした。

「育てよう」ではなく「育たないやつは知らん」というスタンスというか。
前のコメントにも書いたけど「OJT」と「丸投げ」の違い。
僕は新卒からアウトプットは違えど、ずっと制作系の職についてきたので、基本的にOJTで力をつけてきました。だからこそ、違和感を感じるのですね。僕だって後輩や新人を抱えたことはザラにあります。そのときにまず考えるのは「どうやって仕事を叩き込もう?」です。で、その手段がOJTとなるわけですが、いきなりはじめから終わりまでやらせるということはないですね。仕事を細かく切って「とりあえずここまでやってごらん」と言う。で、当然あがってきたものは使い物にならない。使い物にならないことは予測できるのだから、修正も含めて時間を取り、ダメなことを指摘し、時に甘ったれていると思うときは叱った時もあります。それでも、最悪の事態にはならない。そりゃ、そうならないようにコントロールしているから。全ては「こいつをなんとか一人前にしよう」という目的から。

その、目的がないのですね。先日までいた会社には。
だから、仕事を丸投げして、出来ていないと罵声を浴びせる。
はじめから完璧を求めているから、ある意味当然の反応なのですが。
そして、コントロールしようという意識が低いので、修正に対する完全な指示を出さない。意見だけ。それが複数人同時に。対等な立場の上司が口を出すのです。=まとまらない(笑)
で、それでもいただいた意見をもとに一生懸命考えて修正をする。しかし、意見は所詮意見なので、同じことの繰り返し。その上二度目には「なんで一人で考えるんだよ!」と怒鳴られる。逐一報告しようと心がけると「何にも考えてねえのかよ!!」と怒鳴られる(笑)こうなると、もう何が正しいのかわからなくなる。何をやっても起こられるという意識が植え付けられ、病気になる人があらわれる。病気にならずとも、「プロジェクトが終わっても何かを成し遂げた達成感はないよ。怒られたまま終わるだけだから。苦痛を切り抜けたという休息感があるだけ」という先輩も何人かいましたね(笑)つまり「育もう」という意識が薄いから、話に一貫性がなくなるんだと思います。

たとえ話があるとわかりやすいかも。
東京にいる子供に「新大阪へ向かう」というタスクがあったとします。
僕ならまず、電車の乗り方も知らない子には「とりあえず、新大阪までの切符を買ってきて」と言います。戻ってきた子供がぜんぜん違う切符を買っていたら、「お前、これ違うだろ。新大阪を買わなきゃ。新大阪、何で行くか考えた?考えてないよな?」というところから話を始めます。
しかし、その会社は「新大阪に来い!」としか言わないのですね。
で、何もわからない子供はなんとか切符を買って電車に乗るのですが、それが新幹線じゃなく東海道線だったりするわけです。そうすると「お前何考えてんだ!?バカじゃねえのか?!」と、怒鳴る。そして、「新幹線の方がいいだろ」としか言わない。子供は、次は一生懸命考えて、周りを見渡して、時刻表の存在を知り、新幹線の種類を知り、切符の買い方を知って、やっと新幹線に乗れる。しかし、当然時間がかかる。そうすると「お前遅すぎだろ!何やってんだよ!そんなの、調べりゃ簡単にわかるだろうが!わからないんだったら聞けよ!」とまた怒鳴る。学習した子供は、逐一相談するようになる。すると、また「お前なあ、そんなこともわかんねえのかよ!そんなもん、聞かなくても調べられるだろ!!!」と怒鳴られる。


結果。
「何が正しいかわからなくなる」


最悪、これでも「新大阪への行き方」は覚えます。
しかし、ではこの子供はずっとこの大人に着いていこうと思うでしょうか?まあ、思わないですよね。苦痛しか与えられないのだから。「新大阪への行き方」を覚えたら、その大人に用はなくなる。当然、その知識を得たらもっと理解ある大人のところへ行くでしょうね。

