2007年07月30日

僕はどうしよう。

この一週間ぐらい、少し悩んでます。
自分の進退に。仕事ね。

びっくりするほど、人がやめていきます。同期で18人入って、もう6〜7人は辞めました。やめたのは同期だけではなく、僕が入社する少し前に入った人達も辞めていきます。一年に満たないで辞めていくなんてザラ。

僕の隣の隣に済む同期も、辞めることを考えているみたい。この人は二つ年上で、あの人材サービスやフリーペーパーで有名な会社から来た人。「やり方があわなすぎる」「意味がわからな過ぎて苦痛しかない」という彼の言い分は全く異論がない。同じ中途組で、しかも早くからビシバシ鍛えられるポジションに置かれ境遇も同じなのです。
僕と彼の違いは、前職の経験ぐらいでしょうか。僕は同じ業界にいましたから。

いま、僕を引き止めているのは、Web業界に轟くその名前の大きさと、あまりに短い期間でやめてしまっては、次に続かないという二点だけです。それ以外に、この会社に魅力を感じなくなっている。

この先、僕も追い込まれて、わけわからないのに怒鳴られまくるんだろう。今だって、わけわからん仕事任されるし、丸投げで辛い。

夢もかなり頭に出来て来て、その上でいまここにいる意味ってなんだろうって思いだしました。怒鳴られて、追い込まれて、平日は何も出来ない

この会社に入ってから、ほぼ一度も大好きなサッカーをしていません。ジムにも通えない、球蹴りもできない、満足にサッカーも見れない、友達との予定も組めない。そこまでやって、その先に何かあるのかな?
「とりあえず一年」ということそのものの意味。

最近僕は毎日のようにそれを考えています。

どうするべきか。
誰にもわかんないことですけどね。


posted by 総さん−ソウサン− at 08:49| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

ああアジアカップ。

久しぶりに、立て続けに代表戦を観ました。
この仕事やってるとまず見れないですから・・・。
とくにHOMEなんてたいてい平日でまず見れない。


昨日、残念でしたねぇ・・・。
すんごいショックでした。
なんだかんだ、勝つと思ってましたから。戦績で言えばサウジは相性の良い相手ですからね。95年?のサウジ二連戦から、負けた試合をほとんど見てませんでしたし。
ただまあ、アジア三連覇や四大会優勝など、失ったものは大きいですが、そんなに落ち込むこともないのかなと。一敗はただの一敗ですから。トーナメントでは充分に有り得ること。決めきれないのも今に始まったことではないし、一対一が弱いのも同じ。

方向として間違ったほうに向かっているとは思わないし、アジアカップが最終目標でもない。チームを熟成させつつ、結果も狙いにいったという観点から見れば、ベスト4は合格点だと思います。時の運もあるし。
トルシエ、ジーコ時代に比べたら遥かにレベルの高い安定した試合をしていると思いますね。常に力を発揮するという意味で。

トルシエ時代、選手は自己で考える権利を与えられず、歯車に徹することを強いられた。事実は、その中でも個性を出せということだったんですが、あまりの独裁にそれを出せる選手は限られ、オートマティズムによる連動性こそが強みだった。日本代表は限られた「自由と規律を操れる」指揮者により、抜群のバランスを獲得。史上最強の強さでアジアを征したが、世界に出たとき、あまりに少なかった指揮者のタスクを担える人材をとうとう失い、バランスではなくオートマティズムのみで戦うことになった。それなりの結果を残したが、機械の選手達にはそれ以上はのぞめなかった。


ジーコは、まるで突然に考える権利を与えるかわりに、施策は全く与えなかった。全て自分達で考えろと。道標を失った日本代表は、時折発揮するクリティカルな連動と、「動かないこと」による組織固めというアベレージを武器に戦った。結果、高度な守備組織に動かないことによる牙城をもって攻撃を跳ね返し、カウンターをもってなんとか得点するスタイルで、アジアをなんとか征した。当然、アジアでのみ通用する戦い方は世界では役に立たず、クリティカルを狙った世界では、一つの施策も手に持たない選手達のアドリブだけに頼り、当然のごとく散りさった。

