2006年04月26日

負け組ゼロってそんなにいいですかねえ。

太田かずみさんが当選しましたね。
http://www.kazumi.ms/policy/index.html

女性と若年層は「親自民」の傾向を強めている。特に女性は大きく自民に傾いた。民主の女性候補が女性有権者に嫌われるのは、最近の選挙では全国共通の現象だが、今回は女性有権者のうち太田、斎藤両氏が拮抗(きっこう)しているのは40代だけで、他の世代はいずれも斎藤氏が太田氏に大差をつけた。一方、男性有権者に限れば、太田氏が斎藤氏を大きく上回っており、これほど男女の投票傾向に違いが見られる例は珍しい。

おいおいおいおいおい・・・orz
ジャパニーズ・オッサンどもは一体何を考えているのでしょうか。やっぱり若いからかなあ。それとも日ごろキャバクラにお世話になってるからかな(笑)

なんでマスコミは叩かないんですかね。
やっぱりマスコミは単なる『アンチ自民』でしかないんだね。杉村太蔵議員と何が違うのかサッパリわからん(笑)彼が「元ホスト」って言ったら総叩きだっただろうな。

この選挙での雑感
■投票率
50%切るってひどい。
不在者投票だってあるだろうに。
選挙にいかないんだったら、政治に文句言えないのにね。

■小沢さん
小沢さんが悪いっていうわけじゃないですけどね。
小沢さんがトップになっただけで、こうも簡単に民主に支持をしてしまう人がわからない。まだまだこれからじゃん・・・。自民を叩くばかりで自主性が無いし、統一性もない。出所のはっきりしない偽メールを検証もしないで相手を叩く道具にしようという政党が、トップが替わっただけでそんなすぐ変わらないでしょ(笑)これが会社なら、そんな会社の株買いますか?ってね。

■太田さん支持の根拠の危うさ
いや、ほんとに。上記のことも含まれる事だけど。
キャバ嬢、地元の高校時代に補導歴があり、職歴も不明瞭。
もし、この人が一般企業に面接に来たらまず間違いなく落とされるんじゃないんですかねぇ。でも国会議員にはなれてしまうわけですよ(笑)

■負け組ゼロ
このセリフばっかね。正直気持ち悪い。
負け組ゼロなんて出来るわけ無いじゃん(笑)
そしたら勝ち組ゼロってことだし。
だいたい、何が勝ち組で何が負け組かの定義もはっきりしないのに。
彼女(そして民主党)の政策は結局「負け組」っていうキャッチフレーズで、弱者を隠しているだけでしょう。弱者を全て政府で救おうとしてきたから、お金が無くなって不景気に拍車がかかったのに、何を言ってるんだろう。

あのね、そんなに「国があなたを救います」って言いたいなら、資本主義じゃなくて共産主義じゃなきゃ成り立たないでしょ(笑)資本主義っていう時点で原則的に格差は出るもの。もちろん、その差があまりにヒドイものなら、それは国が動くべきなのかもしれないけれども、今世の中の人そんなに格差あるんですかね。皆明日生きるのも辛いのかしら。

「努力した人が報われる社会」なんて綺麗ごと過ぎで、なんか夢の世界みたい。努力したかどうかなんてどうでもいいでしょ。努力は大事ですよ。でも「努力したかどうか」はどうでもいいですよ。大事なのは「努力したゆえの結果」。そう結果。実力成果主義が企業でどんどんどんどん取り入れられているのに何を寝ぼけたことを言ってるんでしょうね。

努力だけで評価されているウチはまだ子供でしょう。
「いっつも頑張っているけど、仕事が全然出来ない人」より
「いっつも楽そうにしているけど、仕事はキッチリこなす人」の方がよっぽど良い。この国には、前者の人の方を重宝する傾向があって、「遅くまで残業している人」が偉い人みたいなね。ちがうちがう。本来は残業はNGであって、定時までに仕事を片付けられない能力の低さでしょう。まあ、それ以上にコストを下げるために一人頭のタスクを企業が増やしすぎているのが問題なんですが。

「才能はオレの方が上なのに、オレより仕事の出来ないあいつと同じ扱い」なんて絶対に嫌だし、そんなことをしているから、本当に力のある人は正当な評価を受けられずに、意欲を失っていくのね(笑)僕ら世代よりもうちょっと上の世代ですね。

ニートやフリーターの就職問題にしてもそうだけど、結局「努力すればいい」ってもんじゃない。「自分探し」をちゃんとやってきたかどうか。自分探しって現実との対面だから、苦しいですけどね。自分の限界を知り、それでも諦めずに自分の限界を伸ばす作業をするわけだから。でも、自分探しをちゃんとやらなきゃ、良い仕事なんか出来ないし、良い就職すら出来ない。

負け組ゼロって言うのは、「チャンスを平等に」と言いながら敗北者を出すことを否定している。それって、結局個性を無くす事になると思うんですけどね。


posted by 総さん−ソウサン− at 18:08| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

東京ラブストーリー再び。-すっげえ長文w-

実は先日、また見たのですね。このドラマを。
以前に書いたときは、その場で見ていたわけではなく5年前までに見た記憶で書いてました。不思議なもので、歳を重ねて改めてみると見方が変わっていたり、見るところが変わっていたり。

