2006年05月31日

結局初戦をどう戦うつもりなのか-日本代表vsドイツ代表-

う〜む。
なんとも評価の難しい試合でしたねえ。
楽観できるような、悲観するべきなような。
とりあえず、優勝候補の一角(?なのか?)とされるドイツに(相手の)ホームで2点先制したこと、引き分けたことは好意的な評価を下してもよいと思います。特に、ホームで1年半前にボコボコに叩きのめされた相手ですからね。

以下雑感。

■3-5-2なのか5-3-2なのか
結局どっちにするつもりなんでしょうか。
要するに「ひいて守る」のか「ラインを高く保つ」のか。
このドイツ戦は結果的に序盤はラインは低かったが、しかし中盤でプレスをかける意識はあったため、ラインを敢えて下げているというよりは前回の対戦同様、中盤のプレッシング能力の差で押し込まれているという方が適切かと思う。ともかく、自陣でもドイツはなかなか自由にしてくれない。

あっぷあっぷした時間が続きましたね。
こういう時左右の入れ替えや上下の入れ替えのしづらい3-5-2は本当に局面打開をしづらいシステムですね。3-5-2っていうのは、サイド、トップ下、そしてスイーパータイプにストッパータイプと「スペシャリスト型」のシステムなので、各所で1vs1に負け続けていると機能しないです。

3-5-2でチャンスを作っていた時間は、ほぼイコールで中田や中村が個人技や軽妙なパス交換でプレッシングを掻い潜り輝いていた時間。そして、何より駒野。加地と違い、運動量をベースにした守備で対抗するのではなく「攻撃を持って綱引きをする」というスタイルに打って出た彼は良いパフォーマンスを見せました。彼が5-3-2ではなく3-5-2と捉えるべきポジショニングやチャレンジを行い、高い位置で基点になれたからこそ(あのシュバイシュタイガーに守備をさせたのは素晴らしい)、センターの二人が輝いたのです。

やっぱり、このシステムは高いラインを保ってプレスをかけ、中盤のサイドに起点をつくれなければ機能しない。しかし、ではそれで4-2-3-1で打って出てくるであろうオーストラリアに対抗できるのでしょうか・・・。3バックの両脇のスペースをどう解決するつもりなんでしょうか・・・。矛盾が尽きないですね。


■加地
本当に残念。
技術は無いし、フィジカルも取りわけ強いわけでもない。
突破力も無い。しかし運動量をベースにしたサイドバックとしての動きは、彼は良いと思います。古き良きサイドバックですね。駒野が良い動きを見せてくれたので、スタメンが変わるのは問題ありませんが、バックアップがいない。「駒野がいるからよかった」で済まされる問題ではないでしょう。このまま加地が戻れないなら、我が代表は本大会を目前に未曾有の危機に晒されているということになる。加地を怪我により登録メンバから外し、誰をいれるのか。国内にタレントがいないことはない。横浜の隼磨、FC東京の徳永、鹿島の内田・・・。しかし、現代表との折衝を済ませているタレントがあまりに少なすぎる。現在でもっとも現実的なのは浦和の山田か。それにしても、久しく代表に呼ばれていない。なんとか復帰してもらいたい。

■田中誠
これはもっと痛い。
なぜ茂庭なんだよジーコ。
あなたは算数も出来ないんですか。
茂庭を呼ぶのは坪井か中澤が使えなくなったときでしょ。
もし宮本が出場停止や怪我で使えなくなったら一体誰がラインコントロールをするんだ・・・。DFリーダー唯一のバックアップが田中誠だったはず。代わりに呼ぶなら松田か闘莉王を呼ばないと・・・・。

■中田
良かったは良かった。けれど、不満も多い。
まず、素晴らしいパスの本数と比例するかのように、ボランチではやってはいけない不用意なパスが多い。縦への意識が強く、それこそがボランチ中田の長所でもあるが、無理に縦へはたくあまり、はたいた先で潰されてピンチになることがある。バイタルエリアより若干前方、センターサークル手前のエリアで俊輔から落とされたボールを、真横に抜けた俊輔に縦に返し、俊輔は潰されてボールを奪われた。あれは、確実にそのまま一度サイドへはたくべきだったと思う。

また、ボランチのエリアで不要に球をこねすぎている印象を受けました。そこで削られてボールを失う場面を何度か。これはあってはならない。まわりにパスコースがなかったのかもしれませんが。思うに、球際の攻防、激しい守備や体を使ったプレス、縦へボールを送る意識は中田は高いが、ことレジスタとしてリズムをつくり効果的に球を配給するセンスは小野に軍配があがると思う。やはりこの位置は小野がみたい。4-4-2なら実現するが・・・・。


■大黒
正直なところ、ちょっと不安だ。
決定的な場面を二つ外した。決定的な場面を二つ外したことが問題なのではなく、大黒という根っからの「ゴールゲッター」が外したことが問題。玉田や柳沢が外すのとは意味が全く違う。フランスに渡ってからというもの、どうも彼らしくない外し方をしているように僕には見える。以前なら絶対外さなかったものを外す。調子が悪いのか、感覚が鈍っているのか(同じことか)。

中田からのスルーパスで中央を抜けた一回目のチャンス。それまでのボールを呼び込む動きは見事だった。あれは止めたレーマンを褒めるべきかもしれない。

二度目。
俊輔のクロスを中田が丁寧にヘッドで折り返したボールを大黒は決められなかった。彼のようなタイプのFWはあの場面は絶対に決めなければならない。「フィジカルが弱くてやられている」という評をみたが、それは違う。そもそも彼はフィジカルで売っているFWではない。しかも、中田が折り返してから、彼はおの一部始終を全て視界に捉えていたように見えるし、ボールも良くも悪くも"落ち着いて"捉えていた。ただ、落ち着きすぎた。あれは、単純に背後にせまるDFが見えていなかったのだと思う。きっとインザーギなら決めているだろう。

そして、日本が誇るゴールゲッター、ゴン中山なら背後のDFは敏感に感じ取りきっと無理やりにでも体の一部に当ててゴールを決めていただろう。大黒には彼に共通する「動きの質の高さ」「そこにいる第6感」が備わっており、そして中山にはない基礎技術の高さがある。しかし、まだ彼の域には達していないということか。まあ、大黒には「スキラッチ」という大先生がいなかったのだから仕方あるまいか。なんとか、あの決定力を復活して欲しい。

続きは後ほど。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:14| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

こういう人カッコイイと僕は思いますよ。

<君が代判決>都立高の元教諭に罰金「懲役刑は不相当」

元高校教諭30日判決 卒業式で「君が代」反対

うわぁ、すごいことやってくれたな(笑)
君が代反対によって処分される教職員がいるってのは知っていたけど、ここまでやってる人がいるとは驚いた・・・・。でも、僕はこの人そんなに悪い人ではないと思いますよ。なんか世間では叩かれまくっていますが・・・。

「教員のくせに」「公務員のくせに」「嫌ならやめろよ」っていう意見を見たけど、それは違うと僕は思います。「こんな先生に教わらなくてよかった」「キチガイ」「自由と義務を履き違えている」。物凄い叩かれ方ですね(笑)

この藤田先生という方は、いくらなんでも「自分が間違ったことをしている」なんてことはわかっていると思いますよ。そもそも、そんなことがわからない人は生徒に指導する立場である教師はこの歳まで続けられるわけがない。物理的にね。キチガイ先生には生徒がだまっていないだろうし、親御さんもだまっていない。そうすれば学校側もおいてはおけない。そして、卒業式に呼ばないんじゃないかな。

そりゃあね、神聖なる卒業式という場で、大声を荒げて校長の自粛&退場命令に応じなかったのは、大人として良くないことですよ。それが教師の行動にそぐわないというのも、正論過ぎる正論です。ただ、この先生は別に卒業式を荒らすことが目的じゃあないわけです。もしそれが目的なら上記の様な批判はもっともだと思います。けれど、そうじゃない。この先生が訴えたかったのは「卒業式で君が代を歌うときに起立しないと処分される」ということだけ。

卒業式で君が代を歌わないと年給にして200万の減額だそうです。(ネットニュースで見たんだけど、記事が指し代わってソースが見当たりませんでした・・・)単純な感覚で、これって異常じゃないですか?異常ですよねえ。「卒業式だから」という理由で何も君が代を歌わなければならない理由にはならないと思います。別にうたわなくったって誰も困りはしないんだし。歌うことが間違いだとは思いませんけどね。世間でも君が代の是非は意見が割れている議題だし。自由ですよね?君が代のことをどう扱おうと。

では、本来どうあるべきかというと「起立したい人はすれば良いし、したくないならしなければ良い」だと思います。ただ、これでは「卒業式」というものの質から考えて難しい。であれば、まあ一つの案ですが「卒業式に歌いたい曲」なり「起立するべきか否か」を事前に生徒会なりで多数決や議会で毎年決めればいいんじゃないでしょうか。生徒達の卒業式ですから。それで決まったことは、全員が従うべきですよね。

さあ、それでは多くの方が言うように、正攻法でそれが通じるでしょうか?とてもじゃないけど、僕は公務員の組織や、学校という組織がそんな物分りのいい風通しの良いものとは思えません。まず取り合わないでしょうね。というか
普通誰でもまず正攻法で戦おうとするでしょう。あくまで推測に過ぎませんが、問答無用でそういう意見をもった教師を処分している県教委や学校がそれに聞く耳を持つとは到底思えませんねえ。

さて、ではどうやってそれを訴えるのか。
学校のトップである校長に言えども、話にならない。県教委なんてもってのほか。地域住民に訴えるったって緒戦は他人事。同志である先生方に賛同してもらっても、結局その人たちが処分されるだけ。
要するに、彼は確信犯的に「クーデター」を起こしたのではないのかと思うのですよ。

だから、「懲役求刑に対し罰金判決は実質的に無罪と受け止めている」なのだと思います。まさしくそのとおり。mixiで見た意見の中に、彼に対して「不起立を強制させるのはいかん」っていう人がいたけど、記事を見る限り、彼は「できたら着席をお願いします」と言っているので、これはどう捉えても「強制」ではないですよね。

この話は「卒業式に起立するか否か」だから「まあそんなことどっちでもいいんじゃねえの」という価値観が多く、そのため「そんな公の場でバカなことをするな」という意見が多くなるのだと思います。でも、先生方にとっては重大な問題ですからねえ。他人事じゃないわけですね。

ネタを変えて見ればわかりやすいかと思います。
例えばですね、今日本では「君が代を歌うこと」は特に義務付けられていませんが、それがどこかの県だけ、問答無用の条例(条例に問答無用なものはないですが)で「寝る前には必ず君が代を起立して歌うこと。違反した場合は200万円の罰金」という県があったとしたらどうですかね。あきらかにおかしなことで、自由の範疇であるはずなのに、それを義務付けられている。訴えようにも、正攻法で行けば罰される。市議会議員も聞く耳を持たず、県議会にかけようとすれば、問答無用で却下される。他県の住民に訴えようにも、関心度が著しく低い。ここで、デモを起こす人がいたらどうでしょうか?その人は異常でしょうか?

