福岡、中2自殺 変わらぬ隠蔽体質 心の痛み共感できない学校
《解明困難…「いじめ自殺7年連続ゼロ」》
《校長、「いじめ」を「プレッシャー」と表現》
教育には結構興味がありますね。
人にモノを伝えたり教えたりするのは好きだし、たくさんの人と一緒に何かを成すのも好きなので、一時期ちょっと先生という職業に興味を持ったことはあります。今は絶対にイヤだと思っていますが。
このイジメの件にしても、どこかで自殺が起きたとしてももう全て学校や担任教師の責任になりますね。異常じゃないかなぁ。それじゃ何も変わらないと思うんですけどね。何かが起きて「あの人が異常だったんだ」として全ての責任をそこに押し付けていては、何も解決しないです。
■イジメをなくす?
今の教育組織というスタイルじゃあ、土台無理だと思います。イジメを失くすなんて。自分たちが学生だった時を思い出しみても、学校の対応には限界がありますよ。だって、たった一人の先生が30〜40人の生徒を見なきゃいけない。先生を欺いて誰かをイジメるなんて、やろうと思えば簡単でしょ。ましてや中学高校になると担任の先生だって基本的には担当教科でしか会わない。見つけられないことなんてザラじゃないかな。
そもそも、イジメを失くすなんて無理だと思います。人間には他者を出し抜きたいとか、他者に勝りたいという心理があるのだから。大の大人が会社やご近所づきあいでくだらないイジメをしているというのに、相手を思いやるという感情が備わっていない精神未発達の子供達が集まれば、もうイジメが起きるのは必然でしょう。
■いじめの解決法は?
大事なのは、イジメを失くすことじゃない。イジメの被害を必要最小限に抑えること。そのためにはやはり早期発見し、公の事態として扱い迅速な対応が必要ですね。まあ、当然ね。幸い、学校という組織は対等な大人同士と違って、先生という絶対的な上下関係があるのだから、コントロールはしやすいと思う。
だから、今世間で叫ばれている通りその事実を隠蔽する教師や学校がいるのは大問題だと思います。子供の事を考えれば一刻早く対応しなければならないというのに、大人の都合でそれを隠しているなんて言語道断です。ただ、その責任を全て担任教師や学校の責任にしていては、何にも解決しないし、これからも自殺者は出ると思いますね。
■ヒューマンエラーはシステムの問題
人はミスをしますよね。誰でも。
それが業務上のミスなら、なぜそのミスが起きたのか、なぜ事故が起きたのかを追求すると思います。ここで「担当の人間がミスを犯したから」としている組織は、まず仕事の出来ない不健全な組織と思って間違いない。大事なのは、そのミスに至った過程、ミスをするのは仕方ないとして、それを他の誰かが拾い上げて大きな事故を防ぐことが出来なかったシステムスタイルの問題なんですよね。
Aさんが重要書類を紛失して、大事な案件の進行に重大な欠陥が出てしまった。悪いのはAさんだけなのか。仕事の出来ないAさんを切れば問題は解決するのか。たとえば、Aさんには毎日20もの案件の重要書類が1案件につき4つ以上あらゆるところから封筒で送られてきて、机に置いていかれるとしたら?それを誰も確認もせずAさんに丸投げをしていたら?ビジネスやシステム構築というのは、あらかじめある程度のヒューマンエラーを想定して構築しなければならないわけですよ。とすると、この場合机に置くのではなく手渡しにするとか、チェック表を作成するとか、誰の目にも留まるところにそれを設置するとか、そういうシステムから洗うべき。それが出来ない所はいい仕事はできない。
学校の先生とイジメにしても同じじゃないかと思うのですね。
なぜ、学校はイジメを隠すのか。それは全ての責任を押し付けられるからでしょう。一つのイジメを公にすれば、途端に学校は腐った組織とされ、担任の先生はきっともうその地域では働けないでしょう。本来は、相手を思いやる感情を育んで貰えていない子供が原因なのに。そりゃあ、学校も担任の先生も必死で隠しますよ。生活かかってますから。
■ミスのリスクと発生確率
そして、その割りにイジメはなくならない。
ミスを犯した時のリスクと、発生確率のバランスが著しく崩れているんですよね。例えばこれが大手メーカーだったら、重大なミスは起きないような検査部署をいくつも設けて、市場に出るころには致命的な欠陥の無いようなシステムを持っている。そう簡単に車は爆発したりしないし、腐った飲料水なんて発売されない。では、今学校という組織にそれだけの検査機関があるかといえば、あるわけがない。結局、全てを担任の先生一人で賄っているわけですよね。
先生は、Aさんと一緒なんじゃないかと僕は思うのです。
いくつもの難題をたった一人にまかされて、抱えてれば未熟な子供達がイジメをしてしまう。その上、今の先生にはあれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、体罰絶対禁止、教育方法にまで口を出されて動けない。そんな状態で起きたイジメの全責任を学校や先生に求め、ミスを公にしなかったことをこれ見よがしに追求するって言うのは、あまりにも一人の教師に求めすぎじゃないかなと思いますね。
■教育の責任管轄
それに、子供の教育というのは無論学校という組織だけが担っているわけじゃないでしょう?親がいて、環境があって、そして学校がある。学校にしたって、小中高とその時期によって変わるわけで。教育を仕事と捉え、子供を成果物ととるなら、学校=メーカーではないですよ。メーカーはその一つの組織の中でいくつもの部署を持って自分たちの商品=成果物を世に送り出す。つまり、これでいうと学校は本来「一部署」のはずなんです。
三菱や雪印が不祥事を起こせば企業全体を責めるのに、子供が過ちをおかせば学校という一部署を責めるのはやっぱりおかしいですよ。本来は同じチームなんですから。
■システムとはミスをなくすものでなくミスを発見するもの
本来あるべき姿は、先生方がもっと子供達との距離を縮めて「クラスでイジメがあります」と言いやすい環境こそ、あるべき姿じゃないかと僕は思います。そして親と学校と先生と、そして友達と。一緒になって「どうしてイジメが起きてしまったのか」「解決すにはどうしたらよいか」と手を取り合って問題に立ち向かうべきだと思います。
親にしても、子にしても世論にしても、自分の事ばかり訴えて余裕がなくなり過ぎていると思います。特には最近の親御さんはね。
出来れば、僕は自分の息子がいじめられていたら、「そうか。どうしていじめられるんだ?自分では解決できないのか?」と冷静に問える親でありたいです。