オシムは、全体の哲学と局所の施策、そしてそれらを「ツール」として自己で考えることを求めた。完全な機械組織でもなければ無策のアドリブ要求でもない、個の武器に組織大砲と二つの武器の使い方を与える。選手達は組織連動のベースに個の武器を加えたスタイルを身につけようとしている。

さて、今はどうか。
間違いなく、ジーコジャパンより走り、チャンスを作り、そして間違いなくトルシエジャパンより応用が効いている。考えるようにもなったし、足を動かすようにもなった。たしかにまだ、個の力を上乗せするレベルには至っていない。今はまだ走ることとバランスを維持することに頭が向いて、個の力を発揮する意識を持つに至っていない。が、これは仕方ないでしょう。今それが出来ていたら、それは完成に近いのだから。


この9年間の流れを見ていれば、間違いなく良いほうに向かっている。まだ本番じゃない。これからでしょう。


そう考えれば、完全なオートマティズムもない中で、よく繋げて、よく連動していると思う。あの劣悪な環境で。はっきり言ってサッカーをやる環境じゃない。その中で、よく動いている。あれで動かない、足元ばかりだと言う人は、一度真夏のフルコートでサッカーをやってみるといい(笑) すぐに動けなくなるから。

97年のアジア最終予選オマーン戦。これほどボールは支配出来なかったし、もっともっと足がとまっていた。

2004年のアジアカップ。
劇的な勝利は見ていてとても楽しかったが、やっているサッカーはこの上なくつまらなく、未来のないサッカーだった。アジア相手に完全リトリートでセットプレイとカウンター頼みなんて、世界で戦うつもりがないのと同じ。

ちゃんと、考え出した。
ちゃんと、走り出した。
個の精度、仕掛け、試合運び。
これから付け加えるものでしょう。

日本サッカーは着実に進化していると思いますよ。
少なくとも三年前のチームよりは。
posted by 総さん−ソウサン− at 22:31| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

三秒後の変身。−セミナー講師の巻−

またしても憂鬱です。
企画書は思ったほど叩かれませんでした。
まだこれからPowerPoint化するところなので、修羅場はまだまだやってきますが・・・。しかし、それに加えてまた新しいお仕事が。


セミナーの講師をやれと言われました。
といっても、ただ人前に立って話すだけではありません。話す内容まで、新しく自分で考えなさいと。普通なら誰しもが考えると思いますが、僕の教育のためではありません。単純に、そのセミナーの内容が会社として初めての切り口のもので、前例がないから。無いから、そりゃ新しく作らなきゃならんと。しかも、全く意図がわからないのが「事例を交えた内容にしろ」とのこと。僕、まだこの会社来て四ヶ月ですよ(笑) 当然事例なんか知らないし、メインディレクターとして案件を持ったこともない。そんな輩に、会社の一つの顔となるセミナーの講師を、しかも今までとは違う切り口の新しい内容でやらせるとは、何か矛盾しているような・・・。ちなみに、事例は自分で聞いて集めろということです。この会社の厳しさをわかっていただけるでしょうか(笑) 僕に任せた理由は「前職の経験があるから」だそうです。そんだけ?・・・と(笑)

辛いのは、人前で喋ることでも、内容を組み立てることでもないです。企画書と同じ。社内チェックが度々入るのです・・・。骨子を作って、部内役員チェック。そして資料が完成したら、部内全員に向けてレビュー。部内の人間が全員集まって、僕のプレゼンや内容をボロクソに言う会です(笑)。で、部内を通れば次は全社レビュー。そうです。我社の誇るWeb業界のカリスマ、あの社長に対してプレゼンをしなければならないのです。しかも、一つの企画の話ではなくWeb論ですから、釈迦に説法とはまさしくこのことですよ。