僕のように、それを見越して「新大阪への行き方」にすら興味を抱かなくなった人間はスパっと決断しますが、その知識に興味のある人もいるわけで、残る人ももちろんいます。でもね、結局みんなやめていくのです。だから、あの会社のディレクターには1年ちょっとの職歴しか持たないディレクターだらけだったのですね。あとは管理職のみ。

これって、大問題だと思います。
特に、僕らWeb屋は。
別の大手制作会社の人事担当者が言ってました。

「我々Web屋の一番の財産は人材なんです」

おっしゃるとおり。メーカーと違って、Web屋は会社自体にナレッジはないんです。工場とか、独自の技術とかいらないでしょう?そもそも、形のないものを作って売っているのですから。必要なのはPC環境ぐらいで、そんなもんは誰にでも集められる。Web屋の財産は、現場の人間の体内にあるのです。知識や、コミュニケーション能力や、発想力とか、さまざま。考えてモノを生み出す仕事だから、ルーチンワークでもない。新しい人が来てパッとできるわけではないんです。いくつもの案件をこなすことにより力を蓄え、それをまた次の案件に活かす。そして、また新しいものが生まれる。会社の組織力を使って蓄えた力=人が外に流出したらどうでしょう?大きな大きな損失です。その人にいったい会社はいくらかけてきたと思ってるんですかと。

媚びるというと言葉は悪いかもしれない。
けれども「気に入ってもらうよう行動する」ということは、大事だと僕は思いますけどね。
posted by 総さん−ソウサン− at 02:05| ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月01日

無職になりました。

社会人になってから初です。
いつも、転職する時は次が決まってから辞めていたので。

にしても、早かった(笑)
朝、意思を伝えたらその日付けで退職ですから・・・。
動きの早さには感服しますね。

後悔はないです。
ある種の喪失感がないといえば嘘になりますが、逆に言えばネガティブな要素はそれしかない。Webの第一線を離れてしまうわけで、それには多少の寂しさはありますが、同時にやはり自分にはそのWebの第一線に魅力を感じなくなっているのもまた実感としてあるわけで。ただただ会社が嫌で辞めたわけではない、ということです。

やっていることは悪くない会社で、基本的にはとても仕事のできる会社でしたけど、いかんせん社内環境が悪すぎました。ともかく、ちゃんと教えない。右も左もわからない人間に丸投げして、ふたを開けてみたらまったく検討違いの所に来ていて、それに対して聞いたこともないような汚い言葉で侮辱して激怒する。うつ病になる人もたくさん。忙しすぎて、たたかれすぎて体調を崩して高熱を出し、オフィス内で倒れて、打ち所が悪かったらしく今杖をついて歩いている人までいる会社ですから。仕事のやり方と同じなんですよね。考え方が合わない人に歩み寄る気というのがまったくない。会社を好きになってもらおうなんて気さらっさらない。人と人とのつながりというのが、弱い会社でしたね。僕が一番違和感を覚えたのはそこだったりしたし。

僕のディレクターとして最も大事にしている言葉は「ディレクターの資質はいかに味方をつくれるかで決まる」ですから。真逆ですね。

次、ですか。
当然、働かにゃ生きていけないし、夢もあるので職探しはします。九月一日社会復帰を目標に探そうかなと思っています。ありがたいお話もあり、それも含めて今後の人生、自分のやりたいこと、今しかできないことを見つめる時間にしたいですね。

あと、短期バイトとかしたいです(笑)
バイトってもうぜんぜんやってないですから。
PCを使ったデータ入力とか、資料作成とかそういうバイトないかな〜。Officeなんてバリバリ使えるので、オーバースキルでバイトがしてみたい(笑)オッサンだらけの事務所とかで「もう、終わりましたけど」「ああ、これはこういう風に使ったほうがいいですよ」みたいな(笑)

というわけで、基本的に平日暇です。
のんびり暮らしたいと思います。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:05| ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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