それにしても、本当に衝撃的なドラマだなぁと。
25にもなったというのに、このドラマを見た僕はえげつないぐらい心をエグられて凹んでいます(笑)これ、子供に見せちゃダメじゃないかとすら思った。R指定だR指定(笑)

■赤名リカの強き想い
前回も書いたとおり、このドラマは「主役と脇役の入れ替え」。
「昔好きだった女の子→大人になって酷い男に傷つけられている女性」というさとみは、本来主役にいるべき女性。職場で成り行きで付き合いだした赤名リカは本来ドラマの王道からいけば"完全なる脇役"。もし、さとみが主役なら、恋愛に傷つき結局悲しい結末を迎える赤名リカという人の行動を表現するシーンは激減し、さとみ(有森也美)の辛い心情を描くシーンが中心となり三上(江口洋介)はさぞ極悪非道な男に映る事だろう(笑)

それにしても、フィクションではあるものの赤名リカという人には驚かされる。その奇想天外な行動や繊細な心理ではなく、その強さに。日々「好きな人を想うためには傷つくのを恐れていてはいけない」と豪語している僕ですが、彼女には敵わないですね。カンチがどんなに不甲斐ない態度を取ろうと、自分を見ていないと感づいても、彼女はそれでも逃げずに自分の気持ちに正直に、彼へ手を差し伸べる。簡単に出来ることじゃないなコレは。自分の事を見ていて貰えないと思えば傷つく。傷ついても、もっと傷つけられるかもしれないのに、それでも諦めずに自分に正直に相手を信じて、求めて、そしてボロボロになる。

このドラマがヒットした理由の一つは、この赤名リカの一途な想いの"強さ"なんでしょうね。というよりは、ドラマの柱かな。それを引き立たせるための悲恋でもあるし。このドラマについて「アンハッピーの悲恋だからこそ印象に残る」というフレーズを良く聞くけども、それは適切じゃないのかもしれない。

「悲恋だから」ではなく「悲恋のおかげで、リカの強さが際立ったから」。
これは全てのことに言える事だけど、物事への気持ちや意思というのは成就しない方が、その想いの強さが際立つ。スポーツに例えるとわかりやすい。才能のある人が努力して成功するより、才能の無い人が頑張って頑張ってというほうが熱い思いが伝わってくる。成功するとそれが薄れるんですね。成就しない恋愛だったからこそ、赤名リカの一途な想い、その強さが鮮烈に残る。だから、印象的なドラマとなった。

そして、それ以外にもリカの気持ちの強さを表現するための演出ととれるものがたくさん。携帯がある今では考えられない時間の行き違いや、連絡を取れないもどかしさ、待つことの辛さ。全ての要素が赤名リカという人の心を傷つけ、障害となりそして彼女はそれにめげずに諦めない。

■有森也美というキャスティング
そして極めつけは関口さとみ。
悪者にばかりされるさとみだけども、行動自体には良いところもかなりある。この人は根本的には根の優しい人だし、相手を想う心も強い。尽くす心もあるし、この人単体で見れば女性としては高得点を取れる人なのでしょう。ただ、赤名リカに比べて想いが弱く、そしてある意味で鈍感で周りを振り回してしまっただけで。リカに別れの意思を告げたカンチは、一人暗い自宅で自分の不甲斐なさや、リカとの思い出を電話でさとみに語り涙するが、その時のさとみは見守るようにうなずくだけで、カンチの話を聞き入っている。これは、赤名リカには出来ない芸当。この時点で、やはり永尾完治という人に合うのは関口さとみだったのでしょう。結婚した姿も自然そのものだったし。

にも関わらず、関口さとみが嫌われ者になったのはひとえに"脇役だから"であり、それなりのキャスティングだったから。見事としか言いようがないですね。この当時も今も関口さとみ役を演じた有森也美は"ブラウン管の絶世の美女"ではなかったはず。例えば今なら、このさとみ役が矢田亜希子だったなら、ここまでの悪者にはならなかっただろうし、男性諸君は複雑な心境になったに違いない(笑)

「なんであんな女がいいのよ。リカの方が数倍カワイイのに!」
と思わせるキャスティングの妙ですね。
そのおかげで、本来この違和感に気付くはずである男性まで大事なことを見失っている事に気がついたわけ。

「男は結局ああいう、お淑やかで女性的で、本当は人の事も考えず弱さを発揮できる分ずぶといはずなのに、そういう女の方がいいのよね」
このセリフを何度聞いたことか(笑)
僕はあまりそういう女性に興味は無く、ヒステリックともとれるぐらい元気いっぱいな個性の強い人の方に魅力を感じる人なので(笑)その辺はあまりわからず、ただ世の論調として常にそういうものはもう定番であったし、男がそういう人に行きやすいというのも周りを見渡してみれば事実なので「そうなのかなぁ」と思っていた。が、このドラマを見るとそうではないのです。

例えば、関口さとみと赤名リカが同じスタートラインから出会っているのなら「男は結局〜」というのはごもっともなんだけども、そうじゃない。さとみは、既に大きすぎる一歩をリードしていた「高校時代の憧れの人」。なんでもない人が、精神的に弱って頼ってきたり、ひどい男にフラれて距離を縮めてくるのと「手の届かないと思っていた高校時代の高嶺の花」が同じ事をしてくるのではぜんっぜん違う。有森也美という女優は、男性にまでその決定的な事実を忘れさせてくれる(笑)これが、もっと売れているトップアイドルだったら、この事実に敏感になりもう少し複雑な図になっていたはず。TBSドラマ元彼なんてそれそのものだし。