ちょうど10年程前に「未成年」というドラマが放送されました。
最終回。大事な仲間である知的障害者の「デク」に、正当な裁判を受ける権利が無いことを悟った主人公は、自らも容疑者であるにも関わらず護送車から脱走し、自らが通う高校の屋上で「デクに裁判を」と訴えました。この先生がやったことはそれと大差ないと思うんですよ。正攻法では耳を貸してもらえない。ならば、衆人環境で訴えるしかない。

褒められた行為ではありません。
彼らは、人として間違った行為をしたのですから、それ相応に罰されなければなりません。けれど、彼の発言内容や、訴えた内容自体に罪を着せるのは違うと思います。そういう見方をすれば、判決の「実際に式の遂行が一時停滞し非難は免れないが、妨害は短時間で、懲役刑は相当でない」は至極真っ当だと想います。場を一時的に乱したことは罪を償うべきだが、それによって式が壊れたとは思えないし、その結果たとえば起立しない生徒がいたとしても、それは罰せられるべきことではないということ。そして、彼もそれをわかっているからこそ「無罪である」としたのではないでしょうか。

こういう場合、まず見るべきはその行動を起こした人の「目的」であって、その行為自体に目が行き過ぎてしまっては、問題の本質を逃してしまうと僕は想います。

「東京都教育庁は26日、今年の入学式の「君が代」斉唱時に起立しなかったとして、都立高校の教職員5人を減給などの懲戒処分にした。03年10月に日の丸掲揚や君が代の起立斉唱の徹底を求めて同庁が通達を出して以来、処分を受けた教職員は今回も含めて延べ345人に上り、これほどの処分数は他の自治体では例がない。」

事の異常に気づきながら、それに立ち向かわず保身に走る先生より、こういう先生の方がよっぽど先生らしいと思うのは僕だけでしょうか。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:00| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

いい事を書く記者もいるもんだ。

紅白戦 最終ラインで意見に相違

 W杯を目前にして、日本代表が懸命に答えを探し求めている。テーマは「ボールを奪う位置」だ。自陣に下がってもしっかりと11人のブロックを作って奪いたい守備陣と、より相手ゴールに近い位置で奪って果敢に攻めにつなげたい攻撃陣の意見に隔たりがある。

 28日の紅白戦では控え組に展開力のある選手が多く、中盤でボールを回された。W杯でも想定できる場面だ。すると、DFラインは裏のスペースを突かれることを警戒して自陣まで下がった。ジーコ・ジャパンは、11人がコンパクトに守ることが約束である。おのずと、チーム全体が自陣に引かざるを得ない。こうなると、ゴール前で相手をはね返すことはできても、攻めるには相手ゴールが遠い。

 この状況が続き、中田英(ボルトン)が試合を止め、宮本(ガ大阪)、福西(磐田)らと話し合う場面があった。中村(セルティック)は「ヒデさん(中田英)としては『最終ラインを下げすぎだ』という意見だった」と解説する。攻撃陣は最終ラインを押し上げて、ボールを相手ゴールに近い位置で奪取して、攻撃を仕掛けたいと感じる。得点を奪えなければ試合には勝てないという考えだ。

 一方、宮本は「各国の親善試合を見ても、最終ラインを高い位置まで押し上げているところは少ない」とリスク管理を重んじる。福西は「それぞれの意見は違うが、まとまりある決断をしなければならない」と話す。

 ジーコ監督が「勝負は5月」と繰り返したように、海外組もそろった合宿は今年に入って、これが2度目。短期間で急ピッチに仕上げなければならない。話し合いは決して対立ではなく、W杯で強豪に立ち向かうために必要なプロセスである。【小坂大】



良い記事ですね。
W杯が近づくにつれ、マスコミいやマズゴミがサッカーを取り上げる機会が日増しに増えていくのは良いことだが、「中田凋落」だの「中田の穴」だのどれもミーハー記事だったりでサッカーの本質を捉えていない、というより捉えようとしない下劣な記事が多いことにウンザリしていたが、この記事を書いた小坂大という記者はどうやら真っ当なバランス感覚を持っているらしい。

話し合いは決して対立ではなく、W杯で強豪に立ち向かうために必要なプロセスである。
ちょっとした言い争いや話し合いなんてのは、サッカーやってりゃあ日常茶飯事なのですよ。むしろ、それが無いチームはダメだと言っても過言ではないくらい。監督が百の指示をするより、選手同士が「あの時のあの場面どうする?」「あの場面は俺が飛び出るから、お前はDFラインに入ってカバーリングしてくれ」というコミュニケーションを取る方が、現場主義で役に立つ。そういうコミュニケーションの積み重ねによって出来上がった守備組織の方が頑強だったりするもの。ココを理解していないでクズ記事を平気で人目に晒す輩が多すぎる。ちゃんとそれがわかっている記者がいてちょっとホッとしました。


ただ、少し残念なのは下記一文。
「ジーコ・ジャパンは、11人がコンパクトに守ることが約束である。おのずと、チーム全体が自陣に引かざるを得ない」
はっきり言ってこれは完全な間違い。
「11人全員で守備に徹する」のであれば「チーム全体が自陣に引かざるを得ない」というのは正しいが、コンパクトに守る=自陣に引くというのは必ずしも成り立たない。

サッカーにおいて「コンパクトに守る」というのは、最終DFラインと自軍FWとの距離を縮めることにより、狭い地域に味方を密集させボール奪取へ連動しスペースを与えないことを意味する。自分達の「ゾーン」を「コンパクト」にするということであって、11人が引いて守るという意味ではない。ま、このレベルの話は専門誌に任せるべきか。


さて、お題「DFラインの位置」について。
一般論で言えば、中田英も宮本も間違っていない。
これはもう価値観やサッカー観によるところが大きいだろう。
しかし、現実論からすれば僕は中田英を推す。
(守備統率者として宮本の気持ちは痛いほどよくわかるが)

1.日本人の特徴
日本人のフィジカルは高さや強さより、俊敏性や持久性に秀でているのは他スポーツでも実証されていると思う。代表DF陣を見ても高さや強さの方に秀でていると考えられるのは中澤ぐらいなものだろう。その「低く弱い」DFラインを持ってオーストラリアやクロアチアの高く強いアタック陣を抑えられるだろうか。スペースを潰せば、効果的な攻撃は食い止めることが出来るだろう。しかし「ラインを高くする」という対敵効果を考えたとき「敵ゴールまでの距離」以外にも効果があることを見逃してはならない。

鍵は「自軍ゴールからの距離」。
ラインを低くすれば、敵との攻防戦線が自軍に近くなると言う事。
残念ながら我々はスコットランドやノルウェーでも、ましてやイタリアでもドイツでもない。ひいて守備をしたところで、FWの頭にロングボールを入れられて、競り勝てるだろうか。まず無理だろう。相手に先手をとられる思われる空中戦の後、バイタルエリアに転がったこぼれ球を必ず日本が奪取できるだろうか。あまりにも危険すぎやしないだろうか。

そして、坪井という守備者は確実に高さではなく速さに魅力のあるDFであるはず。「もしも裏をとられた時」の対処として存在する方が、彼の能力に見合っていると思う。もし、ひいて守るというのであれば、松田や茂庭(より闘莉王だが)を呼んでおけという話。

こと日本のDFラインのみに話を限定すれば「引いて守る方が危険」だと僕は思う。


2.日本サッカーの特徴
前回の内容とかぶるが、そもそもジーコが目指していたのは「個の力を活かしてポゼッションを高めるサッカー」だったはず。ポゼッションを高めることにより守備の時間を減らすという、守備的効果も兼ねていた。全員が自陣までひいて守っていたら、まずこれは実現できないだろう。ポゼッションを高めるためには、個人個人の正確な技術とともに「適確なポジショニング」が必要。適確なポジショニングとは、サイドの選手がボールを引き出せる様に位置取りをしたり、DFラインが深さを保つということ。サイドの位置取りにしてもそうだし、DFラインの深さにしても自軍の背後にスペースを用意しておかなければ、実現しない。後ろが詰まった上体ではDFが下がって落ち着いてボールを貰うことはできないもの。ましてや、自陣低い位置でのパス交換など冷や冷やものだ(笑)


3.ジーコの仕事
ただ、大いなる矛盾があって、5-3-2というシステムは引いて守るためのシステムであって、ラインを高く保つためのシステムではない。常に高いラインを敷いていては、なんのために三都主と加地をDFラインに下げるかわからなくなる。両サイドMFまで下がって守備をするから5-3-2なのだから。結局、ジーコは初戦にどうのぞむつもりなのか。5-3-2で完全にひいて慎重に戦うなら、ポゼッションからの攻撃はある程度諦めなければならない。さすがに初戦の戦い方はトップダウンでジーコが指示するべきであって、ココをしっかりチームに還元してないんじゃないだろうか、と思う。