Web論の素晴らしさもさることながら、プレゼン力の凄まじさは他に類をみない才能です。「ヒアリングに来ました」と言って喋りまくって帰って来ちゃう人ですから。こちらの不備と思われる事態に、クライアントに頭を下げてもらうために訪問したのに「だからあなたたちはダメなんだ」と2時間説教をして帰ってくる社長なんて、聞いたことがない(笑)当然、2時間後のクライアントは全員納得しているのですよ。


そんな人の前でプレゼンです。
どんな大きな箱でプレゼンをやるよりもプレッシャーですよ。しかも、僕はこの手の練習とかレビューが大嫌いなのです。理由は簡単。「自分よりそれを知っている人に、力いっぱい説明するのが恥ずかしすぎる」からです。オシムに「サッカーとは・・・」なんて話すようなものですから。なので、今までは練習が必要な時は敢えて何も知らない人を集めてやってました。


ただまあ、未だかつてない程のピンチですが、つまりそれは極大なチャンスなんですよね。社長や役員に直でアピールする場ができるわけですから。先日も書きましたが、チャンスが与えられたことを喜び、楽しんで取り組みたいと思います。


でも、やっぱり簡単には無理です。極大なプレッシャーがかかる大ピンチに違いはありませんから。「楽しみを見出だすために、逃げ道をつくる」と以前に書きましたが、実はもう一つ、いつも行っているメンタルコントロール術があります。
何かのプレゼン、司会、面接。実力を出し切るために知識や技能より、何よりも心の強さを求められるとき、僕は自分にこう唱えます。




目を閉じ、胸に手をあてて三秒間深呼吸をする。

スイッチを切り替えろ。
失敗を恐れるな。
必ずできる。
やってみせる。
怖さは克服できる。

「ゆっくりと瞼をあげた後の僕は、スーパーマンだ」


三秒間のファイティング・スイッチ。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:27| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月24日

全力を尽くした者にだけ成功は訪れる。

「総さんて、後悔とかしないの?」

こんなことを聞かれました。
人の子ですから。そりゃ後悔することもありますがな。でも、たぶん人よりは少ない方だとは思いますね。

「あーしておけば良かった!なんでそうなっちゃうんだ!とか、そうやって何かに当たってしまったり責任を環境に求めたりは?」

これは、ないです。
他人や環境を責めても仕方ないし。
前にも書きましたが、僕の「失敗」対する哲学は「その時点で失敗を回避する能力があったかどうか」と「突き付けられた現実を受け入れること」です。

仕事の失敗や段取りの失敗、生活やお金に関する失敗。よく聞くのは「なんであそこであんなことしちまったんだ!なんで確認できんかったんだ!」という話。この手の後悔は、僕はあまり質の良いものではないと思います。理由は二点。

・自分の実力を受け入れられてないから
・仮定の話に陥っているから

ミスや失敗なんてものは、多かれ少なかれ物理的には小さなポイントだったりするんですよ。同じ人間で先輩が失敗しないで新人が失敗するのって、一つ二つのタイミングでチェックするべきところをしてなかったりすることが多い。だから、新人はミスを犯すのですね。
では、新人に回避する術はあったのか。これはないわけです。それは彼が新人だから。それが彼の実力だからです。


大事なのは「そこで確認を取れるタイミングがあったかどうか」ではなく「そこで確認を取る意識を自分は持てていたかどうか」なのです。たいていはNOですね。確認するタイミング、場所を知らないから、確認できない。それも含めてその人の実力なわけです。「ガスの元栓をしめたかどうか確認すること」は、ガスの元栓の開閉はどんなバカにも子供でもできます。でも「出かける前に確認する」のは大人にしかわからない。


人は後悔や失敗で成長します。
それにおいて大事なのは「現実を受け入れること」と「常に全力を尽くすこと」。常に全力を尽くさなければ、失敗が失敗として、もっと言えば自分の能力の限界としてカウントされない。限界を把握できない奴は、成長しない。「次はちゃんとやろう」としか思わないから。間違いなく次だってちゃんとできないですから。