■赤名リカという人の弱さ・危うさ
強いからこそ、弱い。
強いからこそ、自分を守ることをせず、故に傷つきやすい。
臆せず相手を信じ求めるからこそ、少しでも相手の気持ちが足りないと思うと「寂しさ」を感じてしまう。だから「100%で好きって言って!24時間好きって言ってて!」となる。この辺が視聴者を魅了した彼女の魅力であり、関口さとみ含む単なる女性とは一線を画す唯一無二のアイドルに成りえた由縁じゃないかと。さとみのように三上へ行ったりカンチを求めたりと違い、リカという人は根本的な寂しがりやじゃあない。基本的には一人でも生きていける人なのですね。だから、カンチとの悲恋の後はどうやら一人身っぽい。

「誰もいないから寂しいんじゃないよ。誰かがいないから寂しいんだよ」
名言ですねぇ。
これも、彼女の想いの強さを象徴していますね。
彼女は弱いから寂しがりやなのではなく、カンチという人を愛しているからこそ、寂しくなり傷つきやすくなる。だからこそ、視聴者は魅了される。まあ、一般的に言えばそれこそが「赤名リカは重い」となるのですが。


■リカの想い
いや〜、今回見て改めて気づかされたわけですよ。
そこかしこで、その想いの強さに。
あんな不甲斐ないカンチ相手に、いくつもの信号を送って頑張っている。「ああ本当にこの人カンチが好きなのねぇ」と。彼女は、最後の最後でカンチとの約束を果たさず、一つ前の電車に乗って消えてしまう。それは以前にきっと、全てを素敵な思い出にするために、彼女は彼の最後の"回答"を見ないまま、終わりにしたかったのだろうと思っていたのだけども、どうやらそうではないっぽい。

「今回、カンチが約束の時間に来てくれてもたぶんまた同じ事の繰り返し」と悟っていたのだと思う。つまり、自分はカンチに一番愛されている人では無いと悟った。だから、ここで終わりにさせた。誰よりも好きなカンチのために。

3年後のラストのシーンで、彼女はひょうひょうとカンチの前に現れ、楽しそうに去っていった。彼女にとってカンチとの歴史は全て良い思い出となり今はしっかりと前を向いて歩いている。そんな姿だとずっと思っていたのだけども、それも勘違いだったのかと思ったり。3年後のシーン、偶然の出会いからずっと「永尾君」と呼んでいたのは、その前にカンチとさとみの左手薬指にあるものを見て夫婦となった二人の現状を悟り、二人に気を使った故の呼び方だったのだと思う。けれど、最後。二人が初めて抱きしめ合い、初めてリカが思いを告白した代々木公園の広場では、初めての時と同じ方法で別れを告げたにも関わらず、最後に「カンチ!」と叫んでしまっている。また、エンディングのシーンではカンチが落ち込んでいる時に元気付けるために蹴っ飛ばした缶置き場の缶を、当時を思い出すように蹴るしぐさを試みている。

リカにとって、カンチとの恋は今もまだ現実として息づいていて決して思い出になんかなっていないのかもしれない。


結局、東京ラブストーリーというドラマはひたすら最後まで「赤名リカの強い想い」を描き続けたドラマだったのかなぁと思いますね。
posted by 総さん−ソウサン− at 18:00| ☔| Comment(14) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

球蹴りをもっと楽しめ僕のバカタレ。

時期的なものと、職場に新人が入ったため激務だった仕事が多少緩和され、おかげで最近は転職により参加率低下で迷惑をかけまくっていた球蹴り(サッカー&フットサル)チームへの参加がなんとかあがってきている。

がしかし、プレーコンテンツはまだまだまだあがらない。
深夜帰宅による乱れた食生活のおかげで腐りきった体は、筋トレを日々こなすことにより徐々に改善されてきて、ちょっと踏ん張るだけでゼーハー言っていた体はまあ少しは良くなったのだけど、それ以外がダメダメ。

例えば、ボールを持ったときにパスやボールの乱れというもの自体は一時期より減ってきた。筋持久力がおいつかず、ボールを持ったときに体がすでにオーバーヒート状態でシュートもパスもおぼつかなく、ミスになっていたものはやっとこ減ってきた。でも、ボールを持ったときの判断が全く弱っている。

ボールを持つと、すぐに(ひどい時は慌てて)パスを選択してしまう。
チームが連動し、素早くパスをまわし時間をかけないために、と組織への意識が強いからこそなのだが、どうもそれが強すぎる。どちらかというと「組織をつくりあげるために、まわりに迷惑をかけないように早く判断をしてパスをしよう」という風に組織への依存という方が適切かもしれない。

球蹴りの基本は1対1。
組織だろうが個人だろうが、その基本を忘れてしまっては良いプレーは出来ない。ともかく、ボールを持った僕には「目の前の敵をなんとかしてやろう」という球蹴りの基本中の基本を忘れていて、味方の1対1勝負に甘えて逃げている。だめだこりゃあと(笑)どんなに組織に貢献しようが、走り回ろうが局面局面で1対1に完敗(というか出場放棄の不戦敗)をしていたら、結局はチームに貢献できないわけで。