4.やっぱりジーコの矛盾。
一体どっちなんだと(笑)
引いて守ってカウンターなら、ラインは低くしなきゃ。
でも、それは今まで自身が行ってきたことを全否定することになるし、そこに日本サッカーの未来は無いと思う。オーストラリア相手にひいて多人数で守っていて、その先はどうするのか。我が日本代表守備陣の1vs1が脆弱なのは、きっと今後も大きく変わることがないだろう。では、今後もずっと世界と戦うときは常にカウンター狙いしかないのか。

今こそ、世界と対等に戦うために個々の勝負に出るときだったのではないんですか。そして、宮本というタレントは守備統率においては、我が国屈指の能力を持つ。それは絶対に揺るがないし、譲らない。彼は「ラインコントロール」のためにそのピッチに召喚しているのではないんですか。

極め細やかでデリケートなラインコントロールこそ、彼の天分。
彼は「高いラインを敷くためのタレント」のはずだ。
posted by 総さん−ソウサン− at 16:02| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

宗教が嫌いなもう一つの理由。-どんど焼きのお話-

以前に僕が宗教が嫌いな理由は「再び顕彰会と戦うのかもしれない」でツラツラと書きましたが、他にもあったりします。

僕が小学生の時の話。
どんど焼きという行事がありました。

■どんど焼き
一般的には1月15日に門松や注連縄、書初めなどを持ち寄り燃やす行事。
燃やした火で餅を焼いて食べ健康を祈願したり、燃えかすの舞い上がる状態から運勢を占ったりすることもある。

―はてなより抜粋―


毎年冬休み明けにあるんですよ。
正月をぐうたら過ごして、1月も10日近く過ぎた頃に学校が始まると、そりゃあもう子供ながらに「かったるいなぁ」なんて休みボケしちゃいますね。

そんな時にちょうど行われていたのがこの「どんど焼き」。
各自自分の身長ぐらいある木の枝を用意して、登校時に小学校の生徒はみ〜んなそれを持って(イタズラしながらw)小学校へ向かい、その日はどんど焼きの時にたべるお団子を自分達で作ったりします。

お団子が出来たら、それを持ってきた木の枝に一人3つさして校庭へ。
校庭でいくつかの場所にわかれて、上記説明のようにお正月に使った門松やら自分で書いた書き初めやらを焼きます。大きな焚き火が校庭の中でいくつか行われている絵を想像してくれれば早いです。

その大きな焚き火の火を使って、自分達で作ったお団子を焼くのですね。枝にささった団子の上からアルミホイルでしっかり包んで、焚き火の方に差し出して焼く。これ、子供ながらに凄く楽しいんですよ。今、ちょっとお金出せば網焼きのお店とか、美味しいところありますが、あれって目の前で自分で焼くから美味しいっていうのもあると思うんですよ。それと同じで、自分達でお団子を作って、自分達で用意した木の枝にぶっさして、大きな火の前で皆で楽しく喋りながらまだかまだかと焼けるのを待つ。

またね、これは先生達が確信犯的だったのか「どのくらいになったら焼けてる証拠だよ」っていう明確なラインをはっきりとは教えてくれてないんですよ(僕の記憶ベースですが)。だから、団子を食べるのを我慢しきれなくてつい早めに食べちゃったり(多少半生でも平気ですからね)、そこはもうじっくりじっくり焼く子がいたり、早く食べ過ぎて友達のおこぼれを狙っている子がいたり、焼き過ぎて枝が折れて火の中に団子が全て落ちてしまう子がいたりw、ともうお祭り状態。

と、そんな時一人のクラスメイトの男子が、校庭に出ず下駄箱(生徒玄関?)でたたずんでいました。当然、僕も含めクラスメイトは不思議に思う。なぜ、彼はこんなに楽しいどんど焼きに参加しないのか。

彼の口を突いて出たのは宗教でした。
ボソっと僕らにそう言った後、先生が来て再度彼の家は宗教で禁止されていることを伝えた。宗教についての深い知識など小学生にあるわけもなく「親がそういう風に信じてて、禁止しているんだ。しょうがないんだ」と認識するしかなかった。

今思えば、彼はどう考えても自分の強い意志で参加を拒否したわけではないと思います。どう見ても、夕方の薄暗い下駄箱に一人たたずんでいる彼は、そして彼の声は元気がありませんでした。そりゃあそうさ。僕がそうであったように、彼だって小学生だったわけで家の宗教というものにそこまでの深い理解などあるはずもない。そんな小学生見つけるほうが大変というものでしょう。皆が校庭で自分達で用意した枝を持って走り回って、楽しそうに自分達で作って焼いたお団子を食べる姿を見て、クラスメイトの彼は寂しかったんじゃないかと思うほうが、健全な感覚だと僕は思います。

彼の家の宗教がどんなものかなんて全く知りませんが、
このどんど焼きという儀式は、神仏を祭った物を焼くわけだから
それが彼の家の宗教に反したのかもしれません。
けれど、宗教ってそんなに大事なものでしょうか?
ちょっと僕には無い感覚なのでわかりません。

決して宗教を信ずる全ての人を否定したいとは思いません。
けれど、宗教を信ずる方の中にはやっぱりどうしても盲目的な人が多い気がしてなりません。宗教は、少なくとも人が不幸になるためのものではなく、幸福になるためのものだと思っています。ちょっと物理的な言い方になってしまうけれど、宗教と言うのは考え方であって、幸せになるための手段でしかないと思うんですね。

そう考えると、僕のクラスメイトの彼が不憫で仕方無いんですよ。
人間が出来上がった大人は良いと思います。
自分の信じる宗教に沿って、強い意志を持って禁欲なり行動なりをすれば良いと思います。ただ、大人の都合で子供にそれを強要するのは、僕には親のエゴ以外の何者にも映りません。

ある程度、親の価値観に左右されるのは仕方ないとは思います。親だって万能ではありませんから。けれど、同級生のほとんどが参加する行事をたった一人自分の子供だけ欠席させるのはやっぱり違うと思うんですよ。親が子供に宗教的な行動を義務付けるにしても、それは親のためではなく「そうすることによって子供が幸せになる」でなければならない。そう思います。

宗教に対する理解のまだ浅い子供に、それをさせるのは無理があるし、何より彼が大人になってその宗教を選ぶかどうかもわからない。そんな子供に対して「皆が参加してるものを敢えて欠席させる」というのは、どうしても僕は子供の幸せを考えているとは思えません。考えていたとしても、あまりに現実が見えていないと思う。

だってきっと、僕はこのどんど焼きの想い出を「楽しかった想い出」と思えるし、同じ時を過ごしたほとんどのクラスメイトがそうだと思います。けれど、毎年ただ一人参加できなかった彼にはきっと「良い思い出」にはなれど、「楽しかった想い出」とは思えないんじゃないだろうか。

これって、親子の話で言うと「お塾」の話に似てますね。
子供を塾に通わせることが目的になっちゃっている親御さん。
塾に行ったって本人がちゃんと勉強しなきゃ意味が無い。
塾は手段であって、目的じゃない。

手段と目的を履き違えたらいかんです。
posted by 総さん−ソウサン− at 20:17| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

ジーコの戦術論に未来はあるのか。

ジーコ監督明言「豪州戦は3バック」

オーストラリア相手に3バックとはまた大胆な・・・。
というか、3-5-2なら絶対に危ないし5-3-2は自分達を否定することから始まるシステム。
それでいいのですかジーコさん。

■3-5-2と4-2-3-1の長所短所
システム対システムで捉えたとき、これほど相性の悪いシステムも無い。
3-5-2にとって4-2-3-1とは天敵のようなもの。

サイドの攻防で完全に後手に回るから。
そして、3-5-2の構造的欠陥と思われる両ウィングバックの裏(3バックの両脇)ココを執拗に突こうというのが4-2-3-1のコンセプト。これほど恐ろしい話も無いでしょう・・・。

3-5-2も4-2-3-1も、どちらもサイドアタックを狙うシステム。
違いは、攻撃時のセンターと中盤の厚さ。
3-5-2はそこを欲張ったシステム。両サイドの比較的高い位置に人を配置しつつも、中央にも人を置きたいため、2トップ。そして、中盤を薄くするのも嫌なのでサイドの人材を中盤に配置したシステム。当然、そのしわ寄せはどこかに出るわけで、3-5-2の場合はそれがDFラインに顕著に出てしまうということだ。

一方4-2-3-1にはその様な不安はない。
4-2-3-1の弱点は3-5-2の真逆で、1トップのため攻撃時の中央の枚数の少なさと、両サイドが攻撃的に出た場合、中盤が薄くなるということ。

■3-5-2vs4-2-3-1
このシステムがぶつかればどういうことが起きるか。
4-2-3-1は中盤での攻防を出来る限り避け、
両サイドへピッチを広く使う戦略で敵陣を崩しにかかる。
もちろん3-5-2だって、サイドに張り出した選手がいるわけで
そこで衝突になるのだが、しかしこの勝負はすでに始まった時点でアンバランスな状態だ。
4-2-3-1のサイドハーフorウイングは背後にもう一人サイドバックがいるおかげで守備を気にする必要は無い。勇猛果敢に敵陣にチャレンジし、突破することこそが彼に課された命題。

そこへくると3-5-2のウイングバックには背後にも前方にも味方は常駐していない。基本的にサイドはこのウイングバック一人に任されているのだ。そのため3-5-2のアウトサイドには「敵サイドとの綱引きを有利に展開できる人材」が必要とされるが、仮にこのアウトサイドが敵4-2-3-1のウイングを凌駕する実力を持っていたとしても、そのウイングの後ろにもう一人サイドバックが控えている。これでは歯が立たない。そこでもたつけば、自チームは自分の背後を常に高い位置で虎視眈々と狙っている敵ウイングの餌食となってしまう。

