あきれますね、コレ。
命に対する意識が完全に崩れてる。
実名出しちまえよって思ったのは僕だけではないだろう(笑)
にしても、コレはたぶん「自分以外の他者も危うい存在であること」
という意識が欠如しているんでしょうね。
平たく言えば広い意味でのコミュニケーション不足。
自分以外の他者が危ういことをなぜ理解できないのかというと、
それは逆説的に言えることがあって「自分が危うい存在であること」
に気づいて無いからですね。今のこの平和ボケした国だから多少無理しても
命を落とすこともなく、幸せに暮らせているわけで、本来人間の命なんてものは
簡単に消えてしまう。だから、人はそれを防ぐために寄り添って生きていくのですね。
このおバカな若者も"サッカーボール代わりに"蹴ってやればいいなんて僕は思っちゃう(代わりに見立てたのがサッカーボールだったのがまた腹立たしいw)。けれど、割と僕は本気で、自分の子供が命に対してそのような事をしたら、「同じ事を子供にもする」というのは教育方法としてはアリだと思うのですよ。それだって立派な情操教育じゃないかなぁ。
今、学校の先生にしても、親にしても体罰しないし先生なんかがやろうものならもう親御さんめちゃくちゃうるさいっしょ。これ、異常だと思いますよ。「体で覚えさせる」って僕は絶対必要だと思う。「体で覚えさせる」というと物凄く乱暴なイメージですが、捉え方を変えればこれはなんら不思議な事はないと僕は思います。
要は「五感をしっかり使って教え込む」ということじゃないかな。
体罰っていうのは、体の持った触角や視覚、聴覚なんかを使って教えるということ。
誰だって、物を覚えるときはそうじゃないですか?
サッカーにせよスノボにせよ、運転にせよ。言葉で言われて、図で説明されて。
言われたことをそのまま実践できるほど人間は優れた生き物では無いと僕は思います。
行き過ぎた体罰はもちろんいけないですよ。
感情にまかせた我を失った体罰は、暴力ですね。
ただ、この国はどこかおかしな所があって、一つがだめになると全部をダメにしちゃう。
子供がナイフを持つのはいけないことですか?
子供がナイフを使うのはいけないことですか?
子供がナイフを使って悲惨な事件を起こすと「なんでそんなもの子供に持たせるんだ」「そんなもの子供のそばにおくな」「そんなもの売るな」となるんですね。
もちろん、むやみやたらに手の届くところにナイフを置いておくのは教育上良くないと思います。が、「=ナイフを使わせたらいけない」ではないと思うんですよ。大事なのは「ナイフの使い方をしっかりと教えること」だと思います。どんなに取り上げたって子供はいつか自分と対等な扱いを受ける大人になる。大人になればナイフを持つことが出来る。完全に排除するなんて無理だし、ナイフと言うのは火と同じように生活において立派な道具なわけで、きちんと使えないと、そしてそれがどういう力を持っているのかを把握していないと間違いが起きる。ナイフを持った子供より、どう考えてもナイフの使い方を知らない大人の方がはるかに恐ろしい存在でしょう。
これと同じことだと思うんですね。
体罰をする教師や親がいけないのか?
いや、それは違う。
体罰の使い方を誤る大人がいけないんです。
体罰が全面的に禁止されて、今の学校には「怖い先生」っているんですかね?
怖い先生って頭がいいとか、すぐ怒鳴るとか、腕っぷしが強い先生とかじゃないんですよ。
なんかこう、たいして強くも無いのに心の全力でぶつかってくる先生がめっちゃくちゃ怖い。体罰とかじゃないんですよ。違う先生から殴られた方が絶対痛いのに、なぜかその先生からゲンコツを食らう方が怖いんですよ。そこに「本気」っていう真剣さや愛情がのっかってるから怖いんでしょうね。「この人、本気だわ。逃げられないわこれ。見透かされてるわ全て」なんて思うんですね。
「攻撃するものは全て悪」では何も改善されない。
平和という幻想の地獄が待っていると思う。
人間、どこかから叩かれないと本当の意味ではわかんないもん。