2007年05月29日

凹んでないで明日を見よ、僕。

最近、怒られるために会社に言ってる感じです。毎日よく怒られること・・・。僕だけじゃないんですけどね。でも、僕は社内でも部のトップにかなり近いポジションで仕事をしているので多い方です。


昨日はデータ作成で怒られ、今日はクライアントとのミーティングで怒られ。一口に怒られると言っても、単に注意されるだけではないです。もうズッタズタのボッロボロにされます(笑)


「はあ?バカじゃないの?」
「常識なさすぎなんだよ!」
「社会人何年目よ?今まで一体何やってきたの?」
「処理速度は遅いわ、気は利かないわ、常識はないわ、使えなさ過ぎ」
「他のアシスタント連れてった方がまだ使えるよ」
「ふざけんなよ。それはおまえがズボラで怠けてるだけだろうがよ!バカじゃないの」


さすがに、今日は帰りのタクシーの中で罵声を浴びせまくられ心が折れそうでした・・・orz
人生でこんなに否定されたこともないなぁ。

今日のミスは、ミーティング準備の段取りで周りが見えていないこと、機密保持の自覚が足りないこと、ですかね。上司が言ってることは正しいのですが、なにぶん今の会社は厳しい会社で、そして矛盾するかのように、Web業界というのは緩い業界なのです。その緩い環境に身をおいていたことで染み付いたマナーの低さが出てしまいました。 とくに、機密保持に関しては僕の前職のように会社全体で専属のクライアントとやり取りしていると緩くなりがちだったりしますね。

しかし、本当にヤバかった。
人に怒られて泣いたりとかはない人間なので、涙こそでませんでしたが、次から次にでる否定の台詞に、もう手は汗でダクダクになるし、うなだれて顔はあげられないし、精神的に追い詰められるし、心が折れる寸前でした。


でもまあ、時間を経るごとに平常心を取り戻していくのだから、不思議なものですね。これだけ言われてすぐに立ち直れる僕は、やっぱりタフな方なんでしょう。あそこまでの否定をされてショックはまだ抜け切れませんが、やっちまったものは仕方ないしね。次同じことをやらないように体に刻みこむしかないですから。

時に、そうやって怒られて腹が立つってことは僕はあんまりないんですよね。それはもう昔から。実力を認めている目上の人からなら、人格否定されると凹みはしてもムカついてグレることはないです。意外がられるのですが(笑) 自分でも意外なんですが、言われたら言われっぱなしでジッと堪える方です。仕方ないなーって。


それでも今日はさすがに堪えた。
帰り際、そんな僕に一人の先輩が声をかけてくれました。
プロジェクトのメインディレクターで、僕の直接の指導者。いわゆるブラザーにあたる人です。

「ソウちゃん、今日本部長に言われたこと、忘れないようにね」
「ほんとはこんなもんじゃないから。もっとずっと怖いから(笑)」

彼なりに僕を気遣ってくれたのだと思います。フラザーにもかなり注意されたんですけどね。さすがに人格否定はないですが(笑)
ブラザーの先輩は、一年前に僕と同じ歳で入社して、その前もWeb制作会社にいました。そう、僕と全く同じ道を歩んでいる人。「業界経験者は使えない」という定説を謡う我社ですから。きっと「こんなもんじゃないよ」というのは彼の受けた事実でもあるんだと思います。社内でも1・2を争う厳しい上司の下ですから。
そんなブラザーは最後に一言僕に言葉をくれました。


「頑張ってね」


何気ないその一言が、すごく暖かかった。
そして、僕を気遣ってくれているというその想いが、涙が出るほど嬉しかった。ブラザーにとっては、なんてことはないただの一言二言だったかもしれません。でも、そんなこと僕には関係ない。


僕に届けられたその手紙は、暖かかったのだから。


僕にとってはそれが真実。
希望を失った人間が諦めるんじゃない。
そこに希望を見出だせなくなった人間が諦める。
どんなに否定されても、また立ち上がればいい。
そこにまだ走る道があるのだから。
先を行くあの人が見守ってくれているのだから。


すっげー辛いけど、
寝っ転がってる場合じゃないよ、僕。
太陽は空を見上げた人間にしか見えない。
明日もまた頑張ろう。
顔を上げてね。
posted by 総さん−ソウサン− at 23:17| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月21日

赤ちゃんポスト

赤ちゃんポスト。

断固、反対です。
誤解されないように付け加えると、赤ちゃんポストという機能は反対ではないです。しかるべき前提と成果があればいいんじゃないんですか。これ、取り入れているのはドイツでしたっけ?