3-5-2のウイングバックは常に後手を取らされるはめになる。
そして、同じ11人でサッカーをやっている以上、どこかの人数を削れば、別のどこかに人が余るはずなのだが、この余り方が良くない。3-5-2の3バックはスイーパー+2ストッパーの組み合わせで基本的に中央に位置しているが、ココで人が余る。敵4-2-3-1のFWは一人しかいないのだから、事実上「3対1」となる。これはいくらなんでも無駄に人員を割きすぎだろう。

・3-5-2vs4-2-3-1のまとめ
つまり、4-2-3-1は3-5-2の長所であるサイドアタック(サイドに張り出したウイングバック)と中央での守備(センタDFが3人)を無効にし、最大の弱点である「3バックの両脇」を執拗に狙えるシステムなのですね。

・日本の両サイド
このシステムを持って、サイド戦線の矢面に立たされるのがご存知、三都主と加地。
この状況で彼らが、特に加地が、あの絶好調時はバロンドール候補者の常連だったハリー・キューウェル(出場が微妙な様だが)を相手に有利な状況を作れるだろうか。不安で仕方が無い。

■3-5-2での対応策
無論、無いことは無い。
もはや定石となった対応策。
両ウイングバックを守備的な位置に下げて、スペースを埋めるという方法。これはつまり3-5-2→5-3-2とするということ。まず間違いなく、どんな相手でも守備の計算は立つだろう。そう簡単に失点はされない。ただ、このシステムは攻撃の威力が半減することに目をつぶらなければならない。

思い出して欲しい。
我らが日本代表がこの戦術を用いた時のことを。
フランスW杯本戦。
トルシエジャパン時代のスペイン戦(正確には5-4-1だが)。

「1vs1では敵を止めることが出来ない」
この5-3-2の戦術的論拠の第一歩は自分達の力を否定するところから始まっている。初出場だったフランスW杯は仕方あるまい。世界の舞台で本当に戦ったことがあるのは誰一人いなかったのだから。トルシエ時代は「フラット3」に「完全オートマチック攻撃」とその戦術の根本から「日本人は1vs1では歯が立たない」というものだった。

中田英はジーコジャパン発足当時こんなことを言っていた。
「組織として戦いそれに没頭するようでは2002より上へはいけないのではないか。今与えられたこの自由をもっと理解し各々が自分で考え戦っていけるようにならなければここから先の道へはいけないと思う」
我らが日本代表はその「無個性サッカー」からの脱却を図るためにこの4年間戦ってきたのではないのか。そのためにジーコはフィールドに立つ"息子達"に「自由」を与えてきたのではないのか。

それをこの大本番にきて、オーストラリア相手に自分達を否定し「3人のFWに対して5人で守る」という方法をとるのかジーコさん。この戦い方に、日本代表の未来はあるのだろうか。どうしても、時間を逆戻りしているようにしか見えない。

8年前とはあまりにも状況が違う。
4年前とも違う。
ヨーロッパに飛び出た猛者が何人もいる。
ドイツを舞台に戦っている男もいる。
ドイツは決して「未開の地」ではない。
全員が全員大活躍というわけではない。
しかし、それはオーストラリアも同じだろう。
キューウェルは怖い。ビドゥガも怖い。
しかしこちらにだって俊輔がいるじゃないか。小野がいるじゃないか。中田がいるじゃないか。ビドゥガを相手に3人で挑まなければならないほど、海外行きを断ってまでW杯に臨む男を信じられないのか。

相手はブラジルじゃない。
オーストラリアなんだ。W杯の成績だって芳しくない。
事実上初出場に近いようなもんだ。
そして、オーストラリアは今大会以降、同じアジアの枠を競う相手となる。
そのような相手に、なぜそんな臆病な戦術を取るんだジーコよ。

攻撃に出たとき、少なくとも守備が頭にある三都主の出足はまず遅れるだろう。基本的に両サイドが引いていることを考えれば、攻撃は自ずとトップ下とFWの3人で守備後の第一陣を繰り出すこととなる。中村俊輔はロナウジーニョではない。動き回り、周りにいくつものパスコースを用意しながら、局面局面で魔法を繰り出し、敵陣にギャップを生み出す。5-3-2では、まず間違いなくフランスW杯の中田の様に、ピッチに立つ大半の時間を「孤立」して戦うことになるだろう。

大きな大きな大会の初戦。
慎重に行きたい気持ちは良くわかる。
5-3-2という選択もわからないでもない。
現代表が「負けない戦い」をしようと思ったらその結論になるのも理解できる。

しかし、現代表が「本来の自分達の姿」を見せてくれたその多くは4-4-2だった。現代表が「3バックの方が理解度が高い」なら、だったらなぜ、なぜ今の今まで4バックを試してこなかった。敵国を想定したキリンカップでどうして試してこなかった。もしキリンカップから試していれば本番までに4試合もあった。

あなたの戦術に、我ら代表の未来はあるのですか?
posted by 総さん−ソウサン− at 17:09| ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

中田システムじゃないよそれ。

http://www.nikkansports.com/soccer/japan/p-sc-tp2-20060523-35632.html

 ぽっかりと空いたスペースを高校生に狙われた。前半35分、中田英が攻め上がった裏のスペースを突かれた。トップ下の中村が必死で相手のドリブルに追いすがる。6本のパスをつながれてボールは左から右へ。最後は中央からミドルシュートを打たれた。大きく枠を外れたが、相手が初戦のオーストラリアなら背筋が凍ってもおかしくないシーン。DF宮本も「レベルの高い相手とやる本番では誰がいくのか徹底しないと危険」と気を引き締めた。

 湯本高の櫛田正則監督(48)にも、攻略の糸口と見抜かれていた。「中田選手が上がって何度もスペースができていた。ボールを奪うことができなかったが、そこをつくチャンスはあった」。高校生が完全攻略することはできなかったが、このままでは日本にとって危険地域になる。

 中田英のアグレッシブな姿勢が、守備のバランスを崩すことにつながる可能性はある。前日21日の戦術練習でも宮本が「ヒデ、あまり出て行かないように」と注文。そしてこの日の初の実戦で、課題が浮き彫りになった。宮本は「ボールの動きをどう制限するか。DFラインとしてボランチに要求しない時は『そこにいてくれ』ということ。でもボランチ側はそういう時も声を掛けてくれと言っていた」。細心の注意を払い、何度でも修正を重ねる覚悟を見せた。

 攻撃面で中田英が攻め上がる効果は高い。この日も常に前線に顔を出して、MF中村のスルーパスから1得点。逆に中村に1アシストも記録して「ナカナカ」コンビは良好だった。ただ、中村が「少しヒデさん(中田英)との距離が近すぎた」というほど、ボランチとしてはかなり高い位置でプレーしていたのも事実だ。

 その動きが「両刃(もろは)の剣」になりかねない中田英だが「練習の疲れが残っていて、体が重い部分があった。その中でも声を出して修正していくことはやっている」と前を向く。チームの雰囲気も「いいですよ。3週間あるし、今から気を張りつめても、持たないから」とも言った。まずは攻め上がる中田英の主張と、バランスを取る守備陣の主張を一致させることが必要。高校生にも見えた「穴」を修正する時間は残されている。【益田一弘】


==================================

わかってないなぁ。
システムの欠陥じゃないでしょこれは。
要は、どの場面で使うのかということ。

劣勢の状況で前がかりにならなければならない時、この中田の行動は正解。多少スペースをあけてリスクを負ってでも前に出なければならないのだから。

序盤で試合を組み立てなければならないときには、この行動自体はOKだが、カバーリング役を決めなければならない。トップ下の俊輔か左の三都主でしょう。俊輔とはカバーリングではなくてポジションチェンジだけど。

この中田の行動を「暴走」とする人がいたけど、それも違う。
この行動は必要ですよ。なぜなら、中村俊輔はロナウジーニョでもジダンでもトッティでもないから。トップ下にドシッと構えて生きる選手じゃない(それをやるならまだフィジカルに秀でた中田英の方が適任)。左に右に後ろにうまく動いてそこで技術を発揮するタイプの選手。ポジションチェンジが無いと前に蓋ができてしまう。必然的にボランチとの阿吽の呼吸のポジションチェンジが必要。

だから、危ないのはこれが試合を組み立てる際に使うというのであればその約束事が確立されていないこと。その約束事は「中田英と俊輔の入れかえ」であり当人同志からすれば「アイツがあがったら俺が下がる」というだけなので、実はそんなに難しいことじゃない。3週間毎日一緒にいるわけだから、これから充分に連携は確立できるはず。

問題はその先。
3-5-2のボランチとトップ下のポジションチェンジって、もうセオリー。セオリーになるにはそれなりに理由がある。楽チンなんですよ。そんなにリスクもない。相手も充分に対応してくるだろうし、その上攻撃の枚数が変わったわけでもない。これで相手に脅威を与える攻撃が展開できるのだろうか?上記の文中でも脅威を与えたのは「中田英+中村」であって、単体ではないし。

「中田英+中村」を可能にするには、俊輔以外の誰かがカバーリングをするしかない。中田が左ボランチなら三都主、右なら加地。左はこの上なく厳しい(笑)彼も攻撃のタレントなのだから。三都主も攻撃的にして福西と加地をスライドさせるという手もある(これはトルシエの戦術ね)けど、加地は中で守備の立つタイプではない(故にトルシエはスタメンに市川ではなく明神や酒井を好んだわけで)。

この矛盾をどうにかして欲しいですね。
中田がどうのこうのではなくてね。
「中田+中村」を実現させるのか、否か。
させたいなら、それなりの人選をしなきゃいけない。
させないなら、それでどうやって敵陣を崩すのか。

・・・・。
でもなぁ。
もしね?そうやってポジションチェンジによって攻撃の威力を増したいなら、やっぱり4-4-2だと思うのですが・・・。3-5-2の第二ボランチと4-4-2の第二ボランチってだいぶ役割ちがうのでね。4-4-2なら二列目は二人いるので頻繁にポジションチェンジが行えるしバリエーションも増える。まあ、それが出来なきゃ4-4-2の意味がないんですけどね。高い連携も必要だし。