なんでそうなるかというと、理由は至極単純で怠けきった自分の実力に自信がまるでないから。高校時代の僕が今の僕を見たらぶっとばされるだろうな(笑)だから、個人ではなく組織へ逃げる。組織へ逃げたところで、そんな奴はチームの戦力にはなれない。

トレーニングをしなきゃだめですね。
パスやシュートのボールコントロールはともかく、球をこねたりフェイントを入れたりというテクニックは確実に衰えている(フィジカルコンディションは言わずもがな)。気がついてみたらリフティングもだいぶヘッタクソになってるし(ちょっと継続的にやると気がついた時にはだいぶ思い出してきてたりするから不思議なものだがwボールは触らないとダメね)。

ただ、それだけじゃなくて意識の問題もあり。
僕はそもそもスピードやフィジカルで人様に勝てるようなものは無いし、もともとドリブル突破をして局面打開をするタイプでもない。そんなことできたらとっくにFWをやっている(笑)けれど、ちゃんと真面目に球蹴りをしていた頃は、もっと球コネも遊んでやっていたし、何より楽しくやっていたのに、完全にそれを忘れてしまっている。中田英と同じだな(笑)

トレーニングと同時に、もう少し楽しんで球蹴りをしようぜと自分に言い聞かせてみた次第。

そんなことも忘れていたバカタレな僕なので。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:05| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月12日

中田英寿の憂鬱。

中田英寿の調子が皮肉にも"また"上がらない。
ただ、いい加減認めるべきなのだと思う。
これだけのクラブを渡り歩いて、そこそこのチャンスを貰ってもなお継続的に試合に出ることは出来ないのだから「中田英寿」というサッカー選手は欧州では「能力が低い」と認識されていることを。

実際、今の中田を見ていても僕個人としては欧州のトップレベルで活躍できる資質のある選手には見えない。大好きな選手の一人なんだけど、どうしでも今のプレーコンテンツではそういう判断になってしまう。僕の敬愛する武藤様は「代表では素晴らしい活躍」と言っていたけれども、僕はそうは思えない。

いや、今日の代表において中田は実績も結果も残してきて、貢献してきたと思う。がしかし、そのプレー自体が欧州のトップレベルかというと、僕の目にはNOだ。誤解を恐れずに表現するなら、中村俊輔、松井、小野の方が実能力としては上ではないかとすら思えてしまう。

僕は中田をこよなく愛しているし、有能な人材であり素晴らしいサッカー選手だと思う。彼を否定したいわけではない。が、どうにも彼の能力が全盛期に比べ落ちている気がするのだ。肉体的衰えにはまだまだ早すぎる年齢にも関わらず。

まるで偉大なディエゴの話をしている錯覚に陥りそうだが、中田の全盛期を語るならフランスW杯前後ということになる(と、僕は思っている)。今の中田と何が違うか。当時とは評価のされ方が全く違う。評価される部分が全く違う。今も、評価される部分の中に全盛期の部分も含まれ、尚且つ別の部分で評価をされているのであれば、それは単純に選手の成長によるもので問題は無い。しかし、今と全盛期での評価のされ方は全く異質なもので、これは「成長」ではなく「変化」に限定されるものだと思う。

結論から言う。
全盛期の中田と今の中田の評価部分の違いは一言。

"ファンタジスタ"
この適正があるかどうか。
柔らかいタッチで敵を翻弄し、一撃必殺のスルーパスという武器を持って敵に
絶望を与え、時にミラクルなシュートを放ち試合を支配する限られた才能を持つプレーヤー。少なくとも、フランスW杯前後の中田は紛れも無く"ファンタジスタ"だった。今の中田には微塵も感じられない。ここ4年ほど、彼のキラーパス、ファンタジー性に歓喜した記憶があるだろうか?僕には無い。

前述の通り、中田の貢献度を疑うものではない。
冷静な戦況判断。強固な意志。プレッシャーのかかる局面での強さ。エネルギッシュに動く運動量。中田は大いに我らが代表に貢献してきた。しかし、彼に与えられる賛辞や評価の多くが「経験」や「精神面の強さ」「守備への貢献」と以前の持っていた能力とは全く別物であることが多くなったのは僕の気のせいだろうか。


問題は何か。
僕の勝手な推測であるが、その原因は肉体強化にあると思う。
ご存知の通り中田は強靭な肉体を弛まぬ努力により手に入れた。
しかし、手に入れすぎたのではないかと思う。

体が硬い。
動きが鈍い。
そして、テクニックが減退している。
フランスW杯やペルージャ初期のビデオと、今の中田のビデオを見比べればその差は歴然としている。今の中田のプレーはお世辞にも「柔らかいタッチ」とは言えない。ドリブルをさせても軌道が乱れていたり、トラップも浮くことがある。以前の中田には考えられなかった。そもそも"ファンタジスタ"と呼ばれる選手がそんなことがあるはずがない。