確かに、環境や状況が足りなさすぎて、どうしても育てられない親というのはいると思います。そんなもん、だったら産まなければ良いという話ですが、世の中正論だけじゃ成り立ちませんから。というより、「世の中が正常に動く」ということの論理を「=正論」とするなら「人間は過ちを犯す」というあるべき価値観が欠如した論理は、その時点でどんなに筋が通っていたとしても、正論ではなく“机上の空論”ですね。

では何が問題か。
必要なはずの前提条件が無いからです。
赤ちゃんポストを作る前にもっとすべき事があるはず、と僕は思います。

赤ちゃんポストというのは、いうなれば「進むべき道からの逃げ」です。本来は親が自分の責任で育てなければならないのだから。でもね、人間はどこかに逃げ道を作っておかないと、選択肢のない道に圧迫され、死んでしまう。たまには、逃避する場所がないとね。

ですが、逃げ道がその本来の使命「進むべき道に戻るための脇道」であるためには、まず絶対に欠かせないものがある。

「絶対に進むべき道に戻る」

という思想、価値観です。
これがないと、逃げ道はいつか本線と同等の幅をを持つ道になってしまいます。

具体的に話しましょう。
まずあるべきは「この子は絶対に、命に代えても私が育てる」という価値観だと思うんです。それがあってはじめて「それでも、どうしてもお互いのために別れて生きなければならない」という道が意味を持つ。

赤ちゃんの話にするから、話が複雑になる。例えば、給食の残飯です。最近は残す子が多いみたいですね。そのような状況で「残飯処理BOX」を設置したらどうなるのでしょうか。たぶん、ちょっと嫌い、ちょっとお腹が減ってない、はたまたダイエットなどとぬかして残飯の山になるんじゃないでしょうか。

僕らがガキンチョの頃はまだそうでしたが、まずあるべきは「出されたものは残さず食べる」という思想でしょう。作ってくれた人に感謝をし、少々嫌いなものでも頑張って食べる。そういう思想がしっかりと教育できていてはじめて「それでもどうしても食べれない人は先生に相談して残しなさい」という逃げ道が意味を成す。


他のエントリでも語りましたが、この国は人間や社会において最も大事なものを見失ってしまったんじゃないかと思います。伝え忘れた、というべきかな。高度経済成長の後に。


良い高校。
良い大学。
検討違いな「個性」。
モラルの欠如。
体罰禁止。
命の扱いを知らないペットブーム。


「心」をどこかで伝えてこなかったんだな。
posted by 総さん−ソウサン− at 20:50| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

料理の神髄と物作り。

料理。できません。
自分の食べるものぐらい適当に調理することはできますけどね。
でも、ちゃんとした名前がある料理はできません。できないっていうと「やればできる」と言われるので、正確には作り方を知らない、ですね。

でもまあ、なんちゅーか発想だけで適当には出来る。自分が食べるだけなら満足なものは出来ますね。

だがしかし、世の中には奇特な人がいるもので、そんな僕のテキトー料理を「おいしい」と言ってくれる人がいて、それがまあ彼女さん。いや、別に自慢でものろけでも無いですよ(笑)いくら褒められても、嬉しいことは嬉しいけど「よし!じゃあ料理ドンドン頑張ろう!」とは思わないですから。根本的に好きなものではないんでしょうね。

作ったのはあんかけ丼。
まあ、だから”あん”だけですよ。片栗粉があれば簡単に出来ます。野菜を煮込んで、味を調整して、ベースの味を決めるだけ。味噌か醤油か塩か。これに僕なりの発想を加えるとカレーとトマト。あとは、入れる野菜やお肉、シーフード。これのバランスで味が変わるぐらい。煮込むと味が出るようなものが影響大ですね。簡単簡単。始めて作った時は一から十まで、全部思い付きです(笑)

料理って、物作りの全てが凝縮されてるなぁと思うんです。技術もいるし、センスもいるし、知識もいる。経験もいる。物を作り出すってことはそういうことであり、1番大事なのは実は「気がきくかどうか」なんですよね。世の中にある使いやすいものって、ユーザーの視点で作られていて「気がきく」じゃないですか?