にしてもジーコは本当にオーストラリア相手に3-5-2で挑むつもりだろうか。3トップのオーストラリアにそれは自殺行為に近いと思うんだが・・・。


あ、それと。
この記事は守備の話と攻撃の話を混同しているよ。

A.宮本「ボールの動きをどう制限するか。DFラインとしてボランチに要求しない時は『そこにいてくれ』ということ。でもボランチ側はそういう時も声を掛けてくれと言っていた」

B.中田英が攻め上がった裏のスペースを突かれた。
湯本高の櫛田正則監督「中田選手が上がって何度もスペースができていた。ボールを奪うことができなかったが、そこをつくチャンスはあった」


このAとBは全然別の話でしょう。
Aはプレスのかけ方。ボール主体でボールサイドの方へチャレンジに行くか、DFライン前のスペースを埋めるのか。この判断についてDFラインから要求するのであれば、どちらであっても声を出して欲しいということ。

Bは攻撃の時の話。
文字通り中田が攻撃の局面で飛び出た後のことですね。

宮本「ヒデ、あまり出て行かないように」

これはどっちにも当てはまりますね。
"でも戦術練習をしている時"とのことなので、たぶん守備の話(A)でしょう。だって、攻撃の話のときには宮本と中田は別のグループで練習するはずだし(笑)だから、「中田が前がかりに成りすぎる」ということに対する注文ではないと思います。

それぐらい、プロの記者なら見抜いて欲しいな。
posted by 総さん−ソウサン− at 14:11| ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月22日

自分が周りに甘えていることに気づかない人。

以前フットサルで出会った人たち(二人組)の話。
いくつだったかなあ。二十歳か21か22か。
そんなもんだったと思う。
二人を仮にA・B君とします。


フットサルの後に7,8人で近くのファミレスへ行きました。
皆のど渇いてるからドリンクバーを頼みますねやっぱり。
するとA君がなぜかドリンクバーを頼まなかった。
友達であるB君が「ドリンクバー頼まねえの?」と聞くと
A君は「飲むよ。バレないでしょ。バカじゃねえのw頭使えよ(笑)」と言い、
聞いた方は「うわー!そうかー!もったいねえことしたー!」とお返事。


うわ〜さぶいな〜こいつら〜なんて思ったのですよ(笑)
僕はこういう周りが見えてないおぼっちゃんは大嫌いなんでちゅ(笑)
A君がドリンクバーをちゃんとオーダーしなくてもバレないのは
僕ら"良識ある大人"(笑)がちゃんとオーダーしているから。
そのおかげで紛れるからバレないのですね。
A君一人やB君と二人ではバレるし。

それが見えてない。
別にね、ドリンクバーの不正ぐらいどうでも良いんですよ。
たかだか100〜200円ぐらい。
金が無くて苦しいというなら、それぐらいどうぞっていう話だし
なんならドリンクバー代ぐらいお兄ちゃんが出してあげるよ(笑)
それを「自分の頭の回転の良さ」だと思っているところがウザいのね。

まあ、良い大人はドリンクバーの不正のリスクを買うぐらいなら
小銭ぐらい払って堂々と飲みますけどね。
自分が周りに甘えてることに気づかない人って、かっこ悪いですね。
posted by 総さん−ソウサン− at 19:25| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月19日

薄情じゃなかった白状します-ああロナウジーニョ-

結局昨日のCL決勝は見れなかったのです・・・・。
さすがに社会人就寝から3時間では起きられませんでした。
目覚ましをセットしていたのですが、
携帯がなぜか布団にもぐっていて、目覚ましは子守唄になっていました。
起きたら7時でした・・・・orz

「粉雪」を子守唄にってもう絶対僕にしかできねえな。
posted by 総さん−ソウサン− at 09:44| ☔| Comment(2) | TrackBack(1) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

まだ間に合う、松井をドイツに連れて行け。

「まだ間に合う。小野をソウルへ連れて行け」

どん底だった97年フランスW杯予選。
負ければ本当に後がなくなるソウルでの韓日戦を目前にした10月に、
静岡国体決勝に出た小野が見せたスーパープレーを見た
サッカー関係者や記者が発した合言葉。
日に日に、松井がメンバにいないことの寂しさを感じている今日この頃。

この一年でこんなぶっとんだプレーを見せた奴が日本にいたか?
http://omomani.blog53.fc2.com/blog-entry-831.html


もったいない。
ブツブツブツ(笑)
まあ、まだ日本代表もドイツに行ってないけどね(笑)
posted by 総さん−ソウサン− at 17:34| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月15日

W杯日本代表23人決定。-久保より松井-

言葉が出ないとはまさしくこのことだ・・・。
本当に驚かされた。正直4年前の秋田より驚いた。
(まあ4年前は我が教祖様の落選のことで頭がいっぱいだったけど)

何より驚いたのは久保の落選。
何よりショックなのは松井の落選。
何より残念なのは久保が間に合わなかったこと。

■久保の落選
まあ、仕方ない。
というか、実は僕は彼は選ばれるものと思っていたので
「本当に久保を連れて行っていいのだろうか」
という記事を書くつもりでした。
必要なくなるとは夢にも思わなかったが、異論は無いというのもまたホンネ。
以前から書いている通り(久保復帰天皇杯ベガルタ戦)久保のポテンシャルを疑うことはない。もしポテンシャル通りの力を発揮したら、世界に最も近いのはこの男だろう。ただ、今現在の調子では疑問符をつけざるを得ない。点は取っているがほとんど格下ばかりだし「らしいゴール」ではない。

柳沢も怪我あけでまだ実践復帰をしていない状態で、コンディション不安定な久保も連れて行くのはあまりにもリスキーだと思う。5人中2人が使えなくなるかもしれないんだから。どちらにせよ、どちらか一人が限界じゃないだろうか。そしてタイプは違えど「怪我からの復帰」という目線で両者を選択した場合、帰国直後絶好調で「成長の証」を披露した柳沢と、「12月から復帰して調整しているはず」の久保とでは、やはり柳沢にならざるを得ないと思う。5ヶ月かけてコンディション改善を待っても戻っていないものが、あと1ヶ月で戻るとは思えない。だから、もし柳沢が怪我もなく計算できる状態にあれば、久保の落選はなかったのではないだろうかと思う。

結局、この一言ですね。
「間に合わなかった」
本当に残念。独力突破の可能性を持った我が国唯一の「獣」だったのに。


■松井の落選
実は松井の落選の方がショック。
信じられない。
日本代表において、唯一のジョーカーだったのに。
しかもずっと好調を維持し続けている。
田中達もいない。大久保もいない。
悪い流れになった時、誰がリズムを変えてくれるのか。

小野、中田、小笠原はあくまで「スタメン型」の選手であり、
序盤の綱引きでゲームを左右する選手。
中村俊輔がベンチに入ればジョーカーに成りえただろう。
ただ、俊輔をベンチにおける選手層は無い。
いまや代えのきかない「10番」だ。

また代表中盤において。いや、日本サッカー界において
数多くの「ファンタジスタ」がその大小に違いはあれど生まれてきている。
が、皆が図ったかのように「パッサー型」だ。基本的にフィジカルの弱い日本人は、精密な技術を持って対抗するのが常であり、パッサー型が多いのは当然といえば当然の成り行き。
その中にあって松井は敏捷性、即効性、突破力に優れた希少な存在である「アタッカー型」。本山がトップパフォーマンスを取り戻さない限り、松井は前園を失った日本サッカー界において唯一無二の存在だろう。

■松井を使う局面
中村・中田・小笠原・小野がいれば必要ないと捉えたのだろうな。
ううん・・・。
それを言うならレジスタの方が確実に溢れすぎていると思うのだが・・・。
中盤の構成を4枚で考えた場合、福西が"守備的MF"に入るのはもう鉄板だろう。バックアップの稲本も同様。片割れに入る第2ボランチ・レジスタは小野・中田・小笠原・遠藤。ジーコは小笠原をココでの起用は考えていないだろうが、このポジションと2列目の一枚はセットで考えるべき。

そうすると2つのポジションに4人いるわけで、まあ数字としては多くはないのだが、問題なのは序列。ボスニア戦の序列が最新のものとして考えると下記のようになる。

 第2ボランチ   2列目の一枚
  中田英      小笠原
  小野       中田英
  遠藤       小野
  (小笠原)    遠藤
  (中田浩二)

2つのポジションに4人なのだから
「1つのポジションに2人」という計算が成り立つのだけども
問題はサブの扱いが「2人中2位」ではないこと。
二つのポジションを総合的に判断すれば遠藤は「4人中4位」であり、スタメン奪取のためには、最低でも二人追い越さなければならない。しかも、その相手が中田英と小野ときたもんだ。遠藤に出場のチャンスがあるとは到底思えない・・・。無論、彼は途中出場で流れを劇的に変える可能性を持った選手ではない。上記の二人が万に一つ同時に怪我や累積警告で出場できなかったとしても、いざとなれば稲本も小笠原も中田浩もいるじゃないか。

加えて、グループリーグ3戦全てにおいて、得失点差や勝ち点勘定で日本が攻撃に出なければならなかったり、劣勢の中流れを変えなければならない局面はあって当たり前であり、そんな局面に遭遇しないことは万に一つも無いと考えられる現状で、誰よりも松井の力が必要だったのではないのか。大黒・玉田・柳沢にもその力(流れを変える力)は備わっているかもしれないが、誰もが点取り屋が本職であり局面突破の期待を持てる選手ではない。

繰り返すが、この任務において松井は日本の唯一無二の存在だったはずだ。
コンディションの間に合わなかった久保は、結局の所「本番でのミラクル」を捨てるという判断なので、ある意味では妥当な判断とも言える(ミラクル無しで勝てるのかどうかはともかく)。