90年代後半の中田は、本当に単純に上手かった。
今の小野や中村ほどではないにせよ、高い基礎技術を持っていたと思う。単純に小野や中村のように球をこねる曲芸的テクニックに秀でていなかっただけで、トラップ、ドリブルの一連のプレーは充分に「やわらかい」という形容の範疇に収まるものだったと記憶している。球をこねたり、瞬発的な曲芸テクニックは無かったが(というより見せることがなかったが)高いテクニックで突破をはかれる能力もあったし、囲まれてもフィジカルだけではなくテクニックを駆使してキープすることもあった。ドリブルとはつまりボールの"キャッチ"と"リリース"であるが、そのバランス、ボールの置き所が非常に上手い選手だった(無理やりこじつければ今の長谷部が多少近いかもしれない)。いつのキリンカップか忘れたが、左サイドタッチライン際でライナー性のとてつもなく長く強いロングパスを片足でピタッとトラップしたことがあり、当時あれには本当に驚かされた。あのような芸術的なため息の出るような"高いテクニックに裏打ちされたプレー"というのを、ここ数年見た記憶が無い。

筋力トレーニングによってつけた筋肉(の多く)は、強度こそ他を圧倒する値を得られるものの、あまり使い勝手の良い道具にはならない。言ってみれば、車のポン付けターボに近いものがある。体は重くなり、硬くなり、レスポンスが悪く瞬発力が衰える。ジェノアに渡ったカズが失敗した例もこれと全く同じだろう。

テクニックというものは、あれば良いというものではない。敵との距離、位置、タイミング等を測り適確に"そこ"へボールを運ぶための物であり"足元に置ければ置けるほど良い"というものではない。"トラップとは自分へのパス"by山本昌邦とはまさしくその通り。しかし、現実にサッカーの上手い下手はこの世に確実に存在しており、テクニックの高さとは即ち=選択肢の多さを意味する。そして、選択肢が多いということはつまり、多くの展開を期待でき、それは最終的に「選手個々の創造力・想像力」の発展につながる。

例えば、トラップの吸い付き具合にしても、目盛りが10あれば、その分細かい微調整が出来るし、半分5目盛りでは出来ることが減ってくる。今の中田は、その目盛りがだいぶ荒くなってしまったように見える。テクニックの減退により、選択肢が狭まり、創造性あふれるプレーが激減してしまったというところか。

汗かき役も結構。経験あるプレーも素晴らしい。レジスタへの転換も悪いことではない。しかし、いささかフィジカルへ気を配りすぎたのではないかと思う。何をするにしても、長所であった単純な「サッカーの上手さ」が減退しては、欧州の中盤で生き残るのは難しい。なぜなら、中田以上にフィジカルをもち、恵まれた体躯を持ったCMFは世界に山ほどいる。中田はバラックやジェラードやランパードにはなれないだろう。そもそもの資質が違うのだから(彼らを目指すのはやはり稲本の役目だろう)。中田の適正では無い。無いから、欧州で力を発揮できない。

中田が、なぜ欧州でペルージャで活躍できたのか。
ファンタジスタと認められる高いテクニックを誇りながら、それだけに留まらず、そのテクニックと高いフィジカルを奇跡のバランスで両立させたからこそ、彼は"屈強なファンタジスタ"と呼ばれ重宝された。

今の中田は、以前CMで自らが批難し「自分で判断して動くんだ」という言葉を与えたあのロボットのようだ。
もう、筋肉をつける必要は無いじゃないか。
鎧を脱いで、身軽だったあの頃に戻って欲しい。

名波と山口の前でサッカーを楽しんでいたあの頃の中田に。
posted by 総さん−ソウサン− at 21:00| ☔| Comment(1) | TrackBack(2) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月10日

怖くて電車に乗れなくなるよ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060410-00000103-yom-soci

痴漢で逮捕・不起訴、男性の損害賠償請求を棄却

 電車内で女性に痴漢行為をしたとして現行犯逮捕されたものの、不起訴となった東京都国立市、元会社員沖田光男さん(63)が「虚偽の申告で、証拠もないのに不当に逮捕、拘置された」として、被害を申告した女性と国、都を相手取り、計約1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が10日、東京地裁八王子支部であった。

 松丸伸一郎裁判長は「女性の供述は具体的で、痴漢行為があったと認められる」として、沖田さんの請求を棄却した。沖田さんは控訴する。

 判決などによると、沖田さんは1999年9月2日午後11時ごろ、JR中央線の電車内で20歳代の女性に下半身を押しつけたとして都迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕された。

 その後立川署に21日間拘置され、同署や東京地検八王子支部で取り調べを受けたが、一貫して容疑を否認、同年12月に嫌疑不十分で不起訴処分になった。

 沖田さん側は「女性は車内での携帯電話の使用を注意された腹いせに、事件をでっち上げた」と主張していたが、松丸裁判長は女性の供述内容について「供述は詳細で、実際に行為を受けなければわからない内容で信用できる」と認定。この供述に基づいて警察が逮捕、検察が拘置請求したことはやむを得ないとした。



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なんともバカげた判決ですね。怠けてるんだろうか判事は。
この裁判の争点は「痴漢が行われたかどうか」ではないでしょうに。
「"沖田さんが"該当の女性に痴漢を行ったかどうか」でしょう?