だから、料理の上手い人って、コミュニケーション能力が高いと思うわけです。コミュニケーション能力というのは「喋れる」ではなくて「相手に伝えられる」という意味で。

相手がどんな味覚を持っていて、好きなもの、嫌いなもの、空腹具合、価値観、食べやすさ、食べにくさ。だから、技術があればいいわけでもないし、センスがあればよいというわけでもない。技術も知識もセンスも、全ては相手に何かを伝えるためのツールでしかなくて、目的は「気をきかせる」ことなんですね。

僕の母は、料理の技術は高いです。それようの学校に通って調理師免許も持ってますから。でも、なんでもウマイかというと、否。美味しいと感じるものは、たいていレシピ通りに作ったもので、まずいと思うのはオリジナルのもの。

もう、感覚が理解できていないという感じ。たとえば、チンジャオロースとか“あんもの”が入っていた小皿に、切ったリンゴを入れてしまう。ものっすご気持ち悪いですよ(笑)リンゴがドロドロですから。料理の組み合わせにしても「それとそれを組合せるか?!」なんてことはザラです。

要するに相手の立場にたった考え方ができないんです。だから、これは料理に限ったことじゃなくて、会話にしてもそう。道を説明するのに誰もが知ってるコンビニではなく、スーパーローカルな有会社を出してしまう。決まって、僕がフォローしますが(笑)

だから、僕は知識もセンスも0でも、うまいものがつくれたりもしちゃうわけです。僕だけがおいしければ良いわけだから、可能なんですね。彼女さんが美味しいと言うのは、味覚が似ているのと、僕が理解している相手だから。

だから、誰でもが美味しいと言えるものが作れる人は、それだけ経験と知識とそして「相手を理解する能力が高い」からできるわけです。凄いなぁ。しかも、料理にかかる時間も大事だし、コストも重要な要素。

ほら、同じ。
物作りも同じなんですよ。
世の中(その場)にいる、
ユーザー(食べる人)は、
何を求め、それを作るには、
いつまでに、
どうやって(技術や方法)、
いくらで、
作らなきゃいけないのか。
これを実現するには、決定的に必要なものがあるのです。それは、


「美味いものとは何なのか」


これを、いくつ知っているか、なんです。世の中にあるうまいものをどれだけ知っているか。それを知っていれば、新しい相手に会ってもすぐに「こんな料理がいい」と出てくる。引き出し、なんていいますけどね。


いま、僕はWebサイトという物作りの現場にいて、ヒーヒー言ってます。引き出しがないからです。足りない足りない足りない。


でもね、Web業界で、本当に「物作り」をしているのって、大手ではたぶんウチだけなんですよ。中小制作会社を含めてもたぶんほとんどないですね。お金かかるから。そら、クリエイターですから。

どこの制作会社も作ってるのはWebサイトです。サイト構造決めて、デザイン決めて、かっこよくブランディングして。でも、それは「物作り」じゃないんですよ。ただ動く絵を書いてるだけ。

「我々はWebサイトを売ることが仕事じゃない。Webを媒介としたソリューション(問題解決)を売ることが仕事なんだ」

「何もないところから、ビジネスのツールとして役立つものを作る」

良いWebサイトって何なのか。
=良いサービスって何なのか。

引き出し、足りなさ過ぎなのも仕方ないんだよね(笑)

でも、引き出し、増やさなきゃ。
そして「気付き」を大切に。
「気のきく」人は「気付き」をたくさん持ってますから。

これは、全ての職業に言えることかもしれません。


「気のきく人」ですか?
posted by 総さん−ソウサン− at 21:32| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

4人で同窓会って。

こうも書かないかというぐらい、書かないですね。
やらなきゃいけないことも、やりたいこともたくさんあるのです。
でも、休日になると何も(他人との)予定がないとグダグダしてしまう。
もともと、ぐうたらが大好きな人なので・・・・。

そういえば、なくなっていた遊び文章がこの前Web上で見つかりました。でも、全然続きを書いていない(笑)脆弱だが、確実にHIT数は維持されているので、失礼といえば失礼なのですが、まあ、道楽なので(笑)