松井は違う。
昨年から好調を維持し続け、リーグ1昇格に導き、昇格初年度もル・マンは上々の成績を残した。その立役者は紛れも無く松井であるし、フランスで称えられるほどのスーパープレーを幾度と無く披露してきた。また、日本代表に招集された際にもどれも良いプレーを見せている。ゴールも残している。リーグ1がセリエやリーガ、プレミアに劣るのは認める。しかし、中田英も高原も稲本も大黒も中田浩もクラブの中心ではなく、コンスタントに試合に出ていないのだ。「計算が立つ」という意味では松井に軍配があがるはず。

なぜ、松井を連れて行かないんだジーコ。
松井は"ただのテクニシャン"ではないんだぞジーコ。
posted by 総さん−ソウサン− at 17:30| ☁| Comment(3) | TrackBack(3) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

目的意識の低い人とその組織。-後編-

前編を書いたまま、ずっと続きを書くのを忘れていました。まあ、誰も期待しているわけじゃないからいいんだけど(笑)

さてさて、前編のあらすじ。(上のリンク先読んでもらった方が良いけど)
前にいた会社で全社をあげて取り組んでいた「業務改善(品質改善)活動」
全社を部署内で6〜9人を一組のグループとして分けて、各グループで半年近く活動をしてプレゼン形式にて発表。優秀なグループは勝ち抜いて、最終的に全国事業所代表として、全社統一の発表会を行うというもの。

僕は、晴れて事業所代表となり、桜木町の某大ホールで300人?ぐらいだったかな?の前でプレゼンをしたのですね。今日は、その本戦での話。

ほんと、苦労しました。
プレゼン自体はほとんど苦労しなかったですよ。
もう内容が固まっているものを喋るだけなんだから。何も問題は無い。
問題は、大会自体の運営とトップの基準。

当時大笑いしたんだけど、プレゼン時間がなんと5分しかない(笑)
質疑応答いれたら7分かな。短すぎでしょう・・・。
参加者多数で、人間の集中して聞いてられる時間に配慮してというならまだわかる(それにしたっていくらなんでも短すぎだけど)。しかし、本戦に出るまでの全ての予選は7分以上で行われていたのですよ。普通、舞台があがるにつれて時間は増えていくものだと思うんですが(笑)

何よりの矛盾は、大会全体の時間は確か2時間〜3時間。
出場チーム数は10チーム程度。著しく計算が合わない(笑)
そう。改善活動の発表がメインであるはずなのに、それ以外の時間が多いのですね。コンサルタントの演説時間20分、社長の演説時間20分、打ち上げ40分以上。社長は喋りに来たのでしょうか、聞きにきたのでしょうか(笑)

肝心の改善活動発表会。
どいつもこいつも、プレゼン下手すぎ・・・。
見下すわけではないけれども、あれは人様の前でやる代物ではないと思いましたね。それほどにひどかった。

まるで論文の様に字を詰めた画面を映し出すチーム。
背景がデザインされすぎていて、肝心の文字が読みづらいチーム。
緊張で手が震え、声が震え、しまいには「き、緊張で手が震えてレーザーポインタがうまくつ、使えません」なんて言っちゃうプレゼン者。
極めつけは、ラストになんとスタッフロールを持ってくるという飛びっぷりのある個性を見せてくれたチーム(笑)

「これははっきり言って相手にならない」
順番待ちの僕の正直な感想。っていうか、他のチームがやっているのはお遊戯とか文化祭でやっているようなレベルだしね。そして、僕は自分のプレゼンを滞りなく済ませ、ダラダラと行われている他チームの発表(当人は真面目に緊張感を持ってやっているつもりなんだろうけど)を見て、社長とコンサルタントのどうでもいい話を終え、やっと結果発表。なんと、僕はこんな大口を叩いているにも関わらず、上位三賞(最優秀・優秀・特別賞)にかすりもしませんでしたよ、と(笑)

上位3チームは、スタッフロールのチーム、プレゼン者(これがまた若い女性なのねw)が緊張のあまり震えてまともに喋れずそれをカミングアウトしたチーム、そして落ち着いて喋ったものの、同じような活動をもっと有意義に進めた他チームをどういうわけか退けたチームの3チーム。

正直、自分でもビックリしましたね(笑)
感覚的には、スポーツ経験者が素人に敗北するような感じ。
期待されたにも関わらずそれに答えられず、申し訳ない気持ちを背負いながら、参加賞を受け取りに委員長の所へ。そして、衝撃の事実が耳打ちされる。


「実は、評価は君が一番高かったんだ」

はあ。どういうことっすかそれは。
どうやら、我がチームは実は全社にさきがけてこの活動を始めており、先見の優位性があるため、今回は受賞を見送ったということらしい。怒りがこみ上げてきましたねえ。この活動は半年単位で行われてるんですよ。そのたびに何か新しいテーマを見つけて論理を組み立てて活動する。上層部のおエライさん方が知る由も無いと思いますが、僕はこの会社に入ってする単身宮崎へ出向に出されて、ちょうど半年前に帰ってきたばっかりなんですけどね(笑)組んだメンバーだって全員新参者だから、過去の積み重ねなどない。

大会が終わり打ち上げに入れば、
これがまた見ず知らずのオッサンが声をかけてくることくること。
話の内容は全て同じ。
「君が最優秀かと思ったのに」
はっはっは。そうでしょうそうでしょう(笑)

宮崎にいた時にお世話になっていた課長も遠路はるばる参加していて、
目を丸くしていました。
「お前があんなにすごいプレゼンが出来るなんて、本当に驚いた」
はっはっは。そうでしょうそうでしょう(笑)←二度目
そら、DTPオペレータなんて技術者的な仕事してたらプレゼンなんかしないですからねぇ。

入社の時にお世話になって総務のTさん(オッサン)。
「君も頑張って成長したねぇ」
はっはっは(笑)
何を仰るんですかTさん(笑)
あなたの会社でプレゼンの勉強なんかしたことないですよ
物事の捉え方、プロジェクトの進め方は全て我が師匠から受けたものであり、基本的には僕オリジナルのものですから・・・。

そして、発表に際して社長からのお言葉。
「非常にレベルが高く、皆頑張っていた」
終始これ。トップがそれでどうするんだいシャッチョさんよう。

会社のトップ。運営委員。そして参加者。
誰も、行動を起こすことに対する「目的」が定まっていない。

1.会社のトップ
全くバカげているというかなんというか。
こういう場でまず社長が発言しなければならないのは「選考基準」。これより大事なものなんて無い。正直、僕がいくら自分のプレゼンに自信があったとしても、結果が伴わない事だって往々にしてあるわけで、それはそれで仕方ない。価値観なのだから。

世間にはいろんな価値観があって良いはずだし、何を「良質」とするのかもそれに準ずる(それが本当に社会的に「良質」かどうかはさておき)。その価値観に会社として順位をつけるならば、まずもって間違いなく「会社がどういう価値観を持っているのか」を提示しなければならない。じゃなきゃ、誰もそこへ向かって走れないもの。極端な話、会社が赤いものを作れと言えば社員はそのように作るし、青いものならそのようにつくるはず。その「会社としての色=意思」がない。今後もこの活動を進め、そして成果を求めるのであれば、これはもう必須でしょう。それを会社のトップがその絶好の機会に提示しなくて他に何を伝えるというのでしょうかね。不思議で仕方ない。


2.運営委員
時間配分、資料、準備。
一体何をさせたいのかがさっぱりわからない。
大会後に委員会の人間に「なぜ5分などという短い時間だったのか」の問いをぶつけました。彼はこう答えました。

「時間を絞ることで、プレゼン技術の向上を図った」
あなたは、発表が聞きたいんですか?
社員のプレゼン能力を養いたいのですか?(笑)
百歩譲ってその両方だとして、それはプレゼンの時間を絞る理由にはなれど
"5分"という数字の根拠にも、発表以外の時間の方が圧倒的に多いという時間配分の根拠にもならない。

そして、極めつけは「プレゼンだけで判断しているわけではない」
バカ野郎が(笑)
それを言ってしまったらおしまい。
プレゼンというのはそもそもが一発勝負者。
そこでちゃんと伝えられなければ、その背後にある活動の努力も目を向けてもらえなくなるのは当然。そういう厳しいもの。特別賞に輝いたチーム(同様の活動をもっと有意義に進めていたチームを退けて受賞したチーム)がこれでした。前期から活動を始め、プレゼンの内容以外のことも進めていたと。なんだそりゃあと(笑)その「プレゼンで見えなかった部分」が有意義な成果を上げていたとして、それを全員が見たのですかという話。そんなの、その事業所にいる人にしかわからないじゃないですか(笑)そんな選考基準設けたら、思いっきり有利不利がでるがなぁ。


3.参加者
スタッフロール入れたり、過度の緊張をカミングアウトしたり・・・。
一体何を伝えたくてあなたはその壇上に立っているのかしら?
ほんと、お遊戯みたい。これは前回も書いたのでこの辺で。



この問いを突き詰めて考えられて無いから、
こんなグダグダな大会になるわけで。

「この大会や活動は、何のために行っているのですか?」
posted by 総さん−ソウサン− at 10:06| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月11日

小野がブルガリア戦で??

あれ?
http://germany2006.nikkansports.com/paper/p-sc-tp4-20060511-0006.html

MF小野が、2種類のシステムの併用に自信を深めた。前日のブルガリア戦では、1点を追う後半16分から出場し、左サイドハーフで数々の好機を演出。3バックから4バックに移行した終盤は、ボランチで守備とパスの中継点として機能した。「どちらでも違和感なくやれた。あの時間帯でピッチに入ったことでいい面を出せた」と劣勢での途中出場が、自身の適応力を高めたと振り返った。

んんんん?左サイドハーフ?