沖田さんがそこで痴漢を行ったのかどうかは、今のところ誰にも真実はわからない。もしかしたら、本当に女性に被害があったのかもわからない。ただ、少なくとも現時点では沖田さんを犯人だと断定できる材料は、質的にも量的にも不充分。だから、刑事では不起訴になったのでしょう。

疑わしきは罰せず
この鉄則を破ったら秩序は乱れるよ。
強者から弱者を守るための法律やルールが、その全てが強者と弱者の立場を即座に逆転させてしまう。

この辺、警察って物凄くおかしいと思うんだけど「疑わしい人は疑ってもOK」っていうのは僕は間違った価値観だと思うのですよ。怪しい行動を取っている人が疑われてしまうのは仕方ない。もうこればっかりは人間の習性だし、警察においてはそれが仕事なのだから仕方ない。ただね「疑った人が無実でもOK」っていうのは違う。絶対に違う。過去に犯罪をしていようが、なんだろうが間違いは間違い。無実の罪を着せたのは事実であり、それについてはキッチリと罪を償わなければならんと僕は思うのですよ。

沖田さんが本当に痴漢をやっていようがやってなかろうが、結論として「不起訴」になった以上、沖田さんは無実。その無実な人に汚名を着せたのだから、その罪はキッチリ償うべきでしょう。

この裁判には目に見えた問題として「被告の証言のみで[信用できる]という主観たっぷりのそれのみの判決が下されていること」がある。まあ、ココは多くの方が触れていますね。これでは、気に入らない男を「痴漢された!!」と叫んで、あとはプレゼン能力さえ高ければその男の人生を終わらせることが出来てしまう。痴漢は良くないし、受ける女性は怖いですよ。僕だって若かりし日になぜか痴漢にあったことありますから(笑)でもね、受けた経験のある人間から言わせて貰えば、僕ら男の「痴漢の濡れ衣を着せられて人生を棒に振る」という方が圧倒的に怖いです。どちらを選ぶかって言ったら僕はオッサンやオバちゃんに痴漢される方を選びますよ(笑)


そして、この裁判のもっと問題なところ。
これは上記の警察について。この沖田さんの訴えを「被告の証言のみ」で棄却されてたんじゃ、痴漢の冤罪うんぬんじゃなしに、警察の機能を是正することが出来なくなる。こんなもん、その女性以上に警察が「逮捕したもん勝ち」なんですよ。

「被害者も言ってるし怪しかったから逮捕しました。不起訴だったけど、後のことは知らんですよ。疑うことが私達の仕事なんですから」
っていうのがまかり通るってことです。
これね、ご自分の仕事にたとえればわかると思うんですよ。
警察の仕事は「疑うこと」じゃなくて「犯人を逮捕すること」なわけです。「犯人を逮捕する」ために「疑う」。疑えば仕事が終わるわけではもちろんない。疑うという行為はあくまで予測であり、事実に基づき犯人を捕まえてこそ意味を持つ。つまり仕事のクオリティとしては「事実に基づいた犯人逮捕」こそが命であり「疑う」という行為はプロセスに過ぎない。

クオリティが低ければ、周りから言及されるのは当然でしょ?
そして、損害や被害を増やさず利益を得るために予測して動き、仕事をする。誰だって、お金貰って働いていればそのリスクマネジメントをしながら行うはず。下手な仕事をすれば、叩かれるし減給の対象にもなる。当然。

そういう考え方で言えば、上記の警察のやり方はクオリティを無視したリスク管理の出来ていない仕事ですね。それを監督し是正するのが司法の任務を遂行する裁判所の仕事でしょうが。

大きな権力には、それに対抗する権力が働かなければ必ず腐っていきますよ、と。
posted by 総さん−ソウサン− at 19:00| ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

ジュビロの迷走は監督の矛盾。

開幕して何試合かジュビロの試合を観たが、どうにも希望が持てない。
著しく弱くは無い。が、強くも無い。そしてもっと問題なのは将来性が全く感じられない。このサッカーを続けて、山本監督はジュビロをどこの頂へ登らせるつもりなのだろうか。現状のメンバを見て4-2-3-1を採用したのは、わからないでもない。が、問題はその次。メンバ構成がわからない。

まず、4バックの左右。
右の鈴木は確かにスピードはまだある。
しかし、この選手は足元が弱い。基本的にはセンターバックの選手なのだ。今日のサイドバックという資質において「スピードがあるだけ」では、いくらJでも通用しない。また、自慢の守備にも陰りが見える。浦和戦を生観戦したが、いくらなんでも、相手が代表選手といえど3度同じ方法(これがまた芸が無い三都主お得意のブリッジ)で抜かれるなんてのは、以前ではありえなかったこと。速度自慢のDFである鈴木なら特に。

左の服部はもっとお粗末だ。
ともかく、遅い。そしてこの選手も足元がおぼつかない。
Jの下部組織育成により、年々選手の基礎ボールコントロールはあがっている中で、服部の技術、精度はかなり苦しい。ただ、そもそもが技術で売っている選手ではない。悲しいかな、ピッチ上で苦しさを露呈していたのは、長所の減退だ。この選手は、速度は無いが敏捷性は必ずしも低くないし、スタミナはリーグでも5指には入る資質を持っていたと思う。それが、今は無い。

この選手が、ジュビロの黄金期において、左MF、ボランチで輝かしい成績を残せたのは、そのスタミナ、敏捷性が高かったからだ。足元が弱くとも、よく走り、レスポンスをあげて人より先にボールに触れる。だからこそしっかりとボールが保持でき、正確なパスを次へと繋げられたのだ。そして、そのフィジカルを利用してあの圧倒的な守備力を手に入れた。遅い体、おぼつかない足元で敵と同時に競っていてはこの選手はボールを我が物にすることは難しい。だから、局面局面で今は1対1に敗北してしまう。

