まあ〜なんていうか、数字と言うのは人を説得させるには絶大な力を発揮しますね。
最近思うことは、恋愛にもうまくその要素を盛り込んでいかないといけないのかな〜なんて。そんなことを思ったり思わなかったり。
たとえば、出不精の彼氏と外出好きな彼女のカップルがいたとします。
どうしても家でダラダラしがちで、彼女はそれが不満で仕方がない。
「なんで外へ遊びに行こうしないのよ!」と訴えれば「別に全く行きたくないとは言ってないじゃん!」と返す彼氏。「俺だって行きたい所はあるし、外で遊ぶのも好きなんだから」「私だって別に毎週毎週どこかへ連れてってっていうわけじゃないもん!」とまあ、そんな感じ?(笑)
一見、お互い同じゴールを目指しているように見えるんですよ。
「別に毎週遊びに行きたいわけじゃない。たまには外で遊ぼう」
この日本語の意味からすれば、二人とも同じ事を言っていて、間違いが無いように見える。
けれどこれでぶつかってしまうのは、具体的に二人が描いている内容が違うからなんですね。
たとえば、彼は「3ヶ月に一回ぐらい遠出できればいいな」と思っているのに対し、彼女が「月に一度は遊びに行きたい!」と思っていたら、そりゃあ二人はぶつかるわけです。でも「別に毎週遊びに行きたいわけじゃない。たまには外で遊ぼう」という発言には二人とも合致しているわけですね。これが、二人の議論や距離を遠ざけ、負のスパイラルを産んでいくのかなと。
だから、少々イヤラシイ感覚もありますが、こういう時はキッチリと数字でお互いの認識にズレが無いようなコミュニケーションを取るべきなのかなと思うわけです。「月に一度は外出したいよ」「そら俺ら金も無いし難しいよ。じゃあ二ヶ月に一度にしようぜ」「う゛〜ん。しょうがないなぁ。約束だよ?」という話し合いのもとに決めてしまえば、仮に彼の出不精が治らなくても「二ヶ月に一回って行ったのに連れてってくれないじゃん!」という風に、善悪がはっきりするのですね(笑)「自分が正しいはずなのにわかってくれない」という余計なストレスがなくなるかなと。
ただ、なんでもかんでも合理的に数字を出してきて決めてしまうというのは、それはそれで良い意味での人間味がなくなるというか、曖昧という美しさを欠いてしまいます。ルールだらけの恋愛なんて味気ないですからね。だから「いかにいやらしくなく数字を出すか」ということが、コミュニケーションスキルとして恋愛にも、それ以外の非営利な人間関係にも大事なのかなと思います。
P.S 余談ですが、上のたとえ話のカップルは完全に架空の存在です。なのに、僕の頭の中ではサエコが叫び、要潤がふてくされて答えています(笑)なんでだろ・・・。