スタメン。

   玉田  巻

     遠藤
村井       加地
   阿部 福西

  中澤 宮本 田中


ここから、村井の怪我で三都主がでて、
その後小野と小笠原がIN。
福西と田中がOUTだったよねえ。

ってことは、その時から思っていたんだけど、
小野が出た時点で4バックのはずだけどねぇ。
左サイドハーフなんかやってないんじゃないだろうか。

阿部がDFにおりて・・・・もダメだ。
そうしたら小野はボランチかトップ下になるはずだし。

不思議。
posted by 総さん−ソウサン− at 14:51| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月10日

3-5-2と4-4-2−日本代表vsブルガリア代表−

なんというかまあ、グダグダでしたね。
国内組で組むといつもこう。
むしろ国内組で3-5-2だともうこういう試合以外はありえない(笑)

前々からずっと言ってますが、3-5-2は日本と同等以上の実力を持った相手には通じないですよと。ポジションチェンジがしにくいシステムだから、流動的な流れるような攻撃が出来ない。単純に言えば、パスコースはほぼお決まりの所しかない。

3-5-2が機能するための要素
1.基本的に個々の能力で相手に勝っていること
2.絶対的なファンタジスタがいること

1.基本的に個々の能力で相手に勝っていること
だから、アジア相手には美しくないけど勝利は出来るのですよ。
「4-4-2の方が中盤に人が多いから4-4-2の方がプレスがかかる」っていう頭の悪い持論を展開している人を見たけど(その人はどんな結果だろうと「課題はすべて4バックではなかったこと」に起因させ、良かった点は全て「4バックだったから」とする盲目的な人w)、3-5-2が世界の潮流として流行ったときに謳われたセリフも全く同じだったよ、と(笑)まあ3-5-2ですからね。


・3-5-2の長所と短所
システムってもんは戦術に合わせて人を配置するツールであって、絶対的なものは存在しない。なわけで、それぞれに長所短所はあるわけですやね。3-5-2の長所は間違っても"中盤で"プレスがかからないことではない。中盤のサイドに常に一人いるのだから、実質的には中盤だけに話をとどめるならむしろプレスはかけやすい(だからトルシエはこのシステムを好んだわけで)。ついでにいうとセンターバックが3人いるから逆サイドも必要以上に絞る必要が無く、サイドチェンジされたときもプレスはおのずとかけやすい。

3-5-2の弱点は言わずもがな、ウイングバックの背後のスペース。3DFの両脇。ここにどうしてもぽっかりとスペースがあいてしまい、そこを執拗につかれると3DFの一角がサイドにつり出され、バランスが崩れてしまう。

3-5-2の長所は、高度な連携を必要としないこと。ポジションチェンジをしないということは、ポジションの受け渡しが減り、バランスを崩すリスクが減る。そして、もう一つの長所がサイドアタック。常に、中盤の外にサイドに張り出した状態で1人いるため、左から右、右から左へという繋ぎやサイドチェンジの攻撃が行いやすい(左でつくり、右で突破みたいな)。サイドの攻防に神経を注いだシステムでありつつ、中央の枚数も減らしたくは無いという贅沢な注文のもと生み出されたのが3-5-2であり、そのためサイドに張り出した選手が中盤に二人いるにも関わらず2トップ。これが3-5-2の魅力。サイドを攻略して中へクロスをあげると、2トップ+トップ下に時折ボランチの片割れも加わって、4人いることすらあるし、少なくとも2〜3人は常にいる。これが1トップだと1〜2人でボランチがきて3人。全く話が変わってくる。

ちなみに4-3-3や4-5-1(4-2-3-1や4-1-4-1)の弱点はこの攻撃のセンターの少なさにある。サイドを突破しても中が薄いので、相当強力な1トップとトップ下の得点力が必要となる。そのかわり、守備ラインのサイドの人数が確保できる。

話を戻すが上記3-5-2の長所を活かし、機能させるには、DF以外の各ポジションで1vs1に勝つか引き分け以上に持ち込める個々の能力を身に着けることが必要となる。なぜなら中盤と並行にサイドの選手を常に置いておけるといっても、そもそも高い位置でボールを奪えなければ意味が無いから。中盤に人数を裂いているのだから、中盤のボール奪取能力が著しく無いとボールが奪えず、結局後方まで下がることになり3-5-2の利点は消え5-3-2となってしまう。ボールをとるためには、ボール奪取能力。だから個人守備力が無いと、うまくいかない。

また、サイドのタレントも重要。基本的にサイドを一人で受け持つ両サイドのウイングバックは、背後のスペースの恐怖と前方のスペースへのチャレンジの葛藤となる。その葛藤のバランスを大きく左右するのが個人能力(打開力含む)であり、攻守に渡って先手をとれる能力があることが理想。サイドの攻防の綱引きですね。この綱引きにおいて、サイドの攻防を完全に敗北を喫し後手になるとはっきり言って上記と同じように3-5-2の利点はかき消され、5-3-2となってしまう(フランスW杯はまさしくそれ)。せめて五分五分ぐらいでないとこのシステムを使う意味がなくなってしまう。

と、いうわけで、3-5-2というシステムは中盤より前の選手が相手より個人能力で勝っていないと機能しない。だから、アジアカップでは勝てたわけで。ワールドカップに出るような強豪国相手には我が日本の戦力では脆弱すぎる。また、もしそれでも3-5-2というシステムを機能させるとするなら、中盤での個人勝負における勝利を一切放棄した、システマチックに動き回って敵を翻弄し続ける方法をとるしかない(これがトルシエの戦術)。ただ、今もってこの方向へ逃げるのは日本サッカーの発展に繋がらないだろう。


2.絶対的なファンタジスタがいること
上記において「個人能力が相手より同等以上でなければ3-5-2は機能しない」という前提条件の裏回避方法として「中盤での個人勝負における勝利を一切放棄」としたけれども、どちらにせよトップ下に強力な個性を持った選手が必要不可欠(だからトルシエは最後まで中田英を外せなかった)。守備から攻撃への線を考えると2列目が一人のため、どうしてもそこに線が集中してしまう。FWとの連携やラストパスにゲームの組み立てと、攻撃のタスクが異常に多い。しかしここからが矛盾で、敵だってバカではないので、そこを集中的に狙ってくる。つまり、このトップ下のポジションには過度ともとれるプレスをいなすフィジカルなり、高いテクニックなりを持ち合わせていないと、即座に潰されてしまい攻撃にならない。攻撃にならないということはすなわち守備の時間が増え、「高い位置でボールキープ」というこのシステムの大前提を実行できなくなる。

ということなので、このトップ下にはある意味でスーパースターが必要で現在の日本で世界と対等に渡り合えるためには、このポジションが本当の意味で務まるのは中村俊輔のみではないかと思う。


■ブルガリア戦の3-5-2
というわけで、昨日の話。
やっぱり国内組で3-5-2で組むと、個人能力はどうしても海外組に見劣りするしトップ下俊輔もいない。ブルガリアがそこまでガツガツこなかったのもあって、なんとかなっているけど、ワールドカップでこの試合をしていたらどこ相手にも勝てないと僕は思う。

ただ、それでも「3-5-2の最低限の出来」である「サイドからのクロスの連発」はある程度出来ていたわけで、またそのおかげでコーナーキックも多く、サイドのクロス、コーナーからのクロスに合わせるシーンは多かった。3-5-2で最低限の結果を求めるには充分な動きは出ていたといえる(逆に言うとあのメンバで3-5-2を組んだらあれが限界)。つまり、昨日の勝敗は何本ものクロスに合わせた時に、(特に)ヘディングを外しまくっていることにつきる。中澤に巻に遠藤に、あれを決められないと、最低限の結果すらついてこない。あれだけクロスにあわせたなら、マークがついていようが一本は決めないと無理無理。

■3-5-2でいいのか?
結局、昨日でもいつの試合でも同じように、中盤の個人能力(1vs1)、サイドのタレントに強大な力があるわけではない我が日本において3-5-2を選択すれば自ずと攻撃は左へ右へと繋いで隙をうかがい、クロスをあげてそれを競り勝つしか方法が無くなる。これで勝てるのはアジアだけじゃないかな。世界相手にこれで勝てるとは思えない。

ワールドカップで"好成績"をおさめるためには、やはり4-4-2じゃないかと思うわけ。それも、中盤がスクランブルに動いて高い連携を維持できるような動き。つまるところ、コンフェデ2005の日本。あれが出ないと世界で対等には戦えないと思う。

フィジカルに乏しい日本人なので単純にその場その場で1vs1を挑むのではなく、俊敏性、組織力、そして高い技術を利用して、中盤がスクランブルに動き、1タッチ2タッチで攻撃を組み立て、スペースのあるところで良い形でボールをキープした所から個人勝負に入る。そのためには3-5-2ではそれに適さないし、2トップでないと前線で渡り合えない。なので4-4-2。そして、必要とされるのがポジションチェンジとカバーリングの連続を可能にする高い連携と、ボールを止める・蹴るという基礎技術の高さ。

■4-4-2において必要とされる人材
まあ、上記「中盤がスクランブルに動き、1タッチ2タッチで攻撃を組み立て、スペースのあるところで良い形でボールをキープした所から個人勝負に入る」が出来る人材が必要なのは当たり前なのだがw、それは中村俊輔を筆頭に、中田英、小野、小笠原、松井がいるので。

4-4-2というシステムは3-5-2や4-3-3と比べるとバランスよく人を配置するシステムなので、速攻や遅攻、サイド、中央全てにおいてそれなりに対応できる。なので、3-5-2のように「常に中盤を制圧できていなければ機能しない」ということではないが、まあ当たり前にボールが奪えないと困る(笑)ので、やはり一人ボール奪取能力に長けた人が欲しいなあと思う。現状で言えば1番手は福西、2番手・稲本となり稲本の調子があがればその序列が変わる可能性もあるが、やはりこの二人はどちらかにとどめぜひとも今野を呼んで欲しかった。二人よりもファイティングスピリットに長け、自己犠牲、体を張った守備、執拗なボールへのプレスには目を見張るものがある。一言で言えばタフ。実はパスセンスもそこそこあるし。

時すでに遅しだけど。
posted by 総さん−ソウサン− at 12:50| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