浦和戦において、浦和右サイドでCKからのクロスのこぼれ球を拾った長谷部は後ろ向きから意表をつく反転を見に施し、ほぼ一拍も置かずに高精度なクロスを再度放り込み、浦和に先制点をもたらした。その際、長谷部についたのは服部だった。長谷部は確かに素晴らしい。体の切れ、運動量、技術、申し分ない。しかし、服部は間違ってもあそこで足の出ない選手ではなかった。少なくとも以前の服部(全盛期に限らず)は「絶対に抜かれない選手」だった。アトランタ五輪であのジュニーニョを抑えたのだから。

この二人を同時にピッチに送り込んでいては、球際で勝負に負け相手にある程度バランスが傾いてしまうのは仕方ない。加えて、そこに名波だ。僕は名波狂信者なので(笑)彼を否定したいわけではない。ただ、確実に衰えは来ている。週一出場にとどめているのも、爆弾を抱えている右足を懸念してのことだし、スタミナ、フィジカル、クイックネスは確実に落ちている。依然として、日本を代表する「タクトをふれるMF」であることに疑いは無い。そのリズム、転調は見事の一言。しかし、今の名波は以前の様に中盤を走り回り、泥臭いプレーも厭わず、危険地帯へ突っ込めるようなプレーの出来るスーパーボランチではない。結局、ベテランはベテランなのだ。

ベテランを軽視しろというわけではない。ベテランにはベテランの良い所がある。経験を活かし、試合を読むことが出来る。しかし、サッカーの基本である1対1は勢いのある若手には劣る。ベテランは大事だが多すぎてはサッカーにならない。福西や田中誠にしても、若くはない。メンバ構成の占めるベテランの割合が多すぎるのだ。その先に一体何があるというのか。

なぜ、若手を起用しないのか。
このクラブには他の中小クラブからすれば贅沢ともとれるほど有望な若手が存在する。成岡は若いようで新人クラスではない。菊池もしかり。船谷、西野、太田・・・。鈴木に頼るぐらいなら、太田に希望を見出す方が間違いなく将来があると思うのだが。左だって同じ。村井を一列下げるなり、グランパスの本田のように船谷を入れたって良い。菊池だってユーティリティー性の高い選手だ。

もっとも解せないのは成岡であり名波だ。
一体山本監督は名波に何を求めているのか。
4-2-3-1のトップ下は、2列目というよりは1.5列目。
半分はFWやアタッカー的な動きが求められる。
密集地をすり抜けるドリブル。マークを振り切るスピード。せまい地域でも難なくボールを運んでみせる高い基礎技術。そして何より、突破力と得点力。個人打開能力が高く無いと勤まらない。

名波に勤まらない事は無い。しかし、名波のもっとも活きるポジションではないし、そこに名波をおいてもはっきりいってJのトップクラスのプレーコンテンツは披露できないだろう。足も遅い、フィジカルも落ちている、ドリブル突破も持っている能力の本線ではない、スペースへの飛び出しも得意ではない。そんな名波をなぜそこへ置くのか。

名波と言う希代のコンダクターの能力を使いたいなら、彼の居場所はそこではないだろう。もう一列後ろのはず。そこでこそ、プレッシャーから解き放たれチームを後方からビルドアップする際の、高性能な司令塔としての能力を発揮できる。

そう。名波と言うベテランに頼りたいのならば、中途半端なことをしていては意味が無い。なぜ、ファブリシオなのだ。控えにしてでも名波をボランチで先発させるべきであるし、1.5列目にはこれ以上無い潜在能力を秘めたうってつけの人材がいるじゃないか。クラブは1.5列目という任務において日本を代表す才能を発揮した、クラブ史に名を残す「名波の相棒」の後継者として成岡にその背番号を今季から託したのではないのか。

若手を積極的に起用しないこと。
日本を代表するコンダクターを「浪費」しているメンバ構成。
山本監督の言う「世界」とはどこにあるのだろうか。
posted by 総さん−ソウサン− at 19:00| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月03日

桜は散ることに価値があると思う。

昨日は花見の予定だったのですが、あいにくの雨で中止。
スーパーハードスケジュールだった僕は、代替えの集まりは欠席させてもらって部屋で休養してました。「宴」という意味での花見は結局今年は出来なかったけども、彼女さんと公園に行ってぶらぶ〜らしたので、桜を楽しむことはできたかな。

桜って、ほんとすぐ散っちゃいますね。
けれども人をこれほどに魅了する桜は、散るからこそその力を発揮する。
一年中花を咲かせていたら、人はきっとこの花にそこまでの魅力は感じないに違いない。

満開になることと同じくらい散ることに意味がある。
何かが始まり、何かが終わる。
「始まり」に意味があるのは、そこに「終わり」があるからこそ。

人に永遠の命があったとしたら、きっと内容の薄い人生になる。
限りがあることは素晴らしい。
posted by 総さん−ソウサン− at 17:53| 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実はPSPを購入しました。

新品のバリューパックを2万円でGETしました。
以前からな〜んとなく、欲しいなぁ〜なんて思ってて、ついに購入。
がしかし、ココ最近「新たな精密機器」を手にしたことはなかったので、なーんもわからん(笑)画像に動画に音楽も見れるらしいのだけど、どうすればいいのやら。