「あと、右ストレートの一伸び、右腕を延ばし切るだけで相手に勝てた」なんてのは、それが実力なのです。物理的にはほんの少しの差であっても、そのほんの少しこそが越えられない壁であったり、限界になる。「次はあの一発を当てれば勝てる」なんて言ってるボクサーはきっと次も負けるでしょう。あるべきは「あの一伸びが出なかった。まだまだ練習が足りない。あそこでもう一度右ストレートが出せるように、鍛え直さなくては」のはず。

それに必要なのは「あの時俺は全力で戦った」という自負と「それでも届かなかった」という現実を受け入れること。「あの時ああしていれば良かった」というのは、そのどちらかができていないということです。


何事にも全力でぶつかる勇気も、現実を受け入れる力もない奴に、成功はない。


「総さんはいいなあ、好きに生きていて、夢もあって、その上ステップアップしていけて」なんて言われることがある。
リングの外で見ているだけの奴にはわからんよなぁ。


僕の人生や転職はScrap&Buildなんだってことを。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:21| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月20日

楽しみを見出だすために逃げ道をつくる。

企画書を任されています。
コンペ参加用の。
本当は別の先輩がやるはずだったんですが、その方が別のタスクで埋まってしまって。で、そうするとお鉢が僕に回ってきます。間違いなく、本部長の指示ですね。何かにつけて「じゃあ、総ちゃんにやらせればいいんじゃない?」と言い出す。ぽこぽこ仕事を流して成長を促す一番手。僕はそういうポジション。

これが、大変。
意外に、ウチは育成は丸投げ主義なのです(笑) 右も左もわかんないのに「あそこにいけ」というタスクを渡されて、蓋をあけてみたら全然見当違いなところにいるので、ボッコボコにする。そら、やめる人ばかりでしょう(笑)

企画書の作成経験はありますが、何度もここで言って来たように、我社は特異なキビシイ会社なので、今までのロジックなんか意味をなさない。設計やユーザビリティーがどうのこうのならまだ書けるのですが、ココはそれじゃ通じない。ビジネスとしていかに成果を出すかということが主眼になるので、Webを使ったビジネスコンサルの企画書になるわけです。

これ、プロジェクトを初めから終わりまでまわせる、まわした経験のある人じゃなきゃ書けないでしょ(笑)ゴールを予測して道のりを描くのだから。そういうことを平気で新人にぶちこむ会社なのです。そのうえクオリティを求められる。自分が納得いくものでない限りは、ボロクソに言われます(笑)納得のいくものなんて、上がってくるわけないのにね。

憂鬱ですよほんと。
なんと役員五名全員のチェックが入ります。
企画書を作るのが憂鬱なんじゃなくて、役員が納得するものを考えなきゃいけないのに、まったくわからないのが憂鬱。そらまあ、誰でも憂鬱になりますよ(笑)

また、このクライアントが難しいのです。BtoBなのかBtoCなのかよくわからないし、ステークホルダーは異常なほど多種だし。ユーザーはいったい誰になんねん(笑) これだけシナリオを描きづらい会社もない。そのうえ職人肌でやってきた会社なので、企業戦略もビジネスターゲットもはっきりしない。というか、ない。

憂鬱ですが、しかしこれじゃいかんのです。
モノ作り、とくに初めの企画や戦略立案なんてのは、技術よりも頭の回転よりもまず大事なのは気持ちなのです。「この会社を俺の手でなんとかしてやろう」という気概なのです。それがない人は絶対にいいものは作れない。

そのためには、やはりまず自分が楽しめないとできない。良い意味で楽しんでやるからモチベーションを維持できるし、自分を追い込むことができる。嫌々やっていたのではできないのですよね。

楽しんでやること。
大事なことなんです。
でも、我社においてそれこそが一番難しいということもまた事実。上記、丸投げ袋だたき育成スタイルですから(笑)