ルールは絶対ではない。-新庄襟付きアンダシャツ-

日本ハム新庄「襟シャツ」反抗声明

そんなに悪いことしたんですかねぇ。新庄選手は。
このニュースについて、mixiやらブログやらをちらちらと読んだけど、真っ二つに別れてますね(笑)でも、なんか本題からずれているというかなんというか。問題は「彼が襟付きを着る事が野球選手として良いかどうか」ではないはず。そんなもんは、彼のそのセンスが嫌いな人は彼を嫌えばいいし、好きな人は認めてあげればよい。彼の選手としてのステータスに影響があるのは当然だけれども、それによって「新庄の善悪」は決まらないでしょうに。だって、ただのセンスだもんねぇ(笑)

問題は二点。
@ 「審判団が禁止しているものを着用するのはいかがなものか」
A 「マナー違反ではないか」

@「審判団が禁止しているものを着用するのはいかがなものか」
「ルールは守るべきであって、その上でやっといろんなものが両立(成立)できて守られる」という論調ね。正しいけど、どうも解せないというか。ルールは守るべき。でも、では絶対かというとそうでもない。ルールには「意味」があって、だからこそ皆が守らなければならない。裏を返せば、時代が変われば必要性も変わり、意味がなくなることだってある。意味がないルールなんて無駄な束縛でしかない。だったら、ルールを変えればいい。

そういう風に捉えていくと、少なくとも新庄は一発目は踏むべきプロセスを踏んでいるのですよ。前日に審判団に申し入れ、『今後の検討材料にする』ということで審判部長まで許可を取った。この時点では新庄に非は一切ない。それがマナー違反だろうがなんだろうが、ルールを取り仕切る審判団に直談判して許可を得ているのだから、叩かれるとしたらそれは審判団。

しかし、新庄はその後禁止令が出た後も強行着用しちゃいましたね。これは×でしょう。どうしても着用したいなら、事前に説得するしかない。無視するなんてのは言語道断。大人としても、スポーツマンとしてもこれは良くないですね。


A 「マナー違反ではないか」
これはどうなんでしょうね。
僕にはよくわかりません。王監督に至っては「子供に悪影響を与える」とか。はて、襟付きを着る事がなぜ悪影響なのでしょうか・・・・。意味がわからないなぁ(笑)ツバ吐きとか、ネックレスの方がよっぽど目に付くような気がするけどな。マナー違反でもいいんですよ。それならそれで。ならば、その説明責任が審判団にも、そして発言者の王監督にもあるはず。それが見えてこない。マナーマナーっつったって、それらにもちゃんとそれなりに意味はあるはず。「いったいどの部分がどのようにマナーに反していて、どのように子供に悪影響を及ぼすのか」というのを、ちゃんと新庄にも、そして野球ファンにも説明をするべきじゃないかな。これがないと「マナーだから」「昔から守られてきたことだから」という一言で全て片付けられてしまい、全ての反論が抑えられてしまうし、これじゃなーんにも変わらない。


さて、ここまでが「物事のスジ」という意味での見解。
まあ、言うなればただの論理。

ここからは僕の主観。
「野球と関係無いところで何が新しいことにチャレンジだ」っていうのは、まあわからんでもないけども、それは彼がそれ(ファッション)にウツツをぬかして野球が疎かになっている時にこそ言うべきことでしょ。新庄は間違いなく野球に対しても真摯な男だし、実力だってあるでしょ。それにプロとしての実力というのは野球の成績だけで問われるものではないし。彼に集客力があり、球団が潤い、野球が楽しくなるなら、それは立派な彼の能力。採算性ね。彼はそういう意味でプロとして一級品の選手でしょう(我らがKINGカズにも全く同じ事が言えるな)。好き嫌いは別としてね。


今回の件の上記@で「審判団を無視する新庄は×」と述べたけども、それもどっちかというと僕は新庄に温情的。だって、まずはスジを通しているんだもの。審判団は審判団で「検討材料にする」と言っている以上、その後今の様に結論として禁止とするのはスジが通っている。でもねえ・・・(笑)
「検討材料にする」といってほぼ一日で逆転の結論と言うのはおかしい(笑)だったら、始めから検討して「禁止」と言ってやれよ審判団(笑)単に「許可してみたけど風当たりが強かったのでやっぱダメ」っていう風にしか感じられない。


前川審判部長「映像を見たら誰が見てもちょっと違うなと思う。許可するといろんなケースが出てくる」

だったら、さっさと前日のうちに映像にして見ろと(笑)
いろんなケースが出てくるってのは、逃げの議論。
「いろんな」はダメでしょ。誰も何もいえなくなる。
考えられる具体的なケースを提示しなきゃまともな意見とはいえない。

だから、どうにもね。
どうにも、球界の腐った部分を見た気がして、僕は新庄に同情してしまいますね。
posted by 総さん−ソウサン− at 15:25| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月05日

フットサル日本代表vsブラジル代表。

去る(サルだけに)5月5日。
国立代々木体育館にて観戦してまいりました。

フットサル観戦て初めて。ビデオとかでは見たことあったけど。
以前にフットサル全国選手権も観にいくチャンスもあったんだけど
某関東リーガを目指す男に「オマイが出るまで漏れは関東リーグ観にいかない!」と豪語したので、控えたのです(笑)全国選手権観にいったら同じチーム出ちゃうからね。

というわけで、初観戦。
ふむふむという感じ。

おk。



コートに立っているヤシらがとんでもなく上手いことだけは良くわかった


冗談はさておき、ほんとメチャクチャ上手い・・・。
皆足にボールが糸かなにかでくっつけてあるみたい。
しかもはええし。すげーすげーの連発。

戦評はというと、ブラジル強すぎ。
動きが斬新だったとか、徹底してたとかそういうことはなかった。
運動量も決して多くなかったし。ただ、僕が見た感想はもう「こりゃ手も足もでんわい」。観戦してもっとも強く思ったことは「結局サッカーだろうがフットサルだろうが基本は1vs1の積み重ねなんだな」ということ。

マスコミの評価も、選手のコメントも「チャンスをちゃんと決めていれば」と言っていたけど、それもどうなんだろ。確かに序盤はチャンスがあった。決定的シーンをいくつか外している。でも、それを言うならブラジルの方が圧倒的に外しまくっていたり、GKのナイスセーブに阻まれていたシーンが多かった。日本のチャンスというシーンもどれもほとんどがブラジルの横パスミスをかっさらってゴールへ一直線ていう感じ。ブラジルのそれ(日本のパスミス)はもっと多かったけど。

1vs1のレベルが圧倒的に違いすぎる。
以前に見たサッカー日本代表vsドイツ代表みたいだった。
象徴的なのが、ブラジルの選手はボールをキープした時に、ピタっと止まって様子を伺える。日本選手は抜かれるのが怖くて飛び込めないから、時が止まったかのようにボールを止めて、ボールを持っている側なのにプレッシャーをかけられる。あれがテクニシャンの威圧感というものなのだろう(ストイコビッチがこういうの凄かったな)。日本の選手にはあれは出来なかった。止まればプレスが来て、それに負けてボールを失ってしまうから。

世の中戦術戦術、組織組織というがその組織の基本を作り上げるのは個々の能力。その足し算引き算の組み合わせが戦術。例えば、草サッカーチームにネスタとカンナバーロがいたら、たぶん2バックでも持ってしまうでしょう。そして、そこで圧倒的に勝てるから、攻撃に人数を裂ける。例えば、最前線に久保がいたら、攻撃の人数を多少削っても攻撃は成り立つ。そういうもの。どんな組織や戦術も「個の戦力の計算」が出来て初めて成り立つ。

ブラジルと日本には圧倒的な個人能力の差があるように僕には見えました。
攻撃にしても、守備にしてもやろうとしていることはあまり変わらない。後ろでまわして、絶えずポジションチェンジを繰り返す中で前列にクサビを当てて、そこから展開する。

しかし、ブラジルの選手は日本のプレスを簡単にいなしてしまう。前列に当てたときは物凄く顕著で、ブラジルの選手は前列でボールを貰っても、怯まずに球をコネながら前方へ向けてしまう。自分より並行以上のラインにボールを運べるのに比べて、日本の選手は前列が貰っても前を向けずに落とすだけになってしまっていた。これでは、後方の選手はうまくボールをもらえない。逆に言うとブラジルの選手は高い位置でボールをもらえる。スピードとテクニックが高いから、ボールを自分のものにするのも早い。だから、キープ力が高い。

プレスにしても同じ事が言えて、ブラジルの選手の方が圧倒的に球際に強い。だから、ブラジルのプレスが非常によくかかり、日本の選手があっぷあっぷしている様に映ったけれど、あれはどちらかというとプレス戦術のウマさと言うより個人個人のボール奪取能力の高さと言ったほうが適切かなと思う。

個々の能力に差がありすぎた。
あれは戦術以前の問題だと思う。
サッカーは広いので弱者の人海戦術が有効かもしれないが、あの狭く人数の少ないフットサルでは、人海戦術では太刀打ちできないと思う。たとえ、日本の選手があの1.5倍走っても、結果はそう変わらなかったと思う。走って時間と空間を生み出すにはスペースが足り無すぎる。

特徴的だったのは、両者のプレーの癖。
もう見たまんまの根拠のない感想だけども、サッカーをやらせたらもっと差がつきそうな気がした。ブラジル人の癖は、なんだかサッカーぽくて、テクニックにしてもシュートフォームにしても、サッカーやらせてもキレイに出来そうだった。そこへくると日本の選手はどちらかというと「フットサル独特のテクニシャン」という感じ(まあ、底辺から見れば日本代表選手もサッカーやらせたらめちゃくちゃうまいだろうけど)。


「これ、まともにやったら勝てるわけ無いなぁ」


木暮。
上手かったなぁ。
ブラジルとの1vs1で他の日本選手と比べるとかなり勝負できていたと思う。ただ、後ろで同じくらい勝負できる人がいないと、彼はどうしても下がってきちゃうなあと思った。

いや、でも日本代表もみんなメチャクチャうまかったですけどね。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:00| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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