道楽だから、知ったこっちゃない。
でも、認められると結構嬉しい。
なぜなら、道楽=自己満足。
自己満足=自由。
自由=自分の個性。
だから、それが認められると嬉しい。

これ、自己満足だから成り立つんですね。
他人を巻き込んで、他人の時間や場所を使うことになると、こうはいかない。やっぱり、ちゃんと目標を立てて、計画をたて、そして周囲を巻き込んでも満足するように、もっと言えば周囲が自分から動き出せるようにアクションを起こさなければならない。人とともに何かをするって、そういうことですね。

ふと、中学のコミュニティで同窓会の告知がされてます。
でもねえ・・・・。僕が幹事で去年の11月末にやったばかり(笑)
この歳になって、年に一回だって無いのに、半年に一回ってありえない(笑)案の定、現時点で参加者4人。うち幹事2人(笑)ちょーウケるっていう話ですね。いや、むしろ意味がわからない。幹事の一人は誰かと言うと、そう、あの人です。僕の大嫌いな、あの人。ほんとウザい。

この人ですよ。
僕はもう、携帯、メール、mixi全て着信拒否をしているので、全く絡むことも無くなったのですが、未だになんか僕の悪口言ってたりするらしいです(笑)そして、あの同窓会からというもの、被害が拡大している噂もチラホラ聞きます。ほんと、周りが見えてないというか、もっというと大きな大きな子供なんでしょうね。自分の価値観の中に他人と言う存在がいない。平たく言うと、社会性が著しく低い。だから、相手の気持ちがわからない、相手の生活がわからない、相手の価値観がわからない。

きっと、僕がやった同窓会幹事がさぞ楽に見えたんでしょうね(笑)
で、楽しかったからアタシ達もやろう!みたいな。
そりゃあ、仕事なんかに比べたら楽なもんでしたけど、ただ単に参加するだけの人に比べたら数十倍大変でしたよ。そんなの、当り前。のべ70人近い人の出入りがあるイベントです。簡単なワケがない。仕事の方が辛いというのは、そういう「仕切り業」でお金を貰う仕事だからです。普通の事務とか技術職じゃこういう能力は養われないと思いますよ。あとは毎月20人近い仲間の集まりや旅行を仕切っているというのもあるでしょうね。確実にそういうところで養った力があってこその同窓会幹事成立でした。

パッと思いついて、じゃあやろうとなって、適当にmixiで告知。
来る、わけがない(笑)それで来るとしたら、それは幹事がそうとう人望があるか、共に時間を過ごす事がとてつもなく価値のある人ですね。ま、その時点でたぶん同窓会じゃないですけど。

人の心や時間を動かしたければ、その人達の興味や意思をコントロールしなきゃいけない。そのためには、情報を発信しなければならない。いつ、どこで、何時からやるのか。そんな基本的なことも記載がない。そのくせ、謝罪も無くいきなり開催日を1日ずらすという愚考を行っていました(笑)自分が、いや幹事というものが、参加したいと思っている多数の人(参加する人だけではない)の大切な大切な時間を預かっている、ということがわかってないんでしょうね。

誰だって、つまらない場所には参加したくないですよねぇ。
だって、自分の身は一つしかなくて、その時その時間も一つしかない。
未来だろうが過去だろうが「今」という時間はその瞬間にしか訪れない。
自分がやりたい事、やらなきゃいけないことをやることが、全ての「今」の目的であり、大人になればなるほどその目的のために時間の使い方を取捨選択するようになる。要は、時間は貴重ってことです。

同窓会ともなれば、60人クラスですよ。
参加したい、予定を調整したいという意思をもった人も含めれば100人に到達することも稀ではないでしょう。その100人の人達に「同窓会をやるので、この時間のスケジュールについて検討してください」と、訴える事なのです。貴重な貴重な時間を、しかも高いお金まで払わせて、こちらの催しに時間を割いてくれと、検討してくれと要求している訳です。幹事と言うものが、いかに重大な発言をしているかがわかるでしょうか。

思いつきで、他人に貴重な時間に干渉しようとしている自覚が無い幹事なんて、幹事じゃなくてタダのバカですね。

いや、そういう人をトラブルメイカーと呼ぶのか。
posted by 総さん−ソウサン− at 22:44| 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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