そんな折り、僕のブラザーである先輩が笑いながらこんな話をしてくれました。

「総ちゃん、この会社に来る人は皆強いやる気を持って入ってくるけど、もう四方から叩かれてプレッシャーかけられて、『なんかもうなんでもいいや』って思うときが誰でもある。そんな時は無理しないで、そのままの方がいいよ。無理に気持ちを立て直そうとしたら、必ずすぐにまた折られて完全に切れちゃうから」

潰れちゃうんでしょうね。
僕にも必ずそういう時が来るのでしょう。
大事なのは己を重心としたバランス感覚。

楽しむように意識を向けつつ、苦しいときは嵐が過ぎ去るまで身を委ねることも必要なんですね。

いざとなれば辞めればいい。他で働く自信はあるし。これが、僕はメンタルコントロールには不可欠だと思います。本当に本当に本当に大一番の勝負を迎える時。そういう時は「退路を絶つ」ということは大事です。ここ一番の力が必要ですから。

しかし、決勝戦ではない日常を戦うためにはそれは得策ではないと思います。言うなれば、常にナイフを突き付けて走るわけですから。半ば、自分の意思ではなくなる。長く安定した戦いをするときは、いかに平常心を保つか。そのためには逃げ道という選択肢を常に抱えておく必要がある。
今の会社に入って、ありえないプレッシャーや、クズのような評価をくだされて滅入ってる時、その度に僕は自分にこう言い聞かせます。


「僕はいつでも逃げられる。だから今は逃げないんだ」
posted by 総さん−ソウサン− at 22:57| ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月11日

少しずつ意識が向いてきた。

ここのところ、以前に比べると本部長に怒られる回数が減り、褒められることもでてきました。
「気が利く」ということに少しずつ意識が向いてきたなぁと思いますね。

元来、僕はもともと相手の動向を観察するのは好きな方だし、相手の好みに合わせて知識を広げることにも興味が向かう方。でも、これは実は大きな限定があって「好きな人」に限ります。だから、友達とか仲の良い人に限る。興味のない人は果てしなくどうでもいいという人です(笑)そういう所が仕事に出て、本部長の逆鱗に触れていたんだろうなと思います。


相手の状況を察し、相手に合わせた行動をする


言葉にすると簡単で、実際その辺のオッサンでも同じフレーズをよく発していると思います。でも、これは考えているよりはるかに難しく、やり切ることは絶対にないですね。しかも、やればやるほど効果は小さくなる。些細なことですから。でも、そこができるかどうか、その差が「気が利く」かどうかの差であり、たとえ小さくとも詰めるのが難しい部分なんだろうなぁと思います。大まかな事は誰でもできますからね。


会議中、先輩の視線が自然に入る所に腕時計を置く。

サイトの話になったら、議事録を手書きに移行し、即座にノートPCで該当のサイトにアクセスする

手持ちの資料で話を始めたら、持参したファイルから同じ資料を探して出す

先輩に次の外出先がある場合、次の行き先に近い最寄り駅を捜す。

最寄り駅の時刻表を出力して持参する。

到着時間から逆算した電車経路を持参する。

サラダとマグカップのスープが出て来たのですが、先輩が席をたった隙を見てマグカップを左手側から右手側に移動する、とか。

「会議中なんだけど、ノートPCを会議室に持ってきて欲しい」と言われたら、届けるまでにPCを立ち上げておく、とか。

タクシー移動なら、雨が降ったら15分前にタクシーを呼ぶとか。


ほんとに些細なことです。
気がつけば誰でもできる。
でも「気がつく」のが難しい。

相手は、次何をしようとしているのか。これをいかに深く的確に考えられるか。簡単そうだけど、そのためには相手の置かれた状況、立場、心境、ともすれば癖まで気を回さなきゃならない。そう考えると難しいでしょ?