それらにも大いに興味はあったのだけど一番の目的は「ウイイレやってみたい」だけという、不純な動機は一切無い僕だったので全く下調べしておらず、右も左もわからん状態です。

まあ、これからいろいろ調べてみます。
posted by 総さん−ソウサン− at 12:35| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月02日

夕刊フジが大嫌い。

元々、嘘と自分達の都合のいいように事実を捻じ曲げて金を毟り取るようなマスゴミは大嫌いなんですが、夕刊フジだけは逆の意味で別格。父が好きで、中学時代から日常的に我が家には置いてあったのだけれども、歳を重ねるにつれ、そして僕がサッカーというスポーツにのめり込むにつれ、このタブロイド紙記事の劣悪さに嫌と言うほど気づかされ、今は大嫌いな新聞になりました(笑)

以前に、中田英がパルマへ移籍したばかりのころ、ミロシェビッチとミハイロビッチを完全に間違えて記載していたのには笑った。一見似た名前に見えるかもしれないが、サッカーファンならこの二選手がどれほどタイプの違うかけ離れた選手かご存知だと思う。サッカーのサの字も知らない人間が書いている三流記事なんですよね。なんで、そんな記事でお金を貰おうと思えるのか不思議。


http://www.zakzak.co.jp/spo/2006_03/s2006033013.html

ジーコ再就職も勝算アリ「W杯で結果」院政も視野

この動きに対し、ジーコ監督も「もう、日本代表監督は続けない」と、公にはコメントしている。だが、実際はカチンときている。その証拠となるのが、「W杯でベスト4以上。優勝だって夢ではない」と言い続ける自信だ。

ジーコの後任探しをしている協会に「カチンときている」という見解の根拠は一体どこから出てくるんでしょうか(笑)その根拠が今年7月から「0円」になる。現時点でW杯後は「無職」になるからではあまりにお粗末すぎるだろう。

この記事は根本から痛すぎる勘違いをしているが、我が代表の神監督は世界一の母国でその名を欲しいままにし、世界に名を残す伝説のプレーヤーだからこそ「神」と呼ばれている。確かに、今現在代表監督としての能力には疑いの余地がかなり残されているが、あくまでそれは今現在の「日本代表監督」という業務についてのみであって、「サッカー界のジーコ」というポストは7月からの無職など寄せ付けないほどのネームバリューがあることを忘れてはならない。今だってはっきり言って「日本代表監督のジーコ」ではなく「ジーコ率いる日本代表」というのが世界の目線。

だいたい、今日の日本サッカーにおいて間違いなく多大な貢献をした人物の一人であることに疑いはないし、現在の鹿島の基礎を作り上げたのはジーコ以外の誰でもない。日本代表の成績にしても、結果だけを見ればアジアカップ二連覇を達成し、ワールドカップアジア予選も一次・最終通してアウェイの一敗を喫したのみで、世界一番乗りで一位通過。コンフェデにおいては世界のファンを魅了するサッカーを展開し、その名を世界に売り出した。「弱小ニッポンを育て上げたジーコ」でしょう。ほっといたって日本に留まらず他国からもなんかしらのポストの打診が来るに違いないし、そもそもこの人はお金持ちだ(笑)7月から日本代表の監督の座を退いたとしても、この人には痛くも痒くもないはずなのだ。


このままなら、ジーコ監督が目標とするベスト4など、夢のまた夢のお話。今年のスポーツ界の主役の座は、2月は女子フィギュア、イナバウアーの荒川静香、3月は野球のWBC世界一、王ジャパンに完全に奪われ、今はまだサッカーは忘れられた格好だ。

これは批判したつもりなんだろうか(笑)
全て国際舞台での真剣試合である本戦の野球と冬季五輪を比較して「忘れられている」というのは、どういう表現なんだろう(笑)トライアルである今現在のサッカーが比較できる存在であるだけで、充分関心度が高いと言えるのにね。

ジーコ監督は、「優勝に最も近いのはブラジルと開催国のドイツ。あとはどの国も本当に横一線なんだ」と、ドイツ大会での優勝さえ可能と主張、主役奪還を目指す。日本、アルゼンチン、オランダ、イタリアが同じレベルにあるというから驚き。W杯で勝つためには、「開幕(6月9日)の1カ月前、この期間さえ、しっかり鍛えれば大丈夫」と言い切る。

文面だけでは、一体どの辺がアルゼンチン、オランダ、イタリアと日本が同じレベルにあると書いてあるのかわからんが、各国のレベル差がどんどんと縮まっている昨今、「一発死」であるトーナメントでは"事故"がおきやすく、また短期間に良いコンディションを作れたところが良い成績を残しやすいという意味で、ジーコの言っていることは強ち間違いではない。無論、日本と他列強国のサッカー文化という「国力」が同等という意味で語っているわけではないはず。

結局、ジーコ批判の波に乗って揚げ足取りをしているだけの身のないクズ記事なのですね。そんな低俗な記事しかこのタブロイド紙には書けないのでしょう。

こんなアホな記事で人から金をとろうなんて、ある意味詐欺の犯罪だと思いますねぇ。
posted by 総さん−ソウサン− at 19:15| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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