でも、相手に与える効果自体はさほど大きなものでもない。鈍感な人だったら気付かないかもしれない。でもそこに神経を張り巡らせられるかどうかが、分かれ道。


世の中の「良いモノ」はそれができているから、愛される。それを作れる人は、そういう考え方が出来る。それが出来る人は、なぜできるのか。自分も似たような経験をしてるから、わかる。わかるから、できる。できる人は、たくさんのことを経験しているから、わかる。


「気が利く人」になるのは、難しい。
posted by 総さん−ソウサン− at 00:17| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月05日

妹の結婚式。

反応というか反響が大きいので、感想を記事にします。

良いか悪いかで言ったら良い式でした。まあ、オーソドックスな結婚式でしたけどね。妹はボロボロ泣いてました。母さんは最後の新婦挨拶の時、多少眼が赤かったかなぐらい。他のタイミングは全く持って涙なし。にこやかにしてました。親父も同様。さすがに、バージンロードを妹と歩いてる親父はなかなか感慨深いものでしたけどね。

さてさて、ワテクシですが、思ったとおりビミョーでした。立ち位置がわからん(笑)なんで同級生がいるんだか。主役の同級生は叔父や叔母に「これからヨロシクお願いします」て、変な絵ですよ〜(笑)

でも、やっぱり感動は0。
涙なんて、出ましたよ。
あくびでね。
なんかね、やっぱり興味がないというか実感がないというか。そう、実感がない。そんな感じ。
「で?明日からどうなるの?」っていう感覚が消えないんですよ。「明日から苗字が代わるんですよ。奥様になるんですよ」っていうことなんですが(笑)


なんでその実感がないのか考えてみたのですが、「実感がない」っていう感覚自体が、もうおかしいんだなぁと気付きました。適切じゃない捉え方というか。苗字が変わるとか、奥様になるとかね、そもそもどうでもいいんですよ。興味がない。妹は妹だし、付き合い方が代わるわけでもない。友達なら、結婚によって生活も変わりますが、妹は生活の接点すら貧弱ですからね。毎日連絡取るわけでもないし、遊びに行くわけでもないし。仮に、メシでも食いたきゃあ呼び出せばいいんだし。

カレーがハヤシライスになったら、実感ありますよ。あーこれはカレーじゃないよなーって。でも「今日はおイモが、男爵からメークインに変わってます」て言われても、ああそう、ぐらいにしか思わないわけですよ。


つまり、そもそも苗字や奥様というステータスを見ていないってことなんです。苗字なんて、産まれた時から同じですから(笑)どうでもいい。

「だからなんなのよ。イモはイモとしてちゃんと入ってて、普通にカレーやんこれは」
っていう感覚なわけです。
「明日から何が変わるの?」って、妹に関していえば何も変わらないのです。だから、特に何も感じない。

あとね、感動しない理由がもう一つ。どんなに演出されても、どんなに感動的な手紙を読まれてもダメなんです。今までの全ての実生活の裏側を知ってるから。他人の結婚式に行くと、僕は感動屋なので手紙や小さい頃の写真を見て勝手に頭の中でドラマが展開されるのです。ああ、こんなにカワイイ時から育てて、大変やったろうなぁ、今日嬉しいけど切ないんだろうなあ、ありがとうて、嬉しいだろうなぁ、いろんなことあったんやろうなあ・・・って。

でも、実親や実妹は無理。「そんなこと言って、昨日寝ながらテレビ見て大笑いしてたしなぁこのオバハン」「一昨日、家でグダグダ親に文句たれてたしなぁこのガキャー」とか思うと、なんかもう演劇にしか見えないんですよ(笑)「何を言ってるんだコイツ(笑)」とか(笑)

でも、一つだけ。
劇的に変わることがありますね。
妹じゃなくて、義弟ができること。彼とことあるごとに会うことになるわけですよ。そりゃ、違和感ありまくり。

そして、それを実感したのが最後の花束贈呈。
両親に満面の笑みで迎えられる彼を見て、少し嫉妬した。あれ、おかしいな、そこは僕一人の席なのに。もう一人席ができちゃうんだって。なんとなく、自分の価値観を垣間見た感じです。きっと、僕はむすめが出来ても彼氏に嫉妬したり、イジメたりはしないです。間違いなく。バカバカしい。でも、結婚する時、新郎の父を「おとうさん」と呼ばれるのが1番へこむんだろうな。